村田基の逆転日記

進化倫理学の威力を試すブログ

2019年03月

新元号の発表と天皇陛下の退位の日が近づき、天皇制について考えるうちにつくづく思ったのが、「天皇制は男尊女卑の吹きだまりだなあ」ということです。
天皇家の人がそうだというより、政府、宮内庁、保守派、メディアにおける男尊女卑思想が天皇制に凝縮して押しつけられている感じです。
 
たとえば雅子妃殿下ですが、結婚後体調不良となり、適応障害と診断されました。
雅子さまは小和田家や外務省にいるときは元気そうで、ちゃんと仕事もしていました。結婚後適応障害になったということは、天皇家や宮内庁に原因があるのではないかというのが普通の発想です。
ところが、メディアはもっぱら雅子さまに批判的で、公務を休むのも雅子さまに原因があるかのように報じてきました。
「嫁は婚家のしきたりに従うべきだ」といった価値観があるとしか思えません。
 
それに、雅子さまは文字通りの“キャリアガール”でした。こういうタイプの女性は保守派から嫌われます。雅子さまが皇室外交に意欲的だということも、「皇室が外交をしたら政治介入だ。勘違いしているのではないか」などと批判されました。
 
皇太子殿下は2004年に記者会見で「それまでの雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」という、いわゆる「人格否定」発言をしました。よほどのことがあっての発言と思われますが、結局この発言の背後のことはまったく明らかになりませんでした。
 
美智子皇后陛下は一時期失語症になられました。これもよほどのことがあったのでしょうが、なにがあったかまったく明らかになっていません。
 
 
そして、最近は眞子さまと小室圭さんとの婚約問題です。
 
小室圭さんの母親の元婚約者は、借用書もないのに約400万円の借金を返せと主張しています。4年間なにも連絡せず、圭さんの婚約内定が発表されると、借金を返せと言いだしました。それも小室家に直接言うのではなく、週刊誌に言ったのです。
この400万円は婚約中に援助したお金で、婚約解消は元婚約者のほうから言いだしました。本来なら慰謝料を払ってもおかしくないところです。しかも、週刊誌などから取材協力費を得ているはずです。
また、元婚約者が選んだ交渉の代理人は、個人的つきあいのあるジャーナリストでした。弁護士のような守秘義務のない人間を相手に交渉ができるでしょうか。
マスコミは小室家よりも元婚約者のほうを十倍ぐらい批判してもおかしくありませんが、現実にはもっぱら小室家が批判されています。
眞子さまと小室圭さんの結婚を阻止したい勢力のパワーがよほど強いのでしょう。
 
そうしたところに、佳子さまが大学卒業に当たりマスメディアに文書を公表、その中にこんなくだりがありました。
 
 姉が結婚に関する儀式を延期していることについてですが、私は、結婚においては当人の気持ちが重要であると考えています。ですので、姉の一個人としての希望がかなう形になってほしいと思っています。
 また、姉の件に限らず、以前から私が感じていたことですが、メディア等の情報を受け止める際に、情報の信頼性や情報発信の意図などをよく考えることが大切だと思っています。今回の件を通して、情報があふれる社会においてしっかりと考えることの大切さを改めて感じています。
 
「結婚においては当人の気持ちが重要」ときわめてまっとうなことを言い、メディアのあり方にも的確な指摘をしています。
ここまで指摘されたら、マスコミもさすがに反省するかと思っていたら、週刊文春は「奔放プリンセス佳子さまの乱」、週刊新潮は『「佳子さま」炎上で問われる「秋篠宮家」の家庭教育』と佳子さまの批判記事を掲載、ネットにも佳子さまを批判する声があふれて炎上状態です。
 
「若い女性が世の中に対して自分の意見を言う」ということが許せないのでしょう。
 
 
「眞子さまと小室圭さんの結婚を阻止したい勢力」は実在します
保守派は女性天皇にも女性宮家にも反対です。そうすると、天皇の孫世代の男性皇族は秋篠宮悠仁親王だけで、女性皇族は結婚するとすべて皇籍を離れるので、最終的に皇族の存続は悠仁親王一人が担うことになります。これでは天皇制の存続が危機に瀕します。
そこで、「女性皇族を旧宮家の男性と結婚させて、男性を皇籍復帰させる」という案があるそうです。
 
私はこの案を聞いたとき、さすがにそんなことはないだろうと思いました。
「血統のために結婚させる」というのは、個人の意志をまったく踏みにじっているからです。
ところが、安倍首相は3月20日の参院財政金融委員会で、安定的な皇位継承を実現する方策に関して「旧宮家の皇籍復帰も含めたさまざまな議論があることは承知している」と言いました。
安倍政権や保守派は現実的な案として考えているのかもしれません。
そうすると、眞子さま、佳子さまは格好の“ターゲット”になります。
そう考えると、今起きていることがよく理解できます。
 
眞子さまを旧宮家の男性と結婚させるためには、とりあえず小室圭さんとの結婚を阻止しなければなりません。そのため借金トラブルを大げさに取り上げているのです。
そもそも眞子さまが「自分で結婚相手を選んだ」ということも許せないのでしょう。
佳子さまが「私は、結婚においては当人の気持ちが重要であると考えています」と意見表明したことも許せません。
 
