村田基の逆転日記

親子関係から国際関係までを把握する統一理論がここに

2019年12月

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東京地検特捜部は12月25日、統合型リゾート(IR)担当の副大臣などを努めた秋元司衆議院議員を収賄の疑いで逮捕しましたが、なぜこんなところに特捜は突っ込んでいったのか、ひじょうに不可解です。

これまで検察は、モリカケ問題のような安倍政権の中枢の問題に手を出さないのはもちろん、自民党の国会議員に手を出すこともありませんでした。
たとえば、小渕優子議員は公選法違反の嫌疑がかけられ、パソコンのハードディスクをドリルで破壊するなどで話題になりましたが、結局不起訴で、秘書が在宅起訴されただけでしたし、甘利明議員は建設会社の依頼で都市再生機構(UR)へ移転補償金の値上げを「口利き」したとの嫌疑がかけられ、URは家宅捜索され、贈賄側の証言もあったのに、結局不起訴となりました。
森友学園問題では、政権側はすべて不起訴でしたが、籠池夫妻は逮捕、起訴され、長期に拘留されました。
つまり検察は完全に安倍政権の忠犬になり果てたかと思われました。

ところが、突然の自民党議員の逮捕です。
最初は、モリカケ問題をスルーしたことで検察への国民の不満が高まっていたので、そのガス抜きかとも思いました。
しかし、秋元容疑者は政権の中枢とは言えなくても、この逮捕は安倍政権への大きなダメージです。それに、政権が強力に推進してきたIRやカジノへの逆風にもなります。

今のところ秋元容疑者の容疑は、中国企業から現金300万円を受け取ったことと70万円相当の旅行の供与を受けたことで、これは特捜が扱う案件としては金額が小さすぎるのではないかと言われています。
それに、秋元容疑者は逮捕前に、「不正はいっさいない」「資金が私に渡ったんじゃないかということもいっさいありません」と、やけにきっぱりと語っていました。受け取ったのは秘書で、本人は知らなかった可能性もありそうです。
にもかかわらず特捜は、白須賀貴樹衆院議員や勝沼栄明前衆院議員の事務所にも家宅捜索に入って、イケイケドンドンの状態です。
「中国企業の接待を受けた国会議員12人のリストがある」という一部の報道もあって、もしかすると安倍政権の屋台骨を揺るがす事態になるかもしれません。

とすると、忠犬が飼い主の手をかんだわけです。
不可解な豹変です。

そうしたところ、「選択」1月号に載っていた次の記事を読んで、一気に見方が変わりました。

サイパンのカジノに中国の影
トランプ大統領の指示でFBIが操作
米連邦捜査局(FBI)の捜査員が2019年11月に、サイパン島のラルフ・トレス知事のオフィスを家宅捜索し、同知事の身辺を捜査していることが分かった。同島にあるカジノ場経営者から大量の賄賂を受けた容疑だが、そのカジノ経営者は台湾系の華人で、中国共産党中央の幹部ともつながりがあることをFBIは重視したものとみられる。サイパンのカジノは好調で、年間の稼ぎは320億ドルとマカオを上回っているという。
また、この稼ぎの一部が中国大陸に流れているという情報があることから、トランプ政権がFBIに捜査を命じたようだ。カジノを所有する企業の主要株主の台湾人は16年、当時のオバマ大統領に会見し、米民主党とのつながりも強いとされる。このため、トランプ氏は大統領選を前に民主党スキャンダルの一つとしても狙っているとも言われる。

カジノ、中国、賄賂と、日本の事件と構図が似ています。
政権が捜査当局を動かしていることもわかります。
日本でも、トランプ政権の指示で検察特捜部が動いたのかもしれません。
日本の法務当局とアメリカは密接な関係にあり、特定秘密保護法や司法取引制度などは日本の制度をアメリカナイズしたものです。
アメリカがバックにいれば、特捜は恐れることなく安倍政権の中枢にまで手を伸ばすことができます。

日本のIRを巡っては、アメリカの企業も参入しようとしています。アメリカ企業を有利にするためにトランプ政権が検察を動かそうとしたのかもしれません。
ただ、それはスケールの小さい話ですし、検察としてもそんな露骨な売国はできないでしょう。
なにかの大義名分は必要です。

安倍政権はかつては中国包囲網づくりに熱心でしたが、最近は親中国路線に舵を切り、来年春には習近平主席を国賓待遇で日本に招くことになっています。大きな外交路線の転換です。
これを主導しているのは今井尚哉首相補佐官だとされます。
親中路線といっても、あくまで日米安保体制の枠内のことですが、徹底した親米派からしたらおもしろくありません。
徹底した親米勢力と、中国ともうまくやっていきたいという勢力との路線対立が安倍政権内で起きています。
親米派がアメリカの力を借りてこの事件を仕掛けたというのはありそうです。


秋元容疑者に賄賂を渡したとされるのは「500ドットコム」という中国企業です。
チャイナマネーが日本の政界に入り込み、政治を動かそうとしたのです。
建設業者などが政治家に賄賂を贈ったというこれまでの汚職事件とはまったく違い、国家主権が脅かされる事態です。
「中国はけしからん」という声がわき上がっても不思議ではありません。

今のところそうなっていないのは、マスコミがまだ安倍政権批判に踏み切れないからです。
反中国の世論が高まり、安倍政権の親中路線が批判され、習近平主席の国賓としての訪日が中止となり、従来の親米路線に戻るというのが、この事件を仕掛けた勢力の狙いでしょう。

ともかく、背後に米中対立があると考えると、安倍政権に従順だった検察がこの事件に限って強気なことが納得いきます。

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Eric PerlinによるPixabayからの画像 

私がムンクの「叫び」を初めて見たのは、中学校の美術の教科書でした。
教科書にいろいろな絵が載っている中で「叫び」は明らかに異色で、狂気を感じさせる絵に衝撃を受けたのを覚えています。
昔は私のような受け止め方が一般的だったでしょう。
しかし、今は「ムンクの叫び人形」のようなものがつくられ、絵の人物がおもしろキャラクターとして扱われて、むしろ笑える絵と見られている面があります。

絵は昔も今も同じですから、見る側の認識が変わってきたのです。
ユニークな絵ですから、メディアで取り上げられることも多く、みんなが見慣れてきたということもあるでしょう。
見慣れたということも含めて、私たちは狂気や異常性を感じさせる絵を普通に受け入れるようになっているのです。


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(ゾンビパレード)geri clevelandによるPixabayからの画像

ゾンビも、もともとはスプラッターホラーと言われるジャンルの映画から出てきたもので、ゾンビが人間の内臓をむさぼり食うシーンなどがあって、一部のマニアに受けていただけで、一般の人には嫌われていました。スプラッターホラーは宮崎勤事件などと結びつけられたこともあります。
ホラーの中でもゾンビものはもっともグロテスクですが、それがどんどん人気になって、「ウォーキング・デッド」というドラマ・シリーズは高視聴率番組となっています。
そして、ハロウィンの仮装の定番にもなりました。
見た目にもっともおぞましいものが、おもしろがられるようになっているのです。


