世の中には経済合理的な犯罪があります。贈収賄、インサイダー取引、詐欺商法などです。これらには厳罰化で対処するのがある程度有効です。
一方、通り魔事件のような不合理な犯罪もあります。
こうした犯罪はショッキングなため、厳罰にしろという声が高まりますが、犯人は「長く刑務所に入るのはいやだから、こんな犯罪はやめよう」などという合理的な思考はしないので、厳罰化は無意味です。
こうした不合理な犯罪は、快楽殺人とか愉快犯などと言われたり、“心の闇”と言われたりしてきました。
しかし、世の中に存在しているものにはすべて理由があります。
そう考えたとき、これは「感情合理的」な犯罪といえばいいのではないかと気づきました。
ハリウッド映画などで、妻子を殺された男が“復讐の鬼”と化して、悪人を次々と殺していくという物語があります。これなど表面だけ見れば、悪人を殺してもなんの利益もなく、「不合理な犯罪」ですが、主人公の感情を考えれば「合理的」であり、「正義」でもあります。
映画の主人公はちゃんと悪人を殺すのであって、「誰でもよかった」という犯罪者とは違うという意見があるかもしれませんが、人間には「当たる」ということがあります。つまり「八つ当たり」です。
会社で上司に理不尽に叱られたサラリーマンが家に帰ると妻子に当たるということは普通にあります。プロ野球の監督は選手がヘマをするとベンチやロッカーに当たっています。
怒りの感情を本来の相手にぶつけることができないときに、ほかのものに「当たる」という行為に出るわけです。
たまった不快な感情はどこでもいいから放出して楽になりたいというのは、「ガス抜き」という言葉があるように、誰にでもあることです。
「誰でもよかった」というのは「感情合理的」なわけです。
2月25日、渋谷区の児童養護施設で施設長が殺されるという事件がありました。
これまで野田市の小学4年生の栗原心愛さんが父親に虐待され死亡した事件が注目されてきましたが、それとの関連を考えざるをえません。
家賃トラブルで逆恨みしたか 施設長殺害事件の容疑者
東京都渋谷区の児童養護施設「若草寮」の施設長、大森信也さん(46)が刺殺された事件で、殺人未遂容疑で逮捕された元入所者の田原仁容疑者(22)が施設の保証で入居していたアパートでトラブルを起こし、施設職員の通報で警察官が出動していたことが警視庁への取材でわかった。田原容疑者は「施設に恨みがあった」と述べているが、同庁はこうしたトラブルで逆恨みした可能性もあるとみて慎重に調べている。
代々木署によると、司法解剖で大森さんの首や腹などに計10カ所以上の傷が確認された。死因は失血死とみられるという。
田原容疑者は2015年3月に都内の高校を卒業するまでの3年間、この施設で暮らしていた。退所後は施設側が紹介し、保証人にもなっていた東京都東村山市内のアパートで生活。卒業後に就職したが、1カ月半ほどで退職したという。
田原容疑者は昨年9月中旬、1カ月分の家賃を滞納して大家とトラブルになった。大家からの連絡を受けて施設職員がアパートを訪ねたところ、壁に複数の穴が開き、田原容疑者が錯乱した様子だったため、危険を感じた職員が110番通報。東村山署員が一時、田原容疑者を保護したという。この職員は大森さんではなく、この件で田原容疑者と話し合いの場を持ったという。田原容疑者はこのアパートを退去している。
施設側は田原容疑者が勤務先を退職した後も、仕事に関する相談に乗っていたという。田原容疑者は「施設職員にストーカーをされていた。職員なら誰でもよかった」とも述べているが、代々木署が事実関係を含めて詳しく調べている。
田原容疑者はアパート退去後は「ネットカフェを転々としていた」と供述。事件の2~3週間前にはさいたま市のJR大宮駅近くのネットカフェに滞在していたという。凶器の包丁は「大宮のネットカフェ近くの100円ショップで買った」と述べている。
事件を受けて東京都は26日、都内にある64の全児童養護施設に対し、入所している子どもらのケアを行うよう注意喚起をした。
ほかの報道によると、田原仁容疑者は母親との折り合いが悪くて15歳のときに児童養護施設に入ったということです。アパートを借りるときは施設が保証人になっているので、母親との縁は切れたようです。父親に関する情報はありません。想像するに、田原容疑者の家庭内暴力がひどくて、母親が見離したというところでしょうか。
人間は親から十分な愛情を受けないと一人前の人間に育ちません。田原容疑者の家庭環境は、一人前になるには十分なものではなかったでしょう。
ここで思い出されるのが父親から虐待された栗原心愛さんの事件です。心愛さんは亡くなってしまいましたが、虐待されて亡くなるのはごく少数で、ほとんどは虐待されておとなになります。
どんなおとなになるでしょうか。
田原容疑者が入った児童養護施設「若草寮」はちゃんとしたところのようで、殺された施設長の大森信也さんは児童養護についての著作もある、見識のある人だったようですが、虐待された子どもを十分に養育できたかというと、そうはいかなかったでしょう。
施設は田原容疑者が出てからも就職先やアパートの世話をしていますが、田原容疑者は就職先もすぐにやめ、家賃を滞納してアパートを追い出され、ネットカフェを転々とし、最後は数百円の所持金しかなかったということです。
ネットカフェにいるときも施設の職員と接触がありましたが、どうやら滞納した家賃や壊したアパートの修理費の話などもしていたようです。
施設に世話してもらっていたのに施設を恨むのですから、世間的には「逆恨み」ということになります。
しかし、田原容疑者の感情としては、「一人前の人間に育てられてないのに、一人前の人間としてのふるまいを要求されるのは不当だ」というものでしょう。
本来ならこの感情は親に向けられるべきですが、子どもにとって親は絶対的な存在なので、それは困難です。そのため施設に「当たる」ということになったのでしょう。
田原容疑者は許しがたい殺人者ですが、かつては栗原心愛さんのようなかわいそうな子どもだったに違いありません。
ともかく、表面的には不合理に見える犯罪も、感情に着目すると合理的に見えてくるものです。
“逆恨み”や“心の闇”ばかり言っていては、なんの進歩もありません。
「経済合理的」な犯罪には罰金を増額するなどの対策が有効であるように、「感情合理的」な犯罪には加害者の感情に配慮した対策が有効です。