村田基の逆転日記

進化倫理学の威力を試すブログ

2021年03月

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テレビ朝日ホームページより

テレビ朝日「報道ステーション」の番組宣伝CMが女性蔑視であるとして炎上しました。
愚かな政治家が愚かな発言をするのと違って、テレビ局の報道番組に関することですから、問題は深刻です。

テレビ朝日はCM動画を削除して謝罪しましたが、今のところそのCM動画はYouTubeで見られるはずです。



動画が見られなくなるかもしれないので、あるサイトから内容を文章化したものを引用しておきます。

テロップ「これは報道ステーションのCMです」

(場面)女性の自室らしい。そこへ女性が帰宅した。24~5歳くらいの女性が画面にフレームインして喋りだす。動画のオンラインで友達と話をしているのだ。女性は極めてリラックスしていて、話している相手が恋人だと思う人がいても良いくらいのイメージで撮ること。女性は全編通して溢れる笑顔である。

女性「ただいまー。なんか、リモートに慣れちゃったらさ。久々に会社行ったらなんか変な感じしちゃった」「会社の先輩、産休あけて赤ちゃん連れてきてたんだけど、もうすっごいかわいくって。どっかの政治家が『ジェンダー平等』とかって今、スローガン的に掲げてる時点で、何それ、時代遅れって感じ」「化粧水買っちゃったの。もうすっごいいいやつ。それにしても消費税高くなったよね。国の借金って減ってないよね?」「あっ9時54分。ちょっとニュース見ていい?」

テロップ「こいつ、報ステ見てるな」
https://news.yahoo.co.jp/articles/a07c8b849df6f038e1b9f763ab9ea77df5708985

いちばん炎上したのは「どっかの政治家が『ジェンダー平等』とかってスローガン的に掲げているのが時代遅れ」という部分です。
ジェンダー平等は国連「2030アジェンダ」に明記されていて、時代遅れどころか2030年までの実現を目指す国際目標です。しかも日本はジェンダー平等については後進国ですから、目標達成ははるか未来です。

それから、最後に「こいつ」という言葉が出てきて、男が女性を上から視線で見ていることがわかります。
女性蔑視CMだとして炎上したのは当然です。


ただ、こんな女性蔑視CMでも擁護する人がいました。
「消費税高くなったよね」という言葉があるので、これは未来社会のことだから、ジェンダー平等のスローガンが時代遅れになっているのだというのです。

「消費税高くなったよね」という言葉に、私も「あれ? いつのことだろう」と思いました。
ただ、未来のことだとは断定できません。未来と過去の両方の場合があります。

それに、もうひとつ別の可能性もあります。
4月1日から小売店で消費税込み価格の表示が義務づけられているので、現在、小売店で税抜きだった価格表示が税込みに変わりつつあります。それを見て、消費税が上がったと勘違いしているのかもしれません。
つまりこの女性はおバカなのです。
男性目線のCMですから、「美人で、明るくて、おバカ」という男にとって都合のよいキャラに設定されている可能性があります。



このCMに対する批判は、もっぱら女性蔑視、女性差別だからけしからんという観点からですが、私は別の観点から批判したいと思います。

今、ジェンダー平等を叫んでいる政治家の多くは野党議員で、女性差別だと批判される政治家の多くは自民党議員です。
この若い女性は、会社の同僚や化粧品など身近なことにばかり関心があるようですが、突然「ジェンダー平等を叫ぶ政治家は時代遅れ」と政治家に対して強烈なパンチを見舞います。
笑顔を浮かべながらのパンチですから、より効果的です。
蓮舫議員や福島瑞穂議員はさぞかしアタマにきたでしょう。

そのあと「消費税高くなったよね。国の借金って減ってないよね」と言うのですが、それに対する感想や意見はありません。
普通なら「消費税上げたのに国の借金がへらないっておかしくない?」などと言うところです。
この若い女性は終始笑顔なので、増税も国の借金も笑顔で受け入れているようです(「消費税高くなったよね。国の借金って減ってないよね」と言うときは笑顔は消えるのですが、すぐまた笑顔になります)。