異常で残虐なものを受け入れるようになってきたのは、戦争映画も同じです。
「ビーチレッド戦記」という映画の解説で町山智浩氏が語っていたのですが、ハリウッドにはヘイズ・コードという規制が1968年まであって、人体が破壊されるようなシーンをはっきり撮ることはできなかったそうです。ですから、弾丸が人の体に当たっても血が出ることはなく、穴が空くだけです。
そう言われてみれば、昔の戦争映画では、銃で撃たれてバタバタと人が倒れたり、崖から落下したり、爆発で人の体が派手に吹っ飛んだりするシーンはありますが、血が出たり、手足がもげたりするような残虐シーンはありません。“きれいな死”ばかりです。
「ビーチレッド戦記」はインディペンデント映画なので、そういう規制は無視して、上陸作戦のとき、水にちぎれた足が浮いているとか、隣の兵士の喉にパックリ穴が空いているとか、激しい砲撃の中で腕をなくした兵士が突っ立っているとかの残虐シーンがあり、画期的でした(1967年制作の映画なので、ベトナム反戦の意味があると想像されます)。

スピルバーグ監督の「プライベートライアン」は、「ビーチレッド戦記」の影響を受けたということで、残虐シーンがてんこ盛りです。メル・ギブソン監督の「ハクソーリッジ」は、それに輪をかけた感じです。
これらは血の出る戦争映画ということで、“スプラッター戦争映画”と言えるかもしれません。
それを私たちはエンターテインメント映画として受け入れています。

ホラー映画も、昔はほとんど血が出ませんでした。ドラキュラものも、首筋に牙でかみつくシーンはありますが、ほとんど血は出ません。ヒッチコック監督の「サイコ」も、ナイフを使っての殺人シーンは、カーテン越しのナイフの動きと、床に流れるシャワーの水に血が混じるという形で表現されました(しかもこれはモノクロ映画です)。


また、幼児虐待で子どもが死亡する事件は、今に始まったものでなく昔からありましたが、昔はそういう事件があっても、まったく報道されないか、報道されてもいわゆるベタ記事でしか扱われませんでした。幼児が親から虐待されて死ぬというのはあまりにも悲惨なので、そのような報道はみんなが拒絶していたのです。
今は幼児虐待事件は大きく報道されます。このように変わったのは、私の感覚ではせいぜい十年ぐらい前からです。


このように異常で残虐なものは、昔は多くの人が拒絶していましたが、今は一般の人が普通に受け入れるようになっています。
これはきわめて大きな変化です。
もちろん認識の上での変化ですが、それは現実にも影響を及ぼすはずです。

異常で残虐なことを目にするのに慣れると、自分も同じことをしやすくなるという考え方もありそうですが(スプラッターホラーと猟奇殺人事件が結びつけられたのもそれです)、現実はむしろ逆です。
殺人や強盗のような凶悪犯罪はへり続けています。
へっている理由はいろいろあるでしょうが、ひとつにはナイフで人を刺すと血が流れるとか、刺された人はもがき苦しむといったことが認識されてきたこともあるのではないでしょうか。

戦争も、昔のような大規模なものはなくなってきました。
この理由もいろいろありますが、昔のように戦争が経済的利益に結びつかなくなったことが大きいでしょう。それから、戦場では人が血を流して苦しんで死ぬということが認識されてきたことも影響しているのではないでしょうか。

幼児虐待事件が減少しているとは今のところ言えないようですが、幼児虐待の存在が広く認識されるようになり、対策が進められているので、いずれ事態は改善に向かうはずです。

精神病への偏見も少なくなり、猟奇事件の犯人の心理も、“心の闇”で片づけることなく、解明することに関心が向いています。

人類は宇宙の果てや量子の世界にまで認識を広げています。
それと同様に、異常、残虐、グロテスクといったものにも認識を広めています。
これも人類の大きな進歩です。

スクリーンショット (8)

スクリーンショット (9)

日本外国特派員協会オフィシャルサイトFCCJchannelチャンネルより


ジャーナリストの伊藤詩織さんが元TBS記者の山口敬之氏を訴えていた裁判で、東京地裁は12月18日、山口氏に330万円の賠償を命じる判決を下し、伊藤さんの勝訴となりました。
この裁判は、個人対個人の争いを超えて、ハルマゲドンのように、善と悪、光と闇が最終的に雌雄を決する戦いでもありました。


裁判の争点のひとつは、伊藤さんが山口氏にレイプされたという日の3日後に、山口氏にあてて〈山口さん、/お疲れ様です。/無事ワシントンへ戻られましたでしょうか?/VISAのことについてどのような対応を検討していただいているのか案を教えていただけると幸いです。〉というメールを送っていたことです。
山口氏はこれを性行為に合意があった証拠だとし、山口氏の応援団もこぞって、「レイプされた人間がこんなメールを送るはずがない。伊藤詩織はうそつきだ」と言い立てました。
しかし、人間の心理として、あまりにも衝撃的な出来事があって、心がそれを受け止められないとき、あたかもそれがなかったかのようにふるまうということがあるものです。これがひどくなると、解離性障害といって、記憶が飛んだり、人格が変わったりします。
伊藤さんも著書『Black Box』で、「これはすべて悪い夢なのだと思いたかった」「私さえ普通に振る舞い、忘れてしまえば、すべてはそのまま元通りになるかもしれない。苦しさと向き合い戦うより、その方がいいのだ。と、どこかで思ったのだろう」と書いています。
伊藤さんはこのメールを送ると同時に、医者に行ってアフターピルを処方してもらい、友人に相談したりもしているので、それがレイプの証拠になりました。

判決ではこのメールに関して、「同意のない性交渉をされた者が、その事実をにわかに受け入れられず、それ以前の日常生活と変わらない振る舞いをすることは十分にあり得る」「メールも、被告と性交渉を行ったという事実を受け入れられず、従前の就職活動に係るやり取りの延長として送られたものとみて不自然ではない」と明快に判断しています。

裁判官というのは、権威主義的性格の人が多く、人間心理の理解が浅くて、メールの文面だけを見て判断する可能性がありましたが、この裁判官はまともな判断のできる人でした。


この裁判は、伊藤詩織さんがレイプ被害者として名前と顔を出して訴えるという点できわめて異例でした。
本来この事件は、刑事事件として裁かれるべきものでしたが、警察が逮捕せず、検察が起訴しなかったために(検察審査会も不起訴相当としました)、伊藤さんは民事で訴えるしかなくなったのです。