佳子さまの「結婚においては当人の気持ちが重要」という意見を批判する論理は、「公」より「私」を優先するのは皇族として許されないということと、(眞子さまの結婚に反対の)父親の秋篠宮さまの気持ちを踏みにじるのは許せないということです。
眞子さま、佳子さまが皇族であるのをいいことに、戦前の価値観で当人の意志を踏みにじっています。
 
そもそもは女性天皇、女性宮家を認めないというのが「男尊女卑」で、今では成り立たない考えです。
むりに成り立たせようとするので、眞子さま、佳子さまの意志を踏みにじることになってしまいます。
 
それにしても、「結婚においては当人の気持ちが重要」という意見を公然と批判する人たちがいるのにびっくりです。

韓国の空港で日本人が酔っ払って空港職員に暴行を働き、「韓国人が嫌いだ」と叫んで警察に一時拘束されるという事件があり、これが動画に撮られていたために大きな騒ぎになりましたが、この日本人は厚生労働省の武田康祐・賃金課長でした。
武田課長はキャリア官僚で、内閣参事官として「働き方改革」に取り組んできた人物。安倍政権の中心的なところにいたわけです。
 
安倍政権はたくみに国民の嫌韓感情をあおり、国民を踊らしてきましたが、踊らせる側の人間も踊っていたわけです。
「同じアホなら踊らにゃ損々」という歌を思い出しました。
 
それにしても、国民に“嫌韓踊り”をさせるという安倍政権のやり方は失敗続きです。
 
最初は慰安婦像問題です。
日韓合意成立後に釜山市日本総領事館前に慰安婦像が建てられたことに安倍政権は反発し、駐韓大使を帰国させるという対応をしましたが、保守派やネトウヨはこれに大喜びして、嫌韓が大いに盛り上がりました。しかし、結局、駐韓大使は韓国に戻り、慰安婦像は韓国のみならず世界各地に建てられ続けています。
 
レーダー照射事件も、本来なら日韓の軍の実務者レベルで解決するべき問題ですが、官邸の指示で防衛省は動画を公開し、これも保守派やネトウヨに大受けしました。しかし、その後、なぜか防衛省は「火器管制レーダー照射の音」なるものを公開すると同時に、「最終見解」を発表して協議打ち切りを宣言しました。
これはどう見ても「敵前逃亡」か日本軍お得意の「転進」です。保守派やネトウヨは梯子を外された格好です。
 
徴用工問題については、日本企業が和解しようとしたのを安倍政権がつぶしたのだと「リテラ」が書いています。
 
徴用工判決ヒステリーの日本マスコミが触れない事実…安倍政権が新日鉄住金に圧力をかけ“和解”を潰していた!
 
和解しておけばそれほどの金額にならなかったのに、判決にいたってしまったために、日本企業はより大きい金額を取られそうです。
 
日本政府としては「日韓請求権協定で解決済み」という立場ですが、人権問題の賠償請求に50年以上前の証文を振りかざして支払いを拒んでいる格好です。日本の主張が国際社会から理解される可能性は低そうです。
現実には韓国でどんどん日本企業の資産が差し押さえられ、日本は手の打ちようがありません。
自民党では「経済制裁するべきだ」とか「外交を断絶するべきだ」とかの声が出ていますが、言うだけです。
 
安倍首相の思想は、戦前の日本をとにかく正当化したいというものですから、慰安婦も徴用工も謝罪したり賠償したりしたくありません。そのために国益を失っています。
レーダー照射問題は、国民の嫌韓感情をあおって政権浮揚につなげようとしたものですが、事実に立脚していないので、失敗しました。
 
安倍政権は、外交を政権の人気取りのために利用し、一時的に保守派やネトウヨを喜ばせても、結局うまくいかずに国益を失うというパターンを繰り返しています。
中国包囲網づくりもロシアとの平和条約締結も、完全にそのパターンにはまっています。
 
安倍政権が外交を人気取りのために利用していることがわからない人は、「韓国人が嫌いだ」と叫んで恥をさらした武田前課長のようになりかねません。

新井浩文容疑者、ピエール瀧容疑者と、似たような“個性派俳優”のスキャンダルが続いて、マスコミは大騒ぎですが、その報道にうんざりです。
報道には多少でも「世のため人のため」という要素が必要ですが、この場合、本人はすでに法の裁きを受けることが決まっていて、その上マスコミが裁いてもたいした意味はありません。
まだ裁かれていない政治家の疑惑などを追及することこそマスコミの役割です。
 
芸能人の不倫スキャンダルもマスコミの“好物”です。一般人ののぞき見欲求に応えるのはある程度しかたがないとしても、道徳的非難を浴びせるのは余計です。
 
人々には日ごろたまったうっぷんをどこかで晴らしたいという欲求があり、それを背景にマスコミが芸能人を攻撃するという構図です。
このような芸能人を攻撃する報道は、“メディアリンチ”というとわかりやすいのではないかと思います。
 
リンチというのは「法によらずに集団で暴力的制裁を加えること」ですが、現実には弱い者いじめになります。
 
 
“バイトテロ”といわれるものもリンチととらえるとよくわかります。
 
もそもそバイトテロというのは、バイト店員の若者が悪ふざけの動画を撮って、仲間内で楽しんでいるだけのことです。テロをしてやろうという意図はありません。その動画が拡散して店に損害を与えるので、結果的にテロみたいなことになります。
 
