村田基の逆転日記

進化倫理学の威力を試すブログ

2019年01月

ネットの議論というのは、「マスメディアが報じない隠された真実を発見した」という場合に盛り上がる傾向があります。
そのため、小さな「真実」が膨れ上がって陰謀論になったりします。
 
たとえば都立町田総合高校で教師が男子生徒を殴るという動画が拡散し、教師による体罰事件としてメディアが取り上げニュースとなりました。ところが、この動画は“切り取られた”もので、その前の場面では撮影者の生徒のものと思われる「ツイッターで炎上させようぜ」という声が入っていたことがわかると、今度は一転して生徒が教師をハメたということで、生徒に批判が向かいました。この動きはテレビのワイドショーにも波及して、体罰教師を擁護する声まで出たそうです。
 
しかし、この教師はもともと体罰をしない教師だったようで、その教師を怒らせて体罰をさせるには、一流俳優なみの演技力で挑発的な暴言を吐かなければなりません。
それに、「ツイッターで炎上させようぜ」という言葉も、その争いの現場を見て言ったわけで、前から仕組んでいたなら現場でそんな言葉は発しません。
ちょっと考えれば、生徒が教師をハメたなどということはありえないとわかります。
 
町田総合高校の校長は事件にいたる背景をこのように説明しています。
 
 真相をつかむべく情報収集中の信岡新吾校長(54)に話を聞いた。
「この事件はピアスの指導うんぬんはまったく関係なく、直接の原因をつくったのは教諭です。事件の数日前、教諭がほかの生徒に“Aくんは○○なんだよ”などと教師としては不適切なことを言った。
 大ざっぱでフランクで、そこが生徒から慕われるところでもあるんですが、いわゆる軽口だった。その発言を事件直前の休み時間にほかの生徒から知らされたAくんが怒ったんです」(校長)
 Aくんが怒ったのは、自分のいないところでそう言われた悔しさからとみられる。3時間目が始まり、教諭が教室に入ってきたとき、Aくんはこの件を持ち出して「なんでオレには言わないんだよ」などと詰め寄り、廊下に出たという経緯だった。
「教諭に非があるのだから、“それは悪かった”と率直に謝ればよかったんです。しかし、Aくんの言葉遣いに感情的になってしまった。先生として示しがつかないというか、先生の中には威厳、プライドを持っている先生がいるんですよ。そういうタイプの先生だったので、カッとなって体罰に及んだ。原因をつくり、結果も含めて、やはり先生が悪い」(同校長)
 
ところが、生徒の「脳みそねぇのかよ。小さい脳みそでよく考えろよ」という暴言だけが切り取られ、一方、「お前、こんだけ言われて俺がキレると思わねぇのかよ」という部分は切り捨てられ、生徒が悪い教師は悪くないという主張が行われています。
要するに体罰肯定論者が都合のいい切り取りを行っているのです。
 
 
 
明石市の泉房穂市長は、建物の立ち退き交渉担当の市職員に対して「立ち退きさせてこい、お前らで。きょう火つけてこい。燃やしてしまえ」などと暴言を吐き、その音声がマスメディアに取り上げられたために、記者会見で謝罪しました。
 
この暴言があったのは2年前のことです。なぜこの時期にその音声が流出したかというと、今年の4月に市長選があるからだと想像されます。しかし、背後にどういう政治的事情があろうとも、「火つけてこい」などという暴言はいけません。
 
ただ、「火つけてこい」発言は“切り取られた”ものでもあります。地元の神戸新聞がその前後も含めた書き起こし文を記事にしました。少し長いですが、引用します。
 
 
部下に「辞表出しても許さんぞ」「自分の家売れ」 明石市長の暴言詳報

 職員「(立ち退き対象だった建物の)オーナーの所に行ってきた。概算で提示したが、金額が不満」
 市長「そんなもん6年前から分かっていること。時間は戻らんけど、この間何をしとったん。遊んでたん。意味分からんけど」
 職員「金額の提示はしていない」
 市長「7年間、何しとってん。ふざけんな。何もしてへんやないか7年間。平成22(2010)年から何しとってん7年間。金の提示もせんと。楽な商売じゃお前ら。あほちゃうか」
 職員「すいません」
 市長「すまんですむか。立ち退きさせてこい、お前らで。きょう火付けてこい。燃やしてしまえ。ふざけんな。今から建物壊してこい。損害賠償を個人で負え。安全対策でしょうが。はよせーよ。誰や、現場の責任者は」
 職員「担当はおります。課長が待機していますが」
 市長「上は意識もしてなかったやろ。分かって放置したわけやないでしょ。任せとっただけでしょ。何考えて仕事しとんねん。ごめんですむか、こんなもん。7年間放置して、たった1軒残ってもうて。どうする気やったん」
 市長「無理に決まっとんだろ、そんなもん。お前が金積め。お前ら1人ずつ1千万円出せ。すぐ出て行ってもらえ。あほちゃうか、そんなもん。ほんま許さんから。辞表出しても許さんぞ。なめやがって。早くやっとけばとっくに終わってた話を。どないすんねん。悠長な話して。たった1軒にあと2年も3年もかけんのか。何をさぼってんねん、7年も。自分の家売れ。その金払え。現場に任せきりか。担当は何人いるの」
 職員「1人しかいません」
 市長「とりあえずそいつに辞めてもらえ。辞表とってこい。当たり前じゃ。7年分の給与払え。辞めたらええねん、そんな奴。辞めるだけですまんで、金出せ金も」
 職員「担当は今は係長。この間係長は3回替わった」
 市長「何やっとったん、みんな。何で値段の提示もしてないねん」
 職員「値段は概算を年度末に提示している」
 市長「概算なんか意味ない。手続きにのらへんやないか」
 職員「市長申し訳ありませんが、(の分は)予算は今年度でつんでいる。前年度は予算ついていないんで、概算しか」
 市長「ついてないってどういうことよ」
 職員「他の地権者の分、とってますから。丸ごと全事業費は1年間でどーんと付けられない」
 市長「見通しわかっとったやろ。ややこしいの後回しにして、楽な商売しやがって」
 市長「ずっと座り込んで頭下げて1週間以内に取ってこい。おまえら全員で通って取ってこい、判子。おまえら自腹切って判子押してもらえ。とにかく判子ついてもらってこい。とにかく今月中に頭下げて説得して判付いてもうてください。あと1軒だけです。ここは人が死にました。角で女性が死んで、それがきっかけでこの事業は進んでいます。そんな中でぜひご協力いただきたい、と。ほんまに何のためにやっとる工事や、安全対策でしょ。あっこの角で人が巻き込まれて死んだわけでしょ。だから拡幅するんでしょ。(担当者)2人が行って難しければ、私が行きますけど。私が行って土下座でもしますわ。市民の安全のためやろ、腹立ってんのわ。何を仕事してんねん。しんどい仕事やから尊い、相手がややこしいから美しいんですよ。後回しにしてどないすんねん、一番しんどい仕事からせえよ。市民の安全のためやないか。言いたいのはそれや。そのためにしんどい仕事するんや、役所は」
 
