村田基の逆転日記

進化倫理学の威力を試すブログ

2019年10月

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このところ閣僚、与党幹部の失言が相次いでいます。

小泉進次郎環境相、気候変動問題について「セクシーに取り組むべき」
二階俊博自民党幹事長、台風19号の被害について「まずまずで収まった」
萩生田光一文科相、来年度からの英語の民間試験について「身の丈に合わせてがんばって」
河野太郎防衛相、台風被害について「地元で雨男と言われた。防衛相になってからすでに台風が三つ」

小泉環境相の「セクシー」発言は、それほど批判されるものとは思えません。滝川クリステルさんとの結婚や男性最年少入閣などで、やっかみを買ったのでしょうか。
二階幹事長の「まずまずで収まった」と河野防衛相の「雨男」は、単に思慮の足りない発言です。
萩生田文科相の「身の丈」発言は、それらとは異質です。失言ではなく、背後に思想があります。


2020年度から実施される大学入学共通テストで英語の民間試験が使われることについて、異なる試験の成績を公平に比べられるのかとか、受験料が高くつくとか、試験会場が都市部に偏っているとかの不満が高まっています。萩生田文科相は10月24日に生出演した『BSフジLIVE プライムニュース』(BSフジ)において、制度が不公平ではないかという指摘に対して、このように発言しました。

「そういう議論もね、正直あります。ありますけれど、じゃあそれ言ったら、『あいつ予備校通っててずるいよな』って言うのと同じだと思うんですよね。だから、裕福な家庭が(民間試験を)回数受けて、ウォーミングアップできるみたいなことは、もしかしたらあるかもしれないけれど、そこは、自分の、あの、私は身の丈に合わせて、2回を選んで、きちんと勝負してがんばってもらえば」
https://lite-ra.com/2019/10/post-5056.html

「予備校通っててずるい」という発言も問題になりましたが、「身の丈に合わせてがんばって」という部分に批判が集中しました。

「身の丈に合わせてがんばれ」というのは、ありがちな人生訓です。相田みつをも書いていそうです(「身の丈以上をやろうとするのが人間なんだよな」とも書いていそうです)。
ですから、萩生田文科相もその言葉が批判されるとは思わなかったでしょう。
しかし、文部科学大臣が試験制度について言うのはまったく違います。

試験制度というのは、いわば「身の丈」を測る物指しです。受験生はこれから「身の丈」を測るために公平な物指しを要求しているのに、「身の丈を知れ」と言われたのですから、反発するのは当然です。

いや、ここにひとつの行き違いがあります。
「身の丈に合わせてがんばって」という言葉の「身の丈」は、普通は受験生の能力のことを言っていると解釈するでしょう。
しかし、萩生田文科相は家庭環境のことを言っているのです。受験料や交通費、宿泊費が負担であるような貧困家庭の子は、その経済能力に合わせて受験しろという意味です。


安倍政権は格差社会を拡大する政策を進めてきました。大学入学共通テストで民間試験が利用されることもその一環です。つまり格差容認の制度です。
萩生田文科相は安倍首相の忠実なしもべです。

格差社会は、安倍政権でなくても存在します。
人間に能力の差がある以上、格差社会は当然だという考え方もあります。しかし、そういう考え方の人でも、能力は公平に測られるべきだと思うでしょう。
ところが、新しい制度は富裕層が有利になって、能力が正しく判定されません。

萩生田文科相は、「身の丈」発言を撤回して謝罪しましたが、そのときにこのように弁明しています。

「どのような環境下にいる受験生においても、自分の力を最大限発揮できるよう自分の都合に合わせて、適切な機会を捉えて2回の試験を全力で頑張ってもらいたいとの思いで発言をしたものです」

「身の丈に合わせて」を「自分の都合に合わせて」と言い換えているだけです。
「自分の都合に合わせて」というのは受験生個人の都合ではなくて、その家庭の都合のことですから、「身の丈」発言と同じ意味です。

萩生田文科相は、格差社会肯定の思想の持主ですから、受験生が経済格差によって有利不利になるのも当たり前のことと感じているのでしょう。ですから、制度を公平にするべきだという考えもないのです。
こうした考えの人間は文科相に不適格です。

なお、この制度は教育基本法違反だという説もあります。
(教育の機会均等)
第4条 すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。

最初にも書いたように、若者は自分の「身の丈」がまだわからないものです。だからこそ夢と希望を持って、いろいろなことにチャレンジできます。
萩生田文科相の「身の丈に合わせて」という発言は、どんな意味にせよ、若者の可能性を否定するものです。

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「ほんとうに想像を絶するだらしなさ、ルーズさによって、1日延び、1週間、1カ月延びてっていう状態で、3年たってしまったということです」

お笑い芸人徳井義実氏が脱税問題で記者会見したときの弁明の言葉です。
これを聞いて、「理解できない。悪質だ」と怒る人がいます。
しかし、私の感想は「人間にはそういう心理があるなあ」というものでした。


最初の報道によると、徳井氏は節税のために2012年に個人会社を設立しましたが、2015年までの4年間に個人的な旅行や洋服代、アクセサリー代などを会社の経費として計上していたのを東京国税局は経費として認めず、約2000万円の所得隠しを指摘しました。2016年から2018年までの3年間はまったく申告しておらず、東京国税局は約1億円の申告漏れを指摘し、重加算税等を含めた追徴税額はあわせて約3400万円にのぼると見られるということでした。

その後、10月26日付朝日新聞の『チュートリアル徳井さん、活動自粛 「見つめ直したい」』という記事でわかったことを付け加えます。
(徳井さんは)税務署に促されて申告した後も税金を納めなかった。このため、16年5月ごろに銀行預金が差し押さえられた。社会保険も未加入だった。

徳井さん自身の所得税も無申告で、12~14年分と15~17年分を税務署から指摘をされた後に申告した。

 吉本や関係者によると、加算税などを含めた追徴税額は法人税が約3700万円、消費税が約2100万円、同社が徳井さんに役員報酬を支払う際に徴収(天引き)していなかった源泉所得税が約4400万円で、計1億円超にのぼった。
https://www.asahi.com/articles/ASMBV3H8LMBVUZVL004.html?iref=pc_ss_date

脱税というのは、一般に税金をごまかして得をしようとすることですが、徳井さんの場合は単に申告しないだけで、ごまかして得をしようという意図は認められません。

「申告した後も税金を納めなかった」というのが不思議です。
申告というのはめんどうな作業ですが、申告したあとは銀行から振り込むだけです。
想像するに、通帳と印鑑、振込金額と振込先を書いたメモを持って銀行の窓口に行くのがめんどうなので、先延ばしし続けたのでしょう。
申告を手伝った税理士も、銀行振り込みまで手伝うという頭がなかったものと思われます。

