村田基の逆転日記

進化倫理学の威力を試すブログ

2020年10月

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いじめ防止のために「あだ名禁止」の学校がふえているそうです。
最初はツイッターで話題になったようですが、「グッとラック!」や「バイキングMORE」などのワイドショーで取り上げられ、賛否両論が巻き起こっています(ヤフーニュースの記事はこちら)。

確かにあだ名はいじめのひとつの手段として使われることがありますが、ひとつの手段を禁止しても大した意味はありません。ほかの手段が使われれば同じことです。

あだ名は親しみの表現としても使われます。
というか、本来はそういうものです。
「子どものころどんなあだ名で呼ばれてた?」と聞かれて、あだ名がなかったという人は、少なくとも人気者ではなかったんだなということになります。
あだ名がいじめと結びつけられるのは、今の学校によほどいじめが蔓延しているということでしょう。


同様にいじめ防止の理由で、一律に「さん付け」の呼び方をさせる学校もふえているということです。
こうなると行き過ぎが明白です。

男の子の場合、クラスの中で親しい友だちは呼び捨てないしあだ名で呼び、距離のある子には「君付け」、女の子には「さん付け」というのが一般的でしょう。
男同士でも、上の学年には「さん付け」になります。
つまり距離感と上下関係で呼び方が変わるわけです。
ですから、「君付け」で呼んでいた子と次第に親しくなると、あるときから呼び捨てやあだ名に変わることになりますが、いつ変えるかの判断がひじょうに微妙です。
しかし、こうした判断をすることが対人能力の向上に役立ちます。
誰に対しても「さん付け」では、距離感も上下関係も関係なくなり、人間関係の複雑さが学べません。

あだ名にしても、こんなあだ名で呼ぶと相手はいやがるという経験をして、相手の気持ちが読めるようになります。

「あだ名禁止」「一律さん付け」という規則は、子どもの対人能力の向上を妨げる愚策です。


今の学校教育は、授業で教えることばかりに価値を置いて、それ以外の価値を無視しているのではないでしょうか。
人間が生きていく上でたいせつなことのひとつに人間関係の能力がありますが、これは授業では学べません。
子ども同士が遊んだり雑談したりする中で身につけることです。


もっとも、昔はそんなことを意識する必要はありませんでした。
子どもは近所の子たちと十分に遊ぶ時間があったからです。
しかし、マイカーの普及で子どもの交通事故がふえ、習いごとや学習塾に行く時間もふえて、子ども同士で遊ぶ時間が少なくなりました。

最近は保育園などで子どもが喧嘩すると止めますが、それも問題です。
喧嘩して、仲直りすることで、人はどんなことでキレるかを知り、仲直りのノウハウも学べます。
SNSやオンラインゲームにはまることにも人づきあいの経験を積む意味があるので、一律に禁止するのは間違いです。


ともかく、最近の若い人は、人づきあいの経験を十分に積めず、そのため概して人づきあいが苦手で、表面的なつきあいしかしない傾向があります。
当然恋人もつくれません。これは少子化のひとつの原因でもあるでしょう。


学校教育では国語・数学・英語を主要三科目といったりしますが、人が生きていく上でそれ以上にたいせつなのが“人間関係科”です。
子どもは休み時間や部活、それに文化祭や修学旅行などの学校行事で“人間関係科”の勉強をします。
学校は子どもの学びを妨げてはなりません。

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10月26日、菅義偉首相の初めての所信表明演説が行われましたが、演説の途中で拍手が起こったのは2度だけでした。
1度目は、コロナ禍でがんばる医療関係者に対して「心からの感謝の意を表します」と言ったところで、2度目は、「2050年、カーボンニュートラル、脱炭素社会の実現を目指すことをここに宣言いたします」と言ったところでした。
このことから脱炭素社会の実現がこの演説の最大の目玉だったことがわかります。

拍手が起こらないのは、強く言い切ったあとに間を空けて拍手を催促するというテクニックを使わなかったからでもあります。けれん味がなくてよいとも言えます。

内容にこれというところがないので、野党も「学術会議任命拒否の説明はなしか」ということ以外に批判のしようがないようです。

従来は争点だった改憲問題については、このように言及しています。
 国の礎である憲法について、そのあるべき姿を最終的に決めるのは、主権者である国民の皆様です。憲法審査会において、各政党がそれぞれの考え方を示した上で、与野党の枠を超えて建設的な議論を行い、国民的な議論につなげていくことを期待いたします。
https://www.kantei.go.jp/jp/99_suga/statement/2020/1026shoshinhyomei.html
とくに改憲の意欲はなさそうです。

演説の内容に注目できないので、どうしても菅首相のキャラクターに注目がいきます。
アメリカ大統領選のさ中ということもあって、私はトランプ大統領と比べてしまいました。
菅首相とトランプ大統領はなにもかもが正反対です。


トランプ大統領は選挙演説が得意で、聴衆を大いにわかせます。原稿もなしに、たいてい1時間以上しゃべりますし、本人もノリノリで、声も張っています。
菅首相は活舌が悪く、声に張りもありません。
菅首相も選挙演説はよくしますが、聴衆をわかせるような演説はしていないでしょう。

体格も大いに違います。
トランプ大統領の身長は190センチだそうです。
政治家の身長は意外とだいじで、アメリカ大統領選では身長の記録が残るようになって以降、主要な2人の候補のうち、2期目のジミー・カーター大統領以外、つねに背の高いほうが勝っているという説があります。

ちなみにバイデン候補は183センチだそうです。
体格も圧倒的にトランプ大統領のほうがたくましくて、もしトランプ大統領とバイデン候補が殴り合いの喧嘩をしたら、トランプ大統領が圧勝するでしょう(トランプ大統領は口喧嘩も達者です)。
群れをつくるたいていの動物では、喧嘩の強いほうが群れで上位になり、いちばん強い個体が群れのリーダーになります。
人間も基本的な部分は同じです。アメリカの有権者が本能的に行動すればトランプ氏を選ぶことになります。
もっとも、今回のテレビ討論会では、コロナのせいで両候補は離れて立っていたので、体格の違いはそれほど意識されませんでした。その影響がどう出るでしょうか。

