最近、優生思想に関する出来事が目につきます。
7月23日、ALSの女性患者に薬物を投与したとして2人の医師が逮捕されましたが、2人はツイッターや電子書籍で「高齢者や障害者は死んだほうがいい」と主張していました。
衆院選に立候補したこともある「れいわ新選組」の大西つねき氏は、自身のYouTubeチャンネルで「命、選別しないとだめだと思いますよ」「もちろん高齢の方から逝ってもらうしかないです」などと発言し、党から除籍されました。
7月26日は、4年前に津久井やまゆり園で19人が殺害された事件のあった日で、新聞などが事件を回顧する記事を載せましたが、死刑が確定した犯人は「意志疎通のできない重度の障害者は安楽死させるべきだ」という考えの持主でした。
そして、RADWIMPSのボーカル・野田洋次郎氏が7月16日、ツイッターに「大谷翔平選手や藤井聡太棋士や芦田愛菜さんみたいなお化け遺伝子を持つ人たちの配偶者はもう国家プロジェクトとして国が専門家を集めて選定するべきなんじゃないかと思ってる」と投稿して、批判されました。
こうした優生思想は、批判される一方で、つねに一定の賛同者が現れます。
とくに野田洋次郎氏のツイートには、人を殺せと主張しているのでないこともあって、「なにが問題かわからない」とか「ほめてるんだからいいだろう」という意見がけっこうあるようです。
このような賛同者が出るのは、批判する側が「これはナチスの優生思想と同じだ」という批判しかしないこともひとつの理由です。
こうした紋切り型の批判は、優生思想の賛同者に効果がないのはもちろん、優生思想について知らない人にも効果がありません。
紋切り型にならずに、それがなぜだめなのかをわからせるような批判をすることも必要です。
野田氏のツイートを材料にして、そうした批判をしてみたいと思います。
野田氏のツイートを改めて示しておきます。
このツイートに批判が殺到すると、野田氏は「めちゃめちゃ真面目に返信してくださる人いますが冗談で言っています、あしからず」とツイートしましたが、「冗談」でごまかしたことがさらに批判を招きました。
なお、野田氏の所属するRADWIMPSは、アニメ「君の名は」の主題歌「前前前世」などで知られる人気バンドです。
おそらく野田氏は、「お化け遺伝子」という言葉を思いついて、その言葉をもとに(たいして深い考えもなしに)ツイートしたのでしょう。
しかし、「お化け遺伝子」とはずいぶんと失礼な言葉です。
「お化け遺伝子」を持った人間は「お化け」ということになるからです。
「お化け遺伝子」を「天才遺伝子」と言い換えても同じです。
藤井聡太棋聖が将棋が強くなったのは、遺伝子のせいだけではなく、本人の努力と、師匠や両親やさまざまな環境の影響があったからです。
藤井棋聖に対して「天才遺伝子を持っているからそんなに将棋が強いんですね」と言うのは失礼です。
というか、誰に対しても「あなたが成功したのは遺伝のおかげですね」というのは失礼です。
「配偶者は国が選定するべき」というのは、誰が考えてもむちゃな話です。「婚姻の自由」の侵害です。
これについては「なんで結婚相手を国に決められなきゃいけないんだ」という批判で十分でしょう。
それから、野田氏の説では、「お化け遺伝子」を持った人の子どもも親と同じ道に進むことになっているようです。
もし藤井棋聖が国家プロジェクトにより誰か一流女性棋士と結婚して、子どもをつくったとして、その子どもが棋士の道に進まなかったら、「君の誕生には国費が投入されてるんだぞ。自分勝手な人生を歩むことは許されん」という非難が浴びせられるでしょう。
つまり子どもの「職業選択の自由」も無視されているのです。
野田氏の“お化け遺伝子結婚国家プロジェクト”案は、本人の人権も子どもの人権も無視したトンデモ案です。
優生思想という言葉を持ち出さずとも十分に批判できます。
なお、スポーツや囲碁将棋のような実力の世界では、親が一流で子どもも一流というケースはひじょうにまれです。
世襲制が機能しているのは、むしろ政治や実業のような社会的文化的要素の強い世界です。
野田氏が「お化け遺伝子」というおかしなことを考えて、それに賛同する人もいるのは、マスコミが大谷翔平選手や藤井聡太棋聖のことをあまりにも持ち上げすぎて、「自分たちと違う特殊な人間」というイメージをつくりあげたからではないでしょうか。
マスコミは凶悪犯罪があったとき、犯人を猛烈に批判して、やはり「自分たちと違う特殊な人間」というイメージをつくるので、一般の人が平気で「死刑にしろ」などと言いますが、それとベクトルが逆なだけです。
野田氏の説については、スポーツや将棋は国家のためにすることなのかという批判ももちろんあります。
天才的な人や凶悪犯や重度の障害者や難病患者などもすべて自分と同じ人間です。
「自分たちと違う特殊な人間」というのは偏見です。
偏見がなければ優生思想もありません。