同様のことは電気代、ガス代の支払いでもあったと、芸人仲間の陣内智則氏が語っています。
徳井はお金があった時でも「ガス、電気止められていた」 陣内が明かす
(前略)
徳井とは「大阪時代から仲いい」という陣内は「本当に(納税は)国民の義務なんで、全然許せないし、情けないです」と話した上で、「大阪時代から、チュートリアル売れてたんで、お金はあったんです。(お金が)ある時期でも、(料金払わずに)ガス止められたり、電気止められたりとか。そこまでのルーズな所があった、って聞いたんで…」と公共料金を支払わず、ガスや電気を止められたことがあった、と聞いたことを明かした。

 当然、「なんでお前払えへんの?」と、仲間たちも信じられないほどだったといい、陣内は「(徳井の)イメージはハンサムな感じですけど、お金に関しては、こんなにブサイクなヤツやったんや、と(思った)」と話していた。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191027-00000118-dal-ent
電気代、ガス代の請求書と現金を持って銀行などの窓口に行くことがめんどうだったのでしょう(自動振込にする手続きももちろんめんどうです)。
ほかにレンタルビデオの返却をしなかったために10万円の延滞金を払ったことがあるという情報もあります。

わずかの手間を惜しんだために電気やガスを止められ、多額の延滞金を払うのですから、完全に割りが合いません。
こういうことをする人は発達障害である疑いが濃厚です。
ネットを見ると、徳井義実氏と発達障害を結びつける意見がいっぱいあります。
発達障害の人を、その障害のゆえに非難するのは間違っています。


もっとも、徳井氏が発達障害かどうかは、今の時点ではわかりません。
しかし、徳井氏に税金をごまかそうという意図がなかったのは明らかです。
いや、旅行や洋服代を経費に計上して国税に所得隠しと指摘されたことには、ごまかそうという意図があったかもしれませんが、税金申告ではありがちなことであり、単に解釈の違いということもいえます。
結果的に、徳井氏は加算税のために本来納めるよりも多くの額を納めました。
税務署員に負担はかけましたが、それほど非難されることでしょうか。

カントは、行為を道徳的に評価するのは、結果ではなく動機によらなければならないと主張しました。これを「動機説」といいます。
しかし、世の中は「結果説」で動いています。
たとえば運転中に美人を見つけると目をやる男性ドライバーはいっぱいいます。美人に目をやったために重大事故を起こしたドライバーは、わき見運転をしたとして非難され、裁判になれば「当然するべき注意を怠った」と「不注意」や「怠慢」が責められます。しかし、いくら美人に目をやっても、事故にならなければ非難されません。
「あおり運転」は、相手を脅してやろうという「悪意」があることは明らかですが、結果、事故などが起こらなければほぼ罪には問われません。
こういうことは不当だとカントは主張しました。

しかし、動機というのは心の中のことで外からは容易にわかりませんから、世の中が結果説に傾くのはある程度やむをえないことです。

ただ、徳井氏のケースは、動機に悪意や利己心がないのは明白です。
では、どういう動機かというと、まず「めんどうくさい」というのがあります(読み書き計算が苦手などの発達障害の人はこの感情がひじょうに強いわけです)。
それから、「誰にも迷惑はかけない。自分が損するだけだからいいだろう」という意識があります。
普通の人は自分が損することに敏感ですが、こういう人は自分が損することがあまり気にならないのです。利己心が少ないともいえます。
ですから、こういう人は社会の緩衝材になるので、貴重な存在です。


悪意のない人間を非難して活動自粛に追い込むのは間違っています。
徳井氏の場合は、税理士や吉本興業のマネージャーが彼の性格を理解してフォローすればやっていけるはずです。
結婚して奥さんがフォローするようになれば問題はなくなります。

多様性が重視される時代ですから、徳井氏のような人間も生きていける社会でなければなりません。

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10月22日、「即位礼正殿の儀」が行われ、新天皇が即位を宣言されました。

テレビのニュースで見ていたら、安倍首相が万歳三唱をしましたが、その万歳の手の動きがちょっと気になりました。
手の平を前に向けるのではなく、内側に向けたからです。
そうすると、ツイッターなどで「あれが正しい万歳三唱の作法だ」という説が拡散しました。安倍首相は正しい作法にのっとったというわけです。

しかし、これについては「BuzzFeed News」が『正しい万歳は「手のひらを内側に」即位礼正殿の儀で拡散、本当は…?』という詳しい記事を書きました。ある公務員のグループが遊びで「万歳三唱令」という公文書を模した偽文書をつくり、それが1990年代に保守派を中心に広まっていったというのです。
保守派はフェイクニュースを好むというデータがありますが、これも一例です。
安倍首相もフェイクニュースを真に受けたのでしょうか。

ただ、「BuzzFeed News」の記事に東條英機首相の万歳の写真が載っていて、東條首相も手の平を内側にしています。
もしかすると安倍首相は東條首相をまねたのかもしれません。
東条首相の万歳


保守派は頭の中が戦前のままなので困ります。
天皇についてはいまだに「天皇は神聖にして侵すべからず」という考え方です。
といっても、自分が「天皇は神聖だ」と思っているわけではありません。「天皇は神聖だ」という考え方を広めて天皇を利用しようと思っているのです。

自民党の中の保守派議員は即位の日に合わせて次の提言をしました。

「旧宮家の皇籍復帰」「婿・養子」案を想定 自民有志“特例法”提言
自民党保守系の有志議員らは23日、安定的な皇位継承に向けて、男系の伝統を維持するため、旧宮家の皇籍復帰を可能とする特例法の制定が望ましいという提言をまとめた。

自民党・青山繁晴参院議員「男系による皇位継承を、いかなる例外もなく、126代一貫して続けてきたのが日本の伝統である」

提言では、旧宮家の男子が、本人の同意を前提として、「皇籍に復帰する」案と、「皇族の養子や、女性皇族の婿養子に入る」案を想定し、いずれも特例法で可能としている。

「女系天皇」の容認や「女性宮家」の創設は、日本の伝統や皇室の終焉(しゅうえん)につながると指摘している。

提言は、安倍首相に手渡される予定。
https://www.fnn.jp/posts/00426049CX/201910231219_CX_CX

男女平等の世の中では、「男性天皇」も「女性天皇」もあって当然です。
9月末に行われたNHKの世論調査でも『女性が天皇になるのを認めることについて賛否を尋ねたところ、「賛成」と答えた人が74%と、「反対」の12%を大きく上回り、特に18歳から29歳の若い世代で「賛成」が90%に上りました』ということです。

この提言をまとめた保守系議員は、男系による皇位継承が日本の伝統だと言いますが、昔は「男尊女卑」だからそうだったというだけです。
男女平等の世の中になれば、天皇制も男女平等になるのが当然です。

今どき「男尊女卑」を叫んでも誰も相手にしてくれません。
しかし、「神聖」という旗があれば別です。男女平等は俗世界のことで、神聖な天皇の世界は「男尊女卑」であるべきだと主張されると、論理的な反論ができません。