警察は山口氏の逮捕状を取って、羽田空港で帰国したところの山口氏を逮捕する段取りをしていましたが、逮捕直前に中止となりました。週刊新潮は逮捕中止を命令したのは警視庁の中村格刑事部長だという記事を書きました。
山口氏は、安倍首相をヨイショする『総理』という本を出版し、その後テレビに出まくって安倍首相礼賛の解説やコメントをしてきた人物で、まさに「安倍友」です。中村部長は管義偉官房長官の元秘書官で、政権の意向を受けて逮捕中止に動いたというわけです。

判決の翌日、外国特派員協会で行われた記者会見で、山口氏は「逮捕が中止になったのは官邸の圧力があったのか」と質問され、「捜査が行われていることを知るよしもないから、誰にも頼めなかった」「このケースは、どの政治家にも、どの官僚にも一切、頼んでいません」と答えています。

しかし、山口氏は週刊新潮からメールで質問状を送付されたとき、間違ってこんなメールを週刊新潮に送りました。

〈北村さま、週刊新潮より質問状が来ました。
伊藤の件です。取り急ぎ転送します。
山口敬之〉
https://lite-ra.com/2019/12/post-5154.html

要するに「北村さま」にメールを「転送」しようとしたところ、間違って週刊新潮に「返信」してしまったようなのです。

この「北村さま」は誰かと言うと、内閣情報調査室のトップである北村滋内閣情報官(現・国家安全保障局長)だと想定されます。
山口氏はこの件で官邸と密接に関わっていたことになります。

会見ではこのメールについても質問がありました。

続いて、一部で山口氏が北村滋内閣情報官にメールを送ったということが報じられた件に関し、真偽を問う質問が出た。山口氏は「北村さんにメールを送ったかどうかすら、私は認める必要がないと思うんですが、メールを送っているのは事実」と語った。その上で「私の父は去年、亡くなったんですが弁護士をしておりまして。父は高齢だったので、法律的なことを父の友人というか知人の北村さんという方に(メールした)。これ以上は、その方にご迷惑がかかるので申し上げませんが、その方は北村滋さんとは全く別人の民間の方です」と否定した。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191219-12190359-nksports-soci
同姓の別人だというのですが、安倍政権からうんざりするほど聞かされてきた嘘と同じパターンです。


伊藤氏だけでなく山口氏も顔出しして自分の主張を訴えていますが、これも驚くべきことです。
山口氏は合意の上の性行為だったと主張しています。
そうすると、伊藤さんはそのときは合意したのに、あとになってレイプだと主張したのはなぜかということになります。
これを説明するために山口氏は、伊藤さんはうそつきだとか、訴え出ることで利益を得たなどと言わざるを得ませんでした。つまり人格攻撃をしました。
もっとも、安倍応援団は慰安婦問題で、元慰安婦はうそつきだとか、売春婦として多額のお金をもらっていたとか主張しているので、それと同じことをしているだけですが。

それに、山口氏は伊藤さんが泥酔して一人で家に帰れない状態だったのでホテルの部屋に連れていったと言っているのですが、そんな状態で「合意の上の性行為」ができるものでしょうか。
山口氏は一応次のように説明しています。
 酩酊状態にある人と性行為をしたことについてどう思うかという質問については、伊藤さんは自力で家に帰れないと判断し私のホテルに来てもらった。このことはいいことではなかったと反省しています。

 私の部屋に連れて行ったら、伊藤さんは部屋に入るなり嘔吐(おうと)しました。その後、私のベッドで2時間くらい寝ていました。そしてトイレに行って戻ってきて、ペットボトルの水を自分で飲んだ。その段階では伊藤さんは普通にしゃべっていて、普通に歩いていて、酔った様子はありませんでした。ですから、質問に答えるとすれば、泥酔している状態の伊藤さんと性行為が行われたわけではないので、質問自体が間違っている。
https://dot.asahi.com/wa/2019121900045.html?page=3

2時間眠ったら泥酔状態から普通の状態になったというありえない主張です。

百歩譲って、合意の上の性行為であるという山口氏の主張が正しいとしても、これはテレビ局の男が就職の世話を頼みにきた女子学生に対し、自分の立場を利用して性行為をしたということで、それ自体が許されません。
それに、山口氏は避妊具を使わなかったことを認めていますが、これについての合意はあるはずありません。
国によっては、性交の途中で男性が避妊具を外すと強姦とされます。
日本の場合はどうかわかりませんが、いずれにせよ、真剣な交際でないのに避妊具を使わないで性行為をしたことは非難されて当然です。
なお、山口氏には妻子がいるので、これはいわゆる不倫でもあります。
テレビで若い女性と性行為をしたことを堂々としゃべっている山口氏を家族はどう思って見たのでしょうか。

そうしたことを考えると、山口氏は破廉恥漢であって、とても人前に顔を出せる立場ではありせん。
しかし、山口氏には官邸と安倍応援団がバックにいるという自信があります。
そのため裁判で敗訴しても強気で、外国特派員協会で記者会見し自分の正当性を訴えましたが、これを海外から見ると、破廉恥漢が我が物顔でふるまっているわけで、日本はおかしな国だと思われたでしょう。


ともかく、山口氏の背後には安倍政権や安倍応援団がついているので、ハルマゲドンのような裁判であったわけです。
安倍応援団は伊藤氏に対して「落ち度があった」とか「枕営業をした」とか言ってセカンドレイプをする人ばかりなので、唖然とさせられます。

今回、まともな判決が出ましたが、山口氏は控訴すると言っているので、控訴審でおかしな判決が出ないとも限りません。
しかし、裁判官も世論の影響を受けます。
山口氏が顔を出せなくなるくらいに山口氏批判の世論が盛り上がれば、おかしな判決が出る可能性もなくなります。

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前橋刑務所(syujiさんによる写真ACからの写真 )

無期懲役の判決を言い渡された被告が法廷で万歳三唱をしたというのは前代未聞でしょう。

昨年6月、小島一朗被告(当時22歳)は新幹線車内で女性2人にナタで切り付けて負傷させ、止めに入った男性会社員をナタとナイフで殺害するという事件を起こし、裁判の中で「無期懲役囚になりたい。3人殺せば死刑になるので、2人までにしておこうと思った」と語りました。
ですから、期待通りの判決を得て万歳三唱をしたというわけです。

最近、「死刑になりたい」という動機で通り魔のような事件を起こす例がよくあります。「死刑になりたい」で検索すると、そういう事件がずらずらと出てきます。
小島被告の場合は、死刑にはなりたくないわけです。「保釈されたらまた人を殺す」とも言っていて、無期懲役でずっと刑務所の中にいるのが望みです。
なぜこんなおかしな考えを持つようになったのでしょうか。


こういう異常な犯罪が起こると、マスコミは“心の闇”という言葉でごまかしてきましたが、最近は異常な犯罪者は異常な家庭環境で育ったということがわかってきて、犯罪者の家庭環境について突っ込んだ報道がされるようになりました。
小島被告についても週刊誌などが報道し、私はそれらをもとにこのブログでふたつの記事を書きました。