泉市長の暴言は「火つけてこい」だけではありませんでした。
「お前が金積め。お前ら1人ずつ1千万円出せ」
「辞表出しても許さんぞ。なめやがって」
「自分の家売れ。その金払え」
「7年分の給与払え。辞めたらええねん、そんな奴。辞めるだけですまんで、金出せ金も」
暴言のオンパレードです。
 
神戸新聞がどういう意図でこの記事を載せたのかわかりませんが、「辞表出しても許さんぞ」「自分の家売れ」という言葉が見出しになっているように、市長がこんなに暴言を吐いているという記事になっています。
 
ところが、まったく逆の結論に持っていくための“切り取り”をする人がいます。
「金額の提示はしていない」「何もしてへんやないか7年間」という部分を切り取って、職員はなにもしていなかったのだから市長が怒るのは当然だという主張がネットにはいっぱいあります。

しかし、職員がなにもしていないわけがありません。「ちゃんとやっています」と言えば市長の怒りの火に油を注ぐだけなので、言わなかったのです。
現にそのあと職員は「値段は概算を年度末に提示している」と言っています。
 
なお、元鳥取県知事の片山善博氏は1月30日のTBSの「ひるおび!」で、「金額の提示をするには予算の裏付けが必要で、たぶん予算がなかったのではないか。その責任は市長にある」と述べていました。
 
この神戸新聞の記事は「詳報」となっていますが、実はまだ要約です。正確な全文起こしは「アエラ」が報じているので、その部分を引用します。
 
 
市長「何もしてないの?」
幹部「いや……」
市長「何をしとったん逆に?」
幹部「してるんですけど、ずっと追いこん……」
市長「じゃなくて一緒にやるのは当たり前やねんから」
幹部「並行してたんです」
市長「並行なんかしてへんやん、何言うてんねん」
幹部「はい」
市長「してないやないか、全然。してないんでしょ? してたんですか? してないんでしょ、全然!」
幹部「提示はしていなかった」
市長「してないじゃないですか。してないやろ、お前!」
幹部「その通りです」
市長「7年間何しとってん。ふざけんな」
幹部「はい」
市長「なんもしてないやないか、7年間! 平成22年から何してんねん、7年間! お金の提示もせんと、楽な商売じゃほんまお前ら! アホちゃうかほんまに」
幹部「すみません」
市長「すまんですむかアホ! すまんですまん! そんなもん。立ち退きさせてこい、お前らで。今日火付けてこい!(後略)
 
職員は最初は「(ほかの立ち退き交渉と)並行してたんです」と主張していますが、「してないやないか」と決めつけられて主張を引っ込めています。
パワハラの実態がよくわかります。
 
パワハラ肯定論者は、泉市長のパワハラを正当化するためにいろんな“切り取り”をします。
たとえば、作家で投資家の山本一郎氏はこんな記事を書いています。
 
明石市長・泉房穂氏の暴言をよく読むと、市民の命を守るための正論である件
 
山本氏は、市長が怒るのは女性が亡くなる交通事故があったからで、市民の安全のためだと主張しています。
確かに市長は「市民の安全のため」と言っていますが、それは自分の暴言を正当化するための理屈です。立ち退きしない土地の地主も市民のはずで、そこに火をつけろとは、市民の安全などなにも考えていない証拠です。
 
また、山本氏は市長の「2人が行って難しければ、私が行きますけど。私が行って土下座でもしますわ」という発言を切り取って、「良い上司じゃないですか」と言っています。
しかし、土下座して解決するものなら、担当職員がすでにしているでしょう。
もしほんとうに自分が乗り出して解決しようとする気があるのなら、どんな段取りで自分が登場すればいいかを担当者と打ち合わせするはずです。
暴言の一部だけ切り取って、いいように解釈しているだけです。
 
 
世の中には体罰肯定論者、パワハラ肯定論者がいて、そういう人は事実を都合よく切り取って主張を通そうとするので、注意が必要です。

前回の記事で私は「小室圭さんは眞子さまとも連絡を取っているはずなので、眞子さまも結婚する気と思われます」と書きましたが、結婚という重大な問題で人の心中を推測で書くのはよくなかったと思いました。
とはいえ、眞子さまの声がまったく聞こえないので、推測するしかなかったのも事実です。
 
秋篠宮さまは昨年11月の誕生日の記者会見で、眞子さまの結婚について「今でもその二人が結婚したいという気持ちがあるのであれば,やはりそれ相応の対応をするべきだと思います」と語りました。
この言葉からは二人が結婚したいという気持ちがあるのかどうか、はっきりしません。
そこで記者も次のように質問しました。
 
関連質問2 眞子様と小室さんの御結婚に関する質問のお答えの中で,「相応の対応」ということを仰られましたけれども,これは,お二人の結婚の意思が今も非常に堅くて,そのお気持ちを今後も支えていかれるというふうに受け止めてもよろしゅうございますでしょうか。
殿下
それとは少し違い,それを支えていくという意味でお話ししたのとは違います。あの時の質問は,恐らく小室さんについての報道のことと,それから連絡を受けてというそれについての私の答えでしたけれども,やはりそれ相応の対応というのはこちらの対応ではなく相手側の対応ですね。その後にお話ししましたように,やはりきちんと,どういうことなんだということを説明をして,そして多くの人に納得してもらい喜んでもらう状況を作る,それが「相応の対応」の意味です。
 