この女性は、野党議員には的外れなパンチを放ち、財政赤字増大という政権が生み出した重大問題はスルーするのです。
これが報道ステーションのCMだということは、報道ステーションは政権寄りの番組だと宣言しているようなものです。

テレ朝の上層部も、テレビ局は「政治的に公平」であるべきだということは理解しているはずですが、それでも政治的偏向を露呈するとは、骨の髄まで偏向しているのでしょう。


今、テレビ局は、視聴率調査が世帯視聴率から個人視聴率に変化していることもあって、若い女性の視聴者を増やしたいようです。このCMもその狙いでつくられたのでしょう。
若い女性の視聴者を増やしたいなら、報道ステーションのスタッフに若い女性を増やして、「報道ステーションには多くの女性スタッフがいて、女性向けの情報発信を行っています」というCMをすればいいのです。
しかし、テレビ局は既得権益にあぐらをかいているので、そういう自己変革はできず、小手先の対応をするので、このようなおかしなCMができてしまうのです。

既得権益にあぐらをかいている点では、テレビ局も自民党も同じ穴のムジナです。



テレ朝はCM動画を削除するときに声明文を発表しましたが、そこには「ジェンダーの問題については、世界的に見ても立ち遅れが指摘される中、議論を超えて実践していく時代にあるという考えをお伝えしようとしたものでしたが、その意図をきちんとお伝えすることができませんでした」とあり、伝え方が悪かっただけで、意図は正しかったという態度です。
テレビ局のかかえる問題はかなり根が深いといえます。

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東京五輪開閉会式の演出の責任者であるCMクリエーターの佐々木宏氏が、タレントの渡辺直美さんにブタを演じさせるプランをスタッフにLINEで提示し、スタッフの反対にあって撤回していたと週刊文春が報じました。
渡辺直美さんは宇宙人家族に飼われているブタという設定で、その名も“オリンピッグ”というのだそうです。
女性をブタにたとえる侮辱とダジャレのくだらなさなどもあって非難が集中し、佐々木氏は開閉会式演出の「総合統括」を辞任しました。
開会式まであと4か月というときに演出の中心人物が辞めてしまったわけです。

ただ、このプランが提示されたのは昨年3月のことで、アイデアの原型みたいなものを仲間内に提示しただけで、すぐに撤回しています。辞任するほどのことかという声もあります。
しかし、文春の記事を読むと、「渡辺直美ブタ演出」は記事の“つかみ”の部分です。記事の中心は開閉会式演出チームの主導権争いという構造的な問題を扱っています。
文春の記事から主導権争いの部分を簡単に紹介します。


五輪開閉会式演出チームは最初8人でした。
肩書を書くのが面倒なので、ある記事から引用します。
2018年に発表した演出企画チームは、チーフエグゼクティブクリエイティブディレクターを狂言師の野村萬斎が担当。歌手の椎名林檎や振付師のMIKIKO、映画プロデューサーで小説家の川村元気、クリエイティブプロデューサーの栗栖良依、クリエイティブディレクターの佐々木宏と菅野薫、映画監督の山崎貴ら計8人のメンバーで構成される。
https://www.fashionsnap.com/article/2020-12-23/tokyo2020-hiroshisasaki/

最初は映画監督の山崎貴氏が中心となって企画を考えたもののうまくいかず、次に野村萬斎氏が責任者に選ばれたもののこれもうまくいかなかったということです。
文春の記事にはこう書かれています。

「野村氏は伝統芸能の人だからか、提案も観念的。森氏もプレゼンのたびに、野村氏に『意味が分からん』『具現化しろ』と批判し続けていた。最後は森氏主導で、野村氏は責任者を降ろされます」(同前)