小島被告の父親は「男は子どもを谷底に突き落として育てるもんだ」という教育方針できびしく育て、小島被告の世話をしていた祖母は「姉のご飯は作ったるけど、一朗のは作らん」と言って、実質的に育児放棄していました。小島被告が事件を起こして逮捕されたとき、父親はマスコミの前で「私は生物学上のお父さん」と名乗り、小島被告のことを赤の他人のように「一朗君」と呼び、ゆがんだ家族関係があらわになりました。


今回、判決に合わせて週刊新潮12月26日号が「『小島一朗』独占手記 私が法廷でも明かさなかった動機」という記事を掲載しました。これを読むと、小島被告が刑務所にこだわった理由が見えてきます。

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この記事によると、小島被告はホームレス生活をしていて、家族に迷惑をかけないために餓死しようとしますが、祖母との最後の電話で「養子縁組を解消する」「小島家の墓に入れない」と言われ、もう家族に迷惑がかかるということはどうでもよくなって、事件を起こして刑務所に入ろうとします。
彼は手記で「刑務所に入るのは子供の頃からの夢である。これを叶えずにどうして死ねようか」と書いています。

小島被告と接見を重ね手記を託されたノンフィクションライターのインベカヲリ★氏は、小島被告の生い立ちを詳しく書いているので、その部分を引用します。


小島被告は愛知県生まれ。犯行当時は22歳、元の名は鈴木一朗だ。同県出身の野球選手イチローにちなんだ同姓同名である。小島姓なのは、事件の前年に母方の祖母と養子縁組をしたからである。
一朗が生まれると母方の祖父は、岡崎市にある自宅の敷地内の一角に「一朗が生まれた記念」の家(以下、「岡崎の家」)を建てた。共働きの両親の都合で、一朗は3歳までをそこで過ごした。一方、年子の姉は、生まれたときから一宮市にある父方の実家で育った。
母親は両家を行き来していたが、一朗が3歳になると転居し、一家全員が一宮の家に揃う。しかしそれを快く思わなかったのが、同居する父方の祖母だった。「お前は岡崎の子だ、岡崎に帰れ」「お前は私に3年も顔を見せなかった」、それら祖母からの言葉が一朗にとって物心ついてからの最初の記憶だ。
母親はホームレス支援の仕事で夜遅く帰宅するため、祖母が食事をつくり、一朗は「嫁いびり」のように躾けられたという。中学生になり反抗するようになると、祖母は包丁を振り回し、一朗の食事や入浴を禁じた。これに関し母親は調書で、「食事を与えないということはない。虐待はしていない」と供述しており、意見が食い違っている。
しかしこの頃、父親にトンカチを投げ包丁を向ける事件を起こしており、その目的は「ご飯が食べられないから国に食わせてもらう」、つまりは少年院に入るためだった。これを機に父と離れ、母親の勤め先である“貧困者シェルター”へ入所するのだ。
その後、定時制高校を卒業し、県外で就職したものの、出血性大腸炎で入院し10か月で退社。「岡崎の家」に住むことになったが、同じ敷地内の別宅に住む伯父が猛反対し、暴力によってわずか10日で追い出されたという。
以降、家出してのホームレス生活と精神病院への入退院を繰り返してきた。
彼にはすでに中学時代、家庭よりは「少年院」という発想があった。
「刑務所の素晴らしいところは、衣食住と仕事があって、人権が法律で守られているところ」
と、彼は心底思っている。しかも、「(刑務所からは)出ていけとはいわれない」とも語る。彼は閉ざされた空間で、決まりきった日常を送ることが苦痛ではない。模範囚として真面目に働くことを望んでいる。拘置所に何冊も本を差し入れたが、彼はたぶん読書ができればいのではないかと思う。
やりとりを重ねてわかったのは、彼が幼い頃より「岡崎の家」を「私が生まれたときに建てられた、私が育つはずだった家」と考え、それに強い執着を見せていることだ。刑務所は「岡崎」の代償で「家庭を求めている」と彼は言う。


小島被告が刑務所に入りたがった理由がわかります。
彼は家族の誰とも“絆”というものを感じることができなくて、どの家にいてもいつ「出ていけ」と言われるかわからないという不安があったのでしょう。無期懲役で入った刑務所ならその不安がありません。
それに、彼はかなり意図的にホームレス生活をしていますが、母親はホームレス支援の仕事で帰宅が遅かったということで、彼はホームレスになることで母親に近づけた気がしていたのかもしれません。

もちろん刑務所に入るために人を殺すなどということは許されません。
しかし、自分がたいせつにされた経験がない人間に、人をたいせつしろと求めるのも不条理なことです。
彼には犯罪をして世間を騒がせることで家族に対して復讐している気分もあるでしょう。

私たちは、こうした犯罪をする人間は異常者だと決めつけがちですが、その人間のことをよく知れば、私たちと同じ人間であることがわかります。
その認識を出発点に犯罪対策を立てなければいけません。

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農水省元事務次官の熊沢英昭被告(76歳)が長男英一郎さん(当時44歳)を殺害した事件で、判決が下されました。
そもそも懲役8年という求刑が甘かったのですが、判決が懲役6年とさらに甘くなりました。
どうして甘くなったのでしょうか。

この事件で特別に悪質なのは、熊沢被告は川崎市20人殺傷事件を引き合いに出して、長男が同じような事件を起こすのを防ぐために殺したと、いわば“予防殺人”の理屈を主張したことです。
こんな理屈で殺人が正当化されたら、いくらでも殺人事件が起こります。
弁護側はさすがに裁判ではこの理屈は持ち出さずに、被告は長男に殺されるという恐怖を覚えて身を守るために殺したと主張しました。
問題は検察側です。本来なら「身勝手な理屈で犯行を正当化しようとした」ときびしく糾弾するところですが、報道を見る限り、そうした主張はしていないようです。

この事件に対する検察側の甘さは際立っています。
「長男殺害の元農水事務次官・熊沢英昭被告に懲役6年の実刑判決…検察側が見せた珍しい対応とは?」という記事にはこう書かれています。

松木麻記者:熊沢被告は、入廷後から判決理由が読み終わるまで、証言台の前に姿勢よく座って話を聞いていました。熊沢被告はいつも、閉廷の際には丁寧に裁判所と弁護側、そして検察側に一礼をして退廷していくんですが、16日もそのように丁寧にお辞儀をして退廷しました。その際に検察官1人から「体に気をつけてください」と声をかけられて小さくうなずくという珍しい場面が見られました。
 
安藤優子:松木さん、このように声をかけるのは異例のことなのでしょうか。

松木麻記者:そうですね、私がこれまで見てきた刑事裁判の中で、そのような場面は一度もありませんでした。それだけ検察側としても、ただ単に求刑通りの刑を得ればいいという問題ではなく、複雑な心境があったのかなと推測しています。
検察官は司法試験に受かったエリート役人なので、高級官僚の熊沢被告と仲間意識があるのでしょう。


