村田基の逆転日記

親子関係から国際関係までを把握する統一理論がここに

2020年03月

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東京オリンピック延期が決まってから、「安心モード」から「危機モード」へがらりと転換しました。
安倍首相や小池都知事が記者会見して、新型コロナウイルスへの危機感をあおっています。
しかし、現時点で日本の感染者数は2000人弱で、死亡者数は54人です(クルーズ船を除く)。
とても「瀬戸際」だの「緊急事態宣言」だのというレベルではありません。


最近、日本人の危機感が高まっているのは、イタリア、フランス、イギリス、ニューヨークなどで都市封鎖が行われているという海外のニュースに影響されているからでしょう。
たとえばイタリアでは全土で外出規制措置が取られ、生活必需品の買い物と通院の場合だけ外出が認められ、外出理由を書いた自己申告書を携行し、不要の外出と見なされた場合は罰金、逮捕もあるということです。買い物は一人で行かなければなりません。二人、三人がいっしょだと、それだけ感染の可能性が高いからです。店は入店制限されているので、行列しなければなりませんし、レジ前には床にテープが貼られて、人と人が接近しないようになっています。
フランス、イギリスも似たような外出規制が行われています。

こうしたニュースに毎日接していると、日本もそうなるのではないかという危機感を持っても不思議ではありません。
しかし、それらの国の感染者数は日本とまったく違います。

「個人投資家ニュース」というサイトに、世界各国の最新の感染者数、死亡者数が一覧となって出ています。
それによると、最近感染が沈静化している中国を別にすると、現時点(3月31日)で感染者数のトップ10はこのようになっています。

アメリカ  143,836人
 イタリア  97,689人
 スペイン  85,195人
 ドイツ  63,929人
 イラン  41,495人
 フランス  40,751人
 イギリス  22,141人
 スイス  15,526人
 ベルギー  11,899人
 オランダ  11,814人
 
日本の感染者数は2000人ほどですから、ほとんどヒトケタ以上違います。

それから、これらの国は、イランを除くとすべて“西側先進国”です。
どうしてこのような偏りが生じるのかというと、BCGワクチンの接種によるという説があります。日本や韓国、ソ連東欧圏ではずっとBCG接種が行われていましたが、結核のリスクがほとんどなくなった西欧ではBCG接種があまり行われていなかったそうです。
結核菌に対する免疫が新型コロナウイルスに対してもある程度有効だということです。

この説は今のところ主にネットで言われているので、いまいち信ぴょう性がありませんが、「Bloomberg」も「BCGワクチン、豪州で治験-新型コロナへの有効性を検証」という記事を書いていて、けっこう有力かもしれません。
もしBCGが有効なら、日本では感染爆発は起こりにくいことになります。

BCGのことはともかく、日本人にとって西欧諸国は大きな存在です。日本人が「国際社会」というとき、それはほとんど西欧諸国のことです。
とりわけアメリカ、イギリス、フランス、ドイツのことは大きく報道されるので、大きな影響を受けがちです。
冷静に考えれば、それらの国と日本では感染者数がヒトケタ以上違うので、日本が同じように都市封鎖するのは愚かなことです。

ちなみにインドは3月25日、13億人を対象に21日間の外出禁止令を出して全土を封鎖しました。ニュースで警官が違反者を棒で叩いたり、罰としてスクワットをさせたりする映像を見た人もいるでしょう。
ところが、このときインドでの感染者数は500人余りでしたし、現時点でも1000人ちょっとです。
おそらくイギリスなどの影響を受けすぎて、パニックになって都市封鎖の判断をしてしまったものと思われます。

今、日本が「緊急事態宣言」の議論をしているのも同じようなものです。

「緊急事態宣言」というと、なにかすごいことが起こりそうですが、日本の「緊急事態宣言」では罰則のある外出禁止令は出せません。ですから、今までと同じ外出自粛要請とイベント自粛要請が続くだけです(強制的な土地収用や物資の保管命令などはできるようになります)。

日本が欧米の真似をするのも、インドの真似をするのも愚かなことです。

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東京オリンピック延期が3月24日に決定されたとたんに、東京での新型コロナウイルスの感染者数が急増しました。やはり誰かがコントロールしているのでしょうか。

とはいえ、まだまだ日本人の危機意識は少ないようです。
その代表格が安倍首相夫妻です。
昭恵夫人が3月末に都内で私的“桜を見る会”を楽しんでいたと「NEWSポストセブン」が報じました。

安倍昭恵氏、花見自粛要請の中で私的「桜を見る会」していた
 満開を迎えようという桜、そして笑顔の男女──その中心にいるのは、安倍首相の妻・昭恵夫人だ。森友学園問題をめぐり自殺した近畿財務局職員の手記が報じられ、疑惑が改めて注目される中、渦中の昭恵夫人は私的な“桜を見る会”を楽しんでいた。
 3月下旬の都内某所、ライトアップされた桜をバックに肩を寄せ合う13人。その中心に写っているのが昭恵夫人だ。写真を見た、参加者の知人はこう話す。
「この日の参加者は、昭恵さんと以前から交流があった人が中心だそうです。写真で昭恵夫人の隣にいるのは人気モデルの藤井リナさん。藤井さんは2014年にYouTubeで昭恵さんと対談するなど、もともと交友があったようです。他にもアイドルグループ・NEWSの手越祐也さんや音楽プロデューサーなど芸能関係者の姿もありました」
 新型コロナウイルスの感染拡大を受け、小池百合子・東京都知事が花見の宴会などの自粛を要請する中、この写真を世論はどう受け止めるだろうか。
(後略)
https://www.news-postseven.com/archives/20200326_1550908.html/2

