村田基の逆転日記

進化倫理学の威力を試すブログ

2020年11月

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人間が戦争をするのは、本能や人間性によるのでしょうか、それとも人間がつくった文化によるのでしょうか。

アインシュタインはナチスの勃興期にこの疑問をフロイトにぶつけて、それは『ヒトはなぜ戦争をするのか?―アインシュタインとフロイトの往復書簡』と題する本になっていますが、フロイトは「攻撃的な性質は人間の本性で、取り除くことはできないが、文化によって戦争を防ぐことができる」という考えを示しました。

人間の深層に“悪”があるとするのは、フロイトの基本的な思想です。
エディプスコンプレックスは、男の子に母親への近親相姦願望があるという考え方がもとになっています。
また、多型倒錯といって、幼児の性欲には方向性がないとも言っています。つまり人間は生まれつき変態で、教育やしつけで型にはめることによって正常な性欲になるというわけです。
アインシュタインは質問する相手を間違ったかもしれません。

フロイト説はともかく、人間に闘争本能があるために戦争が起こるのだという考え方は広く存在していました。


そうした考え方を根底からくつがえしたのが、動物行動学者のコンラート・ローレンツです。
ローレンツの著作は世界で広く読まれ、人々は「刷り込み=インプリンティング」という概念をローレンツの著作によって初めて知りました。
また、人々は、ライオンやオオカミなどの猛獣は獰猛で、残忍で、無慈悲なものだと思っていましたが、ローレンツは『ソロモンの指環』において、まったく違う考え方を示しました。
それは、同種の動物同士は殺し合わないということです。

たとえば二頭のオオカミが激しく闘って、やがて優劣がはっきりすると、ぴたりと闘いが止まります。劣勢なほうは自分の首筋を無防備にさらし、優勢なほうはかみついて致命傷を与えることができる体勢にもかかわらず、かみつかないのです。一方が“服従の姿勢”をとると、もう一方は本能的に攻撃を止めます。オオカミは相手を殺すだけの攻撃力を持っていますが、こうした本能のおかげで殺すことはありません。
このように攻撃を停止する本能は多くの動物に備わっています。
ローレンツは、同じ種の中で殺し合っていては種の存続があやうくなるので、牙や角などの武器の発達した動物は、同時に攻撃を社会的に抑制する本能も発達したのだと言います。

そうすると、人間が殺し合いをするのは本能を逸脱した行為だということになります。
ノーベル賞学者であるローレンツのこの説は広く知られて、最近では「人間には闘争本能があるから戦争をするのだ」ということは言われなくなりました。

ただ、『ソロモンの指環』は1949年に出版された本で、今となっては古くなったところがあります。
たとえば、ローレンツは動物の攻撃が抑制されるのは「種の保存」のためであるとしていますが、現代の生物学では動物の行動は個体や遺伝子のレベルで説明され、「種の保存」のための行動というのはないことになっています。実際、ライオンの子殺しのように「種の保存」に反した行動が存在することも明らかになっています。
ただ、同種の動物は闘っても殺すところまではいかないというのはおおむね事実です。





ローレンツは動物の攻撃性や“悪”についてさらに考察して、1963年に『攻撃―悪の自然誌』を著しました。
ここでローレンツは大きな間違いを犯しました。
はっきり言って『攻撃』は失敗した著作です。
それは、弁解めいたおかしな「まえがき」がついていることからもわかります。

「まえがき」の冒頭はこうなっています。
この本の原稿に目を通して、気付いた点を言おうと約束してくれた親切な友人が、半ば過ぎまで読み進んだところで、つぎのような手紙をくれた。「これはもう、第二章のあたりから感じていることなのですが、読んでいておもしろくてたまらないと思う一方では、不安になってもくるのです。なぜかというと、読んでいる部分と全体とのつながりがはっきりしないからです。その関係をもっとよくわかるようにしてください」。これには、しごくもっともないわれがある。そこで、この本を読んでくださる方々に、前もって、本書のねらいがどこにあるか、またそのねらいとそれぞれの章とがどのような関係にあるかを知っておいていだだくために、このまえがきをそえておきたい。

しかし、残念ながら7ページの「まえがき」を読んでも、本書のねらいがどこにあるかも、各章が全体とどうつながっているかもわからないので、多くの人は読んでいてうんざりするに違いありません。
要するに最初から最後まで論理の歯車がかみあっていないのです。
ローレンツはどこを間違ったのでしょうか。


ローレンツはフロリダの海に潜り、サンゴ礁にいる魚の生態を観察し、魚のなわばり争いに注目しました。
なわばり争いとは、いいところに目をつけたと思います。お互いに相手のなわばりを尊重していれば、争いは起こりません。どのようにしてなわばり争いが起きるのかがわかれば、争いを回避して平和を実現する方法もわかるはずです。

ローレンツは魚の動きを細かく描写しています。

ついに見えた。はるか向こうから、とはいえ水がよく澄んでいる場合でも、たかだか一〇から一二メートルしか見通しがきかないが、第二のボー・グレゴリーが、明らかに餌をあさりながら、だんだん近づいてくるのだ。わたしの近くに定住しているほうのボー・グレゴリーは、わたしの発見よりはるかに遅れて、その侵入者が四メートルほどの所に迫ってきたとき、ようやく相手の姿に気がつく。すると、もとからいたほうは、世にも恐ろしいかんしゃくを起こして、よそ者にとびかかり、攻撃されたほうは、自分のほうが少し大きいにもかかわらず、すぐさま向きを変えると、必死に打ち込んでくる切先を激しいじぐざぐでかわしながら、全速力で逃げていく。その突きのひとつでも身に受けたなら、重傷を負うだろう。だが少なくとも一度は命中したのだ。うろこが、きらきらしながら枯れ葉のように舞い落ちてゆく。そのよそ者が、薄暗い青緑色のかなたへ姿を消してしまうとみるや、勝ったほうはすぐさま自分の穴へ戻ってくる。かれは、穴の入口のまん前に密集して餌をあさっているクチアカの子の群れの中を、しずかに身をよじって通り抜けていく。その無関心なようすは、まるで石とかその他の、とるに足りない無生物の邪魔物をよけているようにしか見えない。それどころか、色と形の点でボー・グレゴリーとそれほど違いのない小さなブルー・エンジェルですら、かれにかけらほども攻撃する気を起こさせないのである。
その直後、指の長さにもたりないブラック・エンジェルが二匹対決しているのに出会ったが、その経過は何から何まで前と同じで、その上もう少し劇的だった。攻撃する側の憤激はいっそう大きく、逃げていく侵入者の恐慌はいっそうあからさまだ。しかしそう見えるのはたぶん、ゆっくりとしか動かないわたしの肉眼にはエンジェルの動作のほうがよく追跡できるからだろう。ボー・グレゴリーのほうは遥かに速くて、度の過ぎた低速度撮影機でとった映画を見るようだ。

