村田基の逆転日記

進化倫理学の威力を試すブログ

2019年05月

安倍首相によるトランプ大統領の“おもてなし”ぶりは涙ぐましいほどでした。
それがトランプ氏の譲歩を引き出して、通商交渉が有利に進むなら、やった意味はありますが、トランプ氏はまったく譲歩する気配はありません。逆にトランプ氏は「日本は新型戦闘機F35105機購入する意向を示してくれた。日本はF35を最も多く保有する同盟国になる」と自分の成果を誇示しました。安倍首相のほうが譲歩しているのです。
 
いや、トランプ氏はツイッターで通商交渉について「7月の選挙まで待つ」と言って、参院選を控える安倍首相に配慮しました。これは安倍首相がトランプ氏の譲歩を引き出したといえます。
しかし、これは日本の国益とは関係ありません。安倍首相の政権維持のためです。
 
安倍首相においては、国益は二の次、三の次です。
安倍首相は「トランプ大統領とは完全に一致しました」とか「日米は完全に一致しました」ということを繰り返し言っています。
「アメリカファースト」を掲げるトランプ大統領と「完全に一致」したら、安倍首相は「アメリカファースト」を受け入れたということになります。
 
ということは、安倍首相においては、アメリカ第一、自分第二、日本第三という順番になると思われます。
 
安倍首相だけでなく、日本の保守や右翼はほとんどが「アメリカファースト」です。
 
たとえば、トランプ氏が大相撲を観戦して退場する際、近くの升席にいた作家の門田隆将氏、評論家の金美齢氏、ジャーナリストの櫻井よしこ氏と握手するシーンがテレビに映り、この3人は安倍首相のお友だちと見られるだけに、「コネを使ってトランプと握手した」とか「安倍首相のお友だち優先」とかの批判の声が上がりました。
 
それに対して門田氏は、升席は自費で確保したものだとブログで反論しています。
 
 
産経新聞がトランプ氏の大相撲観戦の予定をスクープしたのは、4月12日朝刊だった。記事を見た私は、即座にコミッションドクターとしてボクシング界やプロレス界といった格闘技界、あるいは自身が慈恵医大の相撲部だったこともあり、大相撲界にも広い人脈を持つ旧知の富家孝医師にすぐ連絡し、マス席を確保してもらった。
さすがに普段より値段が高く、かなりの金額だった。私は富家氏と相談し、いつもお世話になっている金美齢さん、櫻井よしこさんのお二人をご招待することにしたのだ。
マス席は西方だったが、通路のすぐ横だった。それはトランプ氏らが出入りする通路。朝乃山関への表彰が終わって退場する時、思わず、4人が「Mr.President!」と声をかけるとトランプ氏がニコニコしながら近づいてきて、金美齢さんと握手をしてくれた。
私も手を出すと、大きな手でぐっと握ってきた。カサカサしていて、アスリートのような手だった。私は、野球選手の手のようだと思ったが、考えたらトランプ氏はゴルフの腕前がシングルなので、それはゴルフ選手の手だったのだろう。私のあと櫻井さんも握手したが、富家氏だけがしそびれてしまった。
 
 
まるで偶然握手できたかのようですが、一般人との接触はSPが止めるはずで、やはり仕組まれていたものではないでしょうか。
 
いずれにしても、門田隆将、金美齢、櫻井よしこという日本の保守を代表する論客が、わざわざトランプ氏のくる日に大相撲観戦に行き、自分から手を出してトランプ氏と握手したのは事実です。
まるでアイドルのファンのような行動です。
日本の保守にとってトランプ氏は崇拝の対象であるようです。
 
安倍首相がいくらアメリカから戦闘機を買っても保守や右翼から批判の声は上がりません。辺野古埋め立てにも保守や右翼は賛成です。
 
「親米右翼」や「親米保守」という言葉がありますが、「売国右翼」や「売国保守」といったほうが適切です。
 
少なくともトランプ氏と握手して喜んでいるような人間は、右翼とも保守とも言えません

「戦争」発言の丸山穂高衆院議員は、その後の対応を見ていると、まったく愚かとしかいいようがありません。
しかし、丸山議員は東大卒、元経産省の高級官僚という経歴ですから、頭はいいはずです。
おそらく頭のよさを、もっぱら自分をよく見せかけるために使ってきたのでしょう。そのため、見かけだけよくて、中身はまるでだめという人間になったのかと思います。
トランプ大統領などもそのタイプです。
 
丸山議員は「戦争」発言で辞職勧告決議案が出されそうになったとき、ツイッターで「言論府が自らの首を絞める行為」「このままではこの国の言論の自由が危ぶまれる」などと主張しました。
「言論の自由」のたいせつさは誰もが認めるので、それを盾にすれば身を守れると思ったのでしょう。
しかし、「言論の責任」が問われている場面で「言論の自由」にすりかえるという作戦は通用しませんでした。
 
丸山議員はまた、辞職勧告決議案が提出されれば「こちらも相応の反論や弁明を行います」と反撃を予告、維新の会幹部が駐日ロシア大使に謝罪すると、「ロシアへの『おわび』は完全に意味不明な対応。おかしなことにはおかしいと申し述べる」と言っていました。
このあたりは“屈しない自分”をアピールして、体面を保っていました。
 