昭恵夫人は、森友問題から「桜を見る会」問題まで、世の中を引っかき回してきましたが、今も同じです。

昭恵夫人はそういう人だとして、問題は安倍首相です。危機意識がまったくないのです。
3月27日の参院予算委で立憲民主党の杉尾秀哉議員にこの問題を質問されると、安倍首相は「レストランで知人と会合を持った際に、レストランの敷地内の桜の下で撮っている」と主張し、「東京都が自粛を求めている公園での花見のような宴会を行なったという事実はない」「レストランに行ってはいけないのか」などと反論しました。

詭弁を弄して自己正当化をはかるのはいつものことですが、最大の問題は、安倍首相が感染のメカニズムをまったく理解していないことです。
問題は花見か否かではありません。
レストランで13人も集まって会食したら、密閉、密集、密接という三つの「密」を犯して、感染リスクを高めることになるからよくないのです。

昭恵夫人が感染したら安倍首相も感染する可能性が大です。
安倍首相としては、自分が感染するのは国家安全保障上の大問題ですから、昭恵夫人に向かって、そんな危ないことはやめろと言うのが当然です。


感染に対する危機感のなさは、安倍政権に一貫しているものです。安倍首相だけでなく、加藤厚労相や菅官房長官の言動にも危機感はありませんし、自民党議員全体もそうです。自民党の打ち出した経済対策は「お肉券」や「お魚券」といったものです。

一度だけ危機感がありそうに思えたのは、安倍首相が2月29日に全国の小中高の一斉休校を打ち出したときです。
しかし、一斉休校にするのは、学校を通じて感染が拡大するのを防止するためのはずですが、安倍首相は記者会見でまるで「子どものため」であるかのように言いました。

 学校が休みとなることで、親御さんには御負担をおかけいたします。とりわけ、小さなお子さんをお持ちの御家庭の皆さんには、本当に大変な御負担をおかけすることとなります。それでもなお、何よりも子供たちの健康、安全を第一に、多くの子供たちや教職員が日常的に長時間集まる、そして、同じ空間を共にすることによる感染リスクに備えなければならない。どうか御理解をいただきますようにお願いいたします。
 万が一にも、学校において子供たちへの集団感染のような事態を起こしてはならない。そうした思いの下に、今回の急な対応に全力を尽くしてくださっている自治体や教育現場の皆さんにも感謝申し上げます。
https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/statement/2020/0229kaiken.html
安倍首相はこのときから感染のメカニズムがわかっていませんでした。
そのため、感染者のいない県にまで一斉休校を要請し、一方で学童保育施設で子どもたちが“濃厚接触”するというおかしなことになりました。

これはまずいやり方だったので、安倍首相は3月20日に休校要請は延長しないことを表明し、4月の新学期は平常通りになる見通しですが、感染者が急増して東京都が週末の外出自粛要請しているのとちぐはぐな動きになりました。


ところで、ドイツのメルケル首相は3月18日、きびしいウイルス対策をとることについて国民の理解を求めるための演説をしましたが、こちらは安倍首相とは対照的です。
その演説から一部だけ引用します。

ウィルス学者の助言は明確です。握手はもうしない、頻繁によく手を洗う、最低でも1.5メートル人との距離を取る、特にお年寄りは感染の危険性が高いのでほとんど接触しないのがベスト、ということです。
こうした要求がどれだけ難しいことか私は承知しています。緊急事態の時こそお互いに近くにいたいと思うものです。私たちは好意を身体的な近さやスキンシップとして理解しています。けれども、残念ながら現在はその逆が正しいのです。これはみんなが本当に理解しなければなりません。今は、距離だけが思いやりの表現なのです。
よかれと思ってする訪問や、不必要な旅行、こうしたことすべてが感染拡大を意味することがあるため、現在は本当に控えるべきです。専門家がこう言うのには理由があります。おじいちゃんおばあちゃんと孫は今一緒にいてはいけない、と。
不必要な接触を避けることで、病院で日々増え続ける感染者の世話をしているすべての方々を助けることになります。こうして命を救うのです。
https://www.mikako-deutschservice.com/post/コロナウイルス対策についてのメルケル独首相の演説全文

メルケル首相は感染のメカニズムを理解した上で、危機感を持って国民に呼びかけています。
比較すると、安倍首相の認識がまったくだめなことがわかります。

なお、日本では若者の行動抑制を求めていますが、ドイツでは年寄りと接触しないよう求めていて、目的が明快です。


今はウイルスが相手の戦いですから、科学的で合理的なやり方をしなければなりませんが、安倍首相の頭には精神主義ばかりが詰まっていて、科学的とか合理的ということを理解できないのかもしれません。

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東京オリンピック開催が1年程度延期されることになりました。
もやもやが解消して、すっきりした気分です。
ちょっと冷静になったところで、最近の新型コロナウイルスの感染拡大について考えてみました。