菅首相の身長については、公式発表はないようで、ネットでの推測によると165~167センチです。
総裁選で石破氏や岸田氏と並んでも、身長の低さが目立ちました。
討論会では、カンペを見ながらぼそぼそしゃべるという感じで、石破氏と岸田氏が力強く言い切っていたのと対照的でした。


菅氏が首相にまでなれたのは、人事権をうまく使ったからと言われていますが、人事のやり方についてもトランプ大統領とは対照的です。

トランプ大統領の人事はオープンです。
トランプ政権の最初の国務長官だったティラーソン長官の場合、だんだんトランプ大統領との対立が表面化して、ティラーソン長官がトランプ大統領のことを「間抜け」と言ったと報道され、ティラーソン長官がそれを否定しなかったということなどがあって、最後にトランプ大統領は「イランの核開発問題などをめぐる意見の不一致があった」ということを理由に解任しました。
ボルトン補佐官の場合は、アフガニスタンやイランなどの外交政策をめぐって意見が対立し、トランプ大統領はツイッターで「私は昨夜、ジョン・ボルトンに対し、彼の任務はホワイトハウスで必要なくなったと伝えた」と述べて、解任を発表しましたが、ボルトン補佐官はツイッターで「私は昨夜、自ら辞職を申し出た。トランプ大統領は『明日、それについて話し合おう』と言った」と主張し、解任か辞任かでも対立しました。

トランプ大統領の場合、人事の対立も劇場型になります。
おそらく「お前はクビだ!」というところを大衆に見せて、自分のリーダーシップをアピールしたいからでしょう。

菅首相の人事は密室型です。いきなり官僚を左遷すると、周りの人間はその理由を推測し、あのとき菅首相の意見に反対したからだろうということになり、それ以降、官僚は菅首相の気持ちを忖度するばかりで、反対意見など言えなくなるという仕組みです。

学術会議の任命拒否も同じやり方ですが、官僚の人事とは根本的に違うので、内閣支持率を下げてしまいました。
人は得意なことで失敗するという典型です。

もしトランプ大統領が学術会議の任命拒否をやったとしたら、どう言うか考えてみました。
「6人は政府の方針に反対したバカだと聞いている。バカを学術会議に入れろというのか?」
こんなところでしょうか。
むちゃくちゃですが、なにも説明しないよりおもしろいかもしれません。

いや、菅首相は任命拒否について少し説明をしました。
26日、NHKのニュース番組に出演した菅首相は、会員の人選について「一部の大学に偏っていることも客観的に見たら事実だ」と、任命拒否を正当化するようなことを言いました。
前に突然「推薦名簿を見ていない」と言って世の中を驚かせたのと似ています。
世の中から批判されると、つい責任逃れのことを言ってしまうのです。

その点、トランプ大統領は世の中からなにを言われても、即座に反論するか無視するかで、まったく動揺を見せません。大統領就任から4年もたっているのに、いまだに納税記録の公表を拒んで、平気な顔をしています。



私がこの記事を書こうとしたそもそもの狙いは、菅首相とトランプ大統領を比較して、密室で選ばれた菅首相はあまりにもみすぼらしいという決論に持っていくことでした。
しかし、トランプ大統領はけた外れの人間で、比較の対象にするのは間違いでした。
トランプ大統領と比べると、誰でもみすぼらしくなってしまいます。

ですから、石破氏、岸田氏、安倍前首相と比べるべきでした。
誰と比べても、菅首相は体格に劣り、活力がなく、性格の暗さが出て、見映えがしません。

裏方が似合った人間が首相になって大丈夫かと前から思っていましたが、所信表明演説を見て、改めてそう思いました。


(菅首相の所信表明演説はこちらで見られます)

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ヨーロッパに発した近代文明は、世界中に人種差別と植民地支配と奴隷制と戦争による悲惨をもたらしましたが、ヨーロッパ自身は植民地支配と奴隷制によって潤いました。
その後、ヨーロッパは植民地支配と奴隷制を放棄しましたが、いまだに反省も謝罪もしていません。植民地支配によって野蛮人を文明化してやったという認識でしょう(日本が韓国や中国と歴史認識でもめるのは、ここに根本原因があります)。


フランスの風刺新聞「シャルリー・エブド」がムハンマドの風刺画を載せたことで2015年にイスラム過激派に本社が襲撃され、12人が殺害されるという悲惨な事件がありました。

そして、今年の10月2日付の「シャルリー・エブド」がムハンマドの風刺画を再掲載し、議論を呼びました。これについてマクロン大統領は「フランスには冒涜する自由がある」と言って風刺画掲載を擁護しました。

10月16日には、表現の自由を教える題材としてムハンマドの風刺画を生徒に見せて授業をした中学教員サミュエル・パティ氏が、パリ近郊で首を切断されて殺害されるという事件が起きました。犯人はロシア国籍で18歳のチェチェン系難民の男性で、その場で警官に射殺されました。

教員殺害もシャルリー・エブド本社襲撃も絶対に許されないことです。
ムハンマドの風刺画を載せるのは「表現の自由」の範疇ではありますし、パティ氏は生徒にムハンマドの風刺画を見せることを予告して、見ない選択肢も与えたそうです。

18日にはフランス全土でパティ氏殺害に対する抗議デモが行われ、表現の自由とテロ反対を訴えました。
21日にはパティ氏の国葬が行われ、参列したマクロン大統領は「あなたが生徒たちに教えた自由をこれからも守り、政教分離を貫く。風刺画を見せる自由も諦めない」と述べました。


マクロン大統領の認識は根本的に間違っています。

これは「表現の自由」の問題ではありません。
たとえば日本にも一応「表現の自由」はありますが、誰もムハンマドを風刺しません。
シャルリー・エブドがムハンマド風刺画を掲載したのは、「表現の自由」があるからではなく、反イスラム主義の思想があるからです。
ムハンマドを風刺するのは、イスラム教徒を風刺するのとはレベルが違って、イスラムそのものへの冒涜です。