秋篠宮さまの答えはわかりにくいですが、二人の結婚の意思が堅いかどうかについては答えず、小室さんを突き放した感じで、「相応の対応」がなければ結婚は認めないという意味と思われます。
 
おそらくこの言葉を受けて小室圭さんは今回「声明文」を発表したと思われます。ということは、小室さんは結婚の意思が堅いということです。
私は、小室さんと眞子さまは連絡を取っているだろうから、眞子さまの気持ちも同じだと推測しましたが、あくまで推測です。
 
 
現在のマスコミの報道は、明らかに秋篠宮さまの言葉に沿っています。声明文を出すだけでは「相応の対応」にはならない、母親の元婚約者に対して具体的な行動をしてトラブルを解消しろという論調です。
元婚約者の言い分はまったくいい加減なので無視しても差し支えないぐらいですが、小室さん側が一方的に悪いように報道されています。
 
これは秋篠宮さまの言い分だけが表に出たからです。
たとえばあるテレビコメンテーターは、「小室さんは眞子さまの幸せを考えて身を引くべきだ」と語っていましたが、これなど完全に眞子さまの意思を無視しています。眞子さまの気持ちはブラックボックスなので、ないことにされているわけです。
 
眞子さまが記者会見して、「私は小室さんとの結婚を望んでいます」と言えば、マスコミの論調も変わらざるをえません。
 
眞子さまは皇族であるため政治的発言は制約されるでしょうが、自分の結婚について語るのは問題ありません。
皇族に日本国憲法は適用されないという説がありますが、眞子さまは結婚すれば皇籍を離脱して「国民」になるのですし、結婚という基本的なことには人権が認められるべきです。もちろん日本国憲法は「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し」と規定しています。
 
今は、父親は娘の結婚について語ったが、娘は自分の結婚についてなにも語っていないという状況にあります。
しかも、父親は娘の結婚に「相応の対応」という条件をつけました(秋篠宮さまだけでなく宮内庁や政府の意向もあるかもしれませんが)。
これでは家父長制と同じです。
 
保守派や右翼は皇室は家父長制であるべきだと考えているかもしれませんが、国民は父親の反対で愛し合っている二人が結婚できないということは認めないでしょう。
 
ともかく、眞子さまと小室圭さんの結婚問題をめぐる混乱は、眞子さまの意思表示がないことからきています。
宮内庁は眞子さまが意思表示する機会をつくるべきですし、国民やマスコミはそれを要求するべきです。

結婚は親でも世間でもなく当事者が決めるもの――という常識は日本から消えてしまったのでしょうか。
 
秋篠宮家の長女眞子さまと小室圭さんの結婚問題がまたクローズアップされています。小室圭さんが母親の借金問題について「声明文」を発表したことがきっかけです。
 
母親の借金と子どもの結婚はまったく別の問題です。親が借金トラブルをかかえていれば子どもは結婚できないという理屈はありません。
 
400万円の借金があるといっても、借用書もないし、母親が婚約者から婚約中に受け取っていたお金です。しかも、婚約者は自分のほうから婚約解消を申し出ています。
そして、小室さんの婚約内定が発表されると、元婚約者は週刊誌にこの“借金”のことをしゃべり始めたのです。
元婚約者はお金を返してほしいだけだと言いますが、だったら週刊誌にしゃべったりせず、裁判に訴えるなどすればいいのです(裁判はまったく勝ち目がないでしょうが)
 
ところが、週刊誌に限らずさまざまな報道は、元婚約者への批判はいっさいせず、借金トラブルは小室さん母子が解決するべきだという論調になっています。
こうした報道の背後には、宮内庁や政府の意向があると思われますが、国民のほとんども乗っかっています。
つまり国民の大多数はこの結婚に反対のようです。
 
 
反対の理由は想像できます。この結婚は極端な“格差婚”だからです。
小室圭さんは早くに父親を亡くし、母子家庭で育ちました。母親はケーキ店に勤め、圭さんもアルバイトをして家計を助けたそうです。国際基督教大学を卒業後は銀行に勤め、婚約内定発表のときは法律事務所勤めでした。典型的な庶民の家柄です。
圭さんは在学中に「海の王子」に選ばれるなどしてイケメンですが、チャラ男のイメージもあります。
そういうことすべてが皇族の眞子さまの結婚相手にふさわしくないと思われたのでしょう。
しかし、「家柄が違いすぎるからこの結婚はだめだ」とは言えないので、「母親に借金トラブルがあるからだめだ」と言っているわけです。
 
しかし、「母親に借金トラブルがあるから子どもは結婚してはだめだ」という理屈があるはずはなく、どちみち理不尽な反対理由です。
 
結局、あまりにも反対が強いために昨年2月に結婚延期が発表され、小室圭さんは海外留学に出ました。
このまま破談になりそうな流れでした。理不尽なことですが、眞子さまが皇族という事情もあり、「昭和枯れすすき」風に「世間に負けた」というところかと思っていました。
 
ところが、今回小室圭さんが声明文を発表したということは、小室圭さんはまだ結婚する気だということです。
小室圭さんは眞子さまとも連絡を取っているはずなので、眞子さまも結婚する気と思われます。
「世間知らずの女性が一時的にチャラ男に熱を上げた」ということではなくて、2人は試練を乗り越えていたのです。
「ロメオとジュリエット」のように障害がさらに恋を燃え上がらせたのかもしれません。
 
こうなると若い2人を応援したくなりそうなものですが、世間というかマスコミはそうなりません。
小室圭さんの声明文にいちゃもんをつけ、元婚約者の反論を報じていますが、元婚約者の言い分はまったく信用できません。
 