似たことが行われているが大相撲の世界です。
相撲は神事と結びついていたこともあって、「土俵は神聖である」という考え方が今もあって、土俵に女性が上がることは許されません。土俵だけではなく、相撲協会の理事も全員男性で、今でも「男尊女卑」の世界です。
相撲界が暴力、八百長、内紛などの問題をなかなか解決できないのも、「神聖」を盾に改革を阻んでいるからでしょう。

大相撲の世界が「男尊女卑」でも、一般社会にはあまり関係ありません。
しかし、天皇は「日本国の象徴」ですから、皇室が「男尊女卑」であると、一般社会もそれにならうべきだということになりかねません。
それが保守派の狙いです。


明治憲法では天皇は「神聖にして侵すべからず」でしたが、戦後憲法では天皇は「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」となりました。
神聖天皇から象徴天皇へと変化したわけです。

しかし、神聖天皇は戦前までそうだったのでわかりますが、象徴天皇というのはよくわかりません。
象徴天皇の意味をいちばん深く考えてこられたのは上皇陛下です。
天皇の地位は「日本国民の総意に基く」とあります。「総意」とはなにかと考えて、流動的な世論に合わせるのではなく、恵まれない人に寄り添い、平和を願うことが象徴天皇の役割だと結論されたのでしょう。新天皇もそれを受け継いでおられると思います。


神聖天皇対象徴天皇というのが、今の政治の争点のひとつです。
神聖天皇派は、政教分離を無視し、大嘗祭にも国費を出して大々的に行い、天皇の神聖性を高めようとします(これには秋篠宮殿下も苦言を呈しました)。
また、「あいちトリエンナーレ2019」の「表現の不自由展・その後」において、天皇陛下の写真が燃えるシーンのある作品に対して執拗に抗議する人たちがいましたが、これも「天皇陛下の写真を燃やす」ということをタブー化して、天皇の神聖性を高める狙いです。

そして、即位礼に関してもそうしたことがありました。
22日は朝から雨でしたが、即位礼が始まる13時ごろに雨は上がり、晴れ間も見えるようになりました。
するとツイッターに「儀式が始まったとたんに雨がやんで虹がかかった」「天皇のパワーがすごい」「日本は間違いなく神の国」などの声があふれました。
一般の人が言うだけではなく、NHK中継で解説役を務めた京都産業大学准教授・久禮旦雄氏までが、昭和天皇も「晴れ男」だったとして「エンペラーウェザー」と言われた、などと発言し、「エンペラーウエザー」という言葉が検索トレンドランキング入りしました。

「雨男」だの「晴れ女」だのという言葉は日常的に使われ、新海誠監督のアニメ「天気の子」の発想のもとにもなっていますが、まじめに信じる人はまずいません。
しかし、神聖天皇派はこんな機会も利用しようとします。「リテラ」の記事によると、作家の百田尚樹氏はツイッターに「これほど美しい虹が偶然に起こるはずもない。天が新天皇の即位を寿ぎ、日本を祝福しているのだ」と投稿し、TBS系「ゴゴスマ~GOGO!Smile!~」ではコメンテーターの竹田恒泰氏が「上皇陛下も天皇陛下も晴れ男」などと発言したそうです。
天皇に天気を変える力があるのなら、なぜ台風や大雨による災害が起こるのかということになり、ばかばかしいというしかありません。


憲法改正というと、九条のことが真っ先に思い浮かびますが、改憲派がほんとうに変えたいのは、一条の「天皇の地位と主権在民」のほうかもしれません。
もっとも、今では象徴天皇が国民の間にすっかり定着して、その改憲はまったく不可能です。

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「あいちトリエンナーレ2019」の「表現の不自由展・その後」を巡る騒動が終わったところに、日本赤十字社が献血のキャンペーンに巨乳のアニメキャラを使ったのはセクハラだという騒動が起きました(献血キャンペーン騒動についてはこちらを参照)。
このふたつの騒動を見て思ったのは、「表現の自由」の裏には「見ない自由」があるのだなということです。


1993年、筒井康隆氏の短編小説「無人警察」が高校の国語教科書に収録されることになったところ、てんかんの記述が差別的であるとして日本てんかん協会が抗議し、それに対して筒井氏が断筆宣言をするということがありました。筒井氏の作品に関しては、差別問題のほかに政治的、宗教的な点でもつねに批判や抗議にさらされてきましたが、このときに限って断筆宣言に至ったのは、作品が教科書に収録されたからです。
筒井氏の作品が雑誌や本に載っている限り、読みたくない読者はスルーすることができます。つまり「見ない自由」があります。しかし、教科書に載ると、生徒に「見ない自由」はありません。そのため日本てんかん協会も強く抗議したのでしょう。

企業や団体の行うキャンペーンは、より多くの人の目に触れるように行うので、「見ない自由」が侵害されます。そのため日本赤十字社の巨乳キャラを使った献血キャンペーンは批判されました。
ただ、批判されたのはあくまで日本赤十字社のキャンペーンで、巨乳キャラの原作マンガが批判されたわけではありません。

似たようなケースとして、ホラー映画のテレビCMもあります。ホラー映画を嫌う人は多くいますが、そういう人は「見ない自由」を行使するので、問題はありません。ただ、ホラー映画のテレビCMが流されると、否応なしに目に入ってしまい、「見ない自由」が侵害されます。かつてはテレビの視聴者から批判が出たこともありました。そのため最近は、ホラー映画のテレビCMにはあまりショッキングなシーンを使わないように配慮しているようです。

そういうことを考えると、「表現の自由」の裏には「見ない自由」が必要なことがわかります。
「見ない自由」がないと、「表現の自由」が危うくなります。
逆に言えば、「見ない自由」があるときに「表現の自由」を侵害することは許されません。


そうすると、「表現の不自由展」に抗議した人たちはなんだったのかということになります。
展覧会に関しては、誰にでも「見ない自由」があります。
少女像は日本人の誇りを傷つけるとか、昭和天皇の写真を燃やすのはけしからんとかいう人は、「見ない自由」を行使して展覧会に行かなければいいだけの話です。

それなのに彼らは威力業務妨害の電凸攻撃をし、テロ予告の脅迫までして展示中止を要求しました。
これは「表現の自由」の侵害であり、「見る権利」の侵害です。作品を創作した人も作品を見たい人たちも傷つけました。
自分たちの思想に反するものを排除し、表現や言論を統制しようとしているとしか思えません。