マクロン大統領としては、シャルリー・エブドの編集方針に口を出すことはできませんが、「イスラムを冒涜するのはフランス人の総意ではない」と言って、イスラム教徒の怒りをなだめることもできました。
しかし、マクロン大統領自身に反イスラム感情があるために「フランスには冒涜する自由がある」と言って、火に油を注いでしまったのです。
反イスラム感情は多くのフランス人に共通で、さらにはヨーロッパ人にも共通です。


この問題が「表現の自由」の問題でないことは、次の記事を読めばわかるでしょう。

動画拡散のモスク閉鎖へ 仏、過激派対策を強化 教員殺害テロ
フランス・パリ近郊で中学校教員サミュエル・パティさん(47)が殺害されたテロ事件を受けて、仏政府は21日、イスラム過激派対策の一環として、パリ郊外セーヌサンドニ県にあるモスクを閉鎖させる。モスクの責任者がパティさんを非難する動画をSNSで拡散させたことが理由だとしている。
仏メディアによると、モスク責任者が拡散させたのは、パティさんの中学校に通う生徒の保護者男性(48)が投稿した動画。動画では、パティさんが授業でイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を題材にしたことを問題視し、パティさんの辞職を求める運動に加わるよう呼びかけ、連絡先として保護者男性の携帯電話番号を公表していた。

 仏紙パリジャンによると、警官に射殺されたアブドゥラフ・アンゾロフ容疑者(18)は事件前、保護者男性と携帯電話でメッセージをやりとりしたという。検察は21日の会見で、動画と事件には「因果関係」があると指摘し、保護者男性を拘束して調べている。

 治安を担当するダルマナン内相は20日、テレビ番組で「問題は(フランスで)今後テロが起きるかではなくて、いつ起きるかだ」と訴え、治安維持のための規制強化に国民の理解を求めていた。

 ただし、動画では暴力の行使は呼びかけておらず、AFP通信によると、モスク責任者はモスク閉鎖について「政府が強い姿勢を示して国民の動揺をやわらげる必要があるのだろう」と皮肉った。

 また、マクロン大統領は20日、イスラム過激派対策を話し合う会議に出席し、「国民は行動を求めている。(過激派対策の)行動を強化する」と強調。仏政府が今回の事件をあおったと認定する団体を解散させることを明らかにした。

 解散させる団体は、仏政府がイスラム過激派と判断するアブデラキム・セフリウィ氏(61)が代表を務める。セフリウィ氏は、パティさんがムハンマドの風刺画を題材にした授業をした後、パティさんを「悪党」と非難する動画をSNSに投稿し、殺害事件後、仏当局に拘束された。(パリ=疋田多揚)
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14666871.html?pn=2

パティ氏への抗議を呼びかける動画をある保護者男性が「表現」したら、その男性は警察に拘束され、動画を拡散した人が責任者を務めるモスクは閉鎖されました。
また、パティ氏を「悪党」と非難する動画を「表現」した人物も警察に拘束され、その人物が代表を務める団体は解散させられます。

「表現の自由」がまったくダブルスタンダードになっています。
「反イスラム主義」が優先されているからです。


フランスでは公立学校や公共行事で宗教上の帰属を明示的に示す標章や服装を禁じる宗教シンボル着用禁止法が2004年に成立しました。
この法律は、公立学校にスカーフをしてくるイスラム教徒の女子生徒がかねてから問題になっていたことから制定されたもので、スカーフ禁止法ともいわれます。
そして、2010年には公立学校に限らず人目につく場所で顔をおおうスカーフや服を禁止するブルカ禁止法が成立しました。
スカーフ禁止法は十字架なども禁止するものでしたが、ブルカ禁止法はイスラム教徒を対象にしたものとしか考えられません。

フランスはファッションの本場で、ファッションショーには奇抜な服装や肌を大きく露出した服装がいっぱい出てくるのに、顔をおおうファッションを禁止するのは理屈に合いません。
イスラム教徒への憎悪が生んだ法律です。

フランス人は自分の反イスラム主義を「表現の自由」や「政教分離」を掲げて正当化しているので悪質です。


日本では、この問題でフランスを批判する人をほとんど見かけません。
日本の知識人はもっぱらヨーロッパの文化を受け売りすることで商売してきたからでしょう。

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1年ほど前、天ぷら屋で天ぷらの衣をはがして食べている客を店主が追い出したということがあり、ネットで客が悪いのか店主が悪いのかという議論が起きました。
その前には、とんかつの衣をはがして食べる食通がいて、とんかつ屋の店主が激怒したという話もありました。

この話が“進化”して、今回は唐揚げ屋で唐揚げの衣をはがして食べる人がいたということがネットで話題になっています。

なぜ? 唐揚げ店で「衣」をはがして食べる女性客に店主も困惑…迷惑客を追い出せるのか
外食業界はコロナ禍で大きな経済的ダメージを受けているが、「唐揚げ店」は比較的好調のようだ。近年の唐揚げブームを追い風に、各地で新規出店が続いている。

様々な唐揚げ店に行って、味の比較を楽しむ人もいるだろう。都内の出版社に勤めるコウヘイ(30代)さんもそんな一人だ。しかし、このほど同僚とランチで行った唐揚げ店で気になることがあったという。

「一緒に行った同僚の女性が唐揚げの衣をはがして食べ始めたんです。唐揚げ店に来てるのに、唐揚げの衣を食べない人がいることに驚きました」

女性に剥がす理由を聞くと、「衣をとった唐揚げの味が好き。鶏肉でタンパク質はとりたいから、定期的に来ている」と悪びれず答えたそうだ。

「『だったら唐揚げ店以外に行けばよかった』と思いましたし、案の定、店主の人もカウンターの向こうで明らかに不愉快な顔をしていたので、追い出されたりしないかとハラハラしました」(コウヘイさん)
(後略)