 開幕まで残り1年に迫った段階で、企画案は白紙状態。組織委は19年6月3日、野村氏を肩書きはそのままに、管理側に“棚上げ”に踏み切る。〈演出チーム〉の一員だったMIKIKO氏(43)を“3人目の責任者”として、五輪開閉会式演出の「執行責任者」に起用するのだ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/7199b3bd0d68c0253397dc43ac4aa4534ef4e4bd

MIKIKO氏はPerfumeや「恋ダンス」を手掛けてきた振付師で、MIKIKO氏のまとめ上げた企画案はIOCからも絶賛されたということで、方針が固まったかに見えました。
しかし、そこに森喜朗前会長の後ろ盾のある佐々木宏氏が加わります。
佐々木氏は電通の出身で、電通代表取締役社長補佐・髙田佳夫氏の後ろ盾もあります。
佐々木氏は五輪が1年延期になったことをきっかけに“クーデター”を起こして主導権を奪い、栗栖良依氏、椎名林檎氏ら女性スタッフを排除し、最終的にMIKIKO氏も辞任に追い込みます。
そして、佐々木氏は「一人で式典をイチから決めたい」と言って、MIKIKO氏の案を反故にして自分の案を出しますが、佐々木氏の企画はIOCに不評で、結局MIKIKO氏の企画を切り貼りしたものを使うことになったそうです。

 MIKIKO氏、栗栖氏、椎名氏。自らの考えを主張する女性たちを“排除”し、森氏や髙田氏を味方に五輪開会式の“乗っ取り”に成功した佐々木氏。彼は今、どんな式典を思い描いているのか。今年2月時点の案を見たスタッフが明かす。

「問題なのは、顔写真入りで紹介されている主要スタッフの殆どが男性ということ。ヘアメイクや衣装も軒並み男性。キャストもブッキング済みなのは主に男性で、申し訳程度に『アクトレス』の枠が設けられ、配役は未定。こうしたバランスが世界にどう映るか。不安を覚える人は少なくない。ただ、佐々木氏の後ろ盾である森氏や髙田氏らの意向に、誰も逆らえなかったのが現実です」
森氏・佐々木氏・高田氏(電通)という女性差別勢力が開会式の企画を乗っ取り、その中から出てきたのが「ブタ演出」だというわけです。

しかし、マスコミは「ブタ演出」のところにだけ食いついて、その背後にある問題にはほとんど触れません。
これは“電通タブー”のせいであるようです(森氏のことも批判しにくいのかもしれません)。



ただ、問題は開会式がよいものになるかどうかです。佐々木氏がよい企画を出しているのであれば、たかが「ブタ演出」のために辞任に追いやったのは間違いということになります。
ただ、これについては渡辺直美さん自身が企画の評価を語っています。

「採用されてたら断る」 渡辺直美さん、演出問題語る
東京五輪・パラリンピックの開閉会式の演出を統括していた佐々木宏氏が、お笑い芸人の渡辺直美さんの容姿を侮辱するようなメッセージを演出チーム内に送っていた問題について、渡辺さんは19日夜に行ったYouTubeのライブ配信で言及した。
 開会式への出演依頼を受け、振付師・演出家のMIKIKO氏らが手がける開会式の演出案を聞いたときは「最高の演出だった。それに参加できるのはうれしかった」と振り返り、「(周囲からの助言で佐々木氏の案が却下されたのは)一つの救い」「もしもその演出プランが採用されて私の所に来た場合は、私は絶対断ってますし、その演出を批判すると思う。芸人だったらやるか、って言ったら違う」「これが日本の全てと思われたくない。(元々の演出案を)皆に見てもらいたかったし、私も頑張ってやりたかった。その悔しさが大きい」などと語った。

 また他人の容姿を揶揄(やゆ)する言動について「自分の髪色、着たい服、体のことは自分で決めたい。決めるのは自分自身」などと呼びかけ、「これ以上これが報道されないことを祈る。これを見て傷つく人がいるから」と語った。
https://digital.asahi.com/articles/DA3S14839674.html?_requesturl=articles%2FDA3S14839674.html&pn=2