たとえば婚約破棄について、小室圭さんは声明文でこう書いています。
 
 平成249月、元婚約者の方から母に対して婚約を解消したいというお申し入れがありました。母は、突然の一方的な申し入れであり、また婚約を解消したい理由について明確なご説明をしていただけなかったことから憔悴した様子を見せていましたが、最終的には元婚約者の方のお気持ちは変わらないと理解し、お申し入れを受け入れました。
 
これに対して元婚約者は、婚約解消の理由について、「度重なる財布扱いに嫌気が差したから」とあちこちのメディアで語っています。
しかし、財布扱いがいやなら、財布の口を締めればいいだけの話で、これは婚約解消の理由になりません(しかも、この言葉は貸付でなく贈与であったことを暗示しています)
両者の言い分を比べれば小室さん側に軍配が上がるはずですが、マスコミは元婚約者を批判することはいっさいせず、問題を解決しない小室さん側が悪いの一点張りです。

 
一流大学を出て一流企業に勤める家柄のいい男が眞子さまにふさわしいというのが世間の考えかもしれませんが、そんな男よりチャラ男のほうが好きという女性もいます(あくまで一般論で、小室圭さんがチャラ男だというわけではありません)
いずれにせよ結婚相手は自分で選ぶものです。
 
また、秋篠宮さまが誕生日の記者会見で「多くの人がそのことを納得し喜んでもらえる状況にならなければ、私たちは婚約に当たる納采の儀を行うことはできません」と述べられたことも、世間は重く受け止めているようです。
しかし、父親が娘の結婚に反対するのはよくあることです。「かわいい娘がよその男に盗られる」という心情でしょう。
普通こうした場合は、周りの人間がみんなして父親を説得するものです。
 
「父親の反対」や「家柄の違い」で結婚できない若い2人がいたら、なんとかして結婚させてやりたいと思うのが人情というものです。
「借金トラブル」を理由に結婚をつぶそうという人に人情はあるのでしょうか。

防衛省は1月21日、自衛隊の哨戒機が韓国駆逐艦から照射された火器管制レーダーの電波を音に変換したものを公開しました。素人が聞いても無意味な音ですが、専門家には火器管制レーダーのものだとわかるということです。
しかし、韓国側は「探知日時、方角、電波の特性などが確認されておらず、実体の分からない機械音だ」と一蹴しました。
 
防衛省はこの音の公開とともに「最終見解」を発表し、日韓防衛当局間の協議打ち切りを表明しました。
双方が証拠を提示できない以上、議論を終わらせるのは当然です。
 
しかし、映像を公開して問題を大きくしたのは日本側です。マッチポンプと言われてもしかたありません。
 
議論は終わらせても、日韓のどちらかが嘘をついているか勘違いをしていたという事実は残ります。
どちらかというと、日本側が嘘をついている可能性が高そうです。
 
最初に公開された哨戒機撮影の映像は、レーダー照射の証拠にはなりませんでした。哨戒機のクルーは火器管制レーダーを照射されたと認識して、そう発言しています。しかし、「FC(火器管制レーダー)らしき信号をコンタクト」とも言っていて、未熟なクルーが間違った可能性は否定しきれません。
公開された映像は、証拠を示さずに印象操作をするものになっていて、この時点で日本側のほうがあやしそうです。
 
しかし、国内の世論は圧倒的に韓国非難に傾きました。安倍政権のメディア支配力を見せつけた格好です。
 
日本側の主張に対して、韓国側は真っ向から反論してきました。
両者の主張を公平に比べるような報道が日本にはほとんどありません。
私が見かけたのは、著述家牧田寛氏の次の二本の記事ぐらいです。
 
日韓「レーダー照射問題」、際立った日本側報道の異常さ。そのおかしさを斬る
 
日韓「レーダー照射問題」、膠着状態を生み、問題解決を阻む誤情報やフェイクニュース
 
映像公開は安倍首相の「鶴の一声」で決まったもので、防衛省は公開をしぶったとされます。間違いの可能性を認識していたか、間違いに気づいたのでしょう。
防衛省は官邸に忖度して南スーダンの日報隠蔽などをしており、今回も情報操作をして不思議ではありません。
 
真相はわかりませんが、日本は拳を振り上げておいて、尻尾を巻いて逃げ出した格好です。
 
 
それにしても、レーダー照射云々というつまらないことで反韓感情が一気に高まるのを見ると、戦争を起こすのは容易なことに思えます。
メディアは自国と他国の問題でも公平に判断して報道しなければいけません。

相変わらずレーダー照射問題が論じられています。
この議論を見ていると、どうしても人間の愚かさについて考えてしまいます。
 
なぜこの議論が終わらないのかと思ったら、自衛隊制服組トップの河野克俊統合幕僚長が1月17日の記者会見でこんなことを言っていました。
 
「われわれは確固たる証拠を持っている。韓国側は真摯に受け止め、事実を認め、再発防止に努めてもらいたい」

 証拠は持っているが、開示はしないわけです。
開示しないなら、存在しないも同然です。
 
韓国側は、自衛隊機が韓国海警艦の出すレーダー波を駆逐艦の出す火器管制レーダー波と勘違いしたのではないかという説を唱えていますが、その証拠もありません。
 
証拠もなしにレーダー照射をした、しないという議論をしても、水掛け論になるだけです。
なぜ水掛け論を続けているのでしょうか。
日本側には、徴用工問題で韓国に不満が高まっていたという事情があります。それに、アメリカ、中国、ロシア、北朝鮮相手にまともな外交ができない不満もあります。
韓国側には、慰安婦問題など歴史認識で日本に不満があります。
お互い不満をぶつけ合っているわけです。
 
それに加えて「内集団バイアス」もあります。
内集団バイアスとは、認知バイアスのひとつで、「外集団の者より内集団の者に対して好意的な認知・感情・行動を示す傾向」と説明されます。
「身びいき」に近いですが、身びいきはたいてい自覚的に行われます。内集団バイアスは認知の偏りですから、本人は自分は公正な判断をしていると思っている点で違いがあります。
 