ここでの問題はふたつあって、ひとつはこれはマナーとしてどうなのかということ、もうひとつは店がこのような客を追い出すことは法的に可能かということです。

この記事は「弁護士ドットコム」のもので、法的なことは弁護士が回答しています。詳しくはリンク先を読めばわかりますが、ルールに従わない客は退店していただきますといった張り紙を店があらかじめしていない限り、客を追い出すことはできないということです。

マナー違反かどうかということですが、衣をはがすにはそれなりの理由があるのですし、誰に迷惑をかけるわけでもないので、マナー違反とは言えないと思います。ましてや批判されることではありません。

天ぷら屋で衣をはがして追い出された客というのは、合コンに参加した女性でした。つまり自分で選んで天ぷら屋に来たわけではないのです。しかたなく衣をはがしていたら追い出されたというのは気の毒です。

揚げ物の衣をはがす理由としては、カロリーをへらすためということがありますし、最近は糖質制限のためということもあります。また、安い揚げ物は古い酸化した油を使っているに違いないので、健康のためということもあるようです。アレルギーやその他の理由もあるかもしれません。
つまりちゃんとした理由があってやっているので、店の人がいやがらせでやっていると思ったとすれば勘違いです。


「見ていて不愉快だ」ということを理由にする人もいますが、そういう人は「揚げ物はそのまま食べるもの」という思い込みが強くて、かつ他者への想像力が欠けています。
単純に言って偏見です。


とくに食事のマナーに関する偏見は強くて、たとえば人の箸の持ち方にクレームをつける人がよくいます。
箸の持ち方は誰でも幼少期に親からしつけられます。そのときのことがトラウマになっているからではないかということを、このブログで『「箸の持ち方にうるさい人」はなにがだめなのか』という記事に書いたことがあります。

ただ、「揚げ物はそのまま食べるべき」というしつけをうけた人はいないでしょうから、これは単なる思い込みです。
考え方を柔軟にし、自分の感情が合理的か否かを判断すれば片付く問題です。

ところが、食に対して柔軟な考え方のできる人は少ないようです。
食は人間にとって根源的なものだからでしょう。
そのため「お袋の味」にこだわって、妻のつくる料理が気にいらないとか、海外旅行にいって現地の料理が口に合わなくて苦労するといったことも起こります。


そういう意味では、性も同様に根源的です。
そのため、性に対する自分の感情が不合理だと頭で理解しても、表層的な理解にとどまってしまい、LGBTに対する差別意識がなかなかなくなりません。

しかし、「食や性に対する偏見はなくなりにくい」ということをあらかじめ知っていれば、対処のしようがあります。
唐揚げの衣をはがして食べている人を見てイラッとしても、それが自分の偏見からくるものかもしれないと思えば、自分の感情が合理的なものか否かを冷静に判断して、その人を非難するようなことはしなくてすみます。
しかし、自分の偏見に気づかないと、マナー違反だ、失礼だ、食べ物を粗末にしているなどと“正義”の怒りをその人に向けてしまいます。

こうした偏見は世の中の平和を乱します。
唐揚げの衣をはがして食べる問題も世界とつながっています。

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中曾根康弘元首相の合同葬儀に約9600万円の国費が投入されるという報道が9月末にあったとき、「高すぎるのではないか」という批判の声が上がりました。

私自身は、こういう葬儀の相場を知りませんし、高いかどうか判断することができません。
私が気になったのは、金額よりも「内閣・自由民主党合同葬儀」という形式です。費用は国と自民党が折半するということで、それはいいのですが、国家と特定の政党が共同でなにかをやっていいのかと思いました。
しかもそれは葬儀という半ば宗教的な行為でもあります。

内閣府のホームページには、「令和2年10月17日(土)午後2時から」という告知とともに「開催趣旨」としてこう書かれています。
中曽根元総理は、約5年にわたり内閣総理大臣の重責を担われるなど、生涯を通じ、我が国の繁栄のために全力を傾けられたご功績及び合同葬儀の過去の先例等を総合的に勘案して、内閣と自由民主党の合同葬儀として執り行うものです。
https://www.cao.go.jp/others/soumu/goudousou/goudousou.html

法的な根拠は示されていません。
国家が特定の政党と特別な関係を結ぶというのは、まともな国家のあり方とは思えません。
一党独裁の共産主義国家なら別ですが。

調べてみると、「国庫から中曽根元首相の葬儀費9600万円を支出は妥当? 金額にはやむを得ない面も」という記事が合同葬の歴史を紹介していたので、そこから一部を引用します。

 では約半額を国庫から支出する「内閣・自由民主党合同葬」の妥当性を考察してみます。

 自民党が結成された1955年以来の歴代首相(同党出身)のうち鳩山一郎(初代)、石橋湛山(2代)池田勇人(4代)の各氏は自民党葬のみ。佐藤栄作氏(5代)は内閣と自民党に加えて氏の功績であった沖縄返還などの関係者ら「国民有志」が共催する「国民葬」が実現しました(75年)。

 それに先立つ67年には終戦直後から自民党結成直前まで日本を率いた吉田茂氏の「国葬」がなされています。前述のように国葬令は廃止されていたので名は同じでも閣議決定による「内閣葬」です。全額国費で実行されました。

 吉田氏はもちろん、佐藤氏も戦後政治に大きな足跡を残したのは反対者も含め認めるところで大きな反発は起きていません。

 80年、史上初の衆参同日選挙で陣頭指揮を採っていた大平正芳首相が急死。同情票もあいまって戦前の予想を覆す大勝を自民党にもたらしました。死去までの自民は事実上の分裂状態。それが急に「弔い合戦」の旗の下でまとまってまさかの勝利をもたらしてくれたので文字通り命をかけた結果です。戦後初の現職首相の死でもあったため国葬レベルも検討されたものの「内閣・自由民主党合同葬」に落ち着きます。これが今日までの先例となりました。