そもそもほとんどの人は、作品を鑑賞もせずに、断片的な伝聞だけで、「作品を見て傷ついた」などと騒いでいたのです。

今の日本国民には基本的に「見ない自由」があるということを念頭に置けば、「表現の自由」に関する議論の混乱はなくなるはずです。

日本赤十字社が献血を呼びかけるポスターに巨乳のアニメキャラを使ったために、「セクハラだ」という批判が巻き起こっています。
 問題となっているのは、漫画『宇崎ちゃんは遊びたい!』と日本赤十字社がコラボしたポスタービジュアル。巨乳キャラのヒロイン・宇崎花が「センパイ! まだ献血未経験なんスか? ひょっとして……注射が怖いんスか~?」というセリフで献血を呼び掛けるもの。コラボ期間中、一都六県の献血ルームで献血協力者に特製クリアファイルをプレゼントすると告知しており、漫画家のオカヤド氏もこのクリアファイルを手に入れたことを報告している。

 しかし、これに対し外国人ツイッターユーザーが「赤十字にがっかりした。過度に性的な宇崎ちゃんを使ってキャンペーンをしている」と困惑した様子でツイートすると、弁護士の太田啓子氏がこれを取り上げ、「本当に無神経だと思います」と糾弾。「なんであえてこういうイラストなのか、もう麻痺してるんでしょうけど公共空間で環境型セクハラしてるようなものですよ」とピシャリ。その後、「とりあえず、日本赤十字社のお問い合わせ に意見を送りました、、、」と問い合わせもしたことを明かした。
https://news.nifty.com/article/entame/showbizd/12184-51397/
私はこれを読んだとき、どうせたいしたことでもないのに騒いでいるのだろうと思いましたが、問題のアニメキャラを見ると考えが変わりました。

日本赤十字の巨乳
プレゼントとしてもらえるクリアファイルのデザイン(日本赤十字社側のウェブサイトより)


巨乳といっても、これは極端です。この絵の発想には「女性の体をおもちゃにする」というものがあると思います。

それと、私が気になったのは、このキャラは、大口を開けていることや目つきからして、おバカではないかということです。
調べてみると、ウィキペディアの「宇崎ちゃんは遊びたい!」の項目では、このようにキャラクター紹介がされています。

宇崎 花(うざき はな)
声 - 大空直美
ヒロイン。年齢19歳→20歳(2巻22話)。大学2年生。桜井を「先輩」と呼ぶ。常にテンションが高く桜井とは正反対の性質。ショートカット、巨乳、八重歯、~ッス口調、アホの子というキャラクター性を持つ。ただし他の女友達と過ごす時や独白では標準語で話す。実は回が進むに連れ、胸のサイズが大きくなっている。
身長150センチ、小柄の割にかなりの巨乳でウエストも細いためバストサイズは96センチのJカップ。亜実からは「兵器」と例えられる。胸を強調するシーンが多く、マッサージチェアに座った時は喘ぎ声(のような声)を上げるほど敏感。
やはり「アホの子というキャラクター」でした。

アホの子から献血を呼びかけられて、献血する気になるでしょうか。
どんなCMでも、好感度の高い人物やキャラクターを起用するものです。
献血の呼びかけであれば、尊敬できる人物であることも必要でしょう。
それに、献血の呼びかけは男だけが対象ではありません。
アホの女の子を起用した日本赤十字社の見識が疑われます。


ですから、このキャラを使ったキャンペーンが批判されたのは当然ですが、「肌を露出していないから問題ない」とか「若い男に呼びかけるにはいい」とか「巨乳差別だ」とか「フェミのセクハラ狩りがウザい」といった反論もあります。
とりわけ、「あいちトリエンナーレ2019」の「表現の不自由展・その後」が一時展示中止になるということがあったので、「表現の自由の侵害だ」という声が多数ありました。

しかし、このキャラが登場する「宇崎ちゃんは遊びたい!」というマンガは電子版が公開され、誰でも読めますし、作者は自由に創作活動をしていますから、表現の自由は侵害されていません。
日本赤十字社がそのキャラを使ってキャンペーンをしたことが批判されているのです(表現の自由は個人に属するもので、団体に表現の自由はありません)。
キャンペーンだと誰の目にも触れますし、人を不快にするキャンペーンが批判されるのは当然ですし、公的な団体がそれをやっているとなればなおさらです。

なお、このキャラは、ウザくてかわいい「ウザカワ」系というのだそうです。
主人公の男は人間関係に積極的になれないオタクで、そこに巨乳の女の子がウザいくらいに積極的にからんできます。オタクにはうれしい設定です。
「巨乳でおバカ」というキャラも、男にとって遊び相手やセックスの相手として好都合な設定です。真剣な恋愛相手にはなりません。

もちろんそういう物語を好む男がいて、そうした男のために物語が供給されることは、自由になされるべきです。
昔はエロ劇画ブームというのがあって、三流エロ劇画雑誌には過激なレイプシーンなどがいっぱい載っていました。


日本赤十字社は「今回のキャンペーンはあくまでも献血にご協力いただける方へのノベルティとし実施したもので、セクシャルハラスメントという認識は持っておりません」と回答しており、今のところキャンペーンを中止するつもりはないようです。
しかし、かつての三流エロ劇画誌と同じような狭い世界に存在しているものを、キャンペーンで広い世界に引き出したのは間違いです。
身勝手な男の願望に合わせてつくられた「巨乳でおバカ」キャラは、目にした女性を不快にさせます。

そのことが理解できない男性は、「巨根でおバカ」キャラを考えればいいのです。
ズボンの上からもそれとわかるすごい巨根の持ち主で、おバカな表情をした若い男が、巨根を誇示しながら女性に献血の呼びかけをしている図を脳裏に思い描いたらわかるはずです。

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「あいちトリエンナーレ2019」が10月14日に閉幕しました。入場者数は65万人以上で、あいちトリエンナーレ史上最高だったということです。
一時は「表現の不自由展・その後」が展示中止になり、どうなることかと思われましたが、津田大介芸術監督は、「一度マイナスになったが、プラスマイナスゼロをめざし、プラスで終われた」と語りました。

私が今回のことで思ったのは、ノイジーマイノリティに世の中を動かされることの危険性です。
昭和初期、日本が軍国主義に走ったのは、軍部や右翼のテロが頻発し、反戦や反軍部の言論が抑え込まれたからです。
今回は、ネトウヨなどの電凸攻撃が一時的に思想表現を抑え込んでしまいました。
これがかつてのテロのように世論を支配することになるとたいへんです。

しかし、展示中止の間に冷静な議論が行われ、流れが変わったと思います。
少女像を「反日だ」とするのは一方的な決めつけですし、かりにそれが正しいとしても、展示中止を求めるのは「表現の自由」の否定であることは明らかです。
また、「こんなものはアートではない」という声も、アートか否かを決める資格もないのに言っているだけだということがわってきました。