渡辺直美さんはMIKIKO氏の案を高く評価して、佐々木氏の案はそうでもありません。
おそらく渡辺さんだけではなく、多くの人がそう思っていて、だからLINEの流出も起きて、佐々木氏は辞任に追い込まれたのでしょう。
つまり最大の問題は、「ブタ演出」問題ではなくて、よい案が採用されず、悪い案が採用されたことです。
「ブタ演出」を前面に押し立てて佐々木氏を辞任に追い込んだのはうまいやり方だったかもしれません。



ここまでは文春の記事に乗っかっただけなので、私の考えもつけ加えておきます。

文春は、森氏の女性差別がすべての元凶であるかのような書き方をしていますが、私はそこは違うのではないかと思います。
安倍前首相の名前は文春の記事に一か所しか出てきませんが、安倍前首相こそが黒幕です。

最初に責任者になった映画監督の山崎貴氏は、「永遠の0」と「海賊とよばれた男」を撮っていますが、どちらの原作も百田尚樹氏です。百田氏は安倍前首相のお友だちで、「日本国紀」という「日本すごい」本を書いています。
安倍前首相は「美しい国」や「新しい国」と称して「日本すごい」を主張しています(森氏も「神の国」発言をしています)。
つまり安倍前首相と森氏は「日本すごい」という開会式の演出を望んでいて、それで山崎監督に託したものと思われます。

実はこれが間違いです。
自国優越思想を打ち出したのでは感動的にはなりませんし、そもそも日本はそれほどすごい国ではありません。

具体的には1998年の長野冬季五輪の開会式の演出で「日本すごい」を打ち出したものの、大失敗しました。
開会式の総合演出を担当した劇団四季の浅利慶太氏は、日本文化のすばらしさをアピールしようとして、大相撲の土俵入りと長野県諏訪地方で行われる御柱祭を会場内で実演させました。
大相撲は世界にアピールできるコンテンツだと思いますが、土俵入り自体は見ていておもしろいものではありません。
御柱祭は宗教的行事としての意味がありますが、世界の観客にはなにもわかりません。
結局、世界の観客はわけのわからない退屈なものを延々と見せつけられたのです。

「日本すごい」と思っているのは日本人だけです。「日本国紀」も読まれるのは日本だけで、海外には翻訳されません。

もっとも、北京五輪の開会式では「中国すごい」を打ち出して大成功し、ロンドン五輪の開会式では「イギリスすごい」を打ち出して大成功しました。これは実際に中国とイギリスの歴史が人類史に大きな貢献をしていて、それをビジュアルで表現する演出がみごとだったからです。
北京とロンドンがあまりにもすばらしかったので、そのあとはなにをやっても見劣りしてしまいます。

ところが、安倍前首相と森前会長は、そのむりなことをやろうとしたのです。
山崎監督は期待に応えることができず、野村萬斎氏は伝統芸能の立場から「日本すごい」を打ち出せると期待されたのでしょうが、やはり期待に応えることができませんでした。
3人目のMIKIKO氏は、女性だということもあって「日本すごい」にこだわらない案を出して、IOCから高く評価されました。
案の内容は公表されませんが、佐々木氏のLINEからその一端がうかがえます。

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文春オンラインの記事より

どうやらMIKIKO氏の案は「オリンピックすごい」ないし「スポーツすごい」という内容のようです。
オリンピックが苦難の道を歩みながら発展してきて、多くの人がスポーツを楽しむ世の中を実現するのに貢献してきたという歴史は感動的なものになりえます。

世界の人を感動させるには、「日本すごい」ではなく、なんらかの普遍的な価値観が必要です。
リオデジャネイロ大会は、ブラジルの歴史を描く中でアマゾンの森林資源と地球環境の問題を打ち出して、成功していました。
長野冬季五輪では、パラリンピックの開会式は作曲家の久石譲氏が総合演出をし、自然と文明の共生というテーマがあったようですが、愛と勇気の物語になっていて、すばらしく感動的でした。