要するに現職首相が急死して、国民の同情が高まっているどさくさまぎれに内閣・自民党合同葬が行われ、それが前例となったのです。

国家と特定政党が結びつくのはおかしなことです。
これまで亡くなった元首相はたまたますべて自民党所属だから自民党に偏っているだけだという考えがあるかもしれませんが、ルールなしに合同葬が行われてきたのが問題です。
合同葬を行うなら、最初から各政党が公平になるようなルールをつくって、そのもとで行うべきです。
政党助成金も、最初にルールをつくって、公平に配分しています。


結局、内閣は恣意的に自民党との合同葬儀を行ってきました。
自民党は与党なので容易にそうすることができますが、本来国家機関と政党は厳密に区別されるべきで、内閣と政党の合同葬などはあってはならないことです。
これは国家と政党の癒着というしかありません。

ジャパンライフ事件では、山口隆祥会長が桜を見る会に招待され、その招待状の写真をパンフレットに載せて勧誘に利用していました。国家とつながりのあることは信頼感を生みます。
自民党も国との合同葬をしたことを投票呼びかけに利用することができます。
というか、利用するまでもなく、合同葬のことがマスコミで報道されるだけで自民党が有利になります。

中国では、共産党以外にも合法的な政党が八つあります。共産党は特別な地位にあるわけです。
日本も中国に近づいているのではないでしょうか。



そして、合同葬に向けてこんな動きのあることがわかりました。

故・中曽根氏の合同葬 文科省が国立大に弔意の表明を求める
17日に実施される内閣と自民党による故中曽根康弘元首相の合同葬に合わせ、文部科学省が全国の国立大などに、弔旗の掲揚や黙とうをして弔意を表明するよう求める通知を出したことが、分かった。13日付。識者からは政府の対応に疑問の声が上がっている。
 政府は2日、合同葬当日に各府省が弔旗を掲揚するとともに、午後2時10分に黙とうすることを閣議了解。同様の方法で哀悼の意を表するよう関係機関に協力を要望することも決めた。加藤勝信官房長官は2日付で、萩生田光一文科相にも周知を求める文書を出した。
 文科省はこれに基づき、国立大や所管する独立行政法人、日本私立学校振興・共済事業団、公立学校共済組合などのトップに対し、加藤長官名の文書を添付して「この趣旨に沿ってよろしくお取り計らいください」と記した通知を出した。
 都道府県教育委員会には「参考までにお知らせします」として加藤長官名の文書を送付。市区町村教委への周知を求めた。
 総務省も7日付で都道府県知事や市区町村長に「政府の措置と同様の方法により哀悼の意を表するよう協力をお願いいたします」との文書を発出している。
(後略)

これに対して、中曽根元首相の個人崇拝みたいなことはよくないという声が上がっています。

私自身は、それよりも、自民党の名前が入った葬儀に国民が黙とうするのでは“政党崇拝”になるのではないかと思います。
国が国民に特定の政党を崇拝させるというとんでもない行為です。

「内閣・自民党合同葬」という形式こそが問題です。

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菅義偉首相が日本学術会議の提出した105人の新会員推薦名簿を「見ていない」と言ったのには、誰もがびっくりしたでしょう。
菅首相が見たのは、6人が除外された99人の名簿だというのです。ということは、6人を除外する判断は菅首相以外の誰かがしたことになります。

菅首相は6人の任命拒否をしたことについて「総合的で俯瞰的な活動を確保する観点から判断した」「前例を踏襲してよいのか考えてきた」と言っていたので、どう考えても、自分で判断したという意味です。

前の発言とあからさまに矛盾しているだけではなく、学術会議は首相に対して105人の名簿を提出したので、首相に渡った名簿が99人だったら文書の改ざんになるという指摘や、学術会議の推薦に基づかず任命したのなら法律の規定に反するという指摘があります。

菅首相がなぜ混乱を招くだけの発言をしたのかというと、日本学術会議という地味な組織の人事にちょっと手を出しただけのつもりでいたら、思いもかけない批判の集中砲火を浴びたので、つい「やったのは僕じゃない」と言い訳してしまったのでしょう。

105人の名簿を見ていないというのは、嘘ではないかもしれません。部下が6人を排除する判断をして、菅首相は口頭で説明を受けて、99人の名簿にハンコをついたということは考えられます。

しかし、どんなことがあったにせよ、任命権者は首相なのですから、すべての責任は首相にあります。
責任逃れのようなことを言うのは卑怯と言うしかありません。

首相が責任逃れをすると、その責任は部下に行ってしまいます。
今後、首相に知らせずに勝手に決裁したなどということで誰かが詰め腹を切らされるかもしれません。

菅首相は「反対する官僚は異動してもらう」と公言し、実際反対意見を述べた官僚を左遷してきました。
「官僚の責任は問うのに、自分は責任逃れか」と思いましたが、菅首相としては「すべては官僚の責任」ということで一貫しているのかもしれません。


菅首相が政府に反対する学者6人の任命拒否をしたときは、反対意見を聞こうとしない狭量な人間だなと思いましたが、名簿を見ていないと発言したことで、部下に責任を押し付ける卑劣な人間だということになりました。


今の政治の世界は、右翼対左翼、改憲対護憲といったことにあまり意味はなく、ではなにに意味があるかというと、政治家の人格(パーソナリティ)です。
アメリカ大統領選のトランプ対バイデンにしても、政策の争いというより人格の争いになっています。
もちろん人格のあり方は最終的に政策に反映されます。

政権が変わって、安倍応援団はそのまま菅応援団になりました。
菅応援団は、菅首相の6人の任命拒否を正当化しようとして、デマを流したり、日本学術会議を攻撃したりしています。
菅応援団は、自分たちがどういう人間を応援しているのかよく見極めたほうがいいでしょう。

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菅義偉首相が日本学術会議の新会員6人の任命拒否をしてからの展開は、デジャブというのか、まるでかつての安倍政権を見ているようです。

任命拒否の理由を説明しろという声に対して菅首相は「総合的、俯瞰的な活動を確保する観点から判断した」と説明にならない説明を繰り返し、明らかに法律の解釈変更をしたと思われるのに加藤官房長官などが解釈変更はしていないと答弁したりと、モリカケ問題、桜を見る会問題のときのようなむなしい議論が行われています。
「安倍政治の継承」を掲げている以上、似てくるのは当然ではありますが、似てきたおかげで違いも見えてきました。