あと、「公金を使っての反日は許されない」という声もありましたが、公金を出す人間が自分の思想で公金を左右してはいけません。それは「公金の私物化」です。

その「公金の私物化」をしたのが宮田亮平文化庁長官です。宮田長官が「あいちトリエンナーレ」への補助金不交付を決めました。
不交付の理由は、「補助金を申請した愛知県が、展示会場の安全や事業の円滑な運営を脅かすような重大な事実を認識していたにもかかわらず、それらの事実を申告することがなかった」「審査段階においても、文化庁から問い合わせを受けるまでそれらの事実を申告しなかった」ことです。
ほんとうは思想的な理由で不交付にしたのに、手続き上の理由にするという姑息な手を使いました。

宮田長官は官僚出身ではなく、もともと金属工芸の芸術家で、東京芸術大学学長も務めていました。
安倍首相や荻生田文科相の意を汲んでの決定かと思われますが、どんな理由にせよ決定した責任は重大です。
「あいちトリエンナーレ」の津田芸術監督は、ずいぶんひどい個人攻撃をされました。
宮田長官がほとんど批判されていないのは、いわゆるリベラルの甘いところです。


そして、「表現の不自由展・その後」展示に反対する理由として最後に残ったのが、「天皇の写真を燃やすのはけしからん」というものでした。
その急先鋒が竹田恒泰氏です。

「表現の不自由展」は税金を使った“日本ヘイト” 「昭和天皇の写真が焼かれる動画に国民は傷付いた」竹田恒泰氏が緊急寄稿
 愛知県で開催中の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」でいったん中止になった企画展「表現の不自由展・その後」が、6日にも再公開される。最大の焦点は、昭和天皇の写真をバーナーで焼き、灰を足で踏みつけるような映像作品などに、税金を投入して公の場で公開することだ。明治天皇の玄孫(やしゃご)で、作家の竹田恒泰(つねやす)氏が、緊急寄稿した。
 「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由展・その後」が再開されることになった。
 日本はいつから「ヘイト」を芸術と称して、許容する国になってしまったのか。「狂気の沙汰」という他ない。
 同展をめぐっては、慰安婦像(=慰安婦とされる少女像)に関する批判が目立ったが、私は昭和天皇のご真影(=お写真)が焼かれて、踏み付けられる動画の展示を問題視している。
 まず、昭和天皇のご長男の上皇陛下や、孫の天皇陛下をはじめ皇族方は、どのようなお気持ちで、この動画をごらんになったであろうか、察するに余りある。
 皇族に限らず、誰でも自分の大切な家族の写真が焼かれて踏まれる動画を見たら、深く傷付くに違いない。多くの国民がこの動画で深く傷付いた。
 まして、昭和天皇は、日本国憲法で「日本国」「日本国民統合」の象徴と規定される天皇であらせられた。天皇への侮辱は国家への侮辱であり、国旗を焼くパフォーマンスと同じ要素を持つ。
 従って、この動画は「日本ヘイト」以外の何物でもない。
 あまつさえ、この動画は民間施設ではなく、公共の施設で展示されたのである。税金の使い方として「不適切」だと指摘されて、当然である。
 企画展は「表現の自由」(憲法第21条)について一石を投じる意図があったようだが、ならばなぜ、「反日」の偏った思想から作られた表現ばかりを展示したのか。
 行き過ぎた保守思想の表現も併せて展示すれば、問題提起にもなり得た。
 「表現の不自由」とは単なる看板に過ぎず、実体はただの「反日展」に成り下がっている。これでは、「表現の自由」を振りかざし、税金を使って「日本ヘイト」をしたに等しい。
 また、愛知県の大村秀章知事が「表現の自由は何よりも保障されるべきだ」と発言したことも問題だ。
 では、大村知事に聞きたい。「ヘイト」も保障されるべきなのか?
 憲法が明記するように、「自由」とて「公共の福祉」に反せば制限を受ける(憲法第12条)。知事はそれもご存じではないのか?
 トリエンナーレの芸術監督の津田大介氏は関係者に謝罪したが、この動画で傷付いた人に対する謝罪の言葉は、私には聞こえてこない。
 津田氏は被害者のような振る舞いをしているが、加害者であることも指摘しておきたい。
https://www.zakzak.co.jp/soc/news/191005/dom1910050004-n2.html

「昭和天皇のご長男の上皇陛下や、孫の天皇陛下をはじめ皇族方は、どのようなお気持ちで、この動画をごらんになったであろうか」と書いていますが、たぶんごらんになっていないはずです。
展覧会というのは、見にいきたい人だけが行くものだからです。
「誰でも自分の大切な家族の写真が焼かれて踏まれる動画を見たら、深く傷付くに違いない」と言いますが、傷付きそうな人は見にいかなければいいだけの話です。

かりに上皇陛下や天皇陛下がごらんになったとしても、どんな感想を持たれるかは誰にもわかりません。
ところが、竹田氏は「深く傷付くに違いない」と一方的に決めつけています。これはたいへん失礼な行為です。
そして、その決めつけた「上皇陛下や天皇陛下のお気持ち」を自分の政治的主張に利用しています。

私の個人的な考えを言えば、上皇陛下や天皇陛下が展覧会の中止を望まれるようなことはなく、むしろ竹田氏が「上皇陛下や天皇陛下のお気持ち」を利用して展覧会中止を主張していることを不愉快に思っておられるに違いありません。

竹田氏は自分を天皇陛下の親戚だと言いますが、あくまで一般人であり、皇族ではありません。
一般人が自分の政治的主張のために皇族の名前を勝手に利用することが許されるでしょうか。


それから、竹田氏は「ヘイト」や「日本ヘイト」という言葉を使っていますが、これは単に「憎悪」という意味なのか、「ヘイトスピーチ」の「ヘイト」の意味なのか、まぎらわしくなっています。

ウィキペディアは「ヘイトスピーチ」をこう定義しています。

ヘイトスピーチ(英: hate speech、憎悪表現)は、人種、出身国、民族、宗教、性的指向、性別、容姿、健康(障害)といった、自分から主体的に変えることが困難な事柄に基づいて、属する個人または集団に対して攻撃、脅迫、侮辱する発言や言動のことである。

自分の憎悪を表現するだけでは「ヘイトスピーチ」になりません。
相手の「自分から主体的に変えることが困難な事柄」を理由に攻撃することが「ヘイトスピーチ」です。
自分の側の「憎悪」ではなく、相手の側の「属性」によってヘイトスピーチか否かが決定されます。
たとえば「あいつは嘘つきだ」と言って罵詈雑言を浴びせ、盛大に憎悪を表現しても、それは「ヘイトスピーチ」にはなりません。しかし、「韓国人は嘘つきだ」と言って攻撃すれば、それは「ヘイトスピーチ」です。

竹田氏はYouTubeの自分のチャンネルがヘイトスピーチを理由に閉鎖されたことがあるので、ヘイトスピーチの定義には詳しいはずです。
「ヘイト」や「日本ヘイト」という言葉を使って、「ヘイトスピーチ」とまぎらわしくさせるのは、言論人のすることではありません。


