村田基の逆転日記

親子関係から国際関係までを把握する統一理論がここに

2019年09月

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いよいよ消費増税の日が迫ってきました。

「今回は軽減税率が適用される」とよく言いますが、この言い方が気に入りません。
「軽減税率」と「軽減でない税率」の両方があるのに、軽減税率のことばかり言うのは、増税のイメージをごまかしているのではないでしょうか。

調べると「複数税率」というのが正式な言葉としてありました。
しかし、「複数」というのも正確ではありません。百も千も複数です。
「二重税率」というのが正確です。
「これから消費税は二重税率になります」と言うべきです。


二重税率は、外食か持ち帰りか、飲食品か医薬品・酒か、おまけつきの食品はどちらかなど、判断に迷うことが多々あります。
ポイント還元策もわけがわかりません。
金額は小さくても、この煩雑さによる心理的負担で国民の幸福度が確実に下がります。

安倍政権が二重税率にしたのは、ひとつには公明党が強硬に主張したからです。
公明党が低所得者の多い支持層に配慮したのはわかります。
しかし、低所得層のことを考えるのなら、累進課税の強化などの金持ち増税を主張するべきです。
金持ち増税をすれば、消費増税の必要はなく、二重税率の煩雑さもありません。

それから、新聞業界も二重税率を強硬に主張しました。読売新聞の渡辺恒雄氏の政治力が大きかったようで、新聞にも軽減税率が適用されることになりました。
飲食品に軽減税率を適用するのは低所得層への配慮としてわかりますが、新聞は生活必需品ではなく、トイレットペーパーや洗剤などを差し置いて新聞に適用されるのは異様です。

公明党と新聞業界のゴリ押しで消費税はおかしな二重税率になったのです。


現在、国民は煩雑な二重税率に不満を持っていますが、政府に対する批判の声はほとんどありません。
その理由は簡単で、新聞が批判をしないからです。
テレビは前からほとんど政権批判をしなくなりました。


これから私が気になるのは、新聞のことです。
軽減税率の適用が「飲食品と新聞」というのはいかにも異様です。「新聞は贅沢品だ。軽減税率の適用をやめろ」という声がいつ出ても不思議ではありません。

今回の増税が新聞にも適用されていれば、購読者数は多少はへったかもしれませんが、たいしたことはないでしょう。飲食品以外のすべてのものが値上がりするのですから、新聞にだけ特別な変化が起きるわけありません。

しかし、今後、新聞に軽減税率の適用を外して、新聞だけが値上がりすることになれば、これを機会に家計を見直して、新聞の購読をやめようという世帯が相当数出てきてもおかしくありません。
そうなれば新聞社の経営に大打撃です。

新聞が政権批判を強めると、与党の幹部が新聞への軽減税率適用除外をちらつかせる。それだけで新聞社は震え上がる、という構図が目に見えます。
その際、世論は新聞の味方になりません。もともと「飲食品と新聞」というのが異様なので、むしろ“新聞特権”批判が巻き起こりかねません。

政府批判をしない新聞に存在意義はありません。

新聞業界は、目先の利益を得るために、自分で自分の首を絞めたのではないでしょうか。

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気象行動サミットに出席した小泉進次郎環境相が「気候変動のような問題はセクシーであるべき」と発言したことが批判されています。
これは「セクシー」という言葉の問題ではなく、日本が石炭火力発電所を増設して温暖化対策に逆行しているから批判されたのです。

その前にこういうやり取りがありました。
記者から「石炭は温暖化の大きな原因だが、脱石炭火力に向けて今後どうする?」と質問された小泉氏。即座に「減らす」と答えたが、記者から「どのように?」と具体策を尋ねられると答えに詰まった。6秒間の沈黙後、出てきたのは「私は大臣に先週なったばかり。同僚、環境省スタッフと話し合っている」と苦しいコメント。
隣に座るクリスティアナ・フィゲレス国連気候変動枠組条約前事務局長から「これは日本だけの問題ではない。彼は大臣になって10日、何をすればいいのか分からなくても驚かない」と助け舟を出してもらい、その場を乗り切った。
https://news.livedoor.com/article/detail/17127982/
9月23日にはニューヨークで日本に対する抗議デモが起き、デモ参加者は「いまだに石炭火力発電所にこだわっているのは先進国で日本だけだ」と主張しました。

日本は省エネやリサイクルや太陽光発電への補助金政策などを進めて、環境問題では世界でもっとも先進的な国のひとつでしたが、いつのまにか遅れた国になっていました。
小泉環境相の言葉がだめなのではなく、日本の環境政策がだめなのです。


気象行動サミットでもっとも目立ったのは、16歳のスウェーデン人の環境活動家、グレタ・トゥーンベリさんでした。
トゥーンベリさんは約5分間、世界のリーダーたちの前で、激烈な調子でスピーチしました。



その言葉は、たとえばこんな具合です。
多くの人たちが苦しんでいます。多くの人たちが死んでいます。全ての生態系が破壊されています。私たちは大量絶滅の始まりにいます。
それなのにあなたたちが話しているのは、お金のことと、経済発展がいつまでも続くというおとぎ話ばかり。恥ずかしくないんでしょうか!

あなたたちは、私たちを失望させている。しかし、若い世代はあなたたちの裏切りに気づき始めています。未来の世代の目は、あなたたちに向けられている。
もしあなたたちが裏切ることを選ぶのであれば、私たちは決して許しません。
16歳の少女がこういう場で自分の意見を述べるのは、日本では考えられません。
ネットでは例によって、「グレタ・トゥーンベリは親の操り人形だ」とか「環境活動家に利用されている」といった声が出ています。
欧米では環境問題を訴える大学生や高校生の「学校ストライキ」が行われていますが、日本ではありません。9月20日には163の国と地域で一斉デモが行われましたが、日本でのデモは大した規模ではありませんでした(これらの学校ストライキやデモは、トゥンベリさんが昨年8月、一人で学校を休んでストックホルムの議会前に座り込んだことから始まったものです)。

日本は温暖化対策でも遅れをとっていますが、若者の政治参加という点でも遅れをとっています。おそらく先進国では最低レベルでしょう。


トゥーンベリさんの主張は、特別なものではなく、環境活動家が従来から主張してきたことです。
「環境正義」という言葉があります。裕福な人はよい環境で生活できるが、貧困層やマイノリティは環境破壊の被害者になりやすいとして、環境の公正を求めることです。気候問題については「気候正義」とも言います(この正義は力の正義ではなく、公共性の正義です)。