森友学園問題、加計学園問題、桜を見る会問題は、隠されていたものが発覚して問題になりました。
学術会議新会員の任命拒否問題は、菅首相がみずから仕掛けて問題にしたので、そこが違います。

菅首相はなぜこんなことを仕掛けたかというと、おそらく「学問の自由」ということの重要さを理解していなくて、こんな大きな問題になるとは思っていなかったのでしょう。
菅首相は10月5日のグループインタビューで「学問の自由とはまったく関係ないということです。それはどう考えてもそうじゃないでしょうか」と語りましたが、案外本心のような気がしました。
菅首相はあくまで実務家で、学問の自由みたいな抽象的な概念はあまりよく理解できないのです。


もちろん菅首相の狙いは、政府の方針に反対する学者を狙い撃ちにして、見せしめにすることで、政府に反対しにくくさせることです。
ただ、こういうやり方も安倍前首相と違うところです。

安倍前首相が森友学園を国有地不正払い下げという手を使ってまで支援したのは、教育勅語を唱和させるような軍国教育をする学校をつくりたかったからで、安倍前首相にとって森友学園の籠池泰典理事長は同志でした。加計学園の加計孝太郎理事長は安倍前首相の学生時代からの友人です。桜を見る会には安倍前首相の地元後援会の人が多く招かれました。
つまり安倍前首相においては同志、友人、身内などの「人のため」ということがありました。
もっとも、同志のために国有地不正払い下げを行い、それを隠ぺいするために公文書改ざんを行い、そのために自殺者まで出すという無茶苦茶さですが、少なくとも出発点には「人のため」ということがあったわけです。

今回の菅首相の任命拒否には「人のため」という要素がありません。
もし菅首相にどうしても学術会議の新会員に任命したい人がいて、その人を押し込むために6人を任命拒否したというのなら、良し悪しは別にして、人情として理解はできます。
あるいは日本学術会議の組織改革のためという理由でも理解できますが、そういう理由があるなら説明できるはずです。
菅首相は見せしめのために6人を狙い撃ちにし、国民は「公開処刑」を見せられているようなものです。


人を幸せにすることがポジティブ、人を不幸にすることがネガティブだとすれば、菅首相はネガティブの多い人です。

携帯料金値下げにしても、実現すれば確かに「国民のため」ですが、とりあえずは民間企業の中に手を突っ込んで価格決定権を左右するという「いやがらせ」をするわけです。こういうことは菅首相以外にはなかなかできません。

菅首相はまた、生産性の低い中小企業の統合を進めるとも表明していますが、これも、中小企業が統合したくても規制があってできないので、それを救いたいということではなくて、中小企業が望んでもいないのに統合させようという、やはり「いやがらせ」の政策です。

菅首相は地方銀行についても、数が多すぎるとして再編の方針を示していますが、これも同じことです。

要するに当事者の意志を無視して上から権力を行使してなんとかしようという発想です。
こうした発想のもとには人間不信があります。


たとえば桜を見る会問題では、安倍首相は地元後援会の人を招いて喜ばせるというポジティブな役割を演じ、菅官房長官は見えないところで官僚に名簿の廃棄や虚偽答弁を強要するというネガティブな役割を演じるという分担になっていました。
菅氏はそれが向いていたので、7年8か月も官房長官が務まったのでしょう。

菅氏はそういうネガティブなキャラゆえに「陰険」と評されます。
今風に言えば「陰キャ」でしょうか。

菅政権は、安倍政権からポジティブな面を消去した政権です。
菅首相が学術会議新会員任命拒否みたいなことを繰り返せば、日本全体が暗くなってしまいます。

菅義偉とお菓子
すが義偉Instagramより

菅義偉首相は、日本学術会議が新会員として推薦した105人のうちの6人の任命を拒否しました。
菅首相は10月2日、「法に基づいて適切に対応した結果です」と語りましたが、そうではないでしょう。

日本学術会議法にはこう書かれています。
第七条 日本学術会議は、二百十人の日本学術会議会員(以下「会員」という。)をもつて、これを組織する。
2 会員は、第十七条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する。

「推薦に基づいて任命する」のですから、「任命しない」選択肢はないはずです(「推薦の中から任命する」なら「任命しない」選択肢はあります)。

ちなみに日本国憲法にはこうあります。
〔天皇の任命行為〕
第六条 天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。
2 天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。

天皇が総理大臣の任命を拒否するなんていうことができるはずがありません。
「指名に基いて」は拒否できないが、「推薦に基づいて」は拒否できるという理屈があるのかもしれませんが、いずれにしても理由の説明が必要です(日本学術会議の推薦には理由が付されています)。


「ハフポスト」の『「日本学術会議」 任命されなかった6人の学者はどんな人?』という記事によると、6人はこのような人です。

■芦名定道(京都大教授 ・キリスト教学)
 「安全保障関連法に反対する学者の会」や、安保法制に反対する「自由と平和のための京大有志の会」の賛同者。

■宇野重規(東京大社会科学研究所教授・政治思想史)
 憲法学者らで作る「立憲デモクラシーの会」の呼びかけ人。 2013年12月に成立した特定秘密保護法について「民主主義の基盤そのものを危うくしかねない」と批判していた。

■岡田正則(早稲田大大学院法務研究科教授・行政法)
 「安全保障関連法案の廃止を求める早稲田大学有志の会」の呼び掛け人。沖縄県名護市辺野古の米軍新基地建設問題を巡って2018年、政府対応に抗議する声明を発表。

■小沢隆一(東京慈恵会医科大教授・憲法学)
 「安全保障関連法に反対する学者の会」の賛同者。安保関連法案について、2015年7月、衆院特別委員会の中央公聴会で、野党推薦の公述人として出席、廃案を求めた。