自分の政治的主張に天皇制を利用するのは、戦前の右翼や軍部がやってきたことです。
竹田氏のこの記事は、もとは産経新聞のサイトに載り、さらにヤフーニュースにも載ったものです。
こういう記事を配信するほうの見識も問われます。

10月22日は新天皇の「即位礼正殿の儀の行われる日」で、改めて天皇制が注目されるでしょうが、竹田氏のように天皇制を政治的に利用する動きがあれば、徹底糾弾しなければなりません。

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10月12日から13日にかけて台風19号が首都圏から東北を直撃しました。
これは大型のひじょうに強い台風で、「今までに経験したことのないような大雨」への警戒が呼びかけられました。
今年の夏はひじょうに暑かったですし、大雨などの災害も多く、やはり地球温暖化からくる気候変動が起こっているようです。


16歳の環境運動家、グレタ・トゥーンベリさんが国連で演説をし、二酸化炭素排出規制に取り組まない世界を激烈に批判し、話題となりました。

これに対して武田邦彦教授は例によって、「炭素排出による地球温暖化説は非科学的」と主張しました。武田教授によると、今の世界は氷河期であり寒冷化しているのだそうです。

トランプ大統領も地球は温暖化していないという考えのようです。今年1月にアメリカが寒波に襲われたとき、「温暖化はどうなったんだ?」「お願いだから早く戻ってくれ、君が必要だ!」などとツイートしました。

5年ぐらい前なら武田教授の説にもある程度信ぴょう性があったかもしれませんが、今では温暖化否定説を信じる人はまずいないでしょう。
予想されたよりは進行がゆるやかかもしれませんが、温暖化は確実に進んで、最近の異常気象もそのせいかと思えます。


プーチン大統領は、トゥーンベリさんに対して、別の観点から批判しました。

トゥンベリさんの国連演説、興奮を共有していない=露大統領
[モスクワ 2日 ロイター] - ロシアのプーチン大統領は2日、環境活動家のスウェーデン人高校生グレタ・トゥンベリさん(16)が行った国連演説について、興奮を共有していないとの感想を述べた。

大統領は、当地で行われたエネルギー関連フォーラムで、「(みなさんを)失望させてしまうかもしれないが、私はグレタ・トゥンベリさんの演説を巡る共通の興奮を共有していない。彼女に対して誰も、近代世界は複雑かつ多彩で、アフリカや一部アジア諸国の人々はスウェーデン同様の豊かな生活水準を望んでいるということを説明してあげていない」と述べた。

トランプ米大統領はトゥンベリさんを嘲笑、カナダのマキシム・ベルニエ議員は、トゥンベリさんは人騒がせで精神的に不安定だと発言した。
https://jp.reuters.com/article/russia-putin-thunberg-idJPL3N26O15B
プーチン大統領は「途上国に太陽光発電を強要するとコストの問題はどうなるのか」とも発言しています。
つまり南北問題から地球温暖化をとらえているのです。

先進国はこれまでさんざん炭素を排出して経済成長し、途上国が同じことをしようとすると、先進国がそれを止めようとする――そういう構図になっています。
自分たちはクジラをさんざん捕ってきて、あとから日本が同じことをしようとすると、クジラが絶滅するから捕るなと主張する反捕鯨国の論理と同じです。
トゥーンベリさんもそうですが、環境問題に熱心なのはだいたい先進国の人間です。

プーチン大統領は「炭素排出による地球温暖化説」は否定していません。それが武田教授やトランプ大統領と違うところです。


プーチン大統領ははっきりとは言いませんが、地球温暖化を歓迎しているに違いありません。
ロシアの国土はほとんどが寒冷地ですから、地球温暖化が進めば人間にとって住みやすくなりますし、農業生産もふえるからです。

当たり前のことですが、地球温暖化にはプラスとマイナスの両面があります。
ところが、世界のメディアは温暖化のマイナス面しか取り上げません。それも非科学的で情緒的な取り上げ方です。

その典型が、温暖化が進んでシロクマの生存がおびやかされている、シロクマがかわいそうだ――というものです。
しかし、シロクマはアザラシを主な食糧としているので、シロクマの数がへると、アザラシが喜ぶ理屈です。また、シロクマの数がへるとそのテリトリーに南から入ってくるなにかの動物がいるはずで、その動物にとってはうれしいことです。
シロクマの数がへってアザラシの数がふえようが、シロクマの数がふえてアザラシの数がへろうが、地球環境にとってはどちらでもいいことです。

温暖化でマラリア蚊の棲息範囲が広がったと言われますが、これは要するに人間にとって不利益だということです。
しかし、温暖化によって、たとえばインフルエンザの脅威はへっているはずなので、それは人間にとって利益です。
サンマが不漁なのは温暖化のせいだという説があります。そうかもしれませんが、寒流に棲息する魚がへれば、暖流に棲息する魚がふえます。
氷河が後退していると言われますが、人間にとってたいした不利益はありません。

地球温暖化は人間にとってプラスとマイナスの両面があると言いましたが、人類の祖先は中央アフリカで誕生したので、どちらかというとプラスのほうが多いはずです。
北海道や東北の人間は温暖化を喜んでいるに違いありません。マスコミはそういう声は取り上げませんが。
温暖化で海水面が上昇すると言われましたが、今のところそれほどでもありません。
温暖化が加速度的に進んで環境が激変すると困りますが、二酸化炭素ガス濃度がふえると植物がそれを吸収するという復元力が働くので、そうはならないでしょう。
かつて何度も氷河期があったように、地球の気温は大きく変動してきましたから、現在の変動もその範疇です。

ただ、温暖化の進行によって異常気象が起こりやすくなり、それが現在の問題であるという状況です。


あと、人間の経済活動という「人為」によって地球環境を変えるのはどうかという倫理上の問題もあります。
しかし、牛のゲップに含まれるメタンガスの温暖化促進効果はかなりのものだと言われます。
「人為」も「牛為」も同じだと思えば、どうということはありません。


動植物を「外来種」と「在来種」に分けて、「外来種」を排除することも行われています。
人間の頭の中に「理想の環境」というものがあって、外来種はそれを乱すと見なされているのでしょう。
よく手入れされた日本庭園にセイタカアワダチソウが生えてきたのを引っこ抜く感覚です。

地球温暖化問題もそれに似ています。人間の頭の中に「理想の環境」があって、温暖化はそれを乱すというわけです。しかし、それは人間の勝手な考えで、地球環境にとってはどうでもいいことです。

そうすると、環境運動家はなぜあんなに熱心かということになります。
武田教授は環境利権があるのだという説ですが、私は宗教的信念からではないかと思います。

旧約聖書にはこうあります。

27 神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。 
28 神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。 
https://ja.wikisource.org/wiki/創世記(口語訳)#第1章

神は人間に「地を従わせよ」「すべての生き物とを治めよ」と命令したので、人間は神の代理人として地球を支配しています。
地球の気候をコントロールすることは、いかにも神の代理人にふさわしい行為です。