しかし、週刊文春などが、丸山議員は「おっぱい! おっぱい! オレは女の胸をもみたいんだ」「オレは女を買いたいんだ」などと大声で騒ぎ、禁止されている外出をしようとしたとの記事を書き、テレビのワイドショーもさらに詳しく丸山議員の起こした騒動を報道しました。そのとたんに丸山議員は沈黙し、衆院議院運営委員会が求めた事情聴取を体調不良を理由にして欠席しました。
その豹変ぶりにもびっくりです。
 
丸山議員の「体調不良」にはちゃんと診断書があって、それには「適応障害」のため「今後2か月間の休養が必要」とあるそうです。
2か月たてば国会が終わるので、逃げ切れるという計算だと言われています。
「適応障害」は雅子皇后の病名と同じです。そのため批判しにくくなっています。
やはり頭はいいようです。
 
「戦争」発言と「おっぱい」発言は、もちろん関連しています。
戦時下というのは「男性総活躍」の時代ですから、性差別もやりたい放題になります。
ですから、性差別主義者はつねに好戦的です。
 
ただ、最近は日本にとって“戦争のネタ”が少なくなりました。
中国とは経済的に深いつながりがありますし、北朝鮮とも対話を模索する方向になっています。
自衛隊は尖閣諸島を想定した「離島奪還」演習をして、みずからの存在感をアピールしています。
丸山議員はそれから「北方領土奪還」を連想して、「戦争」発言をしたのでしょう。
 
丸山議員においては、「おっぱい! おっぱい!」も「戦争! 戦争!」も同じように思慮のない発言ですが、国会議員が北方領土に行って「戦争で取り戻す」と言ったら、大きな反響があるのは当然です。
 
好戦的で差別的な点ではミニ・トランプといった感じの丸山議員ですが、大きな違いもありました。
「おっぱい! おっぱい! オレは女の胸をもみたいんだ」といった発言が報じられたとき、もしトランプ大統領なら、そんな報道は無視して平気な顔をしているか、「フェイクニュース!」と言って、証言した訪問団の人たちやメディアを罵倒しているでしょう。
女性蔑視は犯罪ではないので、開き直ってしまえばいいというのがトランプ大統領のやり方です。
 
しかし、丸山議員はトランプ大統領ほど厚顔無恥にはなれないので、「適応障害」になってしまいました。
 
考えてみれば、どんなスキャンダルも乗り切ってしまうトランプ大統領の厚顔無恥ぶりは人並み外れています。
そのトランプ大統領に公然とこびへつらう安倍首相の厚顔無恥ぶりもかなりのものです。

子どもが自分の意見を言うようになると、「口答えするな」とか「屁理屈を言うな」とか言う親がいます。子どもの意見をちゃんと受け止めれば、子どもも親も成長することができるのですが。
 
これは家庭内のことですが、社会でも同じようなことが起きています。
たとえば、“少年革命家ゆたぼん”を名乗る10歳のユーチューバーが「不登校は不幸じゃない」「同級生がロボットに見える」といったことを発信し、メディアに取り上げられたこともあって、賛否両論が巻き起こっています。
 
「不登校は自由」10歳のYouTuberゆたぼんをめぐり、有名人からも賛否両論が大噴出
 
賛否両論といっても、実際は否定の声のほうが圧倒的です。
不登校を肯定する意見に反対が多いのは不思議ではありませんが、議論はそういう方向へはいきません。「ゆたぼんは父親のあやつり人形ではないか」という形で批判が起きています。
ゆたぼんの父親は元暴走族、中卒、高卒認定試験に合格して現在は心理カウンセラー、著書もあるという人で、ゆたぼんは父親の主張を言わされているだけではないかというわけです。
 
 
似たことはほかにもあります。
東京新聞の望月衣塑子記者が菅官房長官の記者会見において質問を制限されるなどしているのを「いじめ」と感じた女子中学生(14)が今年2月、インターネット上で「特定の記者の質問を制限する言論統制をしないで下さい」などとする署名活動を始めると、やはり炎上しました。
 
東京新聞の望月衣塑子記者を支援する署名をネットで集めた中2、誹謗中傷に「子どもが何か意見しちゃいけないんだと感じた」
 
この場合は、「母親にあやつられている」さらには「女子生徒は実在しない」という批判がありました。
 
 
はるかぜちゃんこと春名風花さんは、子役だった2010年、9歳のときにツイッターを始め、いじめ、不登校、義務教育などについて発信し、数々の炎上が起きましたが、最初のころは「自分の意見のはずがない。親に言わされているのだろう」という批判がもっぱらでした。
 
 
つまり、子どもが自分の意見を発信すると、必ずといっていいほど「親に言わされている」とか「親にあやつられている」という批判が起きるわけです。
しかし、そもそも人間は「純然たる自分の意見」など持ちようがありません。必ず周りの影響を受けて意見を形成します。子どもであれば親の強い影響を受けるのは当然です。
 