やはり正義を掲げた主張は強力です。
さらに、おとなの活動家が「子どもたちを犠牲にするな」と訴えるよりも、子どもが「私たちを犠牲にしないで」と訴えたほうが断然効果的です。
そういう意味では、環境活動家はトゥーンベリさんを利用しているといえないこともありません。
しかし、利用できるものは利用するのが賢明です。


日本も世界になにかを訴えたいときは、少女を前面に立ててやるのが効果的です。
しかし、残念ながら、若者の政治活動を抑えてきた日本には、そんな人材はいません。
いや、そもそも日本が世界に訴える「正義」がありません。

今、日本が訴えているのは元徴用工問題です。
安倍首相は元徴用工問題について「国と国との約束を守ってもらいたい」と主張していますが、要は金を払いたくないだけです。韓国側は元徴用工の人権問題として訴えているので、正義は韓国側にあります。

本来なら、環境問題や核廃絶や自由貿易などで日本は世界に正義を訴えられるはずでしたが、安倍政権はすべてだめにしてしまいました。

その主な理由は対米従属です。アメリカの主張に合わせていては正義はありません。
そして、もうひとつの理由は、軍国主義時代へのこだわりです。慰安婦問題も元徴用工問題も軍国主義時代のことです。安倍政権はこれらを正当化しようとしていますが、もちろんこんな訴えは世界に認められません。

本来なら日本が国連憲章の敵国条項を削除するよう要求することは、不公平を改めることですから、正義の主張です。アメリカや中国が認めなくても、日本は主張することで国際社会に存在感を示すことができます。
ところが、今の日本が敵国条項削除を要求すると、「枢軸国の復権」ととらえられかねません。


気象行動サミットに出席した小泉環境相は「きょう、開会式に出席して一番響いたのはグレタさんでしたね。自分の言葉で言ってるし、目に力があるし」 と語りました。
16歳の少女が国連で存在感を示し、一方、日本は存在感がないどころか抗議の対象でした。

日本はさっさと軍国主義時代へのこだわりを捨て、環境、人権、平和という今の問題に向き合わなければなりません。

新川優愛

女優の新川優愛(25歳)さんは8月11日に記者会見し、結婚したことを発表しましたが、相手が9歳上のロケバスの運転手であることに世の中は驚きました。

美人女優の結婚相手といえば、IT社長かプロスポーツ選手か同業のイケメン俳優というのが相場です。
ロケバスの運転手なら普通の給料でしょう。
しかも新川さんは、ロケバスの中に忘れ物をしたと嘘をついて自分から彼にアプローチしたということです。
普通の給料の男たちに夢と希望を与える結婚でした。

それにしても、どうして新川さんはロケバスの運転手が好きになったのでしょうか。



記者会見を見てみると、好きになったきっかけについて、このように答えています。
「私に対する対応よりも、私けっこう、自分以外の人への対応を見ることが多くて、それは女性も男性もなんですけど、いろんな人に対しての接し方が素敵な人だなと思ったのがきっかけですかね」
調べてみると、『新川優愛、夫はアプローチに詐欺疑う「SNSが乗っ取られてると…」』という記事にもう少し詳しいことが書かれていました。
番組では新川が出会いから結婚までを初告白。初めての出会いは8年前、新川が17歳のときで、当時は恋愛感情は全くなかったそうだが、2016年、新川が22歳になったとき、荷物を率先して運んだり、どんな立場の人にも分け隔てなく接する仕事現場での彼の姿に惹かれていったという。
https://www.excite.co.jp/news/article/Mdpr_news1869442/
普通は、彼は熱心に私を誘ってくれたとか、私に親切にしてくれたというように、自分と彼との関係で彼を好きになるものです。
しかし、自分に親切にしてくれる人は、下心があるからしているだけで、ほんとうは親切な人ではないかもしれません。
新川さんのように、彼と第三者との関係を見ていれば、彼の人柄が正しく判断できるはずです。

これができるのは、職場恋愛のいいところです。職場で観察していれば、裏表のある人とか、上にこびて下に横柄な人とかもわかります。
お見合いだの合コンだのでは、なかなか相手の人柄はわかりません。デートしたら、彼がレストランの店員に横柄な態度をとって幻滅したなどということも起こります。


新川さんのすごいところは、恋愛や結婚の相手を探すとき、彼の人柄を第一にして、彼の収入や社会的地位にほとんど重きを置かなかったところです。
これは新川さんの自信からきているのでしょう。収入も社会的地位も自分で獲得するものだと思っていれば、男に頼るという気持ちになりません。

そして、愛されたいという願望があまり強くないのでしょう。

「愛されるよりも愛しなさい」とはよく言われる言葉ですが、実際はなかなかできないものです。
たいていの人は、「愛したい」と「愛されたい」を天秤にかけると、「愛されたい」のほうがうんと重くなります。
とくに若くて恋愛経験がないと、相手から愛されているか否かがひじょうに気になり、たとえばデートで行ったのが安いレストランだったとか、支払いのときに彼がクーポンを使ったとかのささいなことで、自分は安く見られたと即断して、彼を振ったりします。
こういうことで相手を選んでいると、ろくな相手をゲットできません。

なぜ「愛されたい」が重くなりすぎるかというと、子どものときに十分に親に愛されなかったからです。
親から受け取った愛が少ないと、その分を恋愛関係で得ようとします。
新川さんは親から十分に愛されて育ち(美人なのでたぶん男からも愛され)、もう愛に満ち足りているので、「愛されたい」よりももっぱら「愛したい」という目的で相手を探したのでしょう。


ですから、新川さんは愛に恵まれた家庭で育ったと推測されます。
新川さんの家庭環境がどういうものだったかはなかなかわかりませんが、ウィキペディアの「新川優愛」の項目にはこう書かれていました。

幼い頃からテレビが好きで、「自分も出演したい」と思い続けていた。小学校6年時、父に「芸能界に入りたい」と話したところ「いいんじゃない」の一言であっさりと快諾してもらったという。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%B7%9D%E5%84%AA%E6%84%9B
普通のことではありますが、父親は子どもの意志を尊重する人だということは言えます。