トゥーンベリさんの国連でのスピーチの第一声はこうでした。

私から皆さんへのメッセージ、それは「私たちはあなたたちを見ている」、ということです。

これは、若者の目がおとなたちを見ているという意味ですが、神が人間を見ていることのアナロジーになっています。
欧米の環境運動家の情熱は、半ば宗教的信念からきているのではないでしょうか。

日本人には地球環境を支配しなければという意識はありません。人間は自然に従って生きていくものと思っています。


気候変動による異常気象は問題ですが、地球温暖化は恐れるべきものではなく、いくらか歓迎してもいいぐらいです。

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なにかとお騒がせの百田尚樹氏が、またもやらかしました。
正確には、やらかしたのは新潮社ですが、百田氏でなければ新潮社もこんなことはしないので、同じことです。

「リテラ」の記事から引用します。

始まりは10月4日夕方、新潮社のPR用ツイッターアカウントがこんな投稿をしたことだった。

〈百田尚樹の最新小説『夏の騎士』を
ほめちぎる読書感想文を募集!
このアカウントをフォローの上
#夏の騎士ヨイショ感想文 をつけて
感想をツイートして下さい。
※ネタバレは禁止
百田先生を気持ちよくさせた
20名の方に、ネットで使える
1万円分の図書カードを贈呈!
期間:10月25日23:59まで〉

 同時に、金色に塗られたドヤ顔の百田氏が上半身裸で図書カードと『夏の騎士』を持つキャンペーン画像もアップ。そこにも、「読書がすんだらヨイショせよ」「ヨイショ感想文求む」「百田尚樹の最新小説『夏の騎士』をほめちぎる読書感想文をツイートすると、図書カードが当たるビッグチャンス!」といった文言が並んでいた。

 ようするに、百田尚樹の小説をほめた人に賞品をあげるという、ツイッターを利用したプロモーション企画だ。
https://lite-ra.com/2019/10/post-5012.html
百田尚樹



新潮社はヨイショ感想文の見本も示していました。
例 1/4:王道は純粋なヨイショ
「国語の教科書にのせるべきだ」
読了後、最初に心に浮かんだ気持ちだ。
この作品は人生に必要なすべてを
おしみなく読者に与えてくれる。
知らぬ間に涙が頬をつたっていた。
「そうか。この本と出会うために、
僕は生まれてきたんだ。」〉

これが炎上して、すぐにキャンペーンは中止となりました。
嘘の読書感想文を書かせるということに、多くの人は抵抗感があるのでしょう。
それに、嘘の感想文を販売促進に利用するのではないかという疑念もあります。一応「ヨイショ感想文」とうたっても、勘違いする人も出てきます。

新潮社としては、最初から「ヨイショ感想文」といっているので、シャレの利いた企画としておもしろがってもらえると思ったのでしょう。
大喜利感覚で、ヨイショのうまさを競うというのはありそうです。
しかし、このケースでは、「夏の騎士」という本があって、リアルの世界とつながっているので、大喜利とは根本的に違います。
一般の人に嘘を書かせるのはモラルハザードにつながります。



私が気になったのは、百田氏はこの企画をどう思っていたのかということです。
もちろん百田氏はキャンペーンのすべてを理解して、金ピカ写真にも協力していました。

「お世辞とわかっていても、ほめられるとうれしい」とよく言います。
しかし、その言葉は、ほめられて喜んでいるときに、照れ隠しの意味で言うことが多いのではないでしょうか。
普通は「お世辞」といっても、そこにいくらかの真実はあります。
まるっきりのお世辞、見え透いたお世辞だと、ぜんぜんうれしくありませんし、むしろ不愉快になるものです。

この企画が実現していれば、百田氏のもとにはたくさんのヨイショ感想文か、選ばれた20のヨイショ感想文が届いたでしょう。それらはすべて1万円の図書カード目当てに書かれたものです。
普通はそんなものを読んでもうれしくありません。真実が書かれていると思うからこそ、ほめられてうれしいのです。
逆にこういう企画があると、真実のほめる感想文があっても、まぎれてわからなくなってしまいます。

しかし、百田氏はうれしいのでしょう。
少なくとも新潮社はそう判断してこの企画を始めたわけです。

嘘とわかっていてもヨイショされるとうれしいということは、嘘と真実の区分けに鈍感だということでもあります。
そう考えると、百田氏の書いたものもわかってきます。

百田氏は2014年に、やしきたかじん氏のことを描いた「殉愛」を出版しました。これは「純愛ノンフィクション」をうたっていましたが、内容に多数の虚偽があるために「ノンフィクションといえるのか」という声が上がり、たかじん氏の長女とたかじん氏の元マネージャーから訴訟を起こされ、どちらも百田氏に損害賠償金の支払いを命じる判決が下っています。
これなど百田氏がフィクションとノンフィクションの区別に鈍感である証拠でしょう。

百田氏が昨年出版した「日本国紀」は、「日本通史の決定版」「壮大なる叙事詩」とうたわれましたが、参考文献が十分に示されていないとか、ウィキペディアからのコピペがあるとかの批判があり、「歴史書といえるのか」と言われました。
この本は日本をヨイショしたもので、百田氏としては日本をヨイショするのだから嘘でもいいという感覚なのでしょう。


こうした体質は百田氏だけのものではありません。
それは「日本国紀」がベストセラーになったことを見てもわかります。
嘘でもヨイショされるとうれしいという人がかなりいるのです。

今年1月、「米国のフェイスブックユーザーについて、フェイクニュースをシェアする傾向が高いのは若年層よりも65歳以上、リベラル派よりも保守派のユーザーだとする米大の調査論文が米科学誌サイエンス・アドバンシズに掲載された」というニュースがありました。

「65歳以上と保守派はフェイクニュースをシェアしがち、米大研究」

保守派がフェイクニュースを好むということは、歴史修正主義がもっぱら保守派によって担われてきたことを見てもわかります。
嘘でも自国がヨイショされるとうれしい――ということでしょう。

こういう人は噓を好む――というと言いすぎです。
噓か真実かよりも、自分が気持ちいいか悪いかを優先し、結果的に噓を選んでしまうわけです。

新潮社と百田氏が巻き起こした今回の炎上騒動から学ぶべき教訓は、世の中には嘘でもいいから気持ちよくなりたいという人がいて、そういう人は世の中に嘘を広げるということです。

S. Hermann & F. RichterによるPixabayからの画像
S. Hermann & F. RichterによるPixabayからの画像


バンクシーの「退化した議会」という絵画が13億円で落札されたというニュースがありました。
イギリス議会とおぼしいところに人間の議員ではなくチンパンジーがずらりといるという絵画です。
政治風刺の意図がわかりやすすぎてどうかという気もしますが、チンパンジーの姿がリアルでおもしろいので、高額で落札されたのは納得です。