裁判員の判断も甘くなりました。
裁判員裁判は裁判官が判断するよりもきびしい判決になりがちですが、今回は逆です。
その理由は、一般の人たちにある差別意識でしょう。
ここには三つの差別意識が関わっています。

ひとつは、社会的地位に対する差別です。
一方は元事務次官という最上級の“上級国民”で、もう一方は無職の引きこもりです。「人の命」についての裁判なのに、そうした肩書や社会的地位に影響されたのではないかと考えられます。

ふたつ目は、この事件は親が子を殺したという、昔の表現で言えば「卑属殺人」であることです。「子どもは親の所有物」という価値観がいまだに残っている可能性があります。

三つ目は、被害者はアスペルガー症候群とされ、ほかに統合失調症と診断されたこともあり、発達障害や精神病に対する差別意識が裁判員にあったのではないかということです。

検察官や裁判官は元事務次官の熊沢被告に仲間意識を持って甘くなりがちですが、裁判員の差別意識がそれに輪をかけたかもしれません。


2014年に殺人事件なのに執行猶予つきの判決が出るという珍しいケースがあり、このブログで「珍しい温情判決は実は差別判決だった」として取り上げたことがあります。
このケースも、父親が息子を殺した「卑属殺人」で、父親は監査法人に勤める会社員、息子はフリーターと社会的地位に差があり、息子は「精神の障害」という診断を受けていて、やはり三つの差別が重なっていました。


私は前回の「熊沢英昭被告はいかにして長男の自立の芽をつんだか」という記事で、長男が引きこもりになったのは熊沢被告の過保護・過干渉が原因ではないかということを書きました。
それだけではなく、熊沢被告の妻にも問題があったでしょう。

16日放送のフジテレビ系「 直撃LIVE グッディ! 」によると、近隣住民の話では、事件のおよそ2週間後、家の郵便受けに熊沢被告の妻が書いたとみられる直筆の手紙が入れられ、「このたびはたいへんご迷惑をおかけし、おさわがせを致しまして、誠に申し訳ございませんでした。心よりおわびを申し上げます」などと書かれていたそうです。
そして、その手紙には一万円札が同封されていたそうです。
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その感覚は普通ではありません。なんでもお金で片が付くと思っているのでしょうか。
妻の実家は、親族の多くが医者である金持ちの家であるようです。
長男の家庭内暴力は中学2年生から大学1年生まで続き、もっぱら母親に向けられていました。
親の愛情を求める長男と、お金や学歴や世間体のことばかり考える両親という構図が見えてきます。

要するに熊沢被告とその妻は、長男にとっては“毒親”でした。
“毒親”に育てられたために長男は自立できず、引きこもりになりました。
今回の裁判の裁判員や裁判官は、“毒親”というものを理解しなかったようです。

そのため、結果的に「人の命」が軽視される残念な判決になりました。

スクリーンショット (7)
6月に逮捕されたときの熊沢英昭被告


12月11日から13日にかけて農水省元事務次官の熊沢英昭被告が長男英一郎を殺した事件の公判が行われ、事件の内容がかなり明らかになりました。

この事件は、犯人が元事務次官という“上級国民”であったことと、ちょうど川崎市20人殺傷事件の直後で、熊沢被告が「長男が川崎のような事件を起こしてはいけないと思った」と自身の犯行を正当化したことと、長男が引きこもりや家庭内暴力や発達障害などであったことから、犯人に同情する声が多くありました。橋下徹氏などは「僕が熊沢氏と同じ立場だったら同じ選択をしたかもしれない」とまで言いました。

しかし、子どもが悪かったとしても、そのように育てたのは親です。
このケースでは、両親はどのように長男を育てたのでしょうか。
フジテレビ系「 直撃LIVE グッディ! 」で報じられたことから、親子関係の問題点を見ていきたいと思います。


公判によって、いくつかの新事実が明らかになりました。
長男の家庭内暴力というのは中学2年生から大学1年生までで、しかもそれはすべて母親に向けられたものでした。
事件の1週間前に長男は実家に戻って両親と同居を始めますが、そのときに初めて父親に暴力をふるいました。父親は殺されるという恐怖を感じて、それが犯行につながったようです。

熊沢被告の妻は義理の弟の心療内科に相談し、長男は統合失調症と診断され、数十年にわたって投薬治療をしていたということです。
長男が統合失調症だったということは初めて明らかになりました。

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長男には妹がいて、自殺していました。母親は「兄の関係で、縁談があっても全部消えた。それで絶望して自殺しました」と自殺の理由を語りました。
兄が統合失調症だということが破談の原因だということでしょう。精神病に対する世の中の偏見は根強いので、ありえないことではありません。
ただ、縁談を断られて自殺したというのは、あくまで母親の言い分です。それだけのことで自殺するとは思えません。家族関係により大きな原因があったと見るのが普通でしょう。
母親もうつ病になり、自殺未遂をしたということです。

長男が統合失調症だったということには疑問が残ります。
長男は4年前にアスペルガー症候群だと診断されたということです。
統合失調症という診断がついているのに、その上にアスペルガー症候群の診断をするというのは不可解です。

アスペルガー症候群の診断をした主治医は、日本テレビ系(NNN)の記事によると法廷で次のように証言していますが、統合失調症についてはまったく触れていません。
12日は証人尋問が行われ、殺害された長男・英一郎さんの主治医が出廷した。弁護側の質問に対して、主治医は、英一郎さんを自閉症の一種であるアスペルガー症候群と診断していたと証言し、「英一郎さんは思い通りにならないとパニックを起こし、暴力をふるう症状があった」と述べた。

また、「英一郎さんがなかなか通院しなかったので、お父さんが代わり通院して薬を取りに来ていた。お父さんからの情報で英一郎さんの状況を判断していた」と証言。

さらに「経済的支援を行い、通院も1回も欠かさなかった。ツイッターを通して英一郎さんの情報を知り、知らせてくれていた。ほかの家族と比べても大変よく面倒をみていて、大変敬意を持って支援のあり方を見守っていた」と述べ、熊沢被告の支援には頭が下がる思いだったと証言した。
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20191212-00000262-nnn-soci


弁護側は、「熊沢被告は長年にわたって息子の生活を支え、献身的に尽くしてきていて、事件の経緯や動機には同情の余地が大きい」として、執行猶予つきの判決を求めました。

弁護側は「献身」と言い、主治医は「支援」と言いますが、その実態は「過保護・過干渉」です。
「 直撃LIVE グッディ! 」は、そこをわりと詳しく伝えています。

ツイッターのDMでも過干渉ぶりが出ています。

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4年前に長男が「アスペルガー症候群」と診断されたときにも、都内に持ち家を与えたということです。
熊沢被告は「基本的に月に2回は行っていた。月1回は薬を届けに、1回は食べ物で使ったものの領収書を取っておけ、その分食費は渡すからと食費を渡していた。一緒にファミレスで食事をするなどしてコミュニケーションを図りました」と語りました。
普通は「生活費」としてまとめて渡すもので、いちいち食費の領収書を求めるのは、長男の生活能力を信じていないことになります。
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このような細かい“生活指導”が長男の自立を妨げていたと考えられます。