■加藤陽子(東京大大学院人文社会系研究科教授・日本近現代史)
 「立憲デモクラシーの会」の呼び掛け人。改憲や特定秘密保護法などに反対。「内閣府公文書管理委員会」委員。現在は「国立公文書館の機能・施設の在り方等に関する調査検討会議」の委員。

■松宮孝明(立命館大大学院法務研究科教授・刑事法)
 犯罪を計画段階から処罰する「共謀罪」法案について、2017年6月、参院法務委員会の参考人質疑で「戦後最悪の治安立法となる」などと批判。京都新聞に対し「とんでもないところに手を出してきたなこの政権は」と思ったとインタビューに答えている。

要するに政府提出の法案に反対してなんらかのアクションをした学者が拒否されたようです。

菅首相は総裁選の最中に「反対する官僚は異動してもらう」と発言して、物議をかもしたことがあります。
ただ、「決定したことに従わない官僚を異動させるのは当たり前だ」という擁護の声もありました。
改めてどういう発言だったか確かめてみました。

 自民党総裁選で優位に立つ菅義偉官房長官はフジテレビの番組で、官僚が政権の決めた方向性に反対した場合、異動させる考えを示した。

 番組では、橋下徹・元大阪市長が菅氏、石破茂元幹事長、岸田文雄政調会長の総裁選3候補に対し「政治的に決定した後、官僚が反対してきた場合」の対応を質問。「反対した場合には、断固異動させていくのか。異動させないのであれば、どういう形で官僚を説得していくのか」と尋ねた。

 菅氏は「私どもは選挙で選ばれているから、何をやるという方向を決定したのに、反対するのであれば、異動してもらう」と語った。

 石破氏は「異動させることはある」とした上で、「でも、その人が反対したことも自分の信念に基づくものであれば、その後不利な取り扱いをしてはいけない。組織全体が萎縮してしまう」と述べた。

最終的に決定したのにまだ反対するというのは、組織の人間としてありえないことですから、そういう話ではありません。
ここで問題になっているのは、方向性を決めてから最終的に決定するまでの過程のことです。
その過程でさまざまな議論があって、方向性が修正されたり、場合によっては有力な反対論が出て根本的に見直されたりするのは、あって当然です。

「反対する官僚は異動してもらう」という菅首相は、そういう議論をすべて封殺していいと思っているのでしょう。

人事権を持つ人間は、能力と意欲のある人間を登用しなければなりません。イエスマンばかりを登用すると、その組織はだめになります。

菅首相はふるさと納税の制度をつくるとき、制度の不備を指摘した官僚を左遷して自分の案を押し通しました。しかし、そうしてできた制度は、返礼品の過当競争を招き、国の税収はへって、うまく立ち回った高額納税者が得をするということになり、泉佐野市と国の訴訟では最高裁まで行って国が敗訴するというおまけまでつきました。
上司は耳の痛いことも聞き入れる度量がないといけませんが、菅首相は明らかに失格です。

最近、特別定額給付金など新しい制度をつくるとたいてい不備が生じるのは、官僚が言うべきことを言えなくなっているからではないでしょうか。


日本学術会議の新会員の任命拒否も、「反対する官僚は異動してもらう」と同じ論理だと思われます。
人事権を利用して、公聴会などで反対意見を述べる学者を黙らせようということでしょう。

これをもって「赤狩りといっしょだ」ということを言う人がいます。
しかし、赤狩りには反共主義という思想がありますが、菅首相はなにかの思想に基づいてやっているわけではありません。政府に反対、自分に反対の人間を排除しようということですから、“反対者狩り”と言うべきでしょう。

自分の周りをすべてイエスマンにしようという、とんでもない考えです。
さまざまな意見があって、活発な議論が行われてこそ世の中は進歩するのですから、まさに亡国の論理というしかありません。

日本学術会議新会員任命拒否問題の本質は、菅首相に人事能力が欠如しているということに尽きます。




今、日本の学術の世界は危機的状況にあります。
世界の科学論文数、中国が米国抜いて首位に:日本は4位に後退
文部科学省科学技術・学術政策研究所が世界各国の科学技術活動の実態を調べた「科学技術指標2020」によると、国の研究開発力を示す指標の一つである自然科学分野の論文数で、中国が米国を抜いて初の首位となった。日本は前回調査(2010年)から1つ順位を下げ、3位のドイツに次ぐ4位となった。
(中略)
10年前の日本の論文数は6万6460本で、数だけ見るとほぼ横ばい。だが、他国・地域の論文数が相対的に増加しており、順位を下げた。注目度の高い論文を見ると、トップ10%補正論文数、トップ1%補正論文数とも、日本は9位という結果に終わった。
(後略)

日本の大学もランキングを下げています。これは欧米基準で判断するからよくないのだという説もありますが、アジアの中でも下げています。
THEアジア大学ランキング―1位・2位は中国、日本の最高位は東大の7位
 イギリスの高等教育専門誌「Times Higher Education(THE)」は6月3日、8回目となる「THEアジア大学ランキング2020」を発表。489の大学がランキング対象になりました。トップは前年に続き清華大学で、北京大学が前年5位から2位に上昇、中国の大学がトップ2の座を占めました。
 東京大学は前年から1つ順位を上げて7位、京都大学は1つ下げて12位にランクイン。
(中略)
 日本からは、14校がトップ100にランクイン。また、日本の大学で前年から順位を上げたのは6校で、81校は順位を下げました。
(後略)

こういう事態をどうするかという議論をしなければいけないときに、人事能力に欠ける菅首相が人事権を乱用ししたために(この場合は人事権があるかもあやしいのですが)、まったく無意味なことに議論の時間とエエネルギがー費やされています。

スクリーンショット (30)

朝日新聞が9月3日、4日に実施した世論調査によれば、安倍政権の7年8か月間の評価を聞くと、「大いに」17%、「ある程度」54%を合わせて71%が「評価する」と答え、「評価しない」は、「あまり」19%、「全く」9%を合わせて28%でした。
71%が評価するというのは驚きの高評価です。