なわばりへの侵入者は、なわばり主によって必ず撃退されるということです。
これもまた、同種の動物が殺し合うことを回避するメカニズムです。

このような動物のなわばり争いの実態は、今では生物学界の常識となっています。
日高敏隆著『日高敏隆選集Ⅱ 動物にとって社会とはなにか』からも引用しておきます。

さらにすばらしいことには、なわばりに関する闘いは、殺しあいにまで発展することがまれである。
前にも述べたように、「他人の」なわばりに入りこんでいるな、と感じた個体(むしろ、ここは自分のなわばりでないなと感じている個体)は、あえて擬人化すればそのやましさのゆえに、なわばり所有者から攻撃されるとすぐ引きさがってしまう。そこではけっして組んずほぐれつの闘いなどおこらない。だが問題はこれですむほど単純ではない。なわばりの所有者は引きさがっていく侵入者を追いかけてゆく。しかし深追いは動物においても危険である。なぜなら、追跡が進む間に、両者の心理状態が刻々と変化していってしまうからだ。
動物の「闘志」は、なわばりの中心すなわち巣からの距離に反比例する。なわばりの境界近くまで侵入者を追いかけていった所有者には、もはや攻撃のはじめほどの闘志はわいてこない。闘志と同じくらい逃避の衝動が強くなっているのである。
この比例関係は、自分のなわばりに逃げこんだ動物についてもあてはまる。そこでこちらのほうは、自分の巣に近づくにつれて、闘志がみなぎってくるのである。
深追いしすぎて相手のなわばりに侵入した追跡者は、相手ががぜん反攻に転じると急いで後退して自分のなわばりへ逃げこむ。もし相手がそこまで深追いしてくると、事情が逆転する。こうしてしばしば一対の動物は、ふりこのようにふれながら、ついになわばりの境界線でとまることがある。

なわばりへの侵入者は、自分が“他人”のなわばりに侵入していることを理解しています。だからこそなわばり主と対峙すると、ほとんど闘わずに逃げ出すのです。

すべての個体が自分のなわばり内だけで生活し、ほかのなわばりに入らなければ、争いは起こらず、世界は平和です。
しかし、おそらくは餌を探すために、ほかのなわばりに侵入する個体がときどきいます。
この行為をたとえて言えば“不法侵入”です。そして、そのときそこにある餌を取ったら“窃盗”です。なわばり主に発見されて格闘になったら“強盗”です。
これは、自然界に“悪”が存在するということを意味します。
と同時に、“悪”の行為をやましく思う気持ち、すなわち“良心の呵責”や“罪の意識”が存在するということでもあります。

“不法侵入”でなくて“侵略”にたとえることもできます。
そうすると、なわばり争いは、侵入する側からすれば“侵略戦争”で、なわばり主からすれば“防衛戦争”です。そして、侵略軍は必ず防衛軍に撃退されるので、この戦争はそれほど深刻になりせん。

ちなみに、なわばりを持つ動物は、糞や尿を残す、体のにおいをつける、爪痕を残すなどのマーキングをし、鳥の場合はなわばりを主張するさえずりをし(テリトリー・ソング)、そこが自分のなわばりであることを他の個体にわからせます。しかし、他の個体となわばりの認識がつねに一致するとは限らないので、お互いに相手を侵入者と見なして争うこともあるでしょう。これは“国境紛争”です。

そうすると、動物の世界には“侵略戦争”と“防衛戦争”と“国境紛争”があることになります。

このような動物のあり方が人間性につながっていることはもちろんで、人間社会を考える上でもきわめて重要です。
たとえば人間は、他人のなわばりをどんどん併合していって「帝国」を築きますが、これは本能ではなく文化だということになります。
また、戦争を侵略戦争と防衛戦争と国境紛争に分類するときわめてわかりやすく、平和構築に役立つはずです(今は集団的自衛権というものが戦争の把握を困難にしています)。


ローレンツは動物のなわばり争いに注目しましたが、なわばり争いを「侵入対防衛」というふうにはとらえませんでした。
彼はもっぱら「攻撃性」に注目しました。
そうすると、なわばりを防衛するほうが攻撃的で、侵入するほうは平和的に見えます。防衛するほうは激しく攻撃して侵入者くを傷つけることがあるので、防衛するほうが加害者、侵入するほうはむしろ被害者になります。

つまり本来は侵入するほうが“悪”なのに、ローレンツは防衛するほうを“悪”としたのです。
そのため、まったく論理性がなくなり、『攻撃』を読んでいると終始わけのわからない感じがするのです。
失敗作と断じたゆえんです。


なわばり争いは同じ種同士で行われるので、ローレンツは「種内攻撃性」ととらえ、「種内攻撃性」は生存に役立つ本能だとしました。
生存に役立つ本能ならなくすことはできません。

ローレンツは「希望の糸」と題した最終章において、「わたしには種の変遷の偉大な設計者が、人類の問題をその種内攻撃性を完全にとり払うことによって解決してくれることは、どうしても信じられない」と書いています。
そのあとで、「私は人間の理性の力を信じており、淘汰の力を信じており、理性が理性的淘汰を進めていくと信じている」とも書いていますが、こんな言葉では希望は持てません。