長男はマンガ・アニメが好きで、最初に入った大学を休学してアニメの専門学校に行きますが、就職に失敗、その後、複数の大学に編入し、大学院にも行き、熊沢被告はその都度援助していたということです。

熊沢被告はまた、「息子に生きがいを持ってほしいと思いました。コミックマーケットに出品したらどうかと勧めました。私は売り子として手伝いをしました。朝から晩までスペースに座って小雑誌を売りました」と語りました。

コミケ参加者に父親が同伴して手伝っているという話は聞いたことがありません。
オタクというのは特殊な趣味を共有する閉鎖的なサークルをつくるもので、その世界にまで父親が介入してきたら、長男は自分の世界が持てなかったのではないでしょうか。

そして、最大の問題は、長男が就職したときの熊沢被告の態度だったのではないかと思います。
FNNプライムの裁判の記事にはこう書かれています。

熊沢被告は、英一郎さんが大学を中退すると就職先探しに奔走したという。

熊沢英昭被告:時期が就職氷河期で。本人はアニメ系がいいといくつか受けましたが、ダメでした。

最終的に義理の兄が勤める病院に就職させたというが…

熊沢英昭被告:残念ながら勤務状況が悪いと感じました。ブログで上司の悪口を書いていました。迷惑をかけると心を痛めていました。お礼を言って引き取りますと言わざるを得なかったんです。

しかし、英一郎さんは退職に納得がいかず、ある行動に出たという。

熊沢英昭被告:医師から連絡がありました。「英一郎さんが『明日、社会的事件を起こす。上司を包丁で刺す』と言っている」と。おさめなきゃと思ってアパートまで駆けつけました。時間をかけて説得しました。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191212-00010009-fnnprimev-soci
就職先をクビになったのではなく、父親に辞めさせられていたのです。
長男としては、クビになっていれば、なにが悪かったのかと反省し、次につなげることもできたでしょう。
世の中には子どもの就職の世話をする親はよくいますが、子どもの辞職の判断までする親はいません。
このときに長男は、自分は働けない人間なのかと絶望したのでしょう。

5月25日、熊沢被告は一人暮らししていた長男を実家に迎え入れました。
最初の日は、被告の妻が「父と息子の関係は良好だった」と証言しました。
次の日、熊沢被告が外出しているとき、長男は泣き出して、「お父さんは東大出て、なんでも自由になっていいね。私の44年の人生は何だった」と言ったということです。
そして、その日、被告が長男に「ゴミもたまっているから掃除しなきゃ」と、それまで住んでいた家の掃除を提案すると、長男は激高して、被告に「殺すぞ」などと言って激しい暴力をふるったということです。
その1週間後、熊沢被告は長男を殺しました。

熊沢被告の過保護・過干渉が長男の自立の芽をつんだことがすべての元凶だと感じます。

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愛媛県松山城

各自治体は地元のよさをアピールするキャンペーンを行っていますが、愛媛県の場合は「まじめ」をアピールしようと考え、「まじめえひめプロジェクト」なるPR戦略を始めました。
「まじめ」をアピールするというのは奇妙な発想です。果たせるかな、企画会議をドラマ仕立てで見せる4分45秒の宣伝動画が炎上しています。



愛媛の県民性は「どまじめ」であるとされ、まじめさの例がいくつも取り上げられます。
たとえば、愛媛県では条例で自転車乗車時にヘルメット着用を励行していて、ほとんどの県民は自転車に乗るときヘルメットを着用しているということです(そのため会議の出席者の一人は髪の毛がペタッとなっています)。
それから、「カジュアルデーも結局スーツ」という言葉も出てきます。
このあたりは「まじめ」を自虐的にとらえている感じもあります。

ところが、おかしな例も出てきます。
「愛媛県民の介護看護をしている時間は日本一長い」というのですが、これはなにを意味するのでしょうか。
老人の数が多いということなのか、老人ホームなどの数が少ないということなのか、いずれにせよ「まじめ」とは関係ない気がしますし、なによりも介護看護時間が日本一長い県にはあまり住みたくないでしょう。

「彼氏がいない独身女性の多さが全国一位」というデータも出てきます。
その理由は「おしとやかでまじめな県民性」のせいだというのです。
「彼氏がいない独身女性の多さが全国一位」というのは、誰がどう考えてもいいことではありません。
ですから、「愛媛の女性はまじめすぎてもてない」という自虐に持っていくしかないと思うのですが、「おしとやかでまじめ」と肯定的にとらえています。

この動画をつくった人は、「彼氏がいない独身女性」を好ましい存在と思っているのでしょう。
それから、介護看護の時間が長いというのも、女性が家の中で介護看護をしっかりやっていることだとして、好ましいと思っているのです。
完全に古くさい男の感覚です。このへんが炎上した原因です。


それから、もうひとつ炎上した原因が考えられます。
それは「まじめ」という言葉のとらえ間違いです。

「まじめ」とは、まじまじと見るの「まじ」に「目」がついた言葉で、物事に真剣に、本気で取り組む態度を意味します。
ただ、国立国語研究所の『「まじめ」の意味分析』によると、真剣、本気のほかに、「規範的」という意味があり、「良いと考えられている価値基準を知った上で、それに沿ってふるまおうとするさま」を示すということです。そして、この意味を国語辞典はあまり記述していないといいます。

ですから、「まじめな人」には、「決められたことをするだけのつまらない人」というマイナスの意味もあるのです。


愛媛県が「まじめえひめ」プロジェクトを始めたときは、「まじめ」のプラス面を打ち出していこうということだったのでしょう。県庁の役人はまじめな人ばかりなので、「まじめ」にマイナス面があるなど考えもしなかったはずです
しかし、「愛媛県まじめ会議」の動画を制作したのはたぶん広告代理店の人なので、普通の感覚で「まじめ」のマイナス面をとらえた自虐を入れたのです。
おそらく最終的に両者の感覚が入り混じったために、おかしな動画になったのかと思われます。

まじめに仕事をしてつくられた農産物や工業製品は好ましいものですが、「まじめな人」というのはあまり好ましくありません。
「愛媛県の人はまじめな人ばかりです」と言われても、あまり行きたいと思いませんし、まして住みたいとは思いません。


そもそも愛媛の県民性が「どまじめ」だというのはほんとうなのでしょうか。
夏目漱石の『坊ちゃん』は、愛媛県の旧制中学校を舞台にしていますが、そこの生徒は坊ちゃんにいたずらを仕掛け、からかってくる者ばかりで、最後まで坊ちゃんとバトルを繰り広げます。