悪ふざけ動画はたいていインスタグラムやフェイスブックに「ストーリー」という24時間で消える形で投稿されますが、消える前にそれを保存して、拡散するやつがいるわけです。
ちなみにインスタグラムのストーリーは公式アプリでは保存できず、別のアプリを使わなければなりません。かなり意図的な行動です。
テロという言葉を使うなら、動画を拡散する行為こそテロです。
 
ただ、動画を拡散する者は、店に損害を与えてやろうというより、悪ふざけするバイト店員をさらし者にして攻撃してやろうという意図でしょう。ですから、これはテロというよりリンチです。
“ネットリンチ”と呼ぶのがいいでしょう。
 
ネットリンチは個人攻撃なので、「世のため人のため」とは違います。
これは中国のホテルで不衛生清掃の動画が拡散したのと比較すれば、よくわかります。
 
中国の一流ホテルで従業員が客室清掃をするとき、便器を掃除するブラシでコップを洗ったり、同じ雑巾で便器や床やコップを拭いたりしている動画が拡散し、大きな問題になりました。
これは普通の従業員が日常的にやっているから問題になったのです。これによってヒルトン、ハイアット、シャングリラなどの一流ホテルが謝罪に追い込まれました。
こうしたケースは、動画拡散によってホテル清掃の不衛生な実態が知られ、ある程度改善されたはずで、まさに「世のため人のため」になりました。
 
しかし、バイト店員の悪ふざけは、個人の特殊な行為ですから、それを攻撃したところでなにも変わりません。
逆にそのチェーン店のイメージが悪くなり、損害が出るだけです。
 
ですから、チェーン店によってはバイト店員を訴えるような動きをしていますが、訴えるなら動画を拡散させたほう、つまりネットリンチをしたほうを訴えるのが筋です。
 
若者が悪ふざけをするのは当たり前のことで、若者はそれによって経験値を上げることができます。
若者に悪ふざけをさせないと、社会から多様性が失われ、創造性も失われます。
 
メディアリンチやネットリンチは、一時的なうっぷん晴らしになっても、結局住みにくい社会をつくるだけです。

テロというとイスラム過激派のイメージがありますが、ニュージーランドのクライストチャーチで起きた銃撃で50人が殺されたテロは、モスクを標的にしたもので、殺されたのはイスラム教徒です。
犯人として逮捕されたのはオーストラリア国籍のブレントン・タラント容疑者(28歳)で、犯行声明には、「普通の白人」を名乗り、白人至上主義、反イスラム、移民排斥の主張が書かれていました。
 
イスラム過激派のテロとはベクトルが逆なので、妙なことが起きています。
 
タラント容疑者は頭部にカメラを取り付け、銃撃の様子をフェイスブックで生配信していました。この映像はある程度拡散しましたが、警察の警告で多くは削除され、テレビのニュースでも犯行の初めの部分が紹介される程度で、犯行の実際の様子は見ることができません。この点は日本もニュージーランドも同じです。
犯行の映像を流すと犯人の思うつぼになり、同様の行為を助長するかもしれないので、こうした対応は当然のことかなと思っていました。
 
ところが、トルコでは犯人の撮った映像をニュースで流し、さらに与党の公正発展党が選挙集会でテロの映像をスクリーンに流しました。これに対してニュージーランドのピーターズ副首相兼外相が抗議しています。
 
イスラム教の国であるトルコが反イスラムテロリストの思うつぼになるとは妙なことです。
 
そして、さらに妙なことがありました。
ニュージーランドのアーダーン首相は議会で、「男はこのテロ行為を通じて色々なことを手に入れようとした。そのひとつが、悪名だ。だからこそ、私は今後一切、この男の名前を口にしない」と演説しました。
 
日本では少年法により少年事件の実名報道は禁じられています。これはもちろん少年自身のためです。
そうすると、アーダーン首相が犯人の名前を口にしないというのは、犯人のためでしょうか。
犯人の名前を口にしないで犯人を批判するのは容易ではありません。これから犯人を批判しないつもりでしょうか。
 
アーダーン首相はイスラム過激派のテロが起こったとき、犯人の名前を口にしないと言ったことはないはずです。今回のテロだけ別の対応になっています。
 
タラント容疑者は白人でキリスト教徒です。同じ白人でキリスト教徒のアーダーン首相は無意識にタラント容疑者を擁護しているのではないでしょうか。
まさか十戒の「主の名をみだりに唱えてはならない」を意識したということはないでしょうが。
 
犯人の撮ったテロ現場の映像は当然悲惨なものでしょう。そうした映像を流すことによってテロへの怒りや批判を高めることができます。
イスラム過激派のテロの場合は、さすがに死体の映像こそまず出てきませんが、爆発シーンや血を流して運ばれる人やベッドに横たわる人などがいっぱい出てきます。そうしてテロを批判する国際世論が高まります。
しかし、今回のニュージーランドのテロでは、私の見た限りそうした映像はほとんどなく、50人も亡くなったというのに悲惨さがまったく伝わってきません。ニュージーランド当局とメディアが規制しているものと思われます(トルコは規制を無視したわけです)
 