このところ、イタリア、スペイン、フランス、ドイツ、イギリス、アメリカという欧米諸国で爆発的に感染拡大が進んでいます。

中国はかなり感染を抑え込んで、少しずつ封鎖解除を進めています。
平常へと近づけていくと、また感染が拡大するのではないかという懸念はありますが、とりあえずはいい傾向です。

韓国は早くに感染が発生しましたが、最近はかなり抑え込んでいます。
韓国のやり方を手本にするべきだという声もあります。

日本も早くに感染が発生しましたが、感染者の数はそれほどふえません。
PCR検査の数を意図的に抑えて、感染者を少なく見せかけているのではないかという疑惑がずっとありました。そういうことはあるのかもしれませんが、最近の他国での爆発的な感染拡大を見ると、やはり日本での感染は少ないと思えます。

日本で感染が抑えられている理由として、公衆衛生のレベルが高いからだという説があります。日本人はもともと手洗いやうがいをよくし、マスクをつける習慣があったということです。
確かにそれもあるでしょう。

それに加えて、対人関係の文化もあると思います。

日本人のあいさつはおじぎです。
対して欧米のあいさつは、握手、キス、ハグです。
おじぎは身体の接触がありませんが、握手、キス、ハグにはあります。
これは感染に関して大きな違いです。

日本人は肉親の間でも体を接触させるあいさつをしません。
たとえば、戦争に行って死んだと思われていた息子が奇跡的に帰ってきて、母親と感動の対面をしたというときも、日本人は抱擁はしません。互いに見つめ合って、せいぜい手を握るくらいです。
そもそも愛情表現の習慣がないともいえます。
小津安二郎の映画でも、家族間の愛情は、表情やわずかなしぐさで表現されるだけです。

対して欧米では、愛情表現も“濃厚”です。
とくにラテン系の国にその傾向があり、イタリアやスペインでは女性を見ると男は口説いてくるという話もあります。

友人関係のあいさつも日本と違います。
「イタリア人の挨拶の仕方は?キスは上手? 」というサイトを参考にまとめてみました。

イタリア人は、初対面では握手をします。
普通の友人だと、頬と頬を合わせてキスの音を立てるというあいさつをします(音を立てるだけでキスはしていない)。右と左の頬に1回ずつ計2回しますが、スイスだと計3回するそうです。
親しい友人になると、実際に頬に唇を当ててキスをします。
そして、カップルになると、人前でも唇と唇を合わせてキスをします。

このように日常的に手や唇を接触させていれば、感染が爆発的に広がるのも納得がいきます。


日本ではおじぎが基本ですから、誰とも体の接触はありません(名刺交換で間接的に触れるぐらいです)。
それに、若い人は人間関係が希薄です。オタクは、二人称に「お宅」という言葉を使っていたことが語源で、他人行儀なつき合い方をします。最近は“”恋愛離れも言われます。“引きこもり”は感染のリスクは限りなくゼロに近いです(引きこもりは家族ともめったに顔を合わせません)。
現に日本では若者の感染者の数はかなり少ないようです。

欧米は握手、キス、ハグの文化で、アジアはだいたいおじぎの文化です。
また、ラテン系の国と北欧の国でもあいさつの文化や人間関係のあり方は微妙に違います。
中国人は、日本人と比べても大声で話す傾向があり、その分つばなどが飛ぶ理屈です。
最近の日本人は熱くなって議論するということがあまりない気がします。
こうした文化の差が感染の差になって現れている気がします。
もっとも、これから感染が広がりそうですが。

もともと握手、キス、ハグというのは感染症のリスクがあり、そういう文化のあることが不思議でした。
これをきっかけに欧米もおじぎの文化になっていくかもしれません。

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新型コロナウイルスの世界的感染拡大で、東京オリンピックの予定通りの開催はむりな情勢です。

そこで1年延期か2年延期かという議論になっていますが、私の考えるベストのシナリオは、3か月延期しての10月開催です。
10月なら気候も申し分ありませんし、選手選考をやり直す必要もないはずです。

もちろんそのときに新型コロナの感染がある程度終息しているというのが条件です。
いつ終息するかを見通すのは困難ですから、とりあえず日本としては3か月延期を提案し、そのときにまだ終息していなかったら1年延期にすればいいわけです。

しかし、この案は非現実的だと思う人が多いかもしれません。アメリカのテレビ局にとって、秋の開催だとほかのスポーツイベントと重なってしまいます。もともと猛暑の7月開催になったのも、巨額の放映権料を払うアメリカのテレビ局の都合に合わせたからです。
したがって、延期するとなれば、入ってくるはずの放映権料が入ってこなくなり、大きな損失が発生します。

しかし、オリンピックについての最終的な責任はIOCにあります。
ここは安倍首相やJOCががんばって、その損失分はIOCに穴埋めさせることです。
IOCは誘致をめぐる裏金疑惑が絶えない組織ですから、金の亡者みたいな人間が集まっていそうですが、アスリートや国際世論を味方につければ、IOCに払わせることも不可能ではないと思います。

それがむりなら、各国のオリンピック委員会がその国力に応じて負担するというやり方もあります。
1年か2年の延期、中止との比較の問題になるので、各国がどう判断するのかわかりませんが。