河野統合幕僚長が「われわれは確固たる証拠を持っている」と言ったとき、開示できない証拠なら意味がないと思うのが客観的な判断です。
しかし、内集団バイアスによると、同じ集団の権威ある人間の言葉ですから、そのまま信じて、証拠があると思ってしまうのです。そうすると、韓国側が嘘を言っているということになります。
 
一方、韓国人にとっては河野統合幕僚長は外集団の人間ですから、どうせ嘘を言っているんだろうと思い、内集団の韓国国防省などの発表を信じます。
 
河野統合幕僚長や岩屋防衛相が嘘をつくことがあるのかというと、当然あります。森友加計問題で佐川氏や柳瀬氏らも嘘をついていました。
レーダー照射問題で防衛省が哨戒機が撮影した動画を公開したのは、安倍首相の「鶴の一声」があったからだと報道されました。首相の意向を忖度して嘘をついている可能性があります。
 
今、レーダー照射問題で韓国を批判しているのは、ほとんどが安倍首相支持派です。安倍首相支持派にとっては安倍政権は内集団です。
一方、たとえば野党などは沈黙しています。外集団である政権の主張は信じられないからです。
 
ただ、国民民主党の玉木雄一郎代表は「日本の政治家なら当然、韓国政府に強く抗議すべきことだ。黙っているなんて、絶対に許されない」と主張しました。証拠を確認していないのに主張するのは、どういう認知バイアスでしょうか。
 
現時点では、日本側も韓国側も確たる証拠を提示していないので、議論するのは時間のむだです。
証拠が提示できないなら、早く問題を終わらせるしかありません。

韓国駆逐艦の自衛隊機に対するレーダー照射について、日本では韓国批判の威勢のいい声が上がっていますが、北方領土問題についてはロシアから言われっぱなしです。
 
1月14日、日露外相会談のあとの記者会見でラブロフ外相は、「第二次大戦の結果、北方領土のすべての島の主権がロシアに属することになった。日本側がこれを認めるのが第一歩だ」などと言いました。
菅官房長官は15日の記者会見でこの発言について質問されると、「政府の法的立場に変わりはありません」と言っただけで、「日本固有の領土」とも「ロシアの不法占拠」とも言いませんでした。
 
ラブロフ外相はまた、北方領土の呼び方にまで文句をつけたようです。
 
 ロシアでは北方領土は「南クリル」と呼ばれるが、ラブロフ氏は会見で「日本の法律では『北方領土』と記載されている」と苦言。「内政干渉ではないが」と断りながら、北方領土の名を記した日本の国内法の改正まで求めるような発言をした。
 
もし韓国の政府高官が「日本は竹島を独島と呼ぶように法律改正をするべきだ」などと言ったら、日本には反発の声が巻き起こったでしょう。
 
日本の世論が韓国とロシアでまったく反応が違うのは、ひとつには安倍政権のメディアに対するグリップが効いていることがあります。読売新聞などは日露外相会談が順調に進展したような書き方になっていますし、韓国については御用評論家みたいな人がこぞって批判の声を上げています。
そして、根本的には日本人の人種差別意識があります。
平均的な日本人は、韓国には威丈高になり、ロシアには卑屈になるのです。
安倍政権ももろにそうした人種差別外交をしています。
 
安倍首相はプーチン大統領と個人的に親密であることを、「ウラジミール」と呼ぶなどして誇示してきました。
習近平主席との親密さをアピールすることはしません。
この違いはなにかというと、習近平主席はアジア人で、プーチン大統領はヨーロッパの白人であることです。
 
日本人のほとんどは白人コンプレックスを持っています。
高級感を出したいデパートの広告には白人のモデルが多く起用されます。
ですから、中曽根首相とレーガン大統領がロン・ヤス関係といって個人的に親密な関係を築いたときは、日本人の多くは中曽根首相を賞賛しました。
 
そのころとは時代も変わり、日本人の白人コンプレックスも薄れました。
しかし、安倍首相はロン・ヤス関係を今も理想に思っているらしく、トランプ大統領と個人的に親密であることを誇示し、プーチン大統領とも同じです。
 
しかし、トランプ大統領もプーチン大統領も情に動かされるタイプの人間ではありません。
安倍首相が個人的に親密な関係をつくろうとしても、足元を見透かしていると思われます。
 
安倍首相はプーチン大統領との個人的な関係から北方領土返還がうまくいくと思って、2年ほど前、みずから国民の期待を大きく盛り上げたことがありました。
ところが、201612月、プーチン大統領を山口県長門市の温泉旅館に招いて首脳会談をしたところ、日本は3000億円の経済協力を約束するもののロシアから領土問題で前向きな発言はなにもなく、国民は肩透かしにあいました。
 
安倍首相の見込み違いも問題ですが、それよりもっと問題なのは、そのあとの安倍首相の対応です。
本来なら安倍首相はプーチン大統領には「ウラジミール、君には失望したよ」と言い、国民には「今回の交渉は進展しなくて、残念だった」と言うべきでした。
ところが、安倍首相は各局のニュース番組に出まくって、「『新たなアプローチ』に基づく交渉を開始することで合意した」とか「共同経済活動は北方領土問題解決への重要な一歩」などと言って、交渉は成功したというイメージを振りまいたのです。
“外交の安倍”というイメージを傷つけたくなかったのでしょう。
実際、国内ではそう失望の声は上がりませんでした。
 
しかし、ロシア側は、“やらずぼったくり”でも日本は文句を言わず、逆に成功したと言ってくれるということを学習しました。
これ以降、日本とロシアではまともな外交交渉が成立しなくなったと思われます。
 
安倍首相はいまだに外国首脳とロン・ヤス関係のような個人的に親密な関係をつくるのがよいと思っているようです。
ただ、その相手は白人国の首脳だけです。
中国、韓国、北朝鮮に対するときはまったく違います。
 
これは日本のイメージを損ないます。
たとえば安倍首相はトランプ大統領と個人的に親密であることをアピールしますが、これは「白人至上主義者にこびるアジア人」としか見えません。
 