結婚報告記者会見を見てみると、「実家」に言及していたので、その部分を書き起こしてみます。
結婚願望は……そうですね、ちっちゃいときからお嫁さんになりたいみたいなことは言ってたみたいなので。うち、実家がすごいあったかい、実家がすごい仲がいいので、結婚願望はありましたね。
彼の「実家」についても言及していました。
(彼の)素敵なところはたくさんあるんですけど、あったかい人だなと、気持ちがすごいあったかい方だなと思いましたし、それはご実家に行ったときにも感じたんですけど。
これを聞いただけでも、新川さんがあったかい家庭で育ったことがわかります。
そして、こういう人はたいていあったかい家庭をつくることができるものです。


ところで、私がこのブログで新川さんのことを取り上げたのは、前々回に「坂口杏里さんの不可解な人生」という記事で取り上げた坂口杏里さんとあまりにも対照的だなと思ったからです。

人生というのは、かなりの部分が生まれ育った家庭環境によって決まります。
金持ちの家庭で育つのと、貧乏な家庭で育つのとでは、大きな違いがあります。
同様に、愛情に恵まれた家庭で育つのと、愛情の少ない家庭で育つのとでも、大きな違いがあります。
世の中には経済格差があるのと同様に愛情格差もあるわけです。

私は経済格差と愛情格差を勝手に「社会の二大格差」と呼んでいます。
世の中のほとんどの問題はこの二大格差からきています。たとえば幼児虐待は愛情格差がもたらす問題の最たるものです。

ところが、経済格差は認識されていますが、愛情格差のほうはあまり認識されていないので、坂口杏里さんは不幸な人生を(今のところですが)歩み、新川優愛さんは幸福な人生を歩んでいることの違いがどこからきているのかが理解されません。
そのため、坂口杏里さんがバッシングされたりします。

親から十分に愛されなかった人は、自分には愛される価値がないのだと思いがちです(坂口さんもそうではないでしょうか)。
しかし、世の中には愛情格差があり、愛のある家庭と愛の少ない家庭があるのだと認識すれば、自分には愛される価値がないという思いを払しょくして、前向きに歩んでいけるはずです。

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2020年度から実施される「大学入学共通テスト」は問題がありすぎると、反対の声が上がっています。

なにが問題かというと、英語の試験に英検やTOEFL、ケンブリッジ英検といった民間試験が活用されるのですが、異なる試験の成績を公平に比べられるのかとか、受験料が高くつくとか、試験会場が都市部に偏っているとか、替え玉受験などの対策は十分かといった疑問点や難点があるのです(なお、TOEFLは7月に「責任をもって対応することが困難」として不参加を表明)。

また、入試問題に記述式問題が用いられます。2020年度にまず国語と数学で導入され、2024年度以降は地理歴史・公民や理科分野にも広げる予定となっています。ただ、数学の記述式問題は初年度は見送り、文章ではなく数式だけ書かせる方式に変更すると7月に発表されました。
文章力を見るのなら国語の問題ですればいいことで、数学でするのは意味がわかりません。
それに、記述式問題は人が採点する必要があり、学生バイトにも採点をさせるということです。採点の基準は、キーワードが含まれるか否かということなら明快ですが、たとえば文法の間違いはどれだけ減点するかなどは主観が入りそうです。


反対や実施延期を求める声が上がっていますが、そうした声を上げるのは受験生と保護者と高校教師などが中心です。一般の人はあまり関心がありません。
正直、私もそれほど真剣に考えているわけではありません。入試に記述式問題を使うというのは愚かなことだと思いますが、英語の民間試験を使うことの問題点は、当事者ではないだけにピンときません。

一般の人の関心があまり高くないのをいいことに、柴山昌彦前文科相は8月16日、ツイッターで「サイレントマジョリティは賛成です」と主張しました。

そのあとのことを日刊ゲンダイが「柴山文科相に批判の嵐 英語民間試験に異議の学生を即排除」という記事で書いています。

 そこで、聞く耳を持たない大臣にシビレを切らした慶大生が24日、埼玉県知事選の応援に来た柴山氏の演説中、大宮駅前西口で、「若者の声を聞け」などと記したプラカードを掲げ「柴山辞めろ」「入試改革を白紙撤回しろ」と発言した。すると、スーツ姿の警察官に3人がかりで引っ張られ、排除された。ベルトがちぎれたという。
 警官が学生を強引に排除するだけでも大問題だが、柴山文科相はこの強制排除に対して、〈少なくともわめき散らす声は鮮明にその場にいた誰の耳にも届きましたけどね〉(26日付)とまるで騒音扱い。怒った高校生が、ツイッターで公開されている文科省の電話番号を記し、抗議を呼びかけると、柴山氏は高校生相手に〈業務妨害罪にならないよう気をつけて下さいね〉(26日付)と半ば脅す始末だ。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/260896/2

さらに、柴山前文科相は9月8日、高校生の「昼食の時間に政治の話をする」などのツイートに「こうした行為は適切でしょうか?」と返信し、非難の声が上がるということもありました。

どうやら柴山前文科相は、若者が意見を言うことが許せないようです。
これは柴山前文科相だけのことではなく、文科省とか教育行政における根本的な問題です。

日本も批准している子どもの権利条約の第12条は、「締約国は、自己の意見を形成する能力のある児童がその児童に影響を及ぼすすべての事項について自由に自己の意見を表明する権利を確保する」と規定しています。
ですから、受験生は受験制度について意見を言う権利があり、文科省はその権利を確保しなければなりません。
ところが、文科省は受験生が意見を言う機会をまったく封じています。
とりわけ若者の意見を封じようとする柴山前文科相の行動など、明らかに子どもの権利条約違反です。

文科省は昔からそういう体質です。中教審やら教育再生会議やらが何度も教育改革案を出してきましたが、生徒にアンケート調査をしたことは一度もありません(確か保護者にアンケート調査をしたことが一度あるだけです)。


そうした中で、朝日新聞と河合塾が共同で英語の民間試験を活用することについて調査を行いました。

大学6割、高校9割が「問題ある」 入試の英語民間試験
 2020年度から始まる大学入学共通テストで英語の民間試験を活用することについて、「問題がある」と考える大学が3分の2近くにのぼることが、朝日新聞と河合塾の共同調査「ひらく 日本の大学」でわかった。昨年の調査よりも2割近く増えた。同時に実施した高校への調査でも、9割近くが「問題がある」と回答。仕組みが複雑なことや、指摘される課題が解決される道筋が見えないため、大学・高校ともに不安が高まっているようだ。
調査は今年6~7月、大学は761校、高校は全日制課程がある国公私立高校4686校を対象に実施した。大学は90%に当たる683校が回答し、高校は20%に当たる959校が回答した。
(後略)
https://www.asahi.com/articles/ASM984GQQM98UTIL009.html?iref=pc_ss_date