いずれにしても、3か月程度の延期を目指すのがいいのではないかと個人的に思っていたら、日本政府も同じことを考えていたようです。
17日放送の『ひるおび!』(TBS)で、田崎史郎氏が政府は10月か11月への延期を考えていると語ったのです。
田崎氏は安倍政権に深く食い込んでいる人ですから、その話には信ぴょう性があります。
田崎氏の話は「リテラ」の次の記事に詳しく書かれています。

「田崎史郎が明かした安倍首相の“五輪私物化丸出し”年内延期計画! 安倍在任中に開催のため米テレビ放映権を1400億円で購入」

田崎氏の話によると、アメリカのテレビ局の放映権料は1400億円だそうです。
そして、その分は日本政府が出すのだそうです。
なぜ日本政府が出すのかというと、安倍首相の任期中にオリンピックをやるためと、オリンピックを成功させた勢いで解散総選挙をやるためだというのです。

いろいろとあきれた話ですが、私は損失を日本政府が穴埋めするというところにびっくりしました。その発想は私にはなかったからです。

安倍政権は、一斉休校のために休業したフリーランスへの補償など国民への支払いはケチケチするのに、イージスアショアやF35戦闘機などは爆買いし、ロシアとの経済協力も進め、海外へは気前よくバラマキします。

“売国慣れ”した政治家にとっては、海外への1400億円の支払いなどはなんでもないのかもしれません。恐れ入りました。

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新型コロナウイルスは、新種であると同時に、中国以外の国にとっては外来種です。
人間は外の世界からきたものに本能的な警戒心や恐怖心を抱きます。この本能は生存に有利なものですが、合理的とは限りません。
とくに人間は国境の内と外にこだわりすぎる傾向があります。

1995年、セアカゴケグモが大阪府で発見され、それから各地に広がっていきました。当時、セアカゴケグモには毒があって、ときには死亡することもあるとして、マスコミは恐怖心をあおり立てる報道をしましたが、結局たいした被害もなく、現在はセアカゴケグモのことはほとんど忘れられています。

最近はヒアリが港湾周辺に発見されることが多く、駆除が行われています。ヒアリは、刺されると強い痛みがあって、アナフィラキシーショックで死亡することもあり、殺人アリと呼ばれるということで、やはりマスコミは恐怖心をあおる報道をしました。しかし、そういう報道はいつまでも続きません。どうやらヒアリは日本に定着しつつあるようです。

もともと日本に毒のある虫はいっぱいいて、かまれたり刺されたりすると痛くなったりかゆくなったりする虫は数えきれません。
いちばん危険なのはスズメバチです。スズメバチを中心とするハチによる死者は年間20人前後ですが、それほど恐れられていません。

新型コロナウイルスは外来種なので、今は恐れられていますが、時間がたてば外来種という意識はなくなり、そんなに恐れられなくなるでしょう。

新型コロナウイルス対策は水際作戦に失敗し、現在は世界中に広がっているので、もはやなくすことはできません。
これからは排除ではなく受容を考えるべきです。


イギリスでは3月12日、ジョンソン首相とパトリック・ヴァランス政府首席科学顧問が記者会見を行い、新しい対策を発表しました。

パトリック・ヴァランス政府首席科学顧問は「イギリスの実際の感染者は他国の検査数と陽性率を見ると5000人から1万人いるとみられます」と分析。もはや感染を止めるのは不可能なのでゆっくり感染して集団免疫を獲得すると明言しました。 
免疫を持つ人が一定割合まで増え、感染を防ぐようになることを「集団免疫を獲得する」と言います。数理モデルをつくる英インペリアル・カレッジ・ロンドンのニール・ファーガソン教授のこれまでの発言を聞く限り、イギリスの集団免疫レベルの基本シナリオは60%とみられます。 
来シーズンにはワクチンが開発されている可能性があるため、感染して自分で免疫を獲得した人とワクチン接種を受けた人の割合をコントロールしながら60%に持っていく戦略と筆者はみています。 
https://news.yahoo.co.jp/byline/kimuramasato/20200313-00167569/

イギリス国民が「集団免疫」を獲得するには、相当多数の死者が出ることになり、この方針は激しく批判されているので、今後軌道修正されるかもしれませんが、新型コロナウイルスが排除できない以上、共存するしかないということを示しています。

ドイツのロベルト・コッホ研究所も「集団免疫」への道を示しました。

新型コロナ、免疫獲得に2年の公算 致死率は不明=独研究所
[ベルリン 17日 ロイター] - ドイツのロベルト・コッホ研究所のウィーラー所長は17日、世界人口の60─70%が新型コロナウイルスに感染し、いずれ回復、免疫を得るのに2年間の時間がかかるとの認識を示した。 

ウィーラー所長はこうした経過のペースを見極めることは不可能と指摘。同時にワクチンの開発や配備のタイミング次第とした上で、こうした経過が「約2年間になるというのがわれわれの仮説だ」と述べた。 
「最終的な致死率がどの程度に達するかは分からない」とも述べた。 
(後略)
https://jp.reuters.com/article/health-coronavirus-germany-millions-idJPKBN21444C

別に国民の60%が感染しなくてもワクチンが開発されれば「集団免疫」ができるわけです。


日本ではもともと肺炎によって2018年には年間9万5000人近い死者が出ています(誤嚥性肺炎は除く)。
肺炎の原因でもっとも多いのは肺炎球菌で、肺炎球菌による死者数は1万7800人ほどです。肺炎球菌にはワクチンがあるのにこれだけの数字です。
しかし、肺炎球菌は“在来種”なので、それほど恐れられていません。
新型コロナウイルスによる肺炎も、いずれそれと同じになるものと思われます。