どんな政策を評価するかというと、「外交・安全保障」の30%が最も多く、「経済」24%、「社会保障」14%、「憲法改正」は5%でした。
「外交・安全保障」にこれといった成果はなく、これも意外な高い数字です。

こうした数字に反安倍の人はとまどったでしょう。
「安倍を評価するなんて国民はバカだ」と思ったかもしれません。

私も反安倍ですが、そんなふうには思いません。
逆に「国民が正しくて、自分がバカなのかもしれない」と思います。
こういうふうに自分を絶対化せず、地動説的発想のできるのが私の偉いところだと、自画自賛しておきます。


安倍首相を評価する声に、「がんばっている」「一生懸命やっている」というのがあります。
こうした声に「政治は結果だ」と反論するのは容易ですが、ここが考えどころです。

確かに安倍首相はずいぶんとがんばってきました。
私が安倍首相のがんばりで思い出すのは、昨年5月、令和初の国賓としてトランプ大統領を招いて、茂原カントリー俱楽部で二人でゴルフをしたときのことです。
安倍首相はバンカーで手間取り、ようやくボールを出して、先に歩き出したトランプ大統領を追いかけようとして斜面ですっ転んだのです。その瞬間をテレビ東京のカメラがとらえていました。



転んだことをバカにするのではありません。トランプ大統領のご機嫌をとるために必死になって追いつこうとするから転んだので、そのご機嫌とりの姿がみっともないと思いました。

この日の夕方は二人で大相撲の観戦をしました。国技館にトランプ大統領のためにわざわざ特別席を設置しました。私は枡席に椅子を置けばいいではないかと思いましたが、安倍首相はそれではだめだと思ったのでしょう。
トランプ大統領は格闘技好きだということで組まれたスケジュールですが、トランプ大統領はまったくつまらなさそうな顔で大相撲観戦をしていました。人種差別主義者のトランプ大統領には日本の伝統文化など興味がなかったようです。

結局、いくらおもてなしをしても、トランプ大統領がそれによって対日要求を緩和するということはなかったのではないかと思います。

私はトランプ大統領のご機嫌とりをする安倍首相をみっともないと思いましたが、安倍首相が一生懸命やっていたのは事実です。


プーチン大統領に対しても同じようなことがあります。
安倍首相はプーチン大統領のことを何度も「ウラジミール」と呼んで親密さをアピールし、二人そろっての記者会見で「ウラジミール、ゴールまで二人の力で駆けて、駆けて、駆け抜けようではありませんか」と熱く語ったこともありますが、プーチン大統領のほうは安倍首相のことを「シンゾー」とは呼びません。
親密でないのに親密なふりをする安倍首相を、私はみっともないと思いましたが、安倍首相が一生懸命やっていたのも事実です。
親密でないのに親密なふりをするというのは、そうとうな精神力(演技力?)がないとできません。


では、安倍首相が一生懸命やっているのを見て、私は低く評価し、国民の一部は高く評価したのはなぜでしょうか。

いろいろ考えるに、かつて日本は世界第二の経済大国になり、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とか「日米は対等のパートナーシップ」と言われたころのイメージがまだ私の頭の中に残っているのです。
一方、若い人たちは、もの心ついたころにはバブル崩壊後の不況で、就職氷河期があり、経済は長期停滞で、見下していた中国にあれよあれよという間に抜き去られ、最初から“経済小国”の現実が身に染みついているのです。

ですから、私は安倍首相を見て、大国の首相なのにみっともないと思い、若い人は小国の首相なのによくやっていると思うのです。
こう考えると、若い世代に安倍内閣の支持率が高いことが理解できます。


安倍首相がこれまでやってきたのは、分相応の小国外交です。それが国民から支持されました。

安倍首相が習近平主席を国賓として招待することを決めたのは、安倍応援団には評判が悪かったですが、国民はおおむね受け入れていました。小国の日本が大国のアメリカと大国の中国のご機嫌とりをするのは当然のことです。

北方領土返還がほとんど不可能になっても、小国外交なんだからしかたがないという受け止めが多いためか、まったく問題にされません。

ただ、そういう小国外交だけでは国民の不満がたまります。
そこで、安倍政権は慰安婦像や自衛隊哨戒機へのレーザー照射や徴用工などの問題を大きくして、韓国を不満のはけ口にしました。
これは安倍政権の実にうまいやり方です(前は北朝鮮も不満のはけ口にしていましたが、トランプ大統領に言われて日本から無条件の話し合いを求めるようになって、そうはいかなくなりました)。


若い世代に限らず「日本は小国である」という認識はかなり広まっています。
しかし、そのことははっきりとは認めたくないという心理もあります。
そのため、逆に「ニッポンすごいですね」という番組がやたらにつくられます。
また、国力の国際比較もタブー化しています。
安倍政権は、前と比べて雇用者数や有効求人倍率や株価が改善したなどと成果をアピールしましたが、経済成長率の国際比較などはしません。
国際比較をするのは、蓮舫議員の「二位じゃだめなんですか」発言のあったスパコンが世界一になったときぐらいです。
野党も日本の経済成長率の低さをやり玉にあげたりはしません。それをすると「対案を出せ」と言われて、対案がないからです。

最近、財政健全化のこともすっかり言われなくなりました。
借金を返すには稼ぐ力が必要で、日本にそういう力はないと思われているのでしょう。
日米地位協定の改定などは、夢のまた夢です。

大国幻想を振り払ってみれば、安倍首相が小国の首相としてよくやったということがわかりますし、71%の評価も納得がいきます。

なお、安倍首相の辞任表明はいち早く中国でも報道され、SNSでは「お疲れさまでした」「いい首相だった」「尊敬できる政治家だ」など好意的な意見が多かったということです。
小日本にふさわしい首相と見られていたからでしょう。



ただ、小国というのはあくまで経済小国という意味です。
文化大国、平和大国、環境大国、人権大国など、日本が元気になる道はいくらでもあります。
再び経済大国になることも不可能と決まったわけではありません。

安倍政権の小国外交がさらに日本の小国化を推し進めたということもあるのではないでしょうか。

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