ともかく、アメリカやロシアには卑屈になり、韓国には威丈高になるという人種差別的外交がろくな結果を招かないことは明らかです。

韓国駆逐艦の自衛隊哨戒機に対するレーダー照射事件ほどつまらないことはありません。
韓国駆逐艦は自衛隊機だと認識しているはずなので、攻撃するわけがありません。
自衛隊機もそれがわかっているので、防衛省が公表した動画でも、機長とクルーはずっと緊張感のない日常的な会話をしています。ただ、画面上に「FC(火器管制レーダー)探知」という赤い文字が警報のように明滅して危機感を演出しています。印象操作というしかありません。
 
韓国はレーダー照射をしたのにしていないと嘘をついているのかもしれませんが、その嘘をとがめだてしたところで、なんの国益にもなりません。
こんなことをしていると、世界中に日本の友好国はなくなってしまいます。
 
それにしても、安倍政権のあおりに乗って、レーダー照射が大ごとであるかのように報道するマスコミもひどいものです。
野党も、ここは安倍政権のやり方を批判しなければならないところですが、ほとんど沈黙を守っています。
 
 
ところで、安倍政権がレーダー照射問題で反韓感情をあおるのは、安倍外交がアメリカやロシアや中国になにも言えないので、その不満を韓国に向けさせる作戦かと思いました。
しかし、自民党の外交部会・外交調査会の合同会議で「韓国人に対する就労ビザの制限」「駐韓大使の帰国」「経済制裁」などを求める声が出て、菅官房長官も文在寅大統領の年頭記者会見の発言に対してすかさず「韓国側の責任を日本側に転嫁しようというものであり、極めて遺憾だ」と反論するなど、反韓路線を本格的にエスカレートさせています。
もしかすると、外交方針を大きく転換したのかもしれないと思い直しました。
 
日米安保体制は、もともと共産主義圏に対抗するものだったので、冷戦が崩壊するとその目的が失われました。そこで、「日米安保体制の再定義」をしなければならないとなったのですが、ろくに議論もされずに再定義問題は立ち消えになりました。
結局、拉致問題などで「北朝鮮の脅威」がクローズアップされ、さらに「中国の軍拡の脅威」もいわれて、それが日米安保体制の必要性の根拠となりました。
 
ところが、米朝首脳会談により北朝鮮の脅威をいうわけにいかなくなりました。
また、安倍首相は10月に訪中して習近平主席と首脳会談を行い、どうやら中国包囲網づくりは諦めて、親中路線に変更したようです。
となると、日米安保体制の根拠がなくなります。
これは日本の親米勢力にとっては困った事態です。
そこで、親米勢力は今度は「韓国の脅威」を言い立てる作戦に出たのではないかと思われます。
 
トランプ政権は韓国駐留米軍を引き上げたがっていますし、文政権は北朝鮮との関係を強化する方針です。
日本としては韓国と北朝鮮をまとめて仮想敵国にすると好都合です。
日本と韓国には歴史問題や竹島問題などがあり、ちょっとスイッチを入れるだけですぐに敵対モードになれます。
今回は徴用工問題にレーダー照射問題が重なったので、一気にうまくいきました。
 
日本と韓国が敵対してもなんの利益もなく、むしろマイナスですが、親米勢力にとっては対米従属を続けられるというメリットがあります。
 
沖縄の普天間基地返還のために代替基地を建設するという日米合意ができたのは1996年のことです。23年もたって国際情勢も変化しているのに、いまだにその合意を根拠に辺野古埋め立てが行われています。
親米派は「中国が攻めてくる」と言って辺野古移設を正当化してきましたが、安倍政権が親中路線を取ると、その説得力が失われます。
これからは「韓国の脅威」が辺野古移設の正当化のために喧伝されることになりそうです。

性差別や人種差別の表現はどんどん巧妙になって、もはや言葉狩りでは対処できません。
 
たとえば、先日現役引退を発表したレスリングの吉田沙保里選手は「霊長類最強」と言われてきました。
これは「ゴリラやオランウータンよりも強い」という意味でしょうが、ゴリラやオランウータンと比べるのは失礼です。もし吉田選手が黒人だったら完全にアウトな表現です。
ただ、「吉田選手の強さを讃えた表現だからいいではないか」という主張もあって、許されてきたのでしょう。
 
今、西武・そごうの「わたしは、私。」というテレビCMが問題になっています。
 




 
SEIBU SOGOわたしは、私。
 
 
 安藤サクラさんが登場して、パイ投げのパイが周りを飛び交い、安藤さんの顔に当たり、最後に顔のクリームをぬぐって、「わたしは、私。」と言うものです。
CM中の言葉はこうなっています。
 
女の時代、なんていらない?
女だから、強要される。
女だから、無視される。
女だから、減点される。
女であることの生きづらさが報道され、
そのたびに、「女の時代」は遠ざかる。
今年はいよいよ、時代が変わる。
本当ですか。期待していいのでしょうか。
活躍だ、進出だともてはやされるだけの
「女の時代」なら、永久に来なくていいと私たちは思う。
時代の中心に、男も女もない。
わたしは、私に生まれたことを讃えたい。
来るべきなのは、一人ひとりがつくる、
「私の時代」だ。
そうやって想像するだけで、ワクワクしませんか。
わたしは、私。
西武・そごう
 
 
ツッコミどころが満載で、論じる人の数だけ論じ方があるという格好になっています。
 
「女だから、強要される。女だから、無視される。女だから、減点される」という言葉は、医学部入試の女性受験者減点問題などを踏まえていて、女性の置かれた現状を表現しているようです。
『活躍だ、進出だともてはやされるだけの「女の時代」なら、永久に来なくていいと私たちは思う』という言葉は、安倍政権のキャッチフレーズ「すべての女性が輝く社会」を批判しているようです。
そういうことで、共感する人もいます。
 
一方で批判する人もいます。
どうして評価が分かれるのでしょうか。
 
いちばんの曲者は「パイ投げ」です。
女性がひどい目にあっているのが不愉快だという人がいます。
確かに映像的にはそうなります。
しかし、「パイ投げ」というのはコメディでしか行われません。もしパイを投げつけられて怒る人がいたら、その場はぶち壊しになりますし、その人はパイ投げを理解していないと非難されます。
女性差別をパイ投げというコメディにしていることがいちばんの問題です。
これは子どもへの性的虐待を「いたずら」と表現していたのと同じです。
 