イベント自粛をいつ解除するかということがこれから問題になります。
新規感染者がゼロにならなければ解除しないということでは、いつまでたっても解除できません。
これからは、ある程度感染を抑えた状態で、新型コロナウイルスと共存していくことにならざるをえません。

そのとき問題になるのが、差別主義者や排外主義者の動きです。
日本では新型コロナウイルスのことを「武漢ウイルス」と呼び、さらに「武漢肺炎」とか「武漢熱」という言い方をする人がいます。
麻生太郎財務相も国会答弁で「武漢ウイルス」という言葉を使っています。
ポンペオ国務長官も「武漢ウイルス」という言葉を使いましたし、トランプ大統領は「中国ウイルス」という言葉も使いました。

WHOは差別と結びつくのを避けるために病名などに地名を使わない方針で、新型コロナウイルスは「COVID-19」と命名されています。

ウイルスの出自がどこかということはどうでもいいことです。
外国人が外国の文化を身につけているということはありますが、ウイルスが中国文化や共産主義思想を身につけるということはありません。
差別主義者や排外主義者はウイルスの脅威を利用して外国への敵意を高めようという作戦ですが、それをするとウイルスがいつまでも“外来種”という認識になり、正しい対策の妨げになります。

「愛に国境はない」と言いますが、ウイルスにも国境はありません。


安倍首相会見

記者会見の安倍首相(首相官邸HPより)

安倍首相は3月14日、新型コロナウイルス感染症に関する特別措置法の改正案が成立したことを受けて記者会見を開きましたが、これがまったくの無内容でした。
なにか新しい対策を打ち出すということもありませんし、今の一斉休校やイベント自粛がいつまで続くのかについて目途を示すということもありません。
一斉休校が続くと、4月の新学期も始まらないということが懸念されます。

安倍首相は新型コロナウイルス感染症対策の現場をまったく把握していません。
たとえばPCR検査の件数が少ないという問題について、このように語りました。

 PCR検査については、各種の取組により、現時点で、前回会見したときよりも50パーセント多い、1日当たり6,000件を超える確かな検査を行うことが可能となっています。短時間で検査ができる簡易検査機器の開発も順調に進んでおり、一部については、今月中に利用を開始できる見込みとなりました。民間検査機関における設備導入を支援することで、一層の能力増強にも努めます。
 こうした取組を通じて、今月中には、1日当たり8,000件まで検査能力が増強できる見込みです。

検査能力については、加藤厚労相が「一日最大6000件の検査能力がある」と言っていたにもかかわらず、1日に多くて千件余り、少ないと百数十件しか検査が行われていないということが問題になっていました。
なぜ検査数がふえないのかについて国民はいろいろ議論していますが、安倍首相はこの問題を完全にスルーしました。
安倍応援団は、政府は医療崩壊を招かないために検査件数をわざと抑えているので、これは正しいやり方だと言って擁護していましたが、安倍応援団も梯子を外されました。

安倍首相は検査件数が少ないという問題を理解していないか、なにかを隠ぺいしているのでしょう。


安倍首相は新型コロナウイルス問題を理解していないためか、自分で対策を考えることができません。

北海道の鈴木直道知事が2月26日、緊急会見を開き、全道の小中学校について1週間の休校要請をしましたが、これは英断だと評価する声が多数でした。
するとその翌日、安倍首相は全国の小中高などに3月2日から休校にするよう要請したのです。完全にパクリで、かつ思いつきです。専門家会議のメンバーも、会議で議論していないし、相談もされていないと言っています。

それから安倍首相が打ち出した対策は、安倍支持者が求めていた中国韓国からの入国禁止措置です。
安倍首相は最初、習近平主席の国賓としての訪日を意識したためか中国からの入国制限をせず、ようやく2月1日になって湖北省からの入国拒否を決め、本格的に中国と韓国からの入国拒否を始めたのは3月9日からです。
こうした入国拒否は安倍応援団には評価されたようですが、これらの政策はあくまでウイルスの侵入を防ぐ水際対策ですから、すでに国内に感染が広がっている段階では意味がありません。

安倍首相が思いつきと支持者向けの政策しかできないのは、政府内の専門家がまともな政策を出せないからです。
政府内の専門家とは国立感染症研究所のことです。
自民党は長期政権によって政府と一体化しているので、安倍首相もこうした組織を批判することができませんし、マスコミも批判しません。
そのためほとんどの国民もどこに問題があるのかわかりません。
原発事故のとき、原子力安全委員会、原子力安全・保安院、東電本社などをマスコミはほとんど批判しませんでしたが、それと同じことが起こっています。

そうした中で、「選択」3月号が国立感染症研究所についての記事を書いていました。PCR検査の問題についても言及されています。
3月1日発売号なので最近の事情には触れられていませんが、国立感染症研究所を批判的に書いた記事は貴重なので、前半だけ紹介しておきます。