大学と高校を対象に調査しただけで、高校生は対象になっていません。河合塾は現役高校生向けの講座もやっていますから、高校生に調査することは容易だったはずです。
朝日新聞は進歩派とされますが、このように子どもの権利を平気で無視するので、エセ進歩派とか偽善と言われます。

朝日新聞は、大学入試に採用される新聞記事の中で朝日新聞が圧倒的に多いということがよりどころらしく、購読勧誘にもこのことを大いに利用しています。
そのため、入試をするほうに顔が向いていて、入試を受けるほうはどうでもいいのかもしれません。

入試制度や学校のあり方について子どもが意見を言うようになると、パンドラの箱を開けたみたいになることをおとなたちは恐れているのでしょう。

しかし、当事者の切実な声というのは世の中を動かす力があるものです。
たとえば、幼児虐待で死亡した子どもがノートに「おねがいゆるして」などと書き残していたという事実が報道されると、世論は大きく動きました。
入試制度問題をいちばん真剣に考えている受験生の声がどんどん報道されるようになれば、世論も動いて、前文科相のように「サイレントマジョリティは賛成」などと言っていられなくなるはずです。

文科省もマスコミも子どもの権利条約に従って、子どもの意見を尊重するという当たり前のことをしなければなりません。
それによってパンドラの箱が開いたら、おおいにけっこうなことです。「希望」も飛び出てくるからです。

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Rudy and Peter SkitteriansによるPixabayからの画像 

悲惨な幼児虐待事件が起こると、「児童相談所や学校や警察はなにをしていたのか」という怒りの声が上がります。
確かに多くの幼児虐待事件では、子どもの体にアザがあるとか、家から叫び声がするとか、学校に出てこないとかの徴候があるもので、関係機関が連絡を密にして対応していれば防げたのにと感じられることが多いものです。
しかし、人間はいざ幼児虐待のような悲惨なことに直面すると、現実を認めたくないという心理に陥りがちです。というか、人類の歴史において、人間はずっとそうして否認してきました。
ですから私は、「児童相談所や学校や警察はなにをしていたのか」と怒る人もいざ自分がそうした場に直面するとうまく対応できないのではないかと疑っています。

次の記事を読んだとき、改めて私の疑いは間違っていなかったと思いました。

懲りない坂口杏里…何がしたいのか? “母親エピソード”で大炎上
 元カレのホストの自宅マンション内に侵入したとして、住居侵入容疑で逮捕(不起訴処分)された元タレントの坂口杏里(28)。現在はYouTubeで赤裸々告白の投稿を続けているが、ネット上で批判が絶えないのだ。
 今月に入って、YouTubeに「坂口杏里チャンネル」を開設した杏里。7日には2013年に死去した母、坂口良子さんの思い出を語ったのだが「あまりの内容に、“お母さんがかわいそう”などの批判の書き込みが相次ぎました」と芸能サイト編集者。
 幼いころ、机の中に隠していた0点のテストが良子さんに見つかり、こっぴどく叱られたというエピソードを明かした杏里。本来なら、そこからお母さんの優しさに触れるはずが、「柔軟剤をボトルごと、頭にブワーってかけられて」「頭ギトギトのまま、学校に一緒に行って謝罪をした」と一転“ホラー”な話題となったのだ。
 さすがにこれには「ただの悪口」「坂口良子さんのこと悪く言うな」「お母様の名前を出すのはやめましょう」などと書き込みが相次ぐことに。その後も遺産の話などを投稿したが、批判は後を絶たず。チャンネルを閉鎖し、新たに「ANRIちゃんねる」を立ち上げた。
 「ユーチューバーへの転身を宣言しましたが、芸能界復帰への足がかりにしようと思っているならマイナス効果しかない」と先の芸能サイト編集者。
https://www.zakzak.co.jp/ent/news/190914/enn1909140009-n1.html?ownedref=not%20set_main_newsTop

柔軟剤を頭からかけられたというのは、十分に虐待といえます。
これは嘘ではないでしょう。嘘を書く理由がありません。
非難する人も嘘だとして非難しているのではありません。

では、なにを非難しているかというと、事実そのもの、あるいは事実を表現したことを非難しているのです。
つまり幼児虐待の否認です。

この記事を書いた人も、「本来なら、そこからお母さんの優しさに触れるはずが」と、自分自身の虐待否認の考えを杏里さんに押しつけています。

こういう心理があるので、児童相談所の職員などでも幼児虐待に適切に対応できなかったりします。
これは職員を一方的に非難しても解決できるものではありません。



私は、この記事を読んで杏里さんの人生が迷走する理由がわかった気がしました。

坂口杏里さんは母親の坂口良子さんといっしょにテレビのバラエティ番組に出るなどして人気になりましたが、良子さんは2013年に死去。杏里さんは2016年ごろに芸能活動をほとんどやめて、キャバクラ嬢になり、AV出演やヘアヌード写真集を出し、デリヘル嬢にもなりました。ホストクラブ通いでできた借金を返すためだと言われていますが、本人は借金のことは否定しています。

ウィキペディアの「坂口杏里」の項目によると、2017年4月に知人のホスト男性から現金3万円を脅しとろうとしたとして恐喝未遂容疑で逮捕され(不起訴)、今年8月には同じ男性の自宅マンション内に侵入したとして逮捕されました。

もともと人気あるタレントだったのに、キャバ嬢、AV嬢、風俗嬢、二度の逮捕とみずから“転落”していったのが不可解でしたが、母親から虐待されていたとすれば納得がいきます。
AV嬢には親から虐待されていた女性が多いとされます。自己評価が低いために社会的評価の低い職業に抵抗がないことと、親のいやがることをして親に復讐する心理があるからです。
AV嬢からタレントになった飯島愛さんは「プラトニック・セックス」という自伝で父親から虐待されて家出したことを書いています。
スノーボード選手としてトリノ・オリンピックに出た今井メロ(成田夢露)さんも「泣いて、病んで、でも笑って」という本で、父親から虐待といえる壮絶なスパルタ教育を受けたことを書いていますが、キャバ嬢、風俗嬢、AV嬢になっています(私はこのブログで今井メロさんのことを「スパルタ教育を受ける不幸」という記事で書いたことがあります)。