「親にあやつられている」ということでは、たとえば小学生のときから父親に野球を教えられてきたイチローさんもそうだということになります。
いや、そもそも学校に行って勉強している子どもはみな親にあやつられています。
「親にあやつられている」ということで批判するなら、学校に行っているほとんどの子どもを批判しなければなりません。
 
したがって、「親にあやつられている」か否かということを論じても意味はありません。
世の中には、子どもが自分の意見を社会に発信することに反対するおとなが多数いて、そういうおとなは、ほんとうは「子どもが生意気なことを言うな」と言いたいのですが、それでは反発を買うので、代わりに「親にあやつられている」と言っているだけなのです。
 
子どもとおとなは、体の大きさではハンデがありますが、頭の働きではほとんどハンデはないと思います。たとえば将棋の藤井聡太七段とか、10歳でプロ入りして話題になった囲碁の仲邑菫初段とかを見てもわかります。
小さいころから自分の意見を言って、人と議論していると、その能力もどんどん進歩していきます。
 
17歳でノーベル平和賞を受けたパキスタンのマララ・ユスフザイさんは、11歳のときにタリバーンの女子校破壊活動に反対する意見をインターネットに投稿して注目を浴びましたが、マララさんの父親は私立女子校の経営者ですから、その影響があるのは明らかです。「父親にあやつられている」という批判も当然あったでしょう。しかし、15歳のときに銃撃を受けて重傷を負い、世界的に注目され、16歳の誕生日に国連本部で演説し、高く評価されました。もちろん今、「父親にあやつられている」と言う人はいません。
 
なにか意見を言えば、賛否があるのは当然ですが、「意見を言うな」と言うのは間違いです。
 
子どもがどんどん意見を言うようになれば、学校教育の問題点などもはっきりしますし、政治、経済、クリエイティブな分野で活躍する子どもも出てきて、社会が活性化するでしょう。
 
今はむしろ、ゆたぼんのような子どもがあまりにも少ないのが問題です。

皇族は、国民からすれば雲の上の人です。
そのため、国民は皇族に人間的な共感が持てないということがあります。
 
そのことに改めて気づいたのは、次の記事を目にしたときです。
 
 
悠仁さま「驚かれた様子だった」 刃物事件の報告受け
 お茶の水女子大学付属中(東京都文京区)で秋篠宮家の長男悠仁(ひさひと)さま(12)の机に刃物2本が置かれた事件で、宮内庁は10日、事件の報告を受けた悠仁さまが「驚かれた様子だった」と明かした。
 秋篠宮ご夫妻も他の生徒や保護者らへの影響を案じており、同庁は学校側や警察当局と警備態勢を見直しているという。
 秋篠宮ご一家を支える加地隆治・皇嗣職大夫が同日の定例会見で明らかにした。事件は4月26日に発生した。悠仁さまは26日夕から地方旅行に出かけていたが、27日に事件の報告を受けて速やかに帰京した。事件後、学校は休校になっていたが、13日から授業が再開される。悠仁さまが通学に不安を訴える様子はなく、宮邸では普段通り生活しているという。(長谷文)
 
 
「驚かれた様子だった」というのは、表面的なことで、悠仁さまの心中はまったくわかりません。
 
逮捕された長谷川薫容疑者は「刺すつもりだった」と供述しています。たまたま悠仁さまが教室にいなかったので、被害がなかったわけです。
 
中学1年生の少年が自分の命を狙われたと知ったとき、どんな思いがするのでしょうか。自分が狙われたのは、自分が天皇家の跡継ぎだからだと思うでしょう。政治家がテロリストから狙われたときは、自分の主張を曲げるとか、政治家を辞めるとかの対処法がありますが、天皇家の跡継ぎという立場から逃れることはできません。
 
テロ行為をするのは特殊な人間ですが、天皇制に反対の国民は一定数います。
悠仁さまは今、赤坂御用地の秋篠宮邸とお茶の水女子大学付属中学校が生活の場で、一般国民と触れ合う機会はほぼないでしょうが、一般国民に対して恐怖心や不信感をいだいてもおかしくありません。
 
普通なら悠仁さまにカウンセリングを行うなど心のケアをするところですが、そういう報道はありません。
みんなして悠仁さまを無視というか放置しているのではないでしょうか。
 
 
皇族に対して無視や放置ならまだしも、逆に人間的にひどい扱いをしてしまうことがあります。
 
たとえば、このところ小室圭さんはメディアからものすごいバッシングを受けています。普通の若者に対してひどすぎると思っていましたが、考えてみれば「普通の若者」ではなくて「半ば皇族」なわけです。
 
また、小室圭さんを批判することは、小室圭さんを選んだ眞子さまを批判することでもあるのですが、そんなことは誰も気にしていないようです。
 
佳子さまも、眞子さまと小室圭さんの婚約問題について「姉の一個人としての希望がかなう形になってほしい」と述べただけで批判されています。

秋篠宮さまも最近マスコミにひどくバッシングされていて、週刊文春は『皇太子が漏らされた秋篠宮さまへの憂慮「抗不安薬」「千鳥足」』という記事で、秋篠宮さまがストレスのため抗不安薬を飲んでいると書いています。
それが事実だとしても、どんな薬を飲んでいるかは完全なプライバシーです。
 