タラント容疑者については、白人至上主義者とか反移民主義者とか右翼過激派とか過激思想の持ち主とかの呼び方がされています。「普通の白人」である容疑者は当然キリスト教徒と思われますが、キリスト教の言葉は出てきません。
 
イスラム系テロリストの場合は必ず「イスラム過激派」ないし「イスラム原理主義」の呼び方がされます。
そのためイスラム教のイメージが悪くなり、大きなテロが起こると、一般のイスラム教徒は「イスラム教は平和な宗教で、暴力を肯定するものではない」などと弁解に追われます。
 
ニュージーランドのテロは、キリスト教徒がイスラム教徒を狙ったものですから、「キリスト教過激派」のテロと呼ばれていいはずです。
 
「イスラム過激派」のテロも「キリスト教過激派」のテロも同じように扱われるべきです。
 

幼児虐待をする親というのは、たいてい「しつけのためにやった」と言って自分を正当化し、めったに反省しません。
一方、まったく虐待をしない親もいます。
この違いは、親自身が過去に虐待されていたという“虐待の連鎖”で説明されますが、それだけではありません。
“悪”についての認識の違いもあります。
 
次の記事が“悪”について考えさせてくれます。
 
 

悪いことをしたら、叩いてでも分からせた方がいい?「叩くしつけ」に賛否両論の声

子どもが悪いことをした時に、親が叱るのは当然の義務です。しかしその叱り方に頭を抱える人は少なくなく、先日も主婦の「“叩くしつけ”って必要ですか?」という投稿が注目の的に。一体世の育児経験者たちは、彼女の質問に対してどのような見解を出したのでしょうか。
 
■ 育児には“叩くしつけ”も必要…?
 
相談者は、1歳の娘を育てる30代の専業主婦。最近彼女の娘はおもちゃを無闇に放り投げるそうで、先日義実家を訪れた際もおもちゃを投げまくっていました。そこで相談者は、「人に当たったら痛いでしょ?」「おもちゃが『痛い!』って言ってるよ。大事にしてあげようね」と子どもに注意。するとその一部始終を見ていた義母から、「そんなしつけでは効果がない」「時には叩くことも必要」と指摘されてしまったそうです。
 
とはいえ、幼い我が子を叩くのに抵抗を感じる相談者。「悪いことをしたら、叩いてでも分からせた方がいいのでしょうか」とネット上に悩みを打ち明けたところ、「叩くべきではない」「義母の言い分は分かるかも」といった賛否両論の意見が飛び交いました。
 
まず義母の育児法に異論を唱える人からは、「1歳でしょ? 普通は叩かない。物を投げるのも元気な証拠」「叩く育児は“自分より力のない者を叩いてもいい”と教えているだけ」「物を投げるのも成長のうち。色々な経験を経て物事を理解していくので、今は何の注意もいらないと思う」などの意見が続出していました。
 
「私も1歳の娘を叩いたことがあります」と語る女性からは、「今度は娘の方がお友達や私を叩くようになってしまった」というコメントが。
 
一方、中には義母の育児論を“良し”とする声もありました。「1歳の子どもに口で注意しても理解できない。お姑さんの子育て法は正しいと思う」「毎回叩くのはダメだけど、お姑さんの言う通り“時には”叩くことも必要」と“叩くしつけ”に賛同する人も少なくありません。
 
■ 育児経験者たちのリアルな本音
 
“叩くしつけ”については、人によって様々な見解がある模様。子ども支援専門の国際NGOである公益社団法人セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンは、2017年に国内2万人に対し、しつけに関する意識・実態調査を実施。
 
調査によると、約6割の回答者が“叩くしつけ”に肯定的であることが明らかになっています。
 
同調査では、“叩くしつけは必要”と考える理由についてもアンケートを実施。すると上位には、「口で言うだけでは、子どもが理解しないから」「その場ですぐに問題行動をやめさせるため」「痛みを伴う方が子どもも理解すると思うから」といった回答が並びました。ちなみに“しつけの一環として子どもを叩いたことがある親”は、7割以上を占めているそうです。
 
あなたは、育児に“叩くしつけ”は必要だと思いますか?
 
/藤江由美
 
 
ここにはふたつの対立点があります。
ひとつは、しつけをするときにたたいてよいのか悪いのか、つまり体罰はいいのか悪いのかという問題です。
しかし、体罰がだめなのはわかりきった話です。体罰は子どもの脳を萎縮・変形させることが科学的に明らかになっており、厚生労働省は「愛の鞭ゼロ作戦」というキャンペーンを展開しています。アンケートでは約6割が体罰に肯定的だということですが、このアンケートは2017年のもので、今やるとかなり違うはずです。
 
この記事にはもうひとつ対立点があります。
それは、1歳の娘がおもちゃを投げるのは悪いことか否かという問題です。
相談者である母親は「悪いこと」と認識しています。
一方、ネット上の意見には「物を投げるのも元気な証拠」とか「物を投げるのも成長のうち。色々な経験を経て物事を理解していく」と、「悪いこと」とは認識していないものがあります。
 
しかし、記事はこの対立点は深く掘り下げません。体罰是か非かの対立点がメインで、こちらはサブの扱いになっています。記事の冒頭に「子どもが悪いことをした時に、親が叱るのは当然の義務です」と書かれているように、この記事のライターが「子どもは悪いことをするもの」と認識しているからでしょう。
 