杏里さんがテレビタレントをやめたのも、それは母親が敷いたレールだったからかもしれません。

母親の坂口良子さんはすばらしい女優でしたが、そのことと母親としてのあり方とはまったく別です。

ほとんどの人は迷走する杏里さんに批判的ですが、そういう人は同時に虐待の事実も否認します(引用した記事もそのスタンスで書かれています)。
虐待の事実を受け入れれば、迷走する杏里さんが理解でき、同情心もわいてくるはずです。

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最近、食物アレルギーやアトピー性皮膚炎の子どもがふえていますが、行きすぎた清潔志向がアレルギー発症の原因になることがわかってきました。

アレルギーは、卵や牛乳のたんばく質、花粉など特定の物質(アレルゲン)に体の免疫が過剰に反応する病気です。
ですから、免疫の遺伝子などに異常があるのではないかと考えられましたが、いくら調べてもなかなかわかりませんでした。

初めてアレルギーの発病との関連が確かめられたのは、意外にも皮膚のたんばく質「フィラグリン」をつくる遺伝子の変異だった。アトピー性皮膚炎の患者の2、3割でフィラグリンの遺伝子の異常が見られる。
国立成育医療研究センター研究所の斎藤博久副所長は「発症率は遺伝子が正常な人の3、4倍、ぜんそくの合併も2、3倍になる」という。フィラグリンの遺伝子に変異がない患者でも、フィラグリンをつくる機能が落ちていることがあった。
フィラグリンは皮膚の表面でつくられ、皮膚を守るバリアーとして働いている。さらに、分解されると天然の保湿成分になり、これが皮膚を覆うことで守りを固めている。
皮膚のバリアー機能との関連が疑われるアレルギーは皮膚炎だけではない。
天谷雅行慶応大医学部教授は「英国の乳児でピーナツバターのアレルギーが起きた。調べると、皮膚に塗るベビーオイルにピーナツオイルが含まれていた」という。
(中略)
国内でも、せっけんに含まれていた小麦のたんばく質が元でアレルギーになり、小麦のたんばく質を含む食品を食べてアナフィラキシーショックを起こす事件があった。
新説では、まず、皮膚のバリアー機能の欠陥が先にあって、初めは皮膚からアレルゲンが侵入して免疫を刺激。その後にアレルゲンが鼻に入ると鼻炎や花粉症、のどに入るとぜんそくになるというわけだ。免疫の異常は原因ではなく結果だということになる。
(中略)
バリアーを守るにはどうしたらいいか。天谷さんは「ごしごし体を洗いすぎるのをやめ、首から下はわきの下と股だけせっけんを使えばいい」と勧める。天谷さんの研究では人間の皮膚は軽く水で流すだけで汚れが落ちるようにできているという。
http://sugimoto-clinic.or.jp/健康・医療のヒント/iryounogenjou/allergy_new_theory/

アレルギー発症の予防にもうひとつたいせつなのは、家畜の糞だということもわかってきました。

アメリカにアーミッシュという自給自足の生活をする人々がいますが、アーミッシュにはアレルギーの人がほとんどいないとされます。また、モンゴル人にもアレルギーがほとんどないということです。彼らは幼いころから家畜と触れ合う生活をしています。
「NHK特集」がそのことを取り上げました。

NHK特集
病の起源  第6集 アレルギー ~2億年目の免疫異変~
花粉症・ぜんそくなどのアレルギー。20世紀後半、先進国で激増。花粉症だけで3800万人もの日本人が患う病となった。急増の原因は花粉・ダニの増加、大気汚染と考えられてきたが、意外な原因があることがわかってきた。
南ドイツで、農家と非農家の子供の家のホコリを集め、「エンドトキシン」と呼ばれる細菌成分の量を調べたところ、それが多い農家の子ほど花粉症とぜんそくを発症していなかった。エンドトキシンは乳幼児期に曝露が少ないと、免疫システムが成熟できず、アレルギー体質になる。農家のエンドトキシンの最大の発生源は家畜の糞。糞に触れることのない清潔な社会がアレルギーを生んだとも言える。
http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20081123

犬や猫でも同じような効果があるだろうと推測されています。

私は前から、子どものアレルギーに悩む母親には神経質な人が多い気がしていましたが、案外正しかったかもしれません。潔癖症の母親は、子どもの体を洗いすぎたり、部屋を極端に清潔にしたりして、それがアレルギー発症につながっていた可能性があります。

不潔な環境は感染症の原因になるので、子どもを清潔な環境で育てたいというのは当然のことですが、なにごとにも適正水準というものがあります。今はもしかして行きすぎているのかもしれません。


行きすぎた清潔志向は、身体面だけでなく精神面にもマイナスがあります。
つまり愛情行動ができなくなるのです。

たとえば、セックスは互いの体を接触させ、粘膜も接触させます。性器と排泄器はきわめて近い位置にあるか、まったく一致しています。潔癖な人はセックスができないはずです。
実際、セックスによって性病などが移ることがあります。
しかし、人間は愛情を感じると、清潔志向のハードルが下がるというか、不潔の許容力が高まるので、セックスができます。

母親が子どもの世話をするときも、排泄物の始末をしなければなりませんし、子どもが食べ物をこぼしたり物を散らかしたりすることも受け入れなければなりません。
潔癖な人ではできないはずですが、母親になればできるようになるものです。

しかし、世の中全体の清潔志向が強まると、セックスできない人や子どもの世話ができない親がふえる理屈です。
実際、若い人は恋愛やセックスをしなくなり、子どもをつくらない夫婦もふえています。

もちろん若者の恋愛離れや少子化にはさまざまな理由がありますが、過度な清潔志向もその理由のひとつに違いありません。

すでに清潔志向が行きすぎているなら、これからは愛と健康を回復するために、不潔志向というか、不潔許容度を高める方向に行かなければなりません。

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「Amazon Echo」のテレビCMで「肉じゃがが母さんの味にならないよ」と言う男が気持ち悪いと話題になっています。
きっかけは、きゃりーぱみゅぱみゅさんがツイッターで「アレクサのCMの息子みたいな男苦手だな~」とつぶやくと、多数の「いいね」がついたことだったようです。




一人で肉じゃがをつくっている男が「肉じゃがが母さんの味にならないよ」と困って、母親にテレビ電話で相談すると、母親はカレールーを投入するように指示、ケチャップとすりおろしショウガも加えると、おいしいカレーになります。母親が「今度はどんな子なの?」と聞くと、男は「アレクサ、通話を切って」と言い、そこに「ピンポーン」と来訪者があり、男は「アレクサ、デートのプレイリストかけて」と言って、玄関に来訪者を迎えにいくというものです。