また、女性セブンは昨年9月の『小室さんの件を受け悠仁さまに「皇太子ご夫妻下で帝王学」計画』という記事で、悠仁さまは秋篠宮さまのもとでは帝王学を学べないので、悠仁さまを皇太子夫妻に預けて育てるべきだと書いています。親子関係を切り離せというとんでもない記事です。
 
秋篠宮家を集中的に攻撃しろという指令がどこかから出ているのかと疑わざるをえませんが、それはともかくとして、こうした状況を悠仁さまはどう見ているのでしょうか。
 
悠仁さまは「雲の上の人」ではなく「人の子」です。
「机に刃物」事件でショックを受けている上に、このようにメディアに攻撃されれば、国民全体が敵に見えてもおかしくありません。
国民と触れ合う機会があったとき、国民に向かって笑顔で手を振ることができるか疑問です。

今はメディアがこぞって“逆帝王学”を教えている格好で、これは天皇制の危機でもあります。

インターネットが普及したことで、言論のレベルはきわめて低下しました。以前なら相手にされなかったような愚論が大手を振ってまかり通っています。
 
日本維新の会の丸山穂高衆院議員の暴言などはその典型です。
丸山議員は北方領土を訪れた際、「戦争でこの島を取り返すのは賛成ですか、反対ですか」「戦争しないとどうしようもなくないですか」などと発言しました。
丸山議員は批判されて維新の会を除名され、今は辞職勧告決議をするか否かという段階です。
 
丸山議員は戦争というものをどう考えているのでしょうか。
戦争は日本の平和主義に反し、領土のための戦争は国際法違反でもありますが、丸山議員にとってそういうことはどうでもいいのでしょう。
では、戦争そのものについては深く考えているかというと、そんなこともありません。
戦争には当然ながら、勝ち負けがあるからです。
 
将棋の世界では、初心者に「三手の読み」ということを教えます。「自分がこう指す。すると相手はこう指してくる。そこでこちらはこう指す」と、三手を読みなさいということです。
なぜこんなことを教えるかというと、初心者は自分の手だけ考えて、相手が次にどう指してくるかを考えないからです。
丸山議員は、こちらが戦争することだけ考えて、相手が反撃してくるということを考えないのでしょう。
超初心者レベルです。
 
こういう超初心者レベルの言論はインターネットと密接な関係があります。
 
もう20年以上前ですが、2ちゃんねるで右翼的な人と議論をしたことがあります。
私の認識では、右翼というのは国益を第一に考える人で、だったら議論が成立すると思ったのです。
しかし、現実にはすぐに「中国と断交しろ」と言うような人がいっぱいいました。
当時の中国の経済規模は今よりうんと小さいものでしたが、それでも断交することは日本の国益を考えればありえないことです。超初心者レベルの言論です。
しかし、同じ意見の人がいっぱいいると、それが正しいような感じになってくるのです。
 
「中国と断交しろ」と言う人は、「強いことを言う自分はかっこいい」という意識なのでしょう。右翼思想とも無関係に、会社で弱い立場にいる不満をネットの書き込みで解消している感じです。
「経済制裁しろ」とか「戦争だ」という意見も同じです。
 
それから、ネットの中ではヘイトスピーチも増えました。
これは想像するに、人間は日常生活ではいい人らしくふるまって、みにくい感情を隠しているので、匿名で発信できるネットの中でみにくい感情を吐き出してしまうのでしょう。
 
こうした「勇ましい主張」や「みにくい感情」はネット上から現実に出て、政治家にも広がってきました。
たとえば、韓国の徴用工判決を巡って、自民党の政治家から「韓国に経済制裁だ」という声が上がったのもその例です。実現するかどうかなど関係なく、「勇ましい主張」がしたいだけです。
丸山議員の「戦争」発言もその流れにあります。
 
これは世界的規模で起こっていて、その典型はトランプ大統領です。「制裁だ」とか「移民は犯罪者だ」といった未熟な主張がそのまま国の政策になっています。
 
 
こうしたネット上の未熟な議論は、「経験知」という言葉でも説明できます。
「経験知」というのは、「経験で身につけた知恵で、言葉でうまく説明できないもの」のことです。
たとえば「あまりに正義を追求すると、かえって事態が悪くなる」とか「あまりに利益を追求すると、かえって利益を失う」といったことなどがそうです。
これは言葉で説明できなくはありませんが、説明するには言葉がたくさん必要です。
「寛容のたいせつさ」というのも、自分は経験でわかっていても、相手に言葉で説明するのはたいへんです。
 
一方、「制裁だ」「戦争だ」「やつらが悪い」といった主張には説明がいりません。
その結果、ネット上では経験知がしりぞけられ、未熟な主張ばかりになり、現実にも影響するまでになったのです。
 