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国立感染症研究所

WHOのテドロス事務局長は3月11日、新型コロナウイルスの感染拡大についてパンデミックを宣言しました。

12日昼のTBS系「ひるおび!」によると、世界の感染者数は、イタリアが1万2000人余り、韓国が7000人余り、フランスとスペインが2000人余り、ドイツが1500人余り、アメリカが1000人余り、イランが約9000人ということです。

それに対して日本は、クルーズ船を含めて1330人です。
日本では感染者の発生が早かったのに、それほどふえていません。
他国で感染者数が爆発的に増加しているのを見ると、日本の感染者数の少なさが不思議に思えます。

これについては、日本の感染対策がひじょうにうまくいっているのだという考え方があります。
3月9日に新型コロナウイルス対策の専門家会議が「日本の状況は、爆発的な感染拡大には進んでおらず、一定程度持ちこたえている」という見解を発表したのは、その立場です。
それに対して、日本で感染者数が少ないのはPCR検査の件数を意図的に抑えているからで、実際の感染者数はかなりのものだという考え方もあります。
どちらが正しいかはともかく、日本のPCR検査の件数がひじょうに少ないのは事実です。

9日の時点で日本の累計の検査件数は8700件余りです。対して8日の時点で韓国は18万件余り、イタリアは4万件余りです。
https://lite-ra.com/2020/03/post-5302.html


日本の検査数が少ないのは、東京オリンピック開催のために感染者数を少なく見せたいからだという説がありました。つまり安倍政権の意向だということです。
しかし、安倍首相もこれはコントロールできていないようです。
安倍首相は2月29日の記者会見で「かかりつけ医など身近な医者が必要と考える場合は、全ての患者が検査を受けられる十分な能力を確保する」と語りましたが、3月3日の参院予算委員会の答弁では、PCR検査を希望者全員が受けられるかどうかについて「今すぐにできるということは全く申し上げていない」と述べ、姿勢を後退させました。
加藤厚労相は「一日最大6000件の検査能力がある」と言っていますが、今のところ、検査に保険が適用された初日の6日に1200件余りあったのが最高です。
PCR検査数を低く抑えているのは厚生労働省や国立感染症研究所で、これについては安倍首相や加藤厚労相もアンタッチャブルのようです。
テレビに出ている感染症の専門家もたいていは国立感染症研究所の出身者なので、このあたりのことについてはほとんど語りません。


なぜ厚労省や国立感染症研究所はPCR検査数を低く抑えているのかというと、国立感染症研究所の利権がからんでいるからだという説もありますが、単純に彼らは日本の医療崩壊を恐れているのではないかと思います。
武漢では患者が病院に殺到して、ベッド数が足らず、医師や看護師にも感染者が続出するという事態になりました。そうした事態を避けたいのです。

日本ではPCR検査を受けるには、「37.5度以上の発熱が4日以上」などの条件が設けられ、保健所を通すことでさらに道は狭められ、新型コロナウイルス感染の恐れのある人は病院にこさせない政策がとられてきました。
これは現在も同じで、テレビの政府広報でも風邪の症状のある人は「外出を控え、自宅で静養してください」という呼びかけをしています。

スクリーンショット (14)

風邪の症状の人が検査を求めて病院に押しかけると、中には新型コロナウイルスに感染している人もいるでしょうから、病院を通じて感染が拡大し、医療関係者にも感染します。
感染者でも8割は軽い症状で治るということですから、重い症状の人だけ検査して治療すればいいという方針です。

専門家会議が「持ちこたえている」と言ったのは、違和感のある表現でした。なにが持ちこたえているのかよくわかりません。
これは正確には、「日本の医療体制は崩壊に至らずに持ちこたえている」という意味でしょう。
専門家の頭にあるのは、国民の命と健康ではなく、日本の医療体制ことばかりです。


ただ、検査数を抑えて医療崩壊を防ぐことは結局日本人の命と健康を守ることになるという考え方もあります。
こういう考え方の人は、イタリアは検査しすぎたからパニックになったと言って、検査数の少ない日本を擁護しています。

ソフトバンクグループの孫正義会長は、新型コロナウイルス感染を調べる簡易PCR検査を100万人に無償提供する計画を発表しました。これは個人の家に検査キットが送られてきて、検査機関に送り返し、病院を通さずに検査結果が知らされるというシステムで、病院に負担はかかりませんが、反対の声が強くて、孫会長は計画撤回を表明しました。
日本のやり方はなんでもいいと盲信する人が多いようです。


もちろん検査数を抑えるのがいいという理屈はありません。

安倍首相は2月26日に「2週間程度のイベント自粛」を要請し、3月10日に「今後10日程度のイベント自粛継続」を要請しました。
「2週間程度」といい「10日程度」といい、根拠がありませんし、いつ自粛解除になるのかもわかりません。
新規の感染者数が十分に少なくなれば、感染の終息宣言を出して、イベント自粛は解除できるはずですが、日本では感染者の数がもともと少ないので、どこまで少なくなれば終息宣言が出せるのかよくわかりません。
これから検査数が増えていくと、実際の感染者はへっているのに検査で判明した感染者は増えるという事態も起こりえます。
つまり日ごろからちゃんと検査をしていないと、終息宣言も出せないのです。
終息宣言が出せないと、東京オリンピック開催もできません。

それから、検査数をへらして医療崩壊を防ぐというやり方は、いずれ暖かくなればウイルスの感染力は弱くなるだろうという楽観的シナリオに支えられています。
この楽観的シナリオは正しいとは限りません。
もし正しくなければ、検査しないために目に見えない感染がどんどん拡大していき、最終的により大規模な医療崩壊が起こることになります。