ところで、ローレンツは若いころナチス党員でした。第二次大戦では軍医として東部戦線に行き、ソ連軍の捕虜になりました。
ドイツ軍は一方的にソ連に侵攻し、ソ連軍の激しい抵抗と反撃にあいました。
侵入側を“悪”ととらえるのではなく、防衛側の反撃を“悪”ととらえるのは、その体験が影響したのかもしれません。
また、先ほど引用した文章に「理性的淘汰」という言葉がありますが、これはどう考えても優生思想ではないでしょうか。


生物学をもとに人間と社会を研究することは、社会生物学や進化心理学として近年盛んになっていますが、ローレンツはその先駆者です。
ローレンツの業績の功罪を改めて検証する必要があります。

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アメリカ大統領選挙を通してわかったのは、日本に盲目的なトランプ信者がかなりいるということです。
彼らはいまだに「民主党が選挙を盗んだ」というトランプ大統領の吹聴する陰謀論を信じていたりします。
こんなにトランプ信者がいるのは、アメリカ以外では日本ぐらいではないでしょうか。

日本のトランプ信者のほとんどが保守派、右翼、ネトウヨです。
彼らは一応愛国者を自認しているので、それに合わせてトランプ支持の理由づけをしています。
それは、「トランプは中国にきびしいから」というものです(「バイデンは中国の手先だ」という陰謀論も信じていそうです)。

トランプ氏でもバイデン氏でも対中国政策にそれほど変わりはないだろうというのが一般的な見方ですが、とりあえず今は、おそらく新型コロナウイルスによる被害を中国に責任転嫁するために、トランプ政権が中国にきびしく当たっているのは事実です。


反中国の感情は、ネトウヨに限らず日本人に広く蔓延しています。
11月17日に発表されたNPO法人「言論NPO」などによる日中共同の世論調査によると、中国への印象が「良くない」「どちらかといえば良くない」とした日本人は89・7%で前年比5ポイント増だったということです。
習近平政権は独裁色を強め、香港の民主化運動を弾圧しているので、それが反映されたのでしょう。

しかし、今では日本にとって中国は最大の貿易相手国です。
日中関係をこじれさせるわけにいきません。
ほとんどの日本人はそのことがわかっていますし、自民党政権も同じです。

しかし、わかろうとしない人もいます。
かつて日本の経済力が中国を上回っていたころ、中国を見下していた人たちです。
中国経済が次第に日本に追いついてきても、「中国経済はもうすぐ大崩壊する」などという本や雑誌記事を読んで信じていました。

しかし、中国のGDPが2010年に日本を超え、その差が年々拡大してくると、「中国経済は崩壊する」という説は見なくなりました。
また、「南京虐殺はなかった」というのは、「従軍慰安婦の強制連行はなかった」というのと並んでネトウヨの主張の定番でしたが、最近「南京虐殺はなかった」という主張はとんと見なくなりました。

今では中国のGDPは日本の3倍近くになっています。
ネトウヨも反中国の旗をおろさざるをえなくなって、もっぱら慰安婦像問題や徴用工問題などで反韓国の旗を振るしかないというときに、トランプ大統領が強硬な反中国政策を取り始めたのです。
ネトウヨは大喜びしたでしょう。
アメリカが中国をやっつけてくれて、日本もアメリカの威を借りる形で中国に強く出られそうだからです。

そうしてネトウヨはトランプ信者になったというわけです。


もともと多くの日本人は、強いアメリカに媚び、弱い中国や韓国や北朝鮮に威張るという精神構造をしていました。
この精神構造は、半島と大陸を植民地化したことからきていますが、若い人の場合、学校でのいじめとも関係しているかもしれません。
クラスで強い者が弱い者をいじめるという現実の中で育ってきて、国際社会も同じようなものだと思っているのではないでしょうか。

しかし、アメリカの覇権はいつまでも続くとは限りません。将来は覇権が中国に移るということは十分に考えられます。
日本がアメリカの威を借りて中国に対処していると、そのときみっともないことになります。

アメリカであれ中国であれ、覇権主義に反対するというのが日本外交の基本でなけれはなりません。

覇権主義に代わるものは「法の支配」です。
日本は人権、平和、法の支配といった価値観で世界から信頼される国になるしかありません。

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11月19日、新型コロナについてなぜか笑顔で記者会見する菅首相

新型コロナの新規感染者数が急増していますが、西村康稔新型コロナ担当相は11月19日、「感染がどうなるかっていうのは、本当に神のみぞ知る」と言いました。
信じがたい無責任な発言です。

西村大臣は13日の記者会見では、GoToトラベルを活用して旅行することを推奨するのかと問われて、「活用して旅行するかどうかは国民の判断だ」と語り、GoToキャンペーンの責任を国民に押しつけました。

東京都はコロナ警戒レベルを「最高」に引き上げましたが、飲食店の営業自粛要請などはせず、小池百合子都知事は記者会見で「5つの小」と書かれたボードを掲げ、「会食はぜひ『小人数』。できれば『小一時間』。『小声」で楽しんで、料理は『小皿』に分けて、『小まめ』に換気や消毒をしていただく。5つの小を合言葉にして、感染防止対策の徹底をお願いします」と語りました。

神奈川県の黒岩祐治知事は報道ステーションに出演した際、5人以上の会食を禁止する動きがあることについて、「4人なら大丈夫ですか? 3人なら大丈夫ですか? 私は違うと思います。それよりも、マスクをしたまま会食すれば、これは大丈夫ですね」「マスクをしながら会食するというのは、ちょっと鬱陶しいと最初思われるかもしれないけど、やってってください。これをやると安心に繋がりますから」などと語りました。

奇妙な混乱が起きているのは、感染拡大の中でも政府がGoToキャンペーンを継続しているからです。
この判断は菅義偉首相がしたものでしょう。GoToキャンペーンは菅首相の肝いりの政策です。