しかし、私の考えでは、この対立点こそ重要です。
1歳のわが子の中に悪が芽生える――この母親はそう考えているのですが、これは悪魔の認識です。
子どもがある程度成長すれば、友だちの影響で悪いことをするようになったとか、テレビやゲームの影響で悪いことをするようになったとかと考えることも可能です。しかし、1歳の子どもはほぼ完全に親の影響下にあるはずです。しかも、自分と自分が選んだ配偶者の遺伝子を受け継いでいます。その子どもの中から悪が芽生え、自分はその悪を刈り取る立場にあるというのは、論理的に成立しません。
 
いや、子どもの「自由意志」から悪が芽生えるのだという考え方があるかもしれません。
しかし、「自由意志」は科学的にはほぼ否定されていますし、かりにあったとしても、外部からはコントロールできないはずで、「子どもをしつける」ということと矛盾します。
 
子どもが物を投げるのは発達の一過程で、そうすることで運動能力が高まります。子どもに「物を壊してやろう」とか「人を痛い目にあわせてやろう」という気持ちがあるはずありません。普通の親なら「物を投げられるようになった」と喜ぶところです。「将来は大谷翔平選手みたいになるのではないか」と思う親バカがいるかもしれません。
 
ところが、自己中心的な親はそれを「迷惑行為」さらには「悪」ととらえて、やめさせようとします。この母親は、実際には当たってもたいして痛くないのに「人に当たったら痛いでしょ?」と大げさに言い、さらには「おもちゃが『痛い!』って言ってるよ」と嘘を言っています。
 
子どもが「悪」だと、自分のしつけは「正義」だということになります。
これが幼児虐待をする親の論理です。
「しつけのためにやった」という言葉には、こういう論理があります。
 
自分と自分の選んだ配偶者の遺伝子を受け継ぎ、自分の影響下にある子どもの中に悪が芽生えたとしたら、それは自分の悪が受け継がれたと考えるのが論理的な思考というものです。
幼児虐待は論理的思考の欠如がもたらすものでもあります。

幼児虐待がこれだけ問題になれば、親のあり方も問われて当然です。
あの親の子育てはよいとか、この親の子育てはだめだとか、テレビのワイドショーなどでも議論するべきでしょう。
たとえばバイオリニストの高嶋ちさ子さんの子育てなど格好の材料です。
 
高嶋さんには小学校6年生と3年生の2人の男の子がいます。しかし、最近仕事が忙しくて子どもといっしょの時間が持てなかったようです。
高嶋さんは3月10日に1年ぶりにブログを更新し、子どもといっしょにいられるようにしたいので、「仕事はセーブさせて頂きます。それで干されても良いです」と宣言しました。
 
この宣言が絶賛されています。
確かに「干されても良い」というのはいさぎよい態度です。
 
しかし、高嶋さんの子育てといえば、「ゲーム機バキバキ事件」が有名です。
高嶋家では平日に子どもがゲームをすることを禁止しており、にもかかわらず長男が金曜の夜にゲームをしているのを発見、怒り狂った高嶋さんは「ゲーム機を手でバキバキと折った」というもの。さらにその日、次男がチェロの練習をしていなかったため「次男の分もへし折って壊しました」ということで、2人に向かって「あなたはゲームが一生できないことを嘆くより、ママからもう二度と信用されないということを心配しなさい!」と怒りました。
高嶋さんはこのことを新聞のコラムに書いたために、炎上しました。
 
私はこのことをこのブログで取り上げたことがあります。
 
「世界一わかりやすい毒親」高嶋ちさ子
 
今はテーブルをたたいたり壁を殴ったりするのもDVとされているので、子どもの目の前でゲーム機を壊すのも立派な幼児虐待です。
高嶋さんがこうしたやり方を改めていないなら、仕事をセーブして子どもといっしょの時間をふやしても、無意味どころか、かえって子どもによくないかもしれません。
 
高嶋さんは仕事をセーブする理由について、ブログでこのように書いています。
 
そもそも子供が生まれた頃は、コンサートの本数も減らし、なるべく一緒に居られる様にしていました。それがいつのまにか流れでどんどん入れる様になってしまい、現在平日もほとんど家にいられません。
(中略)
まだまだ可愛い息子が、この1ヶ月荒れに荒れてます。原因は私です。一緒にいればわかる事、出来ることが何も出来ていなくて、本当に可哀想な思いをさせています。
 
高嶋さんは、子どもが荒れている理由は自分がいっしょにいないからだと考えているようです。
しかし、親がいっしょにいないと子どもは寂しがるのが普通です。たまにいっしょになると子どもがべたべたと甘えてくるというなら、子どもといっしょにいてやるのがいいでしょう。
しかし、子どもが荒れているのにいっしょにいる時間をふやしたら、ますます荒れることになりかねません。
 
人間関係は量よりも質です。
親子関係であれば、親がどれだけ子どもを愛しているかです(子どもが親を愛しているのは当たり前です)
 
ところが、もっぱら量を問題にする人がいます。「男は仕事、女は家庭」という性別役割分業に固執する人は、母親が外に働きに出ると子どもがかわいそうだと主張してきました。
最近、そういう主張はあまり見なくなりましたが、高嶋さんが子どもといっしょにいるために仕事をセーブすると宣言したのが絶賛されているのを見ると、そういう考えの人が声を上げているのかなと思ったりします。
 