性差別の現状を映像で表現したいなら、女性に石のつぶてが投げつけられて、女性が額から血を流しているというシーンのほうがいいでしょう。
それと比較すると、パイ投げはぜんぜんだめだということがわかるはずです。
 
細かい表現でおかしいところもあります。
たとえば『女であることの生きづらさが報道され、そのたびに、「女の時代」は遠ざかる』という部分。
これはまったく逆です。
たとえば医学部女性受験者減点問題は、報道されたことで少しは改善するはずです。報道されないほうが「女の時代」は遠ざかります(このコピーの書き手は、報道内容を問題と思うのではなく、報道されることが問題だと思っているようです)
 
いちばんの問題は、前半で性差別の現状を語っていたのに、突然「時代の中心に、男も女もない」『来るべきなのは、一人ひとりがつくる、「私の時代」だ』と理想論に切り替わるところです。
しかも、パイを投げつけられながら語っています。
これでは性差別はすべて不問にされ、女にパイを投げつけてもかまわないということになります。
 
 
では、このCMはどうすればいいかというと、女の視点でつくればいいのです。
 
女の目にはパイを投げつける男の姿が見えています。それを描けばいいのです。
いや、パイ投げはやはりコメディになってしまうので、試験で女性だけ減点する男とか、セクハラする男とか、女の言い分を無視する男とかを描けばいいのです。
そういう男の前で「わたしは、私」と言うのなら、女性の共感を得られるCMになるはずです。
 
もっとも、セクハラする男の姿を見るのは不愉快だという批判の声が上がるかもしれませんが、地球環境汚染防止キャンペーンのCMで環境汚染のシーンが出てくるのと同じことなので、気にすることはありません。

平成の30年を振り返ると、日本人がひたすら自信を失っていった30年だった気がします。
 
バブル崩壊から経済はずっと低迷し、冷戦崩壊から外交軍事ではますますアメリカに依存し、文化面では「クールジャパン」などを発信してもうまくいかず、国内で「ニッポンすごいですねえ」番組を見て自己満足にひたるだけです。
しかし、GDPでは世界第3位ですから、もう少し大国らしくあってもいいはずです。自信喪失には考え方の間違いもあるのではないでしょうか。
 
たとえば安倍首相は「美しい国」とか「新しい国」ということを標榜してきましたが、これは単なるお国自慢かファンタジーです。
自民党の2012年の改憲草案前文は、書き出しが「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって」とあり、これもお国自慢です。
お国自慢を世界に発信しても、表向きは合わせてくれるかもしれませんが、内心では小ばかにされるのが落ちです。
 
世界になにかを発信するには、人権や平和という普遍的価値を踏まえないといけませんが、自民党にはそういう感覚とか能力がありません。
そのため最近の日本外交は、格下の韓国を相手に強がるだけです。
 
日本は国際捕鯨委員会(IWC)脱退を表明しましたが、これも外交で強がってみせたのでしょう。
 
反捕鯨国の言い分は、「クジラを食べるのは野蛮だ」とか「知能の高いイルカを殺すのはかわいそうだ」といった非論理的なことですから、脱退せずに内部で議論したほうが日本に有利なはずです。
しかし、自民党にはそういう議論をする能力がないようで、自民党の二階俊博幹事長の次の発言からもそれがうかがえます。
 
「鯨はわれわれの食生活に欠かせない。変なことばかり言う国(の人)が日本に来たときには、鯨をどっさり食わせる」
 
これは2014年とちょっと古い発言ですが、二階幹事長の地元には捕鯨業で知られる和歌山県太地町があり、二階幹事長は捕鯨復活運動を中心になってやってきた人です。
 
二階幹事長は論理的に反論するのではなく、「やられたらやり返す」とか「言われたら言い返す」といった頭のようで、これでは相手と同レベルになってしまいます。反捕鯨国のほうが多数派ですから、多勢に無勢でIWCを脱退する判断になったのでしょう。
 
反捕鯨国はなぜ非論理的な主張をするかというと、キリスト教の食のタブーからきているという説があります。
 
旧約聖書レビ記にこうあります。
 
水の中にいるすべてのもののうち、あなたがたの食べることができるものは次のとおりである。すなわち、海でも、川でも、すべて水の中にいるもので、ひれと、うろこのあるものは、これを食べることができる。
すべて水に群がるもの、またすべての水の中にいる生き物のうち、すなわち、すべて海、また川にいて、ひれとうろこのないものは、あなたがたに忌むべきものである。
https://ja.wikisource.org/wiki/レビ記(口語訳)#11
 
日本捕鯨協会のサイトを見ると、ヨーロッパで捕鯨支持国は4か国に対し反捕鯨国は27か国もあり、キリスト教文化の影響が感じられます。
いずれにしても、反捕鯨国の主張に非合理的なものがあることは間違いありません。
 
食についてのタブーは日本人にもあって、犬や猫を食べることはタブーです。
イスラム教徒においては豚肉を食べることはタブーです。
しかし、日本人にしてもイスラム教徒にしても、自分のタブーを人に押しつけることはしません。
ところが、欧米人は自分たちの文化を至上のものとして押しつけてきます。ここに根本的な問題があります。
 
白人至上主義は人種差別として否定されます。
しかし、ヨーロッパ文化至上主義はいまだに生き続けています。
 
「日本人とドイツ人」の著者雨宮紫苑氏がたまたまこんな文章を書いておられました。
 
わたしのイメージでは、「アジアから来たの?ハハン(半笑い)」「アジア人は出てけよ」「日本人がドイツに何しに来たんだよ」みたいなのが人種差別だと思っていました。アジア人だとあからさまに冷たくされるとか、無視されるとか。
 