黒岩知事が言った「マスク会食」も、もとは菅首相が言ったことです。
菅首相は19日のぶらさがり記者会見で、「ぜひ皆さん、静かなマスク会食、これをぜひお願いしたい、このように思います。私も今日から徹底をしたいと思います」と語りました。
そして、そう言った直後、なぜか珍しく笑みを浮かべました。自嘲の笑みだったのでしょうか(その動画はこちら)。


考えてみれば、GoToトラベルキャンペーンが始まったときも似たような混乱がありました。
GoToトラベルは本来なら8月中旬に開始される予定でしたが、前倒しして7月22日から実施されることになりました。それがちょうど第二波の感染拡大期に当たっていて、「なぜ今やるのか」と批判されましたが、菅官房長官は東京発着をキャンペーンから除外するという中途半端な対応で押し切りました。

菅首相は自分の思い入れのある政策については融通がきかないようです。ふるさと納税制度も、返礼品競争が過熱化するという忠告を無視して実施し、案の定過熱化しました。


GoToキャンペーンをめぐって混乱が起きるのは、最初にキャンペーンの目的が明示されなかったからです。

GoToトラベルは、苦境にある観光業界を救済するのが目的です。
ですから、最初に安倍首相か、少なくとも菅官房長官が国民に向かって、「今、観光業界は苦境にあります。観光業界を救うため、国民のみなさんは感染予防対策を十分にした上で、積極的に旅行をしてください」と呼びかけるべきでした。
本来はここに「リスクを取って」という言葉も入れるべきですが、この程度のごまかしはしかたがないでしょう。

呼びかけだけで国民がどんどん旅行をするようになるとは思えないので、そこでGoToトラベルを実施すればいいわけです。
旅行費用の半額が税金で支払われるのですから、当然多くの人が旅行します。税金投入の効果が目に見えるので、国民も税金投入に納得がいくはずです。
最初の呼びかけによってある程度旅行者がふえれば、税金の投入を5割でなく3割にするというように、税金の節約ができるかもしれません。

GoToイートも同じです。
菅首相が国民に「飲食業界を救うために積極的に外食をしてください」と呼びかけ、その呼びかけをより効果的にするために税金を投入します。

これまで政府関係者から国民に対して「旅行をしましょう」「外食をしましょう」という呼びかけが行われたことはないのではないでしょうか。
「経済を回す」「旅行業界を救済しないと」「飲食業界は持たない」などの言葉でGoToキャンペーンの必要性を主張する声があるだけです。

国民への呼びかけをせずにGoToキャンペーンだけやるというのは、「政府はGoToキャンペーンをするだけで、参加するか否かは国民の判断だ」というスタンスで、感染の責任を追及されないようにしているのでしょう。
西村大臣が「活用して旅行するかどうかは国民の判断だ」と言ったのは、まさにそのスタンスを表現したものです。


「外食をしましょう」という呼びかけをしていれば、呼びかけた責任があるので、感染が急拡大したときには、「これまでは外食するよう呼びかけてきましたが、昨今の感染状況に鑑みて、これからは外食を控えてくださるようお願いします。GoToイートも一時中止します」と機敏に方針転換もできます。
今は無責任体制でGoToキャンペーンを始めたので、感染が拡大しても平気で続けていられます。


もちろん菅首相もなにも考えていないはずがありません。
週刊文春の最新号に『菅 放言録「GoTo継続は当然」「専門家は慎重すぎる」』という記事が載っています。
確かに新規感染者数は急増していますが、死亡者数はそれほどふえていませんし、アメリカやヨーロッパと比べるとぜんぜん大したことはありません。
マスコミや医師会は騒ぎすぎです。
菅首相がほんとうに経済を回していくべきだと考えているなら、「この程度の感染を恐れる必要はありません。旅行も外食も続けてください」と国民に訴えるべきです。
賛否両論巻き起こるでしょうが、そうした中を突き進んでいくのがリーダーシップのある政治家というものです。
しかし、菅首相にそんな覚悟はありません。

結局、経済は回したいが、責任は取りたくないという無責任政治家ばかりなので、国民は「マスク会食」などというへんなものを押しつけられる羽目になっています。

企業の広告がジェンダーの観点から炎上するということがよくあります。

東洋水産のインスタントラーメン「マルちゃん正麺」の公式ツイッターが公開したプロモーション漫画に、夫と子どもが食べたあとの食器を妻が洗うシーンがあって、「ほのぼのした漫画が最後のシーンで台無しだ」などの批判が殺到し、炎上しました。
しかし、「こんなささいなことでたたくのは行き過ぎ」と擁護する声もあります。

実際の漫画がこれです。

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マルちゃん正麺公式ツイッターより


この漫画の炎上を伝えるのが次の記事です(タイトルに「カップ麺」とありますが、正しくは袋麺です)。

「最後の場面で台無し」「妻にやらせるな」カップ麺のPR漫画に批判
東洋水産の人気インスタントラーメン「マルちゃん正麺」の公式ツイッターが公開したプロモーション漫画が、物議を醸している。

 問題となっているのは、11日に公式ツイッター上にアップされた全8ページの漫画。(中略)「親子正麺」というタイトルがつけられている。漫画の中では、父が幼い子どもの昼食のためにマルちゃん正麺を作って食べており、子どもが「とんこつラーメン」を「ぽんこつらーめん」と言い間違えるという可愛らしい場面もあった。

夜になって母が帰宅すると、子どもと父はそれぞれ「しろいちゅるちゅるめんめんたべた」「ぽんこつらーめん」と報告し、母は一瞬疑問に思うものの、台所に置かれたマルちゃん正麺の袋を見て、「ああ ぽんこつラーメンね」と納得。最後のコマでは、母が台所に置かれたままだった昼食の器と鍋を洗い、その隣で夫がお皿を拭いているという場面が描かれていた。