本来なら、高嶋さんが家にいられないなら、その分を旦那さんがカバーすればいいことです。
高嶋さんは旦那さんについてなにも言っていないので、そのへんのことはよくわかりません。
高嶋家の子どものことを考えるなら、旦那さんの役割についても問いただしたいところです(そもそも旦那さんがしっかりしていれば、子どもが荒れることもないはずです)
 
 
これまで人の家庭の事情に立ち入ることはタブーでした。
しかし、それでは幼児虐待は防げません。
高嶋さんは子どものことを公表しているのですから、この際、高嶋さんの子どもはなぜ荒れるのかということをみんなで議論すればいいのではないでしょうか。
 

千葉県野田市の栗原心愛さん(10歳)が虐待死した事件で、千葉地検は3月6日、父親の栗原勇一郎容疑者を傷害致死と傷害の罪で起訴しました。殺人罪は適用されませんでした。
 
これまで親が子どもを虐待して死亡させた事件は数多くありますが、私の印象では、一般の殺人事件より概して刑が軽いです。「子どもは親の所有物」という考え方があるからでしょうか。尊属殺人罪が廃止されても、いまだに尊属・卑属という考え方が残っているともいえます。
 
心愛さんの事件でも、殺人罪でなかったので、少なくとも死刑になるということはありません。これに対して、ネットでは死刑にするべきだという声があふれています。
 
自分の子どもを殺した場合は刑が軽いというのはおかしなことなので、是正されるべきだと思いますが、殺人事件が起こるたびに死刑にするべきだと声高に叫ぶ人にも困ったものです。
 
死刑を叫ぶ人というのは、「被害者遺族の感情」ということをつねに理由に挙げます。ところが、心愛さんの被害者遺族は栗原勇一郎容疑者と栗原なぎさ容疑者です。「被害者遺族の感情」は理由になりません。
 
さらに、心愛さんには1歳の妹(次女)がいます。両親が逮捕されてしまったので、今は施設にいるか、かつて心愛さんもいた沖縄の親戚の家にいると思われますが、死刑を叫ぶ人は次女のことを考えているでしょうか。
 
こういう状況で死刑を叫ぶ人というのは、要するに「虐待の連鎖」や「憎悪の連鎖」に巻き込まれているのです。
勇一郎容疑者が心愛さんを虐待した様子はかなり具体的に報道されました。その報道に接した人は、勇一郎容疑者に影響され、同じような心理になったのです。
 
人間が他人に影響されるのは当然のことです。人に親切にしている人を見かけると、自分も人に親切にしなければいけないなあという気持ちになるものです。同様に、人に暴力をふるっている人を見かけると、自分も暴力をふるいたくなります。「死刑にしろ」と叫ぶのはそういう心理です。
勇一郎容疑者は「しつけのため」と自分を正当化していました。
「死刑にしろ」と叫ぶ人も「正義のため」と自分を正当化しています。
 
 
勇一郎容疑者を死刑にしても、喜ぶ人や得する人は誰もいません。
次女のためにも、勇一郎容疑者となぎさ容疑者には更生してもらわなければなりません。
そんなことができるのかと思うかもしれませんが、「虐待する親への支援」で検索すると、虐待防止のプログラムがいろいろあることがわかります。
 
犯罪者の更生よりも処罰を優先させてきたこれまでの司法が間違っているのです。
「厳罰から更生へ」というのは世界的な流れで、なぜか日本だけ逆行しています。
 

立憲民主党の小西洋之参院議員は「国会のクイズ王」の異名を持つそうで、3月6日の参院予算委員会で「安倍総理、よく『法の支配』とおっしゃいますが、『法の支配』の対義語は何ですか?」とクイズを出題しました。
それに対して安倍首相は「まさに法の支配による、この国際秩序を維持をし、平和な海を守っていくことが、それぞれの海の繁栄につながっていく、という考え方を示しているところでございます」などと意味不明の答弁をしました。
小西議員は「『法の支配』の対義語は、憲法を習う大学の1年生が、一番最初の初日に習うことですよ」と前置きして、「『法の支配』の対義語は『人の支配』です」と言いました。
 
私も恥ずかしながら「法の支配」の対義語を知らなかったので、「王の支配」ではないかと考えました。「王の支配から法の支配へ」とすれば、市民革命の理念を表現しています。
 
小西議員の言うように「法の支配」の対義語が「人の支配」なら、民主主義の否定にもなりかねません。
 
ところで、ネットで「法の支配」を調べてみると、たいてい「rule of law」と英語も付記されています。ところが、「人の支配」には英語の表記がありません。
岩波書店の「哲学・思想辞典」で「法治主義」を引くと、「日本において用いられる概念」と説明され、当然英語の表記はありません。
ですから、「人の支配」も日本において用いられる概念なのでしょう(ちなみに「哲学・思想辞典」には「人の支配」という項目自体がありません)
 
ネットを見ていると、「法の支配」の対義語は「力の支配」だという説がありました。これもありそうな説です。
ちなみに安倍首相が「法の支配」という言葉を使うときは、中国が南沙諸島の支配を強めていることに反対する場合が多いということです。そうすると、安倍首相が答弁で「平和な海を守っていく」とか「それぞれの海の繁栄」ということを言ったのも、ある程度理解できます。
 