ですから、この事態の解決策は、時間がたってみんなが経験知を身につけることです。
「制裁だ」「戦争だ」と叫んでいるだけではなにも解決しないし、いくらヘイトスピーチをしても世の中はよくならないということを学べば、ネット上の議論も成熟します。
 
世の中が丸山議員の「戦争」発言にうんざりした気分になっているのも、成熟のきざしと思われます。

このところ性暴力事件に関するトンデモ判決が相次いだことを受けて、東京、大阪、福岡の3都市で5月11日、性暴力被害の実態を訴える「フラワーデモ」が行われ、さらに13日には性暴力被害者の団体「Spring」が刑法の見直しや裁判官の研修を行うよう法務省と最高裁判所に要望書を提出しました。
これらのニュースのキーワードは「性暴力」です。
しかし、この言葉では問題の核心を外しています。
 
トンデモ判決でもっとも騒がれたのは、名古屋地方裁判所岡崎支部が出した無罪判決です。
NHKニュースから引用します。
 
 
今回のケースでは、父親が当時19歳の実の娘に性的暴行をした罪に問われました。
裁判では、娘が同意していたかどうかや、娘が抵抗できない状態につけこんだかどうかが争われました。
 
ことし3月26日の判決で、名古屋地方裁判所岡崎支部の鵜飼祐充裁判長は娘が同意していなかったと認めました。
また、娘が中学2年生の頃から父親が性行為を繰り返し、拒んだら暴力を振るうなど立場を利用して性的虐待を続けていたことも認め「娘は抵抗する意思を奪われ、専門学校の学費の返済を求められていた負い目から精神的にも支配されていた」と指摘しました。
 
一方で、刑法の要件に基づいて「相手が抵抗できない状態につけこんだかどうか」を検討した結果、「娘と父親が強い支配による従属関係にあったとは言い難く、娘が、一時、弟らに相談して性的暴行を受けないような対策もしていたことなどから、心理的に著しく抵抗できない状態だったとは認められない」として無罪を言い渡しました。
 
 
父親は娘が中学2年生のころから暴力をふるって性行為をしていたのですから、どこをどうやっても無罪判決が出るわけありません。
ただ、検察が19歳以前のことについて起訴しなかったのは不可解です(18歳未満だと、監護者の影響力に乗じて性交等を行った場合、暴行脅迫がなくても罪になります)。検察も本気で罪を問う気はなかったのかもしれません。
 
この件を「性暴力」と表現すると、問題がぼけてしまいます。
性暴力というと、成人の男女におけるレイプというイメージだからです。
 
この件は、なによりも「近親相姦」です。
近親相姦は人類にとって最大級のタブーです。
法律上は近親相姦罪というのはありませんし、成人同士なら「被害者なき犯罪」だから許されるという考え方もありますが、親子間の近親相姦には強いタブー意識があって、誰もが許せないと思うはずです。
 
それから、この件は「性的虐待」です。
親が自分の子どもを虐待する「幼児虐待」は、あまりに悲惨なので誰もが目をそむけたくなります。
幼児虐待は身体的虐待、心理的虐待、性的虐待、ネグレクトに分類されますが、中でも性的虐待はもっとも認識しにくいとされます。
つまり「幼児虐待」に「近親相姦」がドッキングしたものが「性的虐待」ですから、認識しにくいのは当然です。
 
認識しにくいため、昔は「性的虐待」のことを「いたずら」と言っていました。言葉でごまかしていたのです。
「性暴力」という言葉も、それに近いものがあります。
子どもへの「性的虐待」という言葉を使うべきです。
 
 
ところで、千葉県野田市の小学4年生の栗原心愛さんが親から虐待を受けて1月に死亡した事件で、父親から性的虐待を受けていた疑いがあったことが14日になって初めて報道されました。この事件は心愛さんがノートに「もうおねがい ゆるして ゆるしてください」などと書いていたことで世間の同情を集め、すさまじい量の報道がされましたが、それでも性的虐待のことは今まで隠されていたのです。性的虐待がいかに認識しにくいかがわかります。
 
 
性暴力被害者の団体は刑法の見直しを行うよう要望していますが、これも的外れな気がします。
そもそも性犯罪に関する刑法は2017年7月に改正施行されています。
これは法律の問題ではなく、裁判官の人格(パーソナリティ)の問題です(それと検察官の人格も)
裁判官の人格が変わらなければ、いくら刑法を変えても無意味です。
 
では、どうすればいいかというと、裁判官への個人攻撃、人格攻撃をすればいいのです。
 
普通、個人攻撃、人格攻撃はよくないこととされ、問題解決につながらないとされますが、裁判官の場合は別です。
裁判官は権威に守られて、これまでいくらトンデモ判決を出しても裁判官個人が批判されることはまったくといっていいほどありませんでした。そのため世の中とずれた価値観を持った裁判官が放置されてきたのです。
 
それに、裁判官は憲法第七十六条3「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」とあるので、法律が変わっても対応しない頭の固い裁判官は、世論の批判で変えていくしかありません。
 
個人攻撃、人格攻撃というと、弱い者いじめのイメージがありますが、裁判官は強者であり権威です。
裁判官への個人攻撃、人格攻撃は、誰でもできるわかりやすい世直しです。