「彼女に手料理をふるまう男」が今の時代には受けるだろうという計算でつくったCMでしょう。
しかし、気になることがいくつもあります。

肉じゃがをカレーに変身させるという母親の大胆な発想にひとつのおもしろさがあるのですが、すでに味付けされた肉じゃがにカレールーを投入すると、塩辛くなりすぎるのではないかという心配があります。

そして、いちばんの問題は、男が彼女に食べさせるものを「母さんの味」にしようとすることでしょう。
「母さんの味」つまり「お袋の味」が価値あるのは自分自身にとってであって、他人にはとくに価値あるものではありません。
この男は、単なるマザコンにとどまらず、「自分にとって価値あるものは他人にとっても価値がある」と思い込んでいる自己中な男ということになります。
それがこのCMの評判が悪い理由でしょう。


この男は、「母さんの味」ではなくて、「彼女の好きな味」か「自分の得意な味」を目指すべきです。
男が「肉じゃががおいしい味にならないよ」と言って母親に相談していれば、このCMはなんの問題もなかったでしょう。


そもそも料理をする男が「お袋の味」をつくろうとするとは思えません。
料理をするときは「本格的な味」とか「レシピ通りの味」とかを目指します。
「お袋の味」を求めるのは、たいていは自分で料理をしない男でしょう。記憶の中で理想化された味を妻に求めるので、ろくなことにはなりません。

このCM制作者は、「お袋の味を求める男」を「家族思いの男」と勘違いしたのかもしれません。


あと、母親が彼女のことを聞こうとしているのに、男が一方的に電話を切ってしまうのは失礼だという意見もあります。
しかし、母親と彼女のことを話し合ったりすれば、それこそマザコンっぽくなってしまうので、そこは問題ないでしょう。

ただ、母親に対していつもあんな口の利き方をしているとすれば問題です。
この男は一人暮らしで、いつもAIスピーカー相手に会話していて、一方的に命令や要求をすることに慣れてしまって、母親に対してもAIスピーカーに対するのと同じ口の利き方をするようになったのかもしれません。とすると、彼女に対しても同じような口の利き方をするかもしれません。

このCMは、AIスピーカーの便利さを表現するものですが、その便利さに慣れてしまうことの危うさも表現している気がします。

日露会談
首相官邸ホームページより

安倍首相は9月4日から6日にかけてロシアのウラジオストクで開かれた東方経済フォーラムに出席し、プーチン大統領と会談しました。
安倍・プーチン会談は27回目ですが、北方領土問題についてはなんの進展もありませんでした。
進展がないどころか、プーチン大統領は会談のあった日の未明、色丹島での大規模な水産加工工場稼働を祝う式典に中継映像で参加しました。日本は四島返還は諦めて、歯舞・色丹の二島返還を求めているのですが、これは二島返還すらむりというメッセージでしょう。

安倍外交の大失敗ですが、驚くことにマスコミはほとんど追及しません。
私の見た範囲では、その時点できびしく批判していたのは産経新聞の「日露首脳会談 どうして席に着いたのか」という記事だけです。「プーチン大統領は会談に先立ち、日本と安倍首相を虚仮(こけ)にする行動をとった」「安倍首相は首脳会談など開かず、さっさと帰国した方がよかった」と主張しています。

プーチン大統領はフォーラム最終日の6日、市民との交流会で領土問題について言及しました。

北方領土 「スターリンが手に入れた」 プーチン氏
 ロシアのプーチン大統領は6日に北方領土について述べ、第2次世界大戦の結果、ロシアがすべてを手に入れて領有権が決まったと強調しました。

 プーチン大統領:「それ(第2次世界大戦の結果)に依拠しよう。スターリンがすべてを手に入れた。議論は終わりだ」
 プーチン大統領は6日、ウラジオストクで市民との交流会に参加しました。交流会で、市民から北方領土について「第2次世界大戦終結時の状況からすれば、ロシアの領有権に疑問の余地はない」という意見があり、プーチン大統領も賛同しました。1855年の日露通好条約を根拠として、領有権を主張する日本政府の立場を改めて否定しました。5日の日ロ首脳会談の後、日本側は平和条約締結に向けて「ロシアと未来志向で作業することを再確認した」と発表していました。 
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20190907-00000004-ann-int

これで誰の目にも安倍外交の失敗が明らかになりましたが、マスコミはどういう態度をとるでしょうか。
これまでの例からして、安倍外交の失敗をきびしく批判するということにはならないと思われます。
2016年12月に安倍首相の地元の山口県にプーチン大統領を迎えて行われた日ロ首脳会談においては、領土交渉に進展があると大いに期待されていましたが、進展はまったくなく、日本が経済協力をするだけの結果に終わりました。しかし、安倍首相は「経済協力が進展した」「これから交渉を加速させる」「会談は成功だった」というイメージをふりまき、マスコミの報道もそれに引きずられました。

安倍首相はこのときに、「外交は、失敗しても成功のイメージをふりまけばよい」ということを学んだものと思われます。

今回の会談でも、安倍首相はプーチン大統領に対してテレビの前で「ウラジミール」とか「君」といった言葉で呼びかけ、親密さを演出し、「未来志向で平和条約の交渉を進めよう」と言いました。
「成功のイメージ」さえあればいいという作戦です。
そうやっておけばマスコミには批判されないという自信があるのでしょう。
現に批判したのは産経新聞ぐらいでした。


このパターンは、対米外交とまったく同じです。
安倍首相はアメリカに譲歩し、買わないでいいものを買わされているのに、トランプ大統領と親密さを演出します。
そうするとマスコミも「安倍外交は成功」みたいな報道をしますし、国民も大方は納得しているようです。


これは日本人の白人コンプレックスのせいかと思っていましたが、そういうことでもなさそうです。
対中外交でも同じだからです。
安倍首相は昨年10月25日から27日にかけて中国を訪問し、習近平国家主席と会談しました。
それまで安倍首相は中国包囲網づくりに精を出してきて、安倍首相と習近平主席はほとんど会談すらしなかったのですから、外交方針の大転換です。
このときの安倍・習近平会談では、安倍首相は一応愛想笑いを浮かべているのに、習近平主席はずっと仏頂面でした。
日中首脳写真
首相官邸ホームページより