真実を隠しておくほうがいいなどということはありません。

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安倍首相の小中高の全国一斉休校要請が混乱を生んでいます。

本来は新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐという目的があって、休校はその手段です。感染防止という目的がわかっていれば、周辺に感染者の出ていない地方の学校を休校にする必要はほとんどないことがわかりますし、学校に行かない子どもが学童保育の施設に集まって濃厚接触するのではむしろマイナスになることもわかります。

ところが、安倍首相はおそらく感染防止よりも支持率回復のために休校を打ち出したので、日本中がなんのための休校かわからなくなっています。

朝日新聞の「休校の中高生、居場所は 部活休み・娯楽施設も制限… 新型コロナ」という記事によると、「文部科学省は2月末、全国の都道府県教育委員会に、3月2日から春休みまで小中高校などの臨時休校を求めた。人の集まるところへの外出を避け、基本的に自宅で過ごすよう求めた。部活動も自粛だ」ということです。
つまり単なる休校ではなく、小中高生は自宅に謹慎していなければならないのです。
記事は、それに合わせたさまざまな動きも書いています。

 ゲームセンターを展開する「セガ エンタテインメント」は2~13日、平日は午後3時まで小中高生の入場を制限している。店を出るよう言われたという中学2年の男子(14)は「親は勉強しろと言うが、ずっとは勉強できない。気晴らしになるかなと思ったのに」。
(中略)
レジャー施設「ラウンドワン」も、系列の店舗で2~13日の平日は午後3時まで、小中高校生だけでの入場を規制する。東京都世田谷区のカラオケ店「カラオケALL桜新町店」も2~13日、高校生以下の利用自粛を求める。
 図書館ですら、高校生以下の利用を制限するところも。埼玉県久喜市は3~31日、市内にある四つの市立図書館で児童・生徒の利用を禁止した。同県入間市でも小中高校生の図書館利用を4日から禁じている。

映画界では、すでにTOHOシネマズが休校期間中の小中高校生の鑑賞について「ご遠慮いただく場合がございます」と表明しており、さらにイオンシネマも公式サイトで「休校期間中の小中高生のお客さまのご鑑賞につきましては、ご遠慮いただく場合が御座います」と表明しました。
映画館はむしろ行き場のない小中高生のために入場料を割り引いてもいいぐらいですが、逆のことをしています。


要するに小中高生は自宅でじっとしていろということです。
その間、父親は会社に行き、母親はパートに行き、さらにカルチャースクールに行ったりママ友と会ったりすることにはなんの制限もありません。
感染防止という点からはまったくちぐはぐです。


厚生労働省も若者をターゲットにしています。

新型コロナウイルス感染症対策専門家会議のメンバーが3月2日に会見を開き、感染しても症状の軽い若年層が、気づかないままに感染を拡大させている可能性があるという見解を示しました。
このことは厚生労働省のサイトにも載っています。


新型コロナウイルス感染症対策専門家会議
「新型コロナウイルス感染症対策の見解」
(1)症状の軽い人からの感染拡大
これまでは症状の軽い人からも感染する可能性があると考えられていましたが、この一両日中に北海道などのデータの分析から明らかになってきたことは、症状の軽い人も、気がつかないうちに、感染拡大に重要な役割を果たしてしまっていると考えられることです。なかでも、若年層は重症化する割合が非常に低く、感染拡大の状況が見えないため、結果として多くの中高年層に感染が及んでいると考えられます。
(中略)
(3)現状に至った理由
都市部においては、社会・経済活動が活発な人々が、感染のリスクが高い場所に多く集まりやすく、気づかないうちに感染していたと考えられます。なかでも、若年層に、症状の軽い人が多いと考えられ、そうした人々の一部の人が他の圏域に移動することで、北海道の複数の地域に感染が拡大し、感染した高齢者のなかから症状が出たことが報告されたことによって、感染の拡大状況がはじめて把握できたと考えられます。
(中略)
6.全国の若者の皆さんへのお願い
10代、20代、30代の皆さん。
若者世代は、新型コロナウイルス感染による重症化リスクは低いです。
でも、このウイルスの特徴のせいで、こうした症状の軽い人が、
重症化するリスクの高い人に感染を広めてしまう可能性があります。
皆さんが、人が集まる風通しが悪い場所を避けるだけで、
多くの人々の重症化を食い止め、命を救えます。
以上
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/newpage_00011.html

若者の行動抑制こそが感染防止の決め手であるかのような主張です。

若者対老人という問題の立て方をすれば、老人の感染者の死亡率が高いので、いかにして老人への感染を防ぐかが課題です。
そして、老人に感染させるのは、若者だけでなく壮年も同じですし、老人同士の感染もあります。
現に名古屋市ではデイサービス施設で集団感染が起き、この事態を受けて名古屋市は緑区と南区のデイサービス126施設に2週間の休業を要請しました。

もっとも、この専門家会議には「老人の命を守る」という問題意識はなく、「社会への感染拡大を防ぐ」ということをもっぱら考えているようです。
しかし、「社会への感染拡大を防ぐ」ということについても、若者をターゲットにするのは間違っています。