ともかく、「法の支配」の対義語が「人の支配」だということにはあまり根拠がなく、小西議員がドヤ顔で言うほどのことではなさそうです。
 
なお、「法の支配」とは、「王といえども法に従うべきだ」という考え方で、この場合の法とは人間のつくった法律ではなく自然法のことです。
しかし、人間の上に法があるという考え方は日本人にはなじみません。
自然法といっても、天賦人権説のように人間を超えた存在を前提としていて、やはりキリスト教の影響があります。
 
立憲民主党は「立憲主義」を基本理念にしていますが、これも「法の支配」と同じようなもので、日本人には理解しにくい概念です。
 
 
安倍首相ら自民党は「法の支配」も「立憲主義」もないがしろにしています。
では、自民党はどういう基本理念に立脚しているかというと、私の考えでは「道徳の支配」とか「道徳主義」というものです。
自民党の改憲草案には、「家族は、互いに助け合わなければならない」とあり、憲法が国民に道徳を説くものになっています。
自民党はまた、道徳教育の教科化を実現しました。教育勅語の復活を目指す向きもあります。
民法の懲戒権を温存して、幼児虐待を助長してきたのも自民党です。
国家や人の上に道徳があるというのが自民党の考え方です。
 
内閣法制局の横畠裕介長官の問題発言も「道徳の支配」によるものです。
小西議員は安倍首相にクイズを出したあと、安倍首相の答弁は時間稼ぎだと批判して、国会議員の質問は国会の内閣に対する監督機能の表れだと主張し、こうした趣旨の政府答弁書があるかの確認を横畠長官に求めたところ、横畠長官は「このような場で声を荒らげて発言するようなことまで含むとは考えていない」と言いました。これが批判され、謝罪と撤回に追い込まれました。
 
法制局長官の立場で野党批判をしたのは政治的だということで批判されたわけですが、問題はそれだけではありません。
「予算委員会の場で声を荒げて発言する」というのはよくないかもしれませんが、それはマナーとか道徳の問題ですから、委員長が注意すればすむことです。
横畠長官は法律よりも道徳が優先するという考えを示したわけです。まさに「道徳の支配」です。
 
小西議員の「法の支配」の対義語を問うクイズはあまり意味があるとは思えませんが、法制局長官までが「道徳の支配」に冒されていることを明らかにしたのは功績でした。
 
もちろん自民党の誰にも国民に道徳を説く資格はなく、自民党の「道徳の支配」は日本を堕落させるだけです。

自衛隊の隊員募集ポスターに出てくる女性のアニメキャラが超ミニスカートで、下着が見えているということで、「セクハラではないか」と騒ぎになりました。
問題のポスターは、自衛隊滋賀地方協力本部が作成し、「ストライクウィッチーズ」というアニメのキャラを使ったものです。同本部は、「指摘の着衣は、下着ではなくズボンだという設定で、適切な範囲だと考えている」と説明していましたが、苦情を受けてホームページからポスターの画像を削除しました。
 
 
イメージ 1
京都新聞のサイトから
 
 
下着でもズボンでも見た目には同じですから、セクハラといえばそうかもしれません。
しかし、私にはセクハラか否かより、自衛隊員募集のポスターにこういうかわいいキャラを使うことのほうが問題に思えます。
つまり、かわいい女の子のキャラに引かれて応募してきたような人間は、いざというとき戦力になるのかということです。
 
実は自衛隊のポスターでこのようなかわいいアニメキャラを使うことはむしろ普通のことです。
「自衛隊のポスター」で画像検索してみると、ほとんどにアニメキャラが使われていることに驚きます。
 
「自衛隊のポスター」の画像検索結果
 
 
自衛隊員の募集というと、安倍首相が先月の自民党大会で「新規隊員募集に対して、都道府県の6割以上が協力を拒否しているという悲しい実態があります」と言って、それを改憲理由に挙げたことが問題になりました。
安倍首相はまた、「自衛隊員が目に涙を浮かべた子どもから『お父さんは違憲なの?』と言われた」という話をして、それも改憲理由にしています。
まともな改憲理由がなくなって、でたらめな理由をつくっていると思われます。
 
しかし、改憲以前に、ああいうポスターで人を集めていて、自衛隊はまともに戦争ができるのか心配になります。
いや、そもそも自衛隊は戦争ということを真面目に考えているのでしょうか。
 
安倍首相は安保法制を成立させるとき、「現状では邦人が乗った米艦が攻撃されても自衛隊は米艦を防護できない」という例を挙げました。
しかし、こういうケースはほとんど想像できません。
最近、自衛隊は「離島奪還」のための上陸演習をよくやっています。離島というと尖閣諸島のことと思われますが、尖閣諸島が中国軍に占領されたからといって命がけで奪還するということもあまり想像できません。
政府は北朝鮮の核兵器と中国の軍拡を日本にとっての脅威に挙げますが、その脅威は具体的な戦争のイメージに結びつきません。
アメリカ軍に従って中東のどこかで戦争するということはあるかもしれませんが、行先も決まっていないのでは、やはり想像できません。
 