このところ安倍外交のお粗末さがどんどん露呈していますが、中でもあきれたのが対北朝鮮外交の豹変ぶりです。
豹変の理由は、トランプ大統領に言われたからです。豹変したタイミングを見ればわかります。
2月27日と28日にハノイで二度目の米朝首脳会談が行われ、豹変したのはその直後でした。
 
 
安倍首相「次は私が向き合う」 トランプ氏の妥協せぬ姿勢歓迎
安倍晋三首相は28日夜、トランプ米大統領と電話会談し、米朝首脳会談の報告を受けた。首相は会談後、トランプ氏が非核化で妥協しない姿勢を示したことについて「安易な譲歩を行わず、北朝鮮の具体的な行動を促していくトランプ氏の決断を全面的に支持する」と記者団に語った。トランプ氏が拉致問題を提起したことを評価し「次は私自身が金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長と向き合わなければならない」と言及した。
 首相は、トランプ氏が2月27日、金氏との1対1の会談とその後の夕食会で、拉致問題を取り上げたことも明らかにした。
(後略)
 
 
「次は私自身が金正恩委員長と向き合わなければならない」と言ったのが驚きでしたが、その理由はわかります。
安倍首相はトランプ氏に、米朝会談の際はぜひ拉致問題を取り上げてくれと頼んでいました。
 
「シンゾー、金に拉致問題のことを言ってやったぞ」
「ありがとうございます」
「あとはお前が金と会って直接交渉するんだな」
「わかりました」
 
こういうやり取りをしたのでしょう。
もっとも、安倍首相は今までさんざん圧力だ制裁だと言ってきましたから、突然会いたいと言っても、向こうが会ってくれるわけがありません。
とりあえずトランプ氏の手前、言うだけは言ったのでしょう。
 
しかし、トランプ氏は本気だったようです。
トランプ氏は前から、北朝鮮の非核化の費用について、「韓国と日本が大いに助けてくれるだろう。だから、アメリカは助ける必要はない」と言っていました。日本の援助を対北朝鮮のカードに使うつもりなのでしょう。
 
安倍首相は5月6日にトランプ氏と電話会談したあと、記者団の囲み取材を受け、金委員長と条件をつけずに会談する意向を表明しました。そのときに語ったことを官邸ホームぺージから引用します。
 
 
「今回トランプ大統領と電話会談を行い、最新の北朝鮮情勢について、今回の事案も含めて意見交換を行い、情勢の分析を行いました。そして、今後の対応について、綿密なすり合わせを行いました。
 昨年の米朝会談において、トランプ大統領と金正恩(キム・ジョンウン)委員長が署名をして、朝鮮半島の完全な非核化で合意いたしました。この米朝合意の速やかな実現を目指していくことについて、トランプ大統領と完全に一致いたしました。
 今後の北朝鮮への対応については、全ての面でトランプ大統領と完全に一致しておりますし、今後とも米国と日本は共に行動をしていく、完全に一致して対応していくということで認識を一つにしたところであります。
(中略)
 飛翔(ひしょう)体については、今後日米の専門家同士で協力して分析をしていくことになります。そして、北朝鮮との関係におきましては、日本にとって大切な問題は拉致問題であります。拉致問題を解決するためにあらゆるチャンスを逃さない。私自身が金正恩委員長と向き合わなければならない、条件をつけずに向き合わなければならないという考えであります。あらゆるチャンスを逃さない決意でこの問題の解決に当たっていく考えであります。」
 
 
トランプ大統領と「完全に一致」という言葉を繰り返し、そして最後に金委員長と条件をつけずに向き合うと表明しています。
「条件をつけずに」という言葉が注目されました。これまで拉致問題の解決に資する会談でなければ意味がないとして、拉致問題を条件にしていたからです。
 
安倍政権の対北朝鮮強硬外交を安倍応援団は支持してきました。突然の方針変更に、安倍応援団は怒ってもいいはずです。
しかし、現実には安倍応援団は手のひら返しで「無条件会談」の方針を支持しています。
その理由は明白です。安倍首相がトランプ大統領と「完全に一致」と言っているので、これはアメリカの方針だとわかるからです。
安倍応援団は、愛国者でもなんでもなく、対米追従主義者なので、アメリカの方針だとわかれば反対しません。

今回の対北朝鮮外交の方針転換を見ると、安倍外交のだめさと対米追従の根深さがよくわかります。

もちろん北朝鮮もそのへんのことは理解していて、日本は完全に足元を見られることになります。

最近、女性天皇容認論が力を増していますが、この論は肝心のことを無視しています。
それは女性皇族の意志です。
女性天皇というのは、現実には愛子さまが天皇になるということですが、いざ制度改革をしようとしたとき、愛子さまが「私は天皇には絶対なりたくない」と言いだしたら、どうするのでしょうか。それでも制度改革を強行するのでしょうか。
 