安倍首相が中国まで会いにいっているのに仏頂面で迎えるとはけしからんという中国非難の声が上がるかと思ったら、そういうことはありません。
わざわざ習近平主席に会いにいくのは媚中外交だという安倍首相非難の声が上がることもありません。
マスコミは安倍首相がなにをしても「安倍外交は成功」ということにするようです。

来年春には習近平主席を国賓として日本に迎えることが決まっています。
米中経済戦争の最中に中国に接近するとは、米中の間でしたたかに立ち回ろうという戦略なのでしょうか。

私の考えでは、安倍首相にそういう大きな戦略はありません。
第二次安倍政権が発足したころは、中国のGDPは日本をやっと追い越したところでした。しかし、今では3倍近くになっています。現実問題として中国包囲網づくりは不可能になったので、対中接近をはかっているだけでしょう。


結局のところ、アメリカ、ロシア、中国という強い国に媚びているのが安倍外交です。
これだけでは日本国民も情けない思いがするので、弱いと見なした韓国に強く出て、韓国バッシングを国民の娯楽に供しています。
マスコミも安倍政権の思い通りにあやつられています。

しかし、強い者に媚びて、弱い者に威丈高になる人間は、結局誰からも信頼されません。
マスコミはもっと根本的なところから外交を論じないといけません。

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韓国・ソウル・景福宮の興礼門

近ごろのマスコミは韓国ネタばかりで、“嫌韓フィーバー”とか“嫌韓バブル”といえる状況です。
おかげでいろんなバカがあぶり出されています。

中でもいちばんのおバカは、ワイドショーのコメンテーターの武田邦彦中部大学教授でしょう。
8月27日のTBS系「ゴゴスマ」において、ソウルを旅行中の日本人女性が韓国人男性に暴行された事件に関連して、大阪で韓国人観光客が激減という話題になると、「そりゃあ日本男子も韓国女性が入ってきたら暴行しなけりゃいかんからね」と発言して非難が集中、3日後に番組は「ゴゴスマとしては、ヘイトや犯罪の助長を容認することは出来ません。番組をご覧になって不快な思いをされた方々にお詫び致しますと」と謝罪しました。

同じく「ゴゴスマ」において29日に、東国原英夫氏がゲストである韓国人の金慶珠東海大学教授に対して、金教授が「あの……」と話をさえぎろうとした瞬間、「黙って、お前は! 黙っとけ!この野郎。喋りすぎだよ、お前!」と暴言を吐きました。

そして、「週刊ポスト」(9月13日号)は『「嫌韓」ではなく「断韓」だ 厄介な隣人にサヨウナラ 韓国なんて要らない』という特集をし、その中に『「10人に1人は治療が必要」(大韓神経精神医学会)──怒りを抑制できない「韓国人という病理」』などもあり、ヘイトスピーチそのものと批判が集中しました。

「N国」の丸山穂高議員は、韓国の国会議員団が竹島に上陸したことに関して、こりずにツイッターに「戦争で取り返すしかないんじゃないですか?」と投稿しました。

こうした動きの背後に安倍政権の扇動があるのは明らかです。
河野太郎外務大臣は、7月19日、徴用工訴訟をめぐって南官杓駐日韓国大使を外務省に呼び出したとき、カメラの前で儀礼的な対面をする場面で、大使の発言をさえぎって、「ちょっと待ってください。韓国側の提案はまったく受け入れられるものでない。極めて無礼でございます」と、きわめて無礼なふるまいをしました。ちょうど日本は参院選の最中で、選挙目当てのパフォーマンスでしたが、誰もそのことは指摘しませんでした。


こういうおバカな発言を羅列してもきりがないので、その背後にあるものをさぐってみます。

たとえば丸山議員の「戦争で取り返す」発言ですが、同じことを北方領土に関して言ったときは大きな批判が起こりましたが、竹島に関してはそれほどでもありません。
もちろん二度目だということもありますが、ロシアと韓国の違いも大きいと思います。
ロシアと日本は、いまだに平和条約が締結されず、冷戦時代は互いに仮想敵国でしたから、「戦争」という言葉に敏感にならざるをえません。しかし、韓国と日本は、アメリカをはさんで準同盟関係にあるので、戦争が起こることはまずありえません。
つまり日韓はいくら仲が悪くなっても戦争にならないという安心感が、嫌韓の歯止めをなくしているのです。

それから、GDPで韓国は日本の三分の一程度です。両国が経済戦争のようなことになっても、日本が圧倒的に有利です。そうした安心感もあると思われます。

自分は安全な位置にいて、弱い相手にいやがらせをするというのが今の日本の嫌韓派の人たちで、卑劣というしかありません。
いや、もしかすると自己評価が低くて、日本を韓国と同格と見ているのかもしれません。
自己評価が低くなるのは、安倍外交のせいです。
安倍外交は、アメリカには徹底的に従属し、ロシアとはまともな交渉はできず、中国には中国包囲網づくりは諦めてすり寄り、北朝鮮にもトランプ大統領の方針に従って対話路線になっています。
とすると、日本が強硬な態度を取れるのは韓国だけということになり、他国に卑屈になる分、韓国に威丈高になります。


それから、根本的なことはやはり歴史認識の問題です。
韓国に対する植民地支配を反省するのか否かを、日本の保守派や右翼はごまかし続けてきました。

たとえば保守派は、日本の戦争のおかげで東南アジアは欧米の殖民地支配から解放されたと言いながら、中国や朝鮮への植民地支配は正当化するという二枚舌を使います。
日本を悪者として裁いた東京裁判史観はけしからんと主張しますが、この主張は日本国内だけで、外国に対して発信することはありません。

保守派は「何度謝っても許してもらえない」と言いますが、こういう人に限って一度も謝っていません。
村山談話の村山富市元首相や河野談話の河野洋平元官房長官に対して、韓国人などが「もっと謝れ」と言うことはありません。一度きちんと謝ったからです。
一度も謝らない人や口先だけで謝る人がいるので、いつまでも「謝れ」と言われてしまいます。

中でも悪質なのが、安倍首相です。
安倍首相は村山談話や河野談話を継承すると言いながら、その中にある「お詫びと反省の気持ち」は口にしません。
安倍首相は日韓合意において、「お詫びと反省の気持ち」を表明しましたが、これは当時の岸田文雄外相が読み上げただけで、安倍首相の口から語られたわけではありません。
安倍首相個人のこういう姑息なごまかしが日韓関係悪化の根本原因です。