愛媛県庁の役人は、「まじめ」の意味を考え直し、キャンペーンの方向性を転換するべきでしょう。

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来春、改正児童虐待防止法が施行されるにあたり、厚生労働省はどんな行為が禁止される体罰に当たるかを示すガイドラインを作成しました。

朝日新聞の「たたく、正座、食事抜き…しつけでなく体罰 厚労省案」という記事によると、「しつけのためだと親が思っても、身体に苦痛または不快感を引き起こす行為(罰)は、どんなに軽いものであっても体罰に該当し、法律で禁止される」ということで、その記事の図解を示しておきます。

体罰の線引き


体罰や暴力はどんな軽いものであってもだめと、基準が明快です。

ところが、やはりというか、これに反対する人もいます。
さすがに有識者などで公然と反対する人はいないようですが、ネットではいまだに体罰肯定論が盛んです。

『尻をたたく、正座もダメ。厚労省「体罰ガイドライン」に批判殺到』という記事から、個人のツイートの部分だけ引用します。


もんきー@Z900RS卍 なまらめんこい🐾
@momochyan415
体罰禁止法って2020年4月かららしいのだが、
親は「児童のしつけに際して体罰を加えてはならない」となるらしい。
何か違う方向に行っていませんか??


だいこん
@MouseChrome
何度注意しても人を殴る、物を盗むとかの犯罪に直結するものを更生する為には体罰は仕方ないと思うけどね。
それ以外なら、子供の将来を台無しにする為に虞犯少年として少年院に打ち込む?

一瞬の体罰か生涯経歴に苦しむかの二択かと思うけど

冷たい世の中だな#児童虐待


一 一
@ninomae_haji_me
わざわざガイドラインを作らないといけないことじたいが問題だろ

理想論ばかりの体罰禁止ガイドラインやなぁ#体罰


暗黒世界から現世へと舞い戻った復活のW@絶対フィード取れないマン
@Allegro1018
親の体罰禁止ガイドラインとかクソみたいなもの作ることよりやることあるだろ。道を逸れる前にしつけするのが親の仕事だろ。国家が家庭事情に干渉するな。


オールドボーイ@コミケ2〜4日
@oldboy1899
体罰禁止ガイドライン案のお尻ぺんぺんや聞かないからビンタ、他の子殴ったから自分の子を殴ったが禁止!?殴りたくて殴ってる保護者なんてほとんどいないと思うてけど、より保護者に難題を求められるようになるな。


「体罰」という言葉を使うので、こういう意見も成立しているかのようですが、「体罰」を「暴力」や「虐待」という言葉に言い換えると、実態が見えます。
幼児虐待事件で逮捕された親がよく「しつけのためにやった」と言いますが、それと同じです。
こういうツイートをした人は、幼児虐待の予備軍です。
いや、もしかして今もわが子を虐待しているかもしれません。
そういう意味で、こういう意見を放置しておくわけにいきません。


体罰肯定論者の主張は共通していて、「子どもが悪いことをしたら罰するべきだ。罰しないと子どもはどんどん悪くなる」ということです。
子どもは悪なので、自分の暴力は正義だということになります。
「しつけのためにやった」と言う人は、自分が正義だと思っているので、逮捕されたことが不満です。
こういうことを考える人は、頭の中に道徳がいっぱいあって、その分愛情が足りません。

また、子どもの発達について無知ということもあります。まだ所有の観念のない子どもの行為を「物を盗んだ」と見なすなどがそれです。
子どもの喧嘩を「暴力」と見なすのも同じです。子どもは喧嘩しながら人間関係を学んでいくもので、昔から「子どもの喧嘩に親が出る」ことは戒められています。

「自分は正しい人間だが、自分の育てている子どもは悪い」というのは論理的に成り立ちがたく、これは少し考えればわかるはずです。


もっとも、キリスト教には原罪というものがあって、子どもには生まれながらの悪があるとされます。そのため、西洋キリスト教社会では「鞭を惜しめば子どもがだめになる」ということわざがあるように、体罰が当たり前のこととして行われていました。
日本では、「七歳までは神のうち」という言葉もあって、子どもはたいせつにされていましたが、明治政府は、列強と対抗するために西洋の父権主義とともに体罰を輸入し、広めたのです。
もっとも、今は時代が変わって、ヨーロッパでは体罰禁止がかなり進んでいるようで、逆に日本のほうが体罰が盛んかもしれません。


以上は、倫理学的な面から体罰について述べましたが、今は科学的研究が進んで、こうした議論はほとんど無意味になっています。

体罰・暴言は子どもの脳の萎縮・変形を招くことが科学的に明らかになっていて、厚生労働省も「愛の鞭ゼロ作戦」と名づけたキャンペーンをやっています。
今回のガイドラインが明快なのも、そうした科学的裏づけがあるからでしょう。

なお、厚生労働省は10月21日に職場におけるパワハラの定義や基準を定めたガイドラインの素案を示しましたが、これはむしろパワハラを正当化するものだという批判が巻き起こっています。パワハラには「脳の萎縮・変形」のような科学的な基準がないので、経団連などの意向に寄せてしまったのです。

今は体罰肯定論をぶっている人も、「そんなことをしたら子どもの脳が萎縮・変形しますよ」と言われると、それ以上主張できないでしょうから、体罰肯定論もここ1、2年で消滅するに違いありません。

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「アナと雪の女王2」(字幕版)を観ました。

前作の「アナと雪の女王」では、エルサがなぜすべてのものを凍らせる魔法の力を持っているかの説明がまったくなく、両親が突然船の難破で死んでしまうのも不可解でした。そうした疑問に答える作品です。

前作は2014年の公開で、「王子さまのキスでお姫さまが救われる」という伝統的な物語の枠組みを壊し、お姫さまが自力で問題解決をするという点が画期的でしたが、もうひとつ画期的だったのは、親子関係の描き方です。
エルサは生まれつき魔法の力を持っていましたが、両親はその力を抑え込もうとし、手袋をつけさせ、部屋に閉じ込めます。エルサにとって両親は、自分の個性を否定する毒親です。その毒親が死んで、エルサは妹のアナの助けを得て、自己肯定に至るという物語になっています。
私は物語の最後で、「ご両親はエルサのためを思ってきびしくなさったのよ」みたいな展開になるのかと思いましたが、そういうのはいっさいなく、両親は最後まで無視されたままでした。
子ども向けの物語で、継母を否定的に描くのはありましたが、実の親を否定的に描いたのは初めてではないでしょうか。

そういうことから、続編で親はどう描かれるのかが気になりました。


全体的な印象を言うと、絵がひじょうに進歩しました。技術的なことだけでなく、芸術的というか、見て楽しいものになっています。
音楽も、まあいいのではないでしょうか。
前作の主な登場人物がそろって出てくるのも、前作のファンにはうれしいでしょう。

