強制不妊救済法の成立に合わせて首相が謝罪を表明するという報道があり、ほんとうだろうかと思いました。
安倍首相は「謝らない人」だからです。
昭恵夫人は曽野綾子氏との対談で、「けんかをしても晋三先生の方がさっさと謝られるのでは?」と聞かれて、「そういえば、謝らない! 『ごめんなさい』というのを聞いたことがないです」と言っています。
強制不妊救済法が成立した4月24日、安倍首相は談話を発表し、その中に「政府としても、旧優生保護法を執行していた立場から、真摯に反省し、心から深くお詫び申し上げます」というくだりがありました。
一応謝罪しました。
しかし、これは強制不妊救済法の前文に「「われわれは、それぞれの立場において、真摯(しんし)に反省し、心から深くおわびする」とあるのをなぞっただけです。
しかも、これは「首相談話」となっていますが、文書として発表されただけで、首相の口から語られたわけではありません。
安倍首相はヨーロッパ訪問中ですが、記者団が同行し、テレビカメラもあるのですから、自分の口で語ることはできます。
文書を発表するのと、安倍首相が語るのとでは、被害者の受け止め方がぜんぜん違います。
安倍首相は慰安婦問題の日韓合意のときも同じことをしています。
日韓合意には「安倍内閣総理大臣は、日本国の内閣総理大臣として改めて、慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われた全ての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを表明する」という言葉がありますが、これはすべて岸田外相が記者会見で語ったことで、安倍首相は一言も発していないのです。
韓国のムン・ヒサン(文喜相)国会議長は「安倍首相か日本を象徴する天皇が元慰安婦に『申し訳ありませんでした』とひと言いえば根本的な問題が解決される」と発言し、日本では暴言だと非難されました。確かに天皇陛下については暴言ですが、安倍首相については痛いところを突かれました。せっかくの日韓合意がうまく機能しないのは、安倍首相が姑息な手を使って、元慰安婦の人に誠意を示していないことが最大の原因でしょう。
やはり安倍首相は「謝らない人」であるようです。
もっとも、安倍首相も間違った答弁をしたときなどは謝っています。
この違いはなにかというと、罪の大きさです。人間の心理として、小さな罪については気楽に謝れるが、大きな罪については謝れないということがあります。
人に対して不妊手術を強制するというのはあまりにも大きな罪ですから、人間としてなかなか受け止められません。
凶悪な殺人事件が起こると、世の人々は犯人に向かって「謝れ」の大合唱をしますが、犯人が謝ることはほぼゼロです。罪があまりにも大きいからです。
凶悪犯に「謝れ」というのは時間のむだです(彼が謝る気になるのは人間の心を取り戻したときです)。
「AAA」のリーダーである浦田直也氏がコンビニで面識のない20代女性を殴ったとして逮捕され、翌日に釈放されるとすぐに謝罪会見を開き、きっぱりと謝罪しました。
浦田氏の言い分によると、そのときは酒に酔っていて、なにがあったかまったく覚えていないということです。それが正しければ、心神喪失状態での犯行ですから、刑事事件としては無罪です。本人に罪の意識がないので、簡単に謝れます。
しかし、今度は謝罪に心がこもっていないということで非難されました。
確かに金髪だったのを黒く染め、ふだんメガネをかけていないのに黒縁のメガネをかけ、ダークスーツにネクタイという姿で、「今後お酒はいっさい飲まないです」と語るなど、絵に描いたような謝罪の仕方でした。
謝らないと非難されますし、謝ったら謝ったでまた非難されます。
ややこしい世の中です。
安倍首相が強制不妊問題で「謝らない人」になるのは、罪の大きさのほかに、この問題が「国家の犯罪」だからでもあります。
安倍首相は強制不妊問題に直接の責任はありませんが、自分と国家を同一視しているので、自分自身の罪になります。
「国家対民衆」という図式でいうと、左翼は民衆の側に立つので、この問題で国を批判します。
右翼は国家の側に立つので、さすがに国を擁護することはありませんが、国を批判する人はほとんどいません。
しかし、「国家対民衆」という図式は時代遅れです。
強制不妊問題にせよ慰安婦問題にせよ、「人権問題」ととらえるべきです。
個々の犯罪者をむりやり謝らせても意味はありませんが、首相が謝るということは世の中の人権感覚を向上させることにつながります。
安倍首相は強制不妊問題では、「謝らない人」を返上して、自分の口から謝るべきでした。