その絵をこのブログに張るわけにはいかないので、代わりにバンクシーのストリートアートの写真を張っておきました。
「退化した議会」を見たい人は次で見てください。

バンクシー 退化した議会の画像

この絵を見て、不愉快に思う人もいるでしょう。バンクシーは政治や社会を批判する意図で芸術活動をしているので、当然です。
しかし、「バンクシーの絵は不愉快だから公開するな」と主張する人がいても、そんな人を相手にする必要がないのも当然です。


ピカソというと、「あんな絵のどこがいいかわからない」という人がいます。
今はピカソの評価が定着したので、そういう人は少なくなりましたが、昔はいっぱいいました。
抽象画についても、「わからない」という人がいっぱいいます。

「わからない」という人をわからせようと説得するのは無意味です。
芸術は、理屈で理解するものではないからです。

「ピカソの絵はわけがわからんから、ピカソの展覧会なんかやめろ」と主張する人はまずいないでしょうが、「バンクシーの『退化した議会』は英国議会への冒涜だから、公開するな」と主張する人は、もしかしているかもしれません。
そんな人を説得しようとするのもむだというものです。


展示中止になっていた「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が10月8日にも再開されそうですが、それについて「コールセンター」がつくられるそうです。

【あいちトリエンナーレ】アーティストの「コールセンター」が誕生。電凸抗議を作家が直接聞く。

コールセンターをつくる高山明氏は、演劇とパフォーマンスのアーチストなので、コールセンター自体がアーチストとしての活動になるのかもしれませんが、基本的にこういうことで話し合っても無意味ではないかと思います。

「表現の不自由展」に文句をつけてきた人は、芸術に意見が言いたいということではなく、単に政治的主張をぶつけてきただけでしょう。
これに対応すると政治論議になってしまいます。
また、芸術作品として、「作者の意図はこうです」などと説明しても説得できないでしょうし、鑑賞の自由を制限して、芸術のあり方に反します。


そんなむだなことをしなくてもいいように、「表現の自由」があります。「表現の自由」を盾にすれば、議論する必要はありません。

そもそも「表現の不自由展」開催に反対する人の論理はあまりにもお粗末です。

たとえば、ヤフーニュースにも載った『「表現の不自由展」は税金を使った“日本ヘイト” 「昭和天皇の写真が焼かれる動画に国民は傷付いた」竹田恒泰氏が緊急寄稿』という記事で、竹田氏は「国民は傷ついた」と言いますが、国民の心はひとつではありませんし、見て傷つくような人は展覧会に行きません。
竹田氏は「昭和天皇の写真が焼かれる動画は『日本ヘイト』だ」とも言っていますが、勝手な決めつけです。それに、「ヘイト」という言葉を「ヘイトスピーチ」と混同させる形で使うのも不適切です。

「あいちトリエンナーレ2019」に国の補助金が出ていることから、「公金をもらう以上制限を受けるのは当然だ」という意見もありますが、公金というのは恩恵として下されるものではありません。文化芸術基本法と文化芸術推進基本計画には、「文化芸術の多様な価値」を発展させ、「文化芸術立国」を目指すことがうたわれていて、それを実現するための補助金です。自由な環境がないと文化芸術は発展しません。

「表現の不自由展」開催に反対する人は、政治を芸術の上に置いている人です。
政治が芸術を支配すると、社会主義リアリズムやプロレタリア文学やナチスの退廃芸術批判や日本の戦意高揚芸術のように、ろくなことになりません。

政治を芸術の上に置いている人も、広い意味で「芸術のわからない人」です。

私もすべての芸術がわかるわけではありませんが、自分のわからないものを否定したり公開するなと主張したりはしません。

バンクシーの「退化した議会」を見て「これは英国議会への冒涜だ」という人や、ピカソの「泣く女」を見て「こんなものは芸術ではない」という人や、「『表現の不自由展』は日本ヘイトだ」という人の声が世の中を支配するようになると、芸術の進歩もなくなるので、そんな声は無視するしかありません。

スクリーンショット (6)
トランプ大統領をにらみつけるグレタ・トゥーンベリさん


「ヒステリー」という言葉を久しぶりに目にしました。

ヒステリーは神経症の一種ですが、ギリシャ語で「子宮」を意味する言葉が語源で、女性特有の神経症とされてきました。女性がちょっと興奮すると「ヒスを起こした」と揶揄され、性差別と結びついた言葉です。
ですから、すっかり死語になっていたのですが、突然死語が復活したのは、国連の気候行動サミットでスピーチした16歳の環境活動家グレタ・トゥーンべリさんを人格攻撃するためです。
「環境ヒステリー」という言葉までつくられました。

トゥーンべリさんは自分がアスペルガー症候群であることを公表していますが、テレビでキャスターや政治評論家までが「精神異常」や「精神障害」という言葉でトゥーンベリさんを攻撃して、問題になりました。
発達障害の人を発達障害を理由に攻撃するというのは、通常はありえないことです。

「父親の操り人形だ」とか「環境活動家に利用されている」という批判もありましたが、これもトゥーンベリさんの人格を認めていないわけで、一種の人格攻撃です。


トゥーンベリさんが訴えたのは、地球温暖化対策が不十分だということですから、反論するならそのことについて反論するべきです。
人格攻撃になってしまったのは、温暖化対策に反対する人たちがまともな論理を持っていないからでしょう。

それに加えて、トゥーンベリさんが16歳の子どもだということもあります。
「子どもはおとなに従うべき」という価値観を持っていると、自分の意志で行動している子どもが許せません。
今回、トゥーンベリさんが激しい人格攻撃を受けたのは、そういうおとなが多かったからでしょう。

トゥーンベリさんに怒りを向けるおとなを揶揄する動画を、オーストラリアABCテレビがつくって話題になっています。

グレタ・トゥーンベリさんにお怒りの皆様に“コールセンター“が誕生。オトナの「赤ちゃん返り」を描き話題に

トゥーンベリさんに怒りを向けるおとなを「赤ちゃん返り」と見なしているわけです。
これは実際にありうることです。子ども時代に自分の意志を踏みにじられたことがトラウマになっているおとなは、トゥーンベリさんのように自分の意志で行動する子どもを見ると、子ども時代の怒りがよみがえってくるのです。
この心理は、子どもを虐待する親の心理とも共通します。

トゥーンベリさんは「親の操り人形」と攻撃されましたが、親の操り人形ということで言えば、現在、学校に行ったり習いごとをしたりしている子どもはすべて親の操り人形です。
親の操り人形はまったく問題にされなくて、自分の意志で行動する子どもは問題にされるのは、今の世の中の価値観が根本的に間違っているからです。

トゥーンベリさんを巡る今回の騒動でわかったのは、地球温暖化も問題ですが、自分の意志で行動する子どもを攻撃する世の中も大いに問題だということです。

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