 しかし、この漫画についてマルちゃん正麺の公式ツイッターには、「途中まではほっこり読めたのに最後の場面で台無しになった」「食べてもないものの片付けを妻にやらせるなよ…」「ご飯作って“くれた”、子どもにご飯食べさせて“くれた”っていうやつ?」といった批判が集まってしまっていた。

 批判の一方では、「フィクションに怒らなくても…」「夫も一緒にお皿拭いてるし問題ない」という擁護も集まっていたものの、男性が家事をすることが当たり前になっている今、帰宅した妻に後片付けをやらせる夫の描写に残念がるネットユーザーが多くいたようだった。
https://www.excite.co.jp/news/article/Real_Live_200071136/?es=true

私の感想を言えば、お昼に使った食器を洗わずに流し台に放置していた夫は批判されて当然です。
リモートワークをやっていた様子もないので、洗う時間は十分にあったはずです。
妻といっしょに食器を拭いているからいいというものではありません。

こんなささいなことを批判するべきではないという意見もあります。
確かにこれ一件はささいなことですが、こういうことが日常的に繰り返されると、ちりも積もれば山となります。

ただ、この漫画は続きものの一編でした。
この夫婦が主人公の「夫婦正麺」という漫画が12話あって、「子どもができました」という会話で終わります。
そして、その夫婦に子どもが加わった「親子正麺」という新シリーズが始まって、これがその第1話なのです。
ですから、シリーズの全体を知った上で評価しなければなりません。

「夫婦正麺」12話はすべてこちらで読めます。

そのページに『「夫婦正麺」並びに「親子正麺」の原作は弊社責任の元に制作し、作画のみ作画者の方に依頼しております』と記載されています。

この夫婦はそんなに仲がいいとは言えません。
第3話には、夫の浮気を疑わせるような会話が出てきます。
妻「マルちゃん正麺ができる3分の間に聞きたいんだけど、みゆきって誰?」
夫「それは3分では説明できないな~」
夫「お、1分たった。ひっくり返さないと」
(この日の3分間は永遠のように感じられた)
第5話では、「妻とケンカした」という言葉が出てきて、夫婦ともに顔を腫らしているので、暴力沙汰があったと想像されます。

第6話では、「世の中には二種類の夫婦しかいない。仮面夫婦と正麺夫婦だ」という言葉が出てきます。
この夫婦は、マルちゃん正麺がなければ仮面夫婦になっていそうです。


つまりこの夫婦は、仮面夫婦になりかねない、ちょっと問題のある夫婦です。
しかし、だからといって、「旦那が浮気しているのはけしからん」とか「顔を殴り合うケンカをするような夫婦なんか出すな」とかの批判が殺到して炎上したということはなかったわけです。
おそらく「夫婦に問題があるのは当たり前」といった認識が世の中にあるからでしょう。

この原作者は、理想的な夫婦よりもちょっと問題のある夫婦を描いたほうがリアルで、共感してもらえると思ったのでしょう。
実際、狙い通りになっていたと思います。


しかし、この夫婦に子どもができて、親子3人を描く漫画になったとたんに炎上しました。

夫は子どもの世話をちゃんとやっていて、問題はありません。
夫が食器を洗わなかったために妻が洗うというシーンはありましたが、もともとこういうことのありそうな夫婦でした。

世の中の価値観として、夫婦に問題があるのは許せても、子どものいる夫婦に問題があるのは許せないということがあるのでしょう。
確かに夫婦二人のときの浮気と、子どもができてからの浮気では、深刻さが違います。

つまり「正麺夫婦」は夫婦漫画、「正麺親子」は家族漫画で、形態が進化したのです(厳密には夫婦も家族ですが)。
家族漫画というと「サザエさん」みたいにほのぼのしたものという固定観念があるため、それに外れるこの漫画は炎上したのかなと思います。

それから、これは新シリーズの第1話なので、前のシリーズを知らない人が多かったことと、最初はツイッターで公開されて拡散しやすかったことも影響したでしょう。


もともと問題のある夫婦だったのですから、子どもができたとたんに仲良し夫婦になるのもおかしなことです。
企業のPR漫画だからといって、理想的な家族を描かなければならないということはありません。
第2話以降に、「なんで私ばっかりがお茶碗を洗ってるの?」ということから夫婦ゲンカが始まって、そこに子どもが起きてきたことでピタッとケンカをやめて、親子3人で仲良くマルちゃん正麺を食べる、というような話があってもいいわけです。


結論を言うと、東洋水産がこの漫画を理想の家族のつもりで出したのなら炎上もしかたありませんが、ちょっと問題のある、ありがちな家族として出したのなら批判されるべきではなく、いずれ問題を回収してくれることを期待したい、というところです。



東洋水産は今のところこの漫画を削除していませんし、マルちゃん正麺公式ツイッターで次のような発表をしています。

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ちょっと問題のある家族を描く漫画として継続していってほしいと思います。

橋下徹
橋下徹公式ウェブサイトより

大阪都構想が住民投票で否定されて、「都構想は一丁目一番地」としてきた維新の会の存在意義はほとんどなくなりました。
ツイッターでは「#維新はいらない」が一時トレンド入りしました。

そもそも「都構想は一丁目一番地」というのがおかしな話です。
都構想は行政をよくする手段のひとつでしかないはずです。
維新の会とはどういう存在でしょうか。

維新の会(現在は大阪維新の会と日本維新の会)は大阪府知事だった橋下徹氏と自民党を離党した府議らが結成したもので、実質的に橋下氏の個人政党でした。つまり理念でできた政党ではなく、橋下氏の個人的人気でできた政党です。
橋下氏は現在も維新の会の顧問であり、メディアではつねに維新の応援をしています。
ですから、橋下氏の思想が維新の会の理念だと言っていいぐらいです。

では、橋下氏の思想とはなんでしょうか。

橋下氏はもともと「茶髪の弁護士」としてテレビに出てきました。当時は法律家といえば四角四面の人ばかりというイメージなので、大いに目立ちました。
そのころは政治家になるような感じはまったくありませんでしたが、人間であれば必ずなんらかの政治的な思想はあります。
その思想のもっとも根底的な部分が次の記事からうかがえます。