ストーリーに少し難点があります。いろんな要素を詰め込みすぎて、ストーリーの軸が見えにくくなっているのです。
レビューを見ても、よくわかっていない人が多いようです。
そこで、テーマがよくわかるように説明したいと思います。
いくらかネタバレになりますが、あらかじめ知っておいたほうが作品を楽しめるかもしれません。


アレンデール王国で、アナやエルサは平穏に暮らしていましたが、エルサは謎の歌声を聞くようになります。歌声が聞こえてくるのは、ノーサルドラの森からです。
この森ではかつて王国の軍隊と先住民とが戦ったことがありましたが、今は不思議な霧におおわれて、人間が入れなくなっています。
アナ、エルサ、山男のクリストフ、トナカイのスヴェン、雪だるまのオラフは、歌声のもとをたずねて旅に出て、エルサの力によって霧に閉ざされた森の中に入っていきます。
そうすると、森の中では王国の軍隊と先住民とがいまだに戦っていました。
つまり過去がそのまま封じ込められているのです。
また、森の中には王国がつくった大きなダムがあります。一応石造りですが、近代的なダムの形をしています。
こういうファンタジーの中にダムが出てくるのはかなり違和感があります。
さらに、火の精霊や風の精霊や地の精霊も出てきます。

アナたちは森の中で難破船を発見します。両親が乗っていた船です。船の中に地図があり、アナたちはそれを頼りに過去の秘密にたどり着きます。
詳しくは書きませんが、「罪もない者を殺した」という言葉が出てきます。

そして、「過去の過ちを正さなければ未来はない」という言葉も出てきます。これがこの映画の重要なポイントです。
つまり歴史修正主義との戦いです。


アレンデール王国は先住民の土地を奪い、ダムをつくって自然破壊をします。
一方、先住民は水の精霊、火の精霊などのいるアニミズムの世界に生きています。
アメリカ人は、この物語にインディアンを殺して土地を奪ったアメリカの歴史を見るでしょう。

これはケビン・コスナー監督・主演の「ダンス・ウィズ・ウルブズ」やジェームズ・キャメロン監督の「アバター」と同系列の映画です。
文明人が先住民や自然と触れ合うことで文明の悪に気づく物語です。

結局、アナたちの両親はまったく正当化されません。むしろその罪があばかれます(正確には祖父の罪です)。
こういう親子関係の描き方は、前作に続いてやはり画期的なものです。


前作は雪と氷の物語でした。
ですから、今作は水と火と風と地の物語にしようと制作陣は考えたのではないでしょうか。そのため焦点が定まらなくなってしまいました。
文明対自然、文明人対先住民というのが中心のテーマだと見なすと、わかりやすくなります。
そこに歴史修正主義との戦いも盛り込まれています。

最近のディズニー映画は実に挑戦的です。

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首相官邸ホームページより

11月29日、中曽根康弘元首相が亡くなりました。
101歳でしたから、大往生というべきですが、晩年はかなり屈折した思いがあったはずです。

中曽根氏が政界を引退したのも不本意なものでした。
1996年に小選挙区比例代表並立制が導入された際、中曽根氏は小選挙区から比例区に回りました。小選挙区なら場合によっては党の公認がなくても自力で当選することが可能ですが、比例区では党の決定に従うしかありません。中曽根氏は比例区に回ることに強く抵抗しましたが、最終的に自民党は中曽根氏には党の定年制を適用せず、比例北関東ブロックでの終身1位の保証をすることで説得しました。
ところが、2003年の総選挙で小泉首相は党の約束を破って中曽根氏に引退を勧告しました。そのとき、党の決定を中曽根氏に伝える役回りを演じたのが安倍晋三幹事長です。
中曽根氏としては約束を破られ、むりやり引退させられたのですから、そうとうな恨みを残したでしょう。


安倍首相の政治思想は中曽根氏とほとんど同じです。
改憲が悲願である中曽根氏は、自分の目の黒いうちに安倍首相が改憲を成し遂げてくれると期待していましたが、安倍首相が中曽根氏逝去について出した談話には、改憲のカの字もありません。

内閣総理大臣の談話(中曽根元内閣総理大臣の逝去について)

安倍首相は長期安定政権を築いておきながら改憲ができず、中曽根氏の期待を裏切ったのですから、一言あっていいはずです。


安倍首相は中曽根氏のやったことをずっと真似てきました。
中曽根首相は1985年8月15日に靖国神社を公式参拝しましたが、中国や韓国などの反発にあって、それ以降は参拝していません。
安倍首相は2013年12月26日に公私の別を言明せずに参拝しましたが、やはり中国と韓国、それにアメリカの反発にあって、それ以降は参拝していません。

中曽根首相はレーガン大統領といわゆるロン・ヤス関係を築き、アメリカ大統領と対等のつきあいをするところを国民にアピールしました。
安倍首相はトランプ大統領といっしょにゴルフをし、「日米は完全に一致しました」を口ぐせのように言っていますが、その親密さは形だけです。
レーガン大統領が中曽根首相をほんとうに信頼していたのかどうかわかりませんが、少なくともレーガン大統領は日本に対してきびしい要求をすることはありませんでした。しかし、トランプ大統領は日本に対してなんの遠慮もありません。
安倍首相はプーチン大統領を「ウラジミール」と呼びますが、プーチン大統領は安倍首相を「シンゾー」と呼ぶことはありません。安倍首相が中曽根首相の真似をしているだけです。

安倍首相のやっていることは、中曽根首相がしてきたことの劣化コピーというしかありません。
改憲についても同じです。

中曽根氏は「憲法改正の歌」というのを作詞しています。この歌は1956年に日本コロンビアから発売されました。
その歌詞の1番と5番を紹介します。

「憲法改正の歌」
1 嗚呼戦に打ち破れ
  敵の軍隊進駐す
  平和民主の名の下に
  占領憲法強制し
  祖国の解体を計りたり
  時は終戦六ヶ月

5 この憲法のある限り
  無条件権降伏続くなり
  マック憲法守れとは
  マ元帥の下僕なり
  祖国の運命拓く者
  興国の意気に挙らばや
https://ameblo.jp/hosyu9/entry-10849714430.html

要するに「敗戦の屈辱を晴らしたい」という思いを歌っています。
占領軍を追い出すのではなく、もっぱら憲法改正に傾注するところが不可解ですが、戦後の右翼の出発点はここにあります。

中曽根氏の中には、日米関係を対等なものにしたいという思いがまだあったかもしれません。
しかし、安倍首相の中には“対等のふり”をするということしかありません。
「敗戦の屈辱を晴らしたい」という改憲の根本精神が失われているのです。
いや、「敗戦の屈辱を晴らしたい」という思いがアメリカではなく中国や韓国に向けられて、外交の混乱を招いています。

中曽根氏は、アメリカの要請に応えるために“解釈改憲”をして新安保法制を成立させた安倍首相を見て、どう思っていたでしょうか。


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