女性宮家容認論についても同じことが言えます。眞子さまにしても佳子さまにしても、「私は結婚して一般国民になりたい」と言うかもしれません。
 
女性天皇や女性宮家を容認する人は、女性の権利を尊重する人でもあると思われますが、女性の意志を無視して議論しているのは気になるところです。
 
 
日本国憲法は国民に基本的人権を保証しているのに、皇族には表現の自由も職業選択の自由もありません。「人権のない人」が日本に存在するわけです。
憲法学者の長谷部恭男氏はこれを「身分制の飛び地」と表現しています。
近代憲法というのは、前近代的な身分制を破壊して、すべての人が平等な更地にしたが、一か所だけ天皇制という「身分制の飛び地」が残ったというわけです。
 
これは皇族を特権階級と見なした考え方のように思われます。確かに皇族は豊かな生活をし、人々から尊敬される立場ですが、人権が制限され、公務をする義務があり、最近はメディアやネットで批判されることが多くなっています。今では特権階級というよりも、「人権の制限される不自由な人」という感覚ではないでしょうか。
 
ともかく、日本国民の中に「人権のない人」がいるというのは困った状況です。
これをなんとかするには、ひとつしか方法がありません。それは皇籍離脱の自由を認めることです。
本人がさまざまな制約を受け入れることを承知で皇籍に残れば、それは人権侵害ではありません。
旧皇族など天皇家の血縁者を新たに皇族に入れる場合も、制約を受け入れることを条件にすればいいわけです。
こうすれば皇族は「人権のない人」ではなくなります。
 
天皇についても同じことです。天皇の役割は皇族よりもはるかに重いので、天皇に即位するときは本人の同意を条件にするべきです。同意なしに天皇に即位させることは、「その意に反する苦役に服せられない」という憲法十八条違反になります(今でもすでに本人の同意なしに天皇に即位させることはできないという学説があります)
 
こうすると誰も天皇のなり手がいないという事態が起こるかもしれません。
そうなるかならないかはまさに「国民の総意」によります。
 
 
考えてみれば、なぜ日本国憲法に「身分制の飛び地」が残ったのかというと、戦前の天皇制があまりにも重くて、急に廃止できなくて、妥協の産物として「象徴天皇制」にしたからです。
日本国憲法において象徴天皇制は「帝国憲法の飛び地」なのです。
ですから、民主、平和、人権が世の中に定着してくると、象徴天皇制も廃止の流れになるのは当然です。
 
誰も天皇のなり手がいないという事態になったときは、天皇制廃止の憲法改正をすればいいわけです。
改憲派はやっと夢を果たせます。

天皇陛下になるのはたいへんです。言葉づかいから変えなければならないからです。
 
天皇陛下は普通の敬語を使うことができません。丁寧語は使えますが、尊敬語と謙譲語は原則的に使えないのです。
たとえば園遊会などでスポーツ選手と言葉を交わしたとき、最後は「これからもがんばってください」と言うのが普通ですが、天皇陛下の場合は「活躍を祈ります」とか「活躍を期待します」と言わねばなりません。「ください」というのは、自分が下の立場だからです。
同様に「お願いします」という言葉も使えませんし、「ご活躍」「お元気」「ご尽力」のように相手に関して「お」をつけることもできません。
新年の一般参賀のあいさつでも、「新年おめでとう」で、「新年おめでとうございます」とは言いません。
そのため、普通なら「お集まりいただきありがとうございます」と言うところを「きてくれてありがとう」というような、独特の“天皇陛下語”を駆使しなければなりません。
 
こうした“天皇陛下語”を始めたのは昭和天皇のはずです。初めて国民と触れ合ったのが昭和天皇だからです。
昭和天皇の口ぐせは「あ、そう」でした。「そうですか」すら使わなかったのです。
昭和天皇の語法に宮内庁の役人が書いた文章が加わって、独特の“天皇陛下語”が形成されたものと思われます。
なお、海外の国王などを迎えたときのあいさつでは天皇陛下も普通に敬語を使っています。国民に対してだけ“天皇陛下語”になるのです。
 
ただ、昭和天皇と今の上皇のしゃべり方は同じではありません。時代とともに変わり、天皇の人柄によっても変わります。
とすると、新しい天皇の言葉づかいも変わっていいはずです。
 
 
5月4日、即位を祝う一般参賀が行われましたが、その日は気温が高く、参列者で体調を崩す人が続出しました。そのため天皇陛下は6回あいさつしましたが、5回目から臨機応変にあいさつの言葉をつけ加えたというニュースがありました。
どんな言葉をつけ加えたかというと、「またこのように暑い中来ていただいたことに深く感謝いたします」という言葉です。

つけ加わったあとのあいさつがこれです。
 
 この度、剣璽(けんじ)等承継の儀、及び即位後朝見の儀を終えて、今日、みなさんからお祝いいただくことをうれしく思い、またこのように暑い中来ていただいたことに深く感謝いたします。ここに、みなさんの健康と幸せを祈るとともに、我が国が諸外国と手を携えて世界の平和を求めつつ、一層の発展を遂げることを心から願っております。
 