橋下徹氏、選挙制度で持論披露「産まれた子供たちにも一票を与えて、親が行使」
 元大阪府知事の橋下徹氏(51)が2日、TBS系「グッとラック!」(月~金曜・前8時)にリモートで生出演。大阪市を廃止して4特別区を新設する「大阪都構想」の賛否を問う住民投票が1日に投開票され、反対票が賛成票を上回り、2015年5月の実施に続いて否決されたことに言及した。

 橋下氏は現状の選挙制度について「投票率も高齢者の方が高いので、今の選挙制度では高齢者の方に目を向けるようになってしまいます」とどうしても高齢者を重視したものになってしまうと指摘。

 その上で「僕の持論は、産まれてからの子供たちにも一票を与える。その子供たちが選挙権が行使できないので、親が行使する」と持論を披露。「これを言うと僕は7人子供がいるから、自分の家庭のことを考えて言っているだろと言われてしまうんだけど。僕は産まれた子供たちにも一票を与えて、親が行使するということをしないと、未来に向けた政治が出来ないと思っています。ただ、政治家はやらないですよ。高齢者から票をしっかり集める政治家はやらないでしょうね」と実現は極めて難しいと推察。

 また、電子投票についても「これをやると若い人がちが簡単に投票をしてしまう。高齢者を支持層としている政治家がたくさんいるので、若い人たちが簡単に投票することを嫌がる国会議員は多いですね。子供に一票を与えて親が行使する、僕が言っているこんな話を永田町に言ったって、全然動いてくれないでしょうね」と見解を語った。
https://news.yahoo.co.jp/articles/d8b6e1fda771dba9bce301f51b5ea0c797fe0462

実は私も、選挙権の年齢制限を撤廃し、子どもには生まれたときから選挙権を与えるべきだという考えです。
3歳ぐらいではさすがにむりでしょうが、小学生ぐらいになれば政治に興味を持って、自分も投票したいという子どもが出てきますし、政党も子どもや若者にアピールする政策を打ち出すようになり、政治が未来志向になります。

橋下氏も私と同じ考えかと思ったら、ぜんぜん違いました。
橋下氏は「子どもの人権」も「子どもの意志」もまったく無視しています。
子どもを親の所有物だと思っているのです。
親が子どもの代わりに投票したら、子どものための政治ではなく、親世代のための政治になってしまいます。

それから、橋下氏はまったく触れていませんが、子どもの選挙権を行使するのは父親か母親かという問題があります。
子どもの数が偶数なら分け合えても、奇数ならそうはいきません。
橋下氏がこのことに触れないのは、子どもの選挙権は自分(父親)のものと思っているからでしょう。
「子どもの意志」を無視するだけでなく「妻の意志」も無視しているのです。

選挙権年齢が今の18歳のままであれば、親は50歳ごろまで一人で2票とか3票の投票ができることになります。そうすると中年世代の投票数が大幅に増えて、高齢者と18歳以下の若者の意志が相対的に政治に反映されなくなります。
橋下氏の「生まれたときから選挙権」説は、一見子どもや若者のためのようですが、実際は親世代のためのものです。

都構想も、維新の会は若い世代のためになると言っていますが、実際は維新の会のためのものかもしれません。


橋下氏が若い世代のことを考えないのは昔からです。

橋下氏はもともと体罰肯定論者で、2012年に大阪市立桜宮高校のバスケットボール部のキャプテンが顧問教師から体罰を受けて自殺した事件が大きく騒がれたときも、最初のうちは体罰肯定の立場でしたが、世の中の空気を読んで途中から体罰反対に転換しました。
しかし、家庭内では体罰を続けていたようです。
今年1月の記事でこのように語っています。

橋下徹氏 以前は「バリバリ体罰の親」だったが…改正児童虐待防止法で難しさ語る
 元大阪市長で弁護士の橋下徹氏が4日に放送されたカンテレ「モモコのOH!ソレ!み~よ!」にゲスト出演し、子育ての難しさについて語った。

 メインMCのハイヒール・モモコに「子供には厳しく怒ったりする?」と尋ねられた橋下氏は「下2人まではかなり厳しくやった。手を上げてたし。今ちょうど、児童虐待の法律を変えて、体罰のガイドラインを変えたんです。親であっても体罰的な指導はダメだというガイドラインができた」と、改正児童虐待防止法に関連し、厚労相が昨年12月に公表した虐待に該当する指針に触れた。
 橋下氏は自身のしつけを振り返り「全部それに当てはまる。バリバリ、体罰の親」と自認。モモコが「あれは確かに厳しいですが、それ以上のことをやってしまう親もいるのが事実」と意見を挙げた。橋下氏は「上の子は、親バカですが、まあ外に出してもちゃんとやってくれそうな感じ。下の2人は自由すぎる。だけど人に迷惑をかけない程度だが、あの程度でもいいのかなと。そこまで手を上げて押さえ込んでやらなくていいのかなと正直、思いますね」と、悩みながらしつけ方法を模索していることを語った。
(後略)
https://www.daily.co.jp/gossip/2020/01/04/0013008505.shtml

これを読めば、いかにひどい親かわかります。
親の体罰は子どもの脳の萎縮・変形を招くので、まったく正当化できません。


橋下氏のこのような強権的で暴力的なやり方が維新の会の体質をつくっています。
松井一郎大阪市長、吉村洋文大阪府知事の強権的なふるまい、尊大な態度は橋下氏譲りです。
都構想の住民投票にしても、賛成するのが当たり前というような、上から目線のところが維新の会にはあったのではないでしょうか。


橋下氏は、元農水省事務次官の熊沢英昭被告が長男を殺害した事件について、「僕が熊沢氏と同じ立場だったら、同じ選択をしたかもしれない」「僕は熊沢氏を責められない」などと殺人を肯定するかのようなツイートをしたので、私は『橋下徹氏の「予防殺人」論について』という記事を書いて批判したことがあります。