若者が主に接触する人というのは、家族と少数の友人ぐらいです。
しかし、営業マンとか宅配便の配達員とか商店や飲食店の店員は多数の人と接触します。
いや、会社員が会社に行くだけでも多くの人と接触します。
「社会への感染拡大を防ぐ」ということなら、経済活動の自粛を要請しなければなりません。


そもそも安倍首相も、感染拡大を防止したいならば、一斉休校を要請するよりも先に、経済活動の自粛を要請するべきです。
それをするとあまりにも影響が大きいので、ビビッてできず、代わりに一斉休校要請に逃げたわけです。

専門家会議も、「都市部においては、社会・経済活動が活発な人々が、感染のリスクが高い場所に多く集まりやすく、気づかないうちに感染していたと考えられます」と言いながら、「社会・経済活動が活発な人々」を規制するのではなく、「若者」を規制するほうに逃げたわけです。

現実には、企業も外回りの営業活動は大幅に縮小していますし、飲食店の多くは閑古鳥が鳴いています。
現実のほうが先に行っているのです。

安倍政権はいち早く中国人の全面入国禁止を打ち出せなかったときから、後手後手の対応を続けて、ここにいたっても後手です。
そのとばっちりが小中高生や若者に向かったというわけです。


安倍首相は非常事態宣言にこだわっていますが、非常事態宣言がウイルスに効くわけではありません。
一斉休校と同じような混乱が起こりそうです。

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「1917 命をかけた伝令」(サム・メンデス監督)を観ました。

「全編を通してワンカットに見える映像」が売りで、確かにそれはすごいのですが、それだけではありません。戦争映画としての新機軸がいくつもあります。

サム・メンデス監督といえば、「アメリカン・ビューティー」が衝撃的でした。アメリカ社会の病理を深く描きつつ、同時にじゅうぶんにおもしろい映画になっていました。
メンデス監督は「007 スカイフォール」なども撮っていて、そういうエンターテインメント性もあるし、イギリスの舞台演出でも実績のある人なので芸術性もあるということで、両面できるのが強みです。


第一次世界大戦下、二人のイギリス兵に重要な伝令の任務が与えられ、二人は敵中を横断して、その二日間にさまざまなことがあるという物語です。
物語としてはきわめて単純です。意外な展開があるということはありません。
ただ、敵中といっても敵は撤退したあとなので、緊張の連続というわけではなく、いろいろな人との出会いもあります。

この映画の見どころは、一言でいえば「戦場の臨場感」です。

まず美術スタッフの力がすごくて、たとえば塹壕とか、敵が撤退したあとの砲兵陣地とか、戦場に放置された死体とかがひじょうによくできています。
それがワンカットでずっと続いていくと、自分もそこにいるような気分になってきます。
ストーリーにひねりはなくても、次になにが起こるかわからない戦場の緊迫感があるので、引き込まれてしまいます。


それから、人間の描き方が類型的ではありません。
これまで戦争映画というと、英雄的な兵士、鬼軍曹、理不尽な上官、未熟な補充兵、乱暴者、ひょうきん者といった類型ばかりでした。
敵と味方の描き方も違います。ですから、バタバタと敵を殺すシーンを見ても、罪悪感を感じることはありません。
ところが、この映画に出てくるのは、“普通の人間”ばかりです。
敵兵の出てくるシーンはそれほど多くありませんが、敵兵も“普通の人間”なので、主人公が敵兵を殺すシーンを見ると、「人を殺した」という実感があって、ショッキングです。


戦争映画というのは、つくり手の価値観が強く反映されます。
英雄的な兵士を讃えたいとか、国の誇りを描きたいとか、あるいは戦争の悲惨さを訴えたいとか、戦争指導者の愚かさを描きたいといった“志”が必ずあるものです。つまり戦争映画というのは、戦争賛美映画か反戦映画かのどちらかです。
スピルバーグ監督の「プライベート・ライアン」は、戦争の悲惨さをリアルに描いたと評価されていますが、基本は兵士の勇敢さを讃える映画です。

つくり手が“志”を持つと、見方が偏ってしまい、戦争の全体像が見えてきません。
この映画はそうした偏見を極力排したことで、「戦場の臨場感」が体感できる映画になりました。


また、この映画には“死”が描かれます。
映画や小説というのは、死をより悲劇的に描こうとするもので、たとえば最愛の恋人が白血病になるとか、肉親が末期がんになるといった物語を量産してきました。
戦場の死の場合は、強い友情で結ばれた戦友の死がいちばん悲劇的ですから、そうした物語になりがちです。

ところが、この映画はその点でも画期的です。
二人の伝令兵は、命令を受けたときたまたまその場にいたために、いっしょに任務につくことになります。とくに親しかったわけでないことが、二人の会話でわかります。
ですから、その死は肉親の死でも恋人の死でも特別な戦友の死でもない、“普通の死”です。
特別な友情はなく、たった一日行動をともにしただけの関係でも、死というものがいかに重いかがわかります。


塹壕戦の映画というと、どうしても画面が暗くなりがちですが、この映画は明るくて、色彩的にも鮮やかです。平原を見渡すシーンも多く、爽快感もあります。


この映画を観ると、これまでの戦争映画がいかに偏見にとらわれていたかがわかります。
戦場や死を臨場感をもって体験できる価値ある映画です。

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