しかし、安倍前首相と森氏の頭には「日本すごい」しかなく、それが混乱を招いた元凶でしょう。


佐々木氏が辞任して、そもそも東京五輪が行われるかどうかもわかりませんし、開会式がどんな規模になるかもわかりませんが、もし行われるなら、世界の人を感動させる開会式になってほしいものです。

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セクハラやレイプ被害を告発する「#MeToo」運動が世界的に行われ、日本ではハイヒール強制に反対する「#KuToo」運動があり、そして、最近韓国では学生時代のいじめを告発する「#暴Too」運動が大きな社会問題になっています。

最初のきっかけは、CMなどにも出演する女子バレーボールのスター選手、イ・ジェヨンとダヨン姉妹が過去に壮絶ないじめをしていた事実が発覚したことです。2人は謝罪しましたが、代表選手の資格を剥奪されました。
それから、過去のいじめを告発するということが芸能界でも次々と起きて、ドラマやバラエティ番組がいくつも放送できなくなる事態になっています(詳しいことはこちらの記事で)。

日本では「いじめ」ですが、韓国では「学校暴力」と呼ばれて、法律で定義され、日本よりも犯罪という意識が強いようです。

しかし、小中高校時代のことを告発されても、被害者本人と級友の証言以外に証拠はないはずで、実際、告発された人物はたいていいじめの事実を否定するので、事態はこじれます。
ただ、有名人が告発されると、それだけで大きなイメージダウンになります。


日本でも似たことがありました。
週刊文春によると、眞子さまの婚約者である小室圭さんが中高時代に同級生の女性をいじめて、そのため女性は高校1年で退学し、2年ほど引きこもり生活をし、「人生を狂わされた」と言っているということです。
これなどまったく信ぴょう性がありません。マスコミはずっと小室圭さん批判をしてきて、この報道もその一環です。捏造したものではないかという疑念があります。

それに、学校時代にいじめられたという人はいっぱいいます。そういう人がみんな告発をするようになって、告発された人がなんらかの対応をしなければならないとなると、世の中は大きな難題を背負い込むことになります。
そんなことを考えさせられる文春の報道でした。


それから、私が思い出したのは、1980年代から90年代にかけてアメリカで、幼児期に親から虐待されたとして成人した子どもが損害賠償を求めて親を訴えるケースが頻発したことです。
これに対して、訴えられた親を支援する財団が設立され、心理学者が動員され、幼児虐待の記憶はセラピストによって捏造されたものだという反論がなされ、その結果、訴訟のほとんどは親側の勝利で終わりました(この経緯はウィキペディアの「虚偽記憶」の項目で読めます)。

幼児虐待は家庭という密室で行われ、少なくとも10年、20年も前のことなので決定的な証拠はほとんどなく、そうすると幼児虐待を隠ぺいする方向、つまり親に有利な方向になってしまいます。


韓国の「#暴Too」運動は、これらとはまったく異質です。

「#MeToo」運動が告発するセクハラやレイプは、男と女という強者と弱者の関係で起き、「#KuToo」運動が告発するハイヒール強制は、会社と女性社員という強者と弱者の関係で起き、幼児虐待はもちろん親と子という強者と弱者の関係で起きます。
ですから、こうした運動は社会改革の運動でもあります。

ところが、学校でのいじめは、基本的に同級生という対等の関係で起きます。
もちろん強い者が弱い者をいじめるのですが、強い弱いといってもわずかな差です。ときには立場が入れ替わることもあります。
いじめた者を裁いたところで、社会も変わりませんし、学校も変わりません。
それに、証拠がないので裁判に持ち込んでも勝てることはまずありません。
そうすると、有名人に対する個人攻撃、人格攻撃になるだけです。


さらに、根本的なことを言うと、「#暴Too」運動は告発する相手が違います。

「自由の裏に責任」とよく言われますが、子どもは義務教育や校則や教師の指導に縛られているので、自由がなく、責任の主体にはなりません。
学校でいじめが起きたとき、責任が問われるのは教師と学校です。
日本でいじめで子どもが自殺したとき、自殺した子どもの親が損害賠償請求の訴訟を起こすことがありますが、訴訟の相手はいじめた子どもではなく、たいていはいじめた子どもの親と、管理責任のある学校と教育委員会です。