幸いそういう経験はなかったけど、差別って、そういうあからさまな行為だけを指すんじゃないんですよね。
 
仲いい人たちが笑顔で、「アジア人でも日本人なら不利にならないよ。君はドイツ語もできるし」「日本人なら大丈夫さ」「日本は先進国なんだから差別されることはないと思うよ」と言ってくるんですよ。
 
本人に悪意はないし、なんなら親切なことを言っている、くらいの意識だと思います。でもこっちとしては、「そもそもアジア人が不利になる前提がムカつくし、日本人なら大丈夫ってなんであんたらに認めてももらわなきゃいけないの?」って感じなわけです。
 
好きでもない男に「お前は女としてアリ」って言われる違和感っていうか。「お前に評価されずともこっちはこっちでやってるんで!」みたいな。
 
こういった発言を『差別』の区分に入れていいかはわかりません。でも「その言い方はアジアを見下してる感じがしてイヤだからやめて」と言っても、たいてい「なんで? 俺、差別なんてしてないでしょ?」って返事が返ってくるんですよ。
 
あーちがうなぁ。と思いました。心の底から。
 
これは人種差別ではなく文化差別ですが、根がつながっていることは明らかです。
 
「クジラを殺すな」とか「クジラを食べるな」という主張も文化差別で、自文化の押しつけです。
それに対して日本は「日本の食文化を守れ」という反応をしています。
二階幹事長も「鯨はわれわれの食生活に欠かせない」と言っています。
これは日本中心の発想なので、世界にアピールできません。
 
日本としては「欧米人の人種差別と同根の文化差別は許さない」とか「ヨーロッパ文化至上主義反対」と主張すればいいわけです。
これは日本文化やヨーロッパ文化を超越した普遍的な視点から、世界をよくしようという主張なので、世界にアピールできます。
 
日本文化をよりどころに主張しようとしてもうまくいきません。
日本文化が特別に優れているということはないからです。
安倍首相は百田尚樹氏のお国自慢本「日本国紀」を読んでいるようですが、そんなものを読んではますます世界に主張できなくなります。

明けましておめでとうございます。
本年もこのブログをよろしくお願いします。
 
平成最後の年になりました。
天皇陛下は誕生日のお言葉で「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに,心から安堵しています」とおっしゃいました。
実感だろうと思います。安倍首相はずっと戦争をやりたがっていたからです。
 
安倍首相は南スーダンの治安が悪化しているにもかかわらず自衛隊派遣を継続し、そのために日報隠蔽まで起きました。自衛隊に戦闘をさせたかったのでしょう。一度やれば国民が戦争慣れします。
 
しかし、安倍首相の思惑通りにはいきませんでした。
南スーダンでの機会を逃すと、次の機会は当面なさそうです。
 
考えてみると、世界は平和になっているのかもしれません。
なにかを主張したい人やメディアはつねに人々の危機感をあおろうとするので、それを真に受けると世の中を見誤ります。
たとえば、刑法犯認知件数は2002年をピークにへり続け、2017年にはピーク時の約三分の一になり、戦後最少を更新しました。しかし、この事実はあまり知られていません。
同じようなことが世界の戦争についてもあるかと思って調べてみました。
 
毎年の戦死者数の推移がわかる統計があればいいのですが、そういうものはなさそうです。ただ、ここ数年の傾向はわかります。
 
 
世界の紛争犠牲者15万人 16年、死者数減少
【ロンドン=共同】英国の有力シンクタンク、国際戦略研究所(IISS)は9日、世界全体での武力紛争に関する調査報告を発表した。紛争による2016年の死者数は157千人で、前年と比べて1万人減少した。
(後略)
 
世界のテロ件数、2017年は前年比23%減少 米報告書
【ワシントン=芦塚智子】米国務省は19日、世界のテロの動向に関する2017年版の報告書を発表した。17年に世界で起きたテロの件数は前年に比べ23%減、死者数も27%減った。イラクでのテロが大幅に減ったことが主な理由としている。ただ、ケニアやソマリア、英国などではテロの件数、死者数共に増えた。
(後略)

 
イメージ 1
https://ja.wikipedia.org/wiki/進行中の武力紛争のリスト
 
 
ここ数年については戦死者やテロ犠牲者の数は減少傾向にあります。
もっとも、ひとつ大きな戦争が起こればまったく変わってしまいます。
ただ、大きな戦争を起こせるのはアメリカだけです。
アメリカはこのところ新規の戦争をしていないので、それで世界が平和になってきているようです。
 
アメリカが新規の戦争をしない理由は容易にわかります。アフガン戦争とイラク戦争は、後始末がいまだに終わらず、アメリカにとっては不利益しかなかったからです。
 
それに、トランプ大統領は意外に戦争をやろうとしません。プーチン大統領や金正恩委員長とウマが合いますし、ヨーロッパや韓国の駐留米軍を引き上げたがっています。米中貿易戦争をしかけているのも、武力を行使する気がないからでしょう。
 
 
今、韓国の駆逐艦が自衛隊の哨戒機にレーダー照射をしたとされる問題で日韓が対立しています。
これまで安倍首相は中国の軍拡と北朝鮮の核開発を脅威と見なし、危機感をあおってきましたが、今は韓国との対立をあおっています。
安倍応援団の産経新聞は社説で「極めて危険かつ、敵対的な行為だ。国際社会においては、照射された側が自衛権の行使で直ちに反撃しても問題ないとされるほどの事案である」「韓国の政府と海軍は過ちを正直に認めて責任者を処分し、日本に謝罪すべきである」と強硬に主張しています。
日韓の対立を見た中国と北朝鮮は笑っているでしょう。
 
結局、安倍首相や産経新聞は、国民の危機感をあおるためなら、中国でも北朝鮮でも韓国でもなんでもいいのです。
 
一方、憲法九条を守れという人たちも、「戦争に巻き込まれる脅威」をあおってきました。
そのため、右も左も戦争の脅威を過大評価してきたのです。
 
東西冷戦というイデオロギー対立が終わり、戦争で利益を得ることもほぼ不可能になった今、戦争をする理由がありません。
レーダー照射を巡る日韓の対立は、東アジアが平和であることを証明しているともいえます。

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