体罰や殺人を肯定する橋下氏がテレビに出続けているのは信じがたいことですし、維新の会には橋下氏の思想や体質が今も染み付いているように思えます。

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AP通信写真家のエヴァン・ヴッチの写真――Elizabeth May (on semi-hiatus)のツイートより

アメリカ大統領選挙はバイデン候補の当選で決着しました。
もっとも、トランプ大統領は「選挙は私が大差で勝った!」とツイートし、さらに「月曜日から選挙に関わる法律がきちんと執行され本当の勝者が決まるように裁判を通じて求めていく」との声明を出したので、裁判闘争が続くのかもしれません。
しかし、選挙不正の証拠も示されないので、裁判の帰趨は明らかです。


この4年間、世界はトランプ大統領の毒気にあてられてきました。
これから毒気を抜いて健康を回復しなければなりません。
それにはトランプ大統領をよく理解することです。

頭を冷やして振り返ると、トランプ大統領にもいいところはありました。
なによりも新しい戦争をしませんでした。
継続中の戦争も縮小の方向でした。
トランプ政権は軍事費を増大させたので、私はトランプ大統領は好戦的な人間で、どこかで戦争を始めるだろうと思っていましたが、それは私の見込み違いでした。

それから、よくも悪くも実行力があったのは事実です。
たとえば、金正恩委員長との会談は、ホワイトハウスで賛成するのは誰もいないような状況でしたが、実現させました。
もっとも、会談は実現しましたが、そのあとはとくに進展がありません。トランプ大統領は戦争を防いだと自慢していますが。


私が考えるに、トランプ大統領はアメリカファースト以前に自分ファーストの人間で、つねに自分が中心にいて注目されたいのです。
戦争が始まってしまうと、戦況や司令官に注目が集まります。そういう事態は避けたのでしょう。

軍事費を増大させたのも、強大な軍事力を持つ大統領として世界から仰ぎ見られたかったからでしょう。

金正恩委員長と会談したのも、その会談が世界でもっとも注目される会談だったからです。
同盟国の首脳といくら会談しても大して注目されません。
会談で注目されれば満足なので、会談が終わればそれきりです。

なお、トランプ大統領はASEAN首脳会議に一度も出席したことがありません。サミットには出席しますが、あまり楽しそうではありません。ワンオブゼムの立場がいやなのでしょう。


トランプ大統領は実際にブロレスのリングにのぼったことがありますし、バラエティ番組の司会で「お前はクビだ!」の決め台詞で人気を博しました。
そのままの感覚で大統領になって、同じことをやっているのです。

ですから、私たちもプロレスを見物する感覚でトランプ大統領を見ることができれば楽しいのですが、このプロレスラーは核のボタンを持っているので、この見物は精神衛生によくありません。

“トランプレスラー”の得意技は言葉を使っての攻撃です。
トランプ大統領は特殊な言語能力を持っています。
言葉の攻撃力を持っていることも戦争しなかった原因かもしれません。

たとえばバイデン候補とのテレビ討論会で、暴力的極右団体プラウド・ボーイズに対してなにか言わないのかと司会者に問われると、トランプ大統領は「プラウド・ボーイズ、下がって待機せよ」と言いました。
これは行動への準備を命じたようなものだと批判されましたが、「行動するな」という意味でもあり、実に巧妙な言い方です。とっさにこういう言葉の出てくるところにトランプ大統領の優れた言語能力があります。

トランプ大統領はツイッターに毎日のように多数の投稿をしていますが、世界最高の権力者が思いつくままに発言して通用しているのも驚くべきことです。


トランプ大統領は今回の選挙について「彼らは選挙を盗もうとしている」とツイートして、ツイッター社に警告をつけられました。

「選挙を盗む(steal the election)」とは不思議な言葉です。ファンタジー小説に出てきそうな言葉で、巨大な悪を想像させます。
「投票用紙を盗む」とか「投票箱を盗む」ならわかりますし、「そんな事実はない」と反論もできますが、「選挙を盗む」と言われると、どう反論していいのか困ります。

トランプ大統領はほかにも「郵便投票は腐敗した制度だ」とか「合法的な集計をすれば、我々は楽勝だ」とか「不正はやめろ」とかいろいろ言っていますが、「選挙を盗む」という言葉の威力で、証拠もなしに不正選挙のイメージづくりにある程度成功しました。


しかし、トランプ大統領の言葉の攻撃力もウイルスには通用しませんでした。
新型コロナウイルスの蔓延を防げなかったことでトランプ大統領の支持率は低下ししました。
もし新型コロナがなかったら、トランプ大統領は楽勝していたでしょう。



トランプ信者は日本にも多くいます。
ヤフーニュースのコメント欄には、選挙の不正を主張する意見がいっぱいあります。
こういう人たちは菅首相にまで文句をつけています。

菅首相「バイデン祝福」にかみつく人たち 「まだ決まってない」「裁判を見極めて」などと主張が
菅義偉首相が2020年11月8日、米大統領選で「勝利宣言」したジョー・バイデン氏への祝意をツイートしたところ、リプライ欄に反発の声が少なからず書き込まれる事態となった。

「まだ決まってない」「まだトランプ大統領は争っています」「1月に正式に決まった時点で祝辞を送った方が賢明」「不正による当選した方に祝辞を送るな」「裁判を見極めて!! 」

■各国のリーダーも同様に声明

 こうしたリプライが相次いで寄せられているのは、菅氏が8日早朝、ツイッターに書き込んだ下記の投稿だ。

「ジョー・バイデン氏及びカマラ・ハリス氏に心よりお祝い申し上げます。日米同盟をさらに強固なものとするために、また、インド太平洋地域及び世界の平和,自由及び繁栄を確保するために、ともに取り組んでいくことを楽しみにしております」

(中略)

日本でも拡散した「不正選挙」言説
 投稿から約7時間、13時過ぎの時点で、ツイートには1700件を超えるリプライ(返信)が寄せられている。しかし、目立つのは上記のように、祝意に反発する投稿だ。