いじめ防止基本法には、「児童等は、いじめを行ってはならない」とありますが、いじめを行った児童の責任を問う規定はなく、国、地方公共団体、学校設置者、学校及び教職員、保護者の責務の規定があるだけです。
ですから、いじめた子どもが成人になったとしても、その責任を問うことはできないでしょう。
責任を問うなら、当時の学校、教師、教育委員会、そしていじめっ子の保護者です。


韓国でも、自由のない子どもの責任を問うことができないのは同じはずです。
いじめられた人がいじめた相手を憎んで、告発したくなる気持ちはわかりますが、社会やマスコミは冷静に責任の所在を判断して対処する必要があります。
そうすれば「#暴Too」運動も沈静化するでしょう。

いじめっ子の責任を問うよりも学校の管理責任を問うほうがよほど建設的です。

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ユニバーサル ミュージック「うっせぇわ」特設ページより

子どもの間で「うっせえ」という言葉が流行し、眉をひそめる親がふえているそうです。
Adoという18歳の女子高生の歌う「うっせぇわ」という歌がヒットして、その中の「うっせえ、うっせえ、うっせぇわ」というフレーズを子どもがよく口にするというわけです。

昔、志村けんさんが「8時だョ!全員集合」で「カラスなぜ鳴くのカラスの勝手でしょ」という替え歌を歌ったら、子どもたちがことあるごとに「カラスの勝手でしょ」と言うようになって親を困らせ、「8時だョ!全員集合」が「ワースト番組」としてやり玉に上がったことが思い出されます(「ワースト番組」というのはのちの「子どもに見せたくない番組」です)。
また、小島よしお氏の「そんなの関係ねえ!」というギャグが流行したときも、子どもが「そんなの関係ねえ!」とよく言うので、問題になりました。そのため小島よしお氏は、悪い言葉づかいと言われないように「そんなの関係ない!」と言うようにしたそうです。

「子どもに悪影響がある」と言ってテレビ番組や歌などを批判する人は昔からいますが、こういう人こそ世の中に悪影響を与えています。
子どもは好きな番組を見て、好きな歌を聞き、気に入った言葉を口にしているだけです。それをいけないと言うのは、子どもの人格の否定です。
こういう人はさらにテレビ番組を変えようとして、テレビ局にクレームをつけます。これは独裁国がメディアを操作して国民を支配しようとするのと同じやり方です。

「うっせえ」「カラスの勝手でしょ」「そんなの関係ねえ」はみな同じような言葉で、親が「勉強しなさい」「きちんとしなさい」「早くしなさい」などとうるさく言ってくるときに言い返す言葉です。
親は子どもに「うっせえ」と言われたら、歌のせいにするのではなく、自分がうるさいのではないかと反省するべきです。


そういうことで、「子どもに悪影響がある」と言って歌を批判するのは、昔からよくあることで、くだらないなと思っていましたが、「うっせぇわ」という歌をよく聞いてみると、いろいろなことを考えさせられました。



歌詞の全文は次のサイトで読めます。

Ado うっせぇわ 歌詞 - 歌ネット - UTA-NET


Adoはニコニコ動画などに歌を投稿するうちに歌唱力が評判になり、2020年10月に「うっせぇわ」でメジャーデビューした18歳の女子高生だということです。

「うっせぇわ」の作詞作曲はsyudouという人で、年齢不詳の男性アーチスト、音楽プロデューサーです。大卒後、会社勤めをし、2020年に会社を辞めて音楽専業になったということです。
歌手が18歳の女子高生だということが注目されますが、歌詞に「経済の動向も通勤時チェック/純情な精神で入社しワーク」とか「酒が空いたグラスあれば直ぐに注ぎなさい/皆がつまみ易