つけ加えると、安倍首相は徴用工問題について「国と国との約束を守ってもらいたい」と繰り返していますが、徴用工問題は韓国人個人が韓国内の日本企業に対して補償を求めた訴訟ですから、問題をすり替えています。

そして、このような歴史認識の根本問題は、日本が欧米の植民地支配に対してなんの抗議もしないことにあります。
日本の植民地主義は欧米の植民地主義をまねただけなのですから、日本だけが謝罪するのはおかしなことです。
まず欧米がみずからの植民地主義を謝罪すれば、日本も素直な気持ちで謝罪ができるはずです。

ところが、日本の保守派は欧米コンプレックスが強すぎるためか、欧米に対して植民地主義を謝罪しろと言いません。
その代わりに韓国や中国に対して謝罪しないという横柄な態度を取り、関係がこじれます。

日本が植民地主義をグローバルな観点からとらえることができれば、「嫌韓バカ」から脱出することもできるはずです。
それには日本が欧米コンプレックスから抜け出し、欧米と対等の立場に立たなければなりません。

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マイクロソフトのマージャンAI(人工知能)「スーパーフェニックス」が、プロを含む33万人が参加する日本のオンラインマージャン対戦プラットフォーム「天鳳」において、トッププレーヤーに匹敵する成績を達成したというニュースがありました。
すでにチェス、将棋、囲碁でAIは人間よりも圧倒的に強くなっていますから、今さら驚きません。

囲碁では2016年にAIが世界のトップ棋士を負かし、その後ネットの世界で60連勝した、100連勝したという話題があり、今ではトッププロでもハンデをもらわないと勝負にならないといわれています。
AIが打ち出した常識にない手は「AI定石」と言われ、若手プロはみな真似をしています。しかし、なぜその手がいいかをAIは説明しません。わけもわからずAIの真似をしている人間の姿になにか危ういものを感じるのも事実です。


AIがどんどん進化して産業界で利用されるようになると、人間は仕事を奪われるという説があります。
その一方で、AIが人間の代わりに仕事をしてくれるので、人間は楽をして豊かな生活が送れるようになるという説もあります。
いったいどちらが正しいのでしょうか。

AIの話題のときは、「AI対人間」というとらえ方が多いようです。囲碁、将棋、マージャンなどのゲームでは必然的にそうなります。
しかし、社会の中にAIが入ってくるときは、事情が違います。社会の中ではもともと「人間対人間」の争いがあるからです。
もちろん人間は互いに協力し、助け合いもしますが、根底は利己的な存在として、互いに生存闘争をしています。

たとえば人を雇用する側は、少しでも安く人を雇って利益を上げようとし、雇用される側は、少しでも高い給料をもらおうとします。
そこに労働者の代わりになるAIが登場したとします。
雇用する側は、人を雇うかAIを使うかを比較して、AIが安くつくと思えば人をクビにして(あるいは新たに雇うのをやめて)、AIを導入します。
これが経済合理的な選択です。
雇われる側は、クビになるか、AI導入並みの安い給料でがまんしなければなりません。

雇われる側にとっては、世の中にAIが導入されてサービス価格が安くなったりするメリットはありますが、自分の雇用が奪われたり給料が安くなったりするのでは、デメリットのほうが大きいといえます。

ですから、労働者の代わりをするAIの登場は、雇う側には有利ですが、雇われる側には不利です。

これは外国人労働者を増やす政策に似ています。
雇う側は、外国人労働者と日本人労働者を比較して、安いほうを雇えるので得をします。
日本人労働者は損をするだけです。

こうしたことは、雇う側と雇われる側の対立としてとらえると、簡単にわかります。
しかし、日本では冷戦終結以降、社会主義思想は破産したと見なされ、同時に階級対立もないことにされました。
そのため、雇われる側の不利益はないことにされ、雇う側の利益が日本全体の利益と見なされ、外国人労働者やAIの導入が進められています。

今は、「AIが雇用を奪う」というように、「AI対労働者」という図式でとらえることが多いようです。
これは19世紀初頭にイギリスで産業の機械化が進み、機械に仕事を奪われると思った労働者が機械を打ち壊したラッダイト運動に似ています。
このときは社会主義思想が未成熟だったのですが、一周回って同じことになっています。


AIといえば、AIが人類の知能を超える「シンギュラリティ」が2045年にも到来するということが問題になっています。
シンギュラリティによって人類は豊かな生活を得られるという説もありますが、ホーキング博士などは、AIが人類をほろぼす危険性があると警告していました。
私はAIの専門家ではありませんが、この問題も、社会には「人間対人間」の争いがあるということを認識しないと危ういことになる可能性があると思っています。

たとえば、労働者の労働意欲を高める労務管理AIが効果を発揮するようになったとします。そうすると、それを経営者にも使ったらいいのではという発想が出てくるかもしれません。
労務管理AIは、「経営者のため」のものですから、本来そんな発想は出てきません。しかし、タテマエとして「労働者のため」とか「人間として必要なもの」などと言っているはずで、間違ってタテマエを信じてしまったり、タテマエを押し通さざるをえなくなったりしないとも限りません。

あるいは、子どもの勉強意欲を高めるAIができると、勉強は何歳になっても必要なことだからと、おとなにも適用しようということにもなるでしょう。

道徳教育を効果的にするAIもできるかもしれません。
私は道徳教育で道徳的な人間ができるとは思いませんが、アメとムチで人間に道徳的な行動をさせることは可能ですし、そこに「国のため」とか「人類のため」とか「人格向上のため」という名目をつけることでより効果的にすることはできると思います。
そうすると、その道徳教育AIを全国民に適用して、「道徳国家建設」をしようという主張が出てきてもおかしくありません。


人間社会には、雇う側と雇われる側だけでなく、富裕層と貧困層、おとなと子ども、男と女、知識階級と一般大衆、健常者と障碍者など、あらゆる場面に対立と支配の関係があります。
社会主義思想は資本家と労働者の関係を諸悪の根源と見なし、それさえ解決すれば万事うまくいくと考えたのですが、それは間違いでした。あらゆる対立と支配の関係を解決しなければうまくいきません。
今はそうした対立と支配の関係がないことにされ、人間はみな自立して、対等の関係を結んでいるという嘘が社会をおおっています。

この嘘を嘘と認識していればまだいいのですが、嘘に自分がだまされると危険です。
人を支配するためにつくったAIに自分が支配されるという悲喜劇が起こりかねないからです。

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