 
「お祝いいただく」と「来ていただいた」と、二度「いただく」という言葉を使っています。
「いただく」というのは謙譲語です。宮内庁のホームページで天皇陛下(今の上皇)の過去のあいさつを見てみましたが、「いただく」という言葉は見つかりませんでした。
 
なお、つけ加えられた言葉の中に「深く感謝いたします」というのもあります。
「いたす」というのも謙譲語です(ただ、「いたします」という言葉は過去にときどき使われています。“天皇陛下語”もそれほど厳密ではないようです)
 
5月1日の「即位後朝見の儀」のあいさつでも、天皇陛下は最後に「希望いたします」と言っています(これはYouTubeでも簡単に確かめられます)
しかし、なぜだか「希望します」と報じたメディアがいっぱいあり、宮内庁ホームページも「希望します」となっています。
ということは、宮内庁が用意した原稿は「希望します」となっていたのを、直前に天皇陛下が「希望いたします」に直したため、多くのメディアや宮内庁ホームページは対応できなかったのではないかと想像されます。
 
正しく「希望いたします」と書いた朝日新聞と、間違って「希望します」と書いた宮内庁ホームページを張っておきます。


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おかしな“天皇陛下語”はやめて、普通の敬語を使うというのが新しい天皇陛下の信念ではないでしょうか。
園遊会などで普通に「がんばってください」という言葉が聞けるかもしれません。
 
なお、日本国憲法では天皇の地位は「主権の存する日本国民の総意に基く」とあるので、天皇が国民に敬語を使っても少しもおかしくありません。
 

平成から令和に変わって、世の中はなんとなくめでたい気分になっています。
日本の現状を考えると浮かれている場合ではありませんが、30年ぶりの改元ですから、これはこれでいいのでしょう。
 
めでたい気分になれたのも、前の天皇が元気なうちに生前退位をされたからです。
もし天皇が亡くなったことをきっかけに改元していれば、そんなめでたい気分になっていられません。
 
生前退位は明仁天皇の意向によるものです。安倍政権や日本会議など保守派は、これに反対でした。自分の意志で辞められるなら天皇は「役職」になり、「現人神」でなくなってしまうからということのようです。
体が弱って公務ができなくなっても摂政を置けばいいというのが保守派の言い分です。しかし、摂政が公務を代行すると、国民は摂政を見るたびに病床の天皇を思うことになり、気分が晴れません。いや、そもそも天皇と別人を天皇と見なせというのもむりな話です。
 
明仁天皇の生前退位の意向は、2016年7月にNHKがスクープして表面化しました。それまでにその意向を安倍政権に拒否されていて、やむなくNHKにリークしたものです。世論を味方にすることでやっと実現した生前退位です。
 
今回は、明仁天皇が最後まで公務をまっとうしての退位もめでたいし、徳仁天皇の即位もめでたいと、ひじょうにうまくいきました。
もし安倍政権や日本会議の考えの通りに天皇を終身制のものとしていたら、いずれ天皇は病に臥せるか衰弱して公務ができなくなり、死が近いとなると国全体がいつ終わるとも知れない自粛ムードに支配されるという、昭和天皇の最期のときのようになった可能性が大です。
 
保守派は天皇制を尊重しているのに、天皇自身のことは考えていません。これは矛盾しているではないかと思っていましたが、よく考えると、そうではありませんでした。
鎌倉幕府成立以来、日本は幕府と朝廷の二重権力下にあり、両者は基本的に対立していました。
安倍幕府が天皇家と対立関係にあると考えると、よくわかります。
安倍幕府は天皇の権威だけ利用し、天皇家が権力や独自性を持とうとすると、反対してつぶします。その際は、天皇の権威をおとしめることも平気です。利用できない権威は必要ないからです。
 
たとえば、秋篠宮さまが昨年の誕生日の記者会見で、大嘗祭について「宗教色が強いものを国費で賄うことが適当かどうか」と発言されたことが保守派の怒りを買ったらしくて、秋篠宮さまは現在猛烈なバッシングにさらされています。秋篠宮さまは皇位継承順位一位ですが、だからこそよけいにバッシングされるのでしょう。
 
 
さて、新天皇が即位されて、めでたいところですが、いちばんの懸念は雅子皇后が元気に公務を果たされるかということです。
かなり健康を回復されているという報道があり、表情も明るそうですが、皇后になったことでプレッシャーが強くなり、また悪化するかもしれません(雅子さまが適応障害になられたのは、周りからの、男子を生めというプレッシャーと、女子が生まれたことに対する批判のためと推察されますが、周りにそんな人間がいたら適応障害になるのは当たり前です)
天皇皇后両陛下が幸せそうでないと、国民の幸福感にも響いてきます。
 
皇族というのは人権が制限される特殊な立場ですが、制限されるのは表現の自由とか参政権とかの限られた部分だけで、それ以外の人権、たとえば自己決定権とか幸福追求権は基本的にあるはずです。
 
明仁天皇は自己決定権を行使して生前退位を実現し、自身の幸せをつかみ、国民にもよい影響を与えました。
 
新しい天皇皇后も、自身の幸福を追求して実現する姿を見せて、国民によい影響を与えてほしいものです。

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