 あるアカウントは、「菅さん、社交辞令はわかりますが、時期そうそうですよ!」(原文ママ)と主張。この投稿には700件を超える「いいね」が寄せられている。ほかの「まだ、決まってませんよ」とするリプライにも1000件以上のいいねが。

 もちろん、「他の国が祝辞出してるから」と理解を示すツイートもあるが、リプライ欄の上位に掲載された投稿の中では少数派だ。

 現職のドナルド・トランプ氏は、選挙で不正が行われた可能性を繰り返し示唆し、法廷闘争に持ち込む姿勢を崩していない。支持者の間では不正の「証拠」とされる画像や動画などが、日々拡散され続けている。こうした情報は日本にも広まり、注目を集めているが、これらの言説はすでにメディアなどの調査で否定、あるいは疑義が示されているものが少なくない。
https://news.yahoo.co.jp/articles/cfa04a5895e0a7070e33efe359919354b18d219c

外国の大統領の主張を信じて、日本の首相の判断に文句をつけるとは、まさに「売国」というしかありません。
まあ、菅首相のカリスマ性がトランプ大統領のそれに遠く及ばないだけのことかもしれませんが。

トランプ信者はトランプ大統領の毒気にあてられているのですから、早く解毒しなければなりません。

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大阪都構想の賛否を問う住民投票は、反対多数で否決されました。

私は京都出身ですが、東京在住が長いので、都構想については詳しくありません。しかし、外から見てろくなものではないだろうと見当はつきます。都構想がそんなにすばらしいものなら、京都府や愛知県や神奈川県でも同様の議論が起きてもいいはずだからです。

敗北が決まってからの維新関係者のコメントを聞いても、そのことがわかります。
松井一郎大阪市長は、任期満了後の政界引退を表明するとともに、「これだけ大きな問題提起ができたことは政治家冥利に尽きる」「やることをやった。全く後悔はないしこれ以上できない。心が晴れている気持ちだ」などと語りました。
吉村洋文大阪府知事は「大阪都構想は間違っていたのだろう。僕は政治家を続ける中で、都構想に挑戦することはもうないと思う。本当にやりきったという思いだ」と語りました。

いさぎよく敗北を受け入れるのはいいのですが、コメントがあまりにも自己中心的です。
「二重行政のむだ」を訴えてきたのですから、「これからも二重行政のむだが続いていくと思うと残念だ」ぐらいのことは言うべきです。
言わないのは、やはり「大阪都構想は間違っていたのだろう」ということなのでしょう。

松井市長が政界引退を表明したのも不可解です(吉村知事も引退をほのめかすようなことを言いました)。
大阪をよくするために政治家になったのなら、都構想はだめになっても、大阪に尽くすことはできます。
政界は自分を目立たせるための舞台だったのでしょうか。


国政というのは、外交安保、憲法改正など大きな問題を扱い、右翼と左翼、保守とリベラルなど大きな対立がありますが、地方政治は、税金を正しく使って住民サービスを向上させることが中心で、地味なものです。

「大阪維新の会」は地域政党ですから、そういう地道なことをするのが本来の姿です。
ところが、松井市長や吉村知事、橋下徹氏などは目立ちたがりで、大きなことをやろうとします。
都構想というのは、地方政治でできるいちばん大きなことかもしれません。
要するに大風呂敷を広げることが目的で、風呂敷の中身は最初からどうでもよかったのです。

かつて「道州制」というのがかなり議論されたことがありましたが、今はすっかり忘れられています。それと同じで、要するに地方政治で「やってる感」を出すためのアイテムです。


また、松井市長や吉村知事、橋下徹氏らは、いかにも大阪らしい人ですが、どうも“大阪愛”が感じられません。
たとえば「都構想」というのは、東京コンプレックスからくる発想ではないでしょうか。
京都人なら都構想なんていうことは絶対に考えません。

大阪の地域政党なら、大阪らしさを追求して、大阪人が誇りを持てる大坂をつくるべきですが、これまでの大阪維新がやってきたことは、統合型リゾート(IR)誘致とか万博誘致とかで国から金を引っ張ってくることです。これなら与党である自民党と変わりません。


もともと大阪人は東京に対抗意識を持っていました。
東京が政治の中心地なら、大阪は経済の中心地だというような意識です。
「王将」にうたわれる坂田三吉が大阪人に愛されるのは、実力名人を名乗って東京の将棋界に対抗したからでもあります。
1970年の大阪万博を中心になって企画した小松左京も大阪を強く意識していた作家で、「物体O」という短編は、ある超常現象で関西が隔離され、大阪を首都とする国を関西に築いていくという物語ですし、長編の「日本アパッチ族」は、再び全体主義化した戦後日本において、大阪の屑鉄泥棒たちが鉄を食う“食鉄人種”に変身して国に対抗するという物語です。

そういう東京への対抗意識が大阪を元気にするのではないかと思うのですが、都構想は大阪をミニ東京にしようというものですから、それと真逆です。
それに、松井市長らは安倍首相や菅首相とのつながりを利用してきました。これでは地域政党の意味がありません。

意味がない政党なので、松井市長にしても簡単に引退できるのでしょう。



ただ、松井市長は政界引退を表明しましたが、これはほんとうかという問題があります。
松井市長は現在56歳です。2年半後の任期満了ののち、おとなしく消え去るとは思えません。
橋下氏は府知事選出馬について「2万%ない」と言いながら出馬しましたし、府知事を辞めたあと「政治家はやりません」と言いながら、政治家と変わらない動きをしています。
そして、橋下氏の引退とともに都構想も終わったはずなのに、5年後にまた住民投票になりました。

そもそも政治的信念がなく、自分が目立ちたい人たちなので、なにか目立つことをやってくるのは確実です。
森嬉朗元首相が政界引退後も東京オリンピックを牛耳る立場になっているので、松井市長は大阪万博を牛耳る立場になるのでしょうか。


住民投票のためにコストもエネルギーも費やされました。
信念のない政治家は困ったものです。

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