私が思う軍隊の本来の役割というのは、他国に占領されて隷属状態にならないために、侵略軍を撃退するか、撃退できないまでも十分な損害を与える能力を備えて侵略が割りに合わないと他国にわからせることです。
しかし、最近は日本が他国に侵略されることも想像できなくなりました。
 
戦争のない時代に合わせて、自衛隊はかわいい女の子のポスターをつくり、国民もそれを認めているのではないかと思います。
 
わかっていないのは、安倍首相ら改憲勢力と、憲法九条を守れという護憲勢力だけではないでしょうか。
改憲勢力も護憲勢力も敗戦の記憶にとらわれすぎて、時代の変化が見えていないのです。

ハノイでの米朝首脳会談が決裂に終わったことは大きな驚きでした。合意文書まで用意されていたとされるのに最後の段階で決裂するなど、外交の常識ではありえないことです。
 
こんなことになった理由についていろいろ議論されています。
しかし、私の見るところ、理由は実に単純です。
 
そもそも米朝合意を目指そうとするのはトランプ大統領だけであって、ホワイトハウスのスタッフのほぼ全員が反対です。トランプ大統領は金正恩委員長をやたら信頼していますが、スタッフは北朝鮮の核放棄を疑っています。米朝の平和協定や戦争終結宣言に意欲を示しているのもトランプ大統領だけです。米韓合同軍事演習中止を決めたのもトランプ大統領ですし、トランプ大統領は米軍を韓国に駐留させていることも無駄遣いだと思っています。
 
こうしたトランプ大統領の考えに反対するホワイトハウスのスタッフの背後には、アメリカの覇権主義思想があり、そこから利益を得ている軍産複合体の存在があります。
 
ともかく、ホワイトハウスで米朝合意をしたがっているのはトランプ大統領一人と言っても過言ではなく、よく言えばトランプ大統領のリーダーシップによって、悪く言えばトランプ大統領の独裁性によって、米朝合意一歩手前までこぎつけたわけです。
 
そして、2月27日、28日に米朝首脳会談が行われましたが、27日は会談、夕食会が予定通り行われ、トランプ大統領は「あすは忙しくなる。多くのことが解決されると期待している」と語るなど、順調に運んでいました。
ところが、28日になると、通訳だけの一対一の首脳会談は30分で終わり、そのあと予定になかったポンペオ国務長官らを含めた拡大会合になり、そして、昼食会と署名式は中止と発表されました。
 
つまり27日と28日の間になにかがあったのです。
なにがあったかというと、米下院の公聴会でトランプ氏の元顧問弁護士だったマイケル・コーエン氏が証言したことしかありません。
コーエン氏はトランプ氏のことを「人種差別主義者、詐欺師、ペテン師」とののしり、ポルノ女優への口止め料支払いを依頼されたこと、選挙期間中もモスクワにトランプ・タワーを建設しようとしていたこと、納税額を少なくするために資産を過少報告したことなどを証言しました。これはテレビ中継され、アメリカ国民の関心はすごかったようで、朝日新聞の28日付夕刊は一面トップの見出しを「米朝会談よりロシア疑惑一色」としています。
コーエン氏は10年間にわたってトランプ氏の顧問弁護士を務め、「私がトランプ氏の代わりに銃弾を受ける」と語ったというほどの腹心でした。その証言でトランプ氏の弾劾が現実味を帯びてきたと言われます。
 
トランプ氏は27日の夜にハノイのホテルでテレビ中継を見ていたということで、28日の朝の会談冒頭には「終始、疲れた表情を浮かべ」と朝日新聞に書かれています。
コーエン氏の証言内容にショックを受けて、精神的に落ち込んでいたのでしょう。
 
トランプ氏の権力の源泉は、いつでも「お前はクビだ!」と言える動物的迫力です。トランプ氏が精神的に落ち込んで迫力が失われた瞬間に、ポンペオ国務長官らが強引にトランプ氏から主導権を奪い、会談を決裂に持っていったのです。
 
前回の米朝会談のあとの記者会見はトランプ氏が一人で務めましたが、今回の記者会見ではポンペオ氏が横に立ち、二人で質疑に答えるという形になりました。ポンペオ氏はトランプ氏が勝手なことを言わないように抑える役割だったのでしょう。
 
今回の会談の決裂について、北朝鮮が制裁の全面解除を求めたからだとか、アメリカが寧辺の核施設廃棄だけでは満足しなかったからだとか、いろいろ言われていますが、実際はそういう米朝間の問題ではなく、アメリカ内部の問題です。
おそらく合意文書には戦争終結宣言への道筋などが書かれていて、反トランプ派はどうしても阻止したかったのでしょう。
 
 
問題はこれからどうなるかです。
トランプ氏は決裂後の記者会見の質疑応答でこのように言っています。
 
――大統領の決断でこのようになったのか。
 私の決定とは言いたくない。正恩氏と昨夜に話した際、彼はロケットの実験や核実験は行わないと言った。私は彼を信用する。
 
トランプ氏が今回の決定に納得していないことがうかがえます。
今後、トランプ氏が精神的に回復して主導権を取り戻すか否かが焦点です。
 
 
今回のことでトランプ大統領とアメリカ体制派が別物だということがよくわかります。
安倍首相は「安易な合意を見送ったトランプ大統領の決断を全面的に支持する」と語りましたが、アメリカに追随するのか、トランプ大統領に追随するのか、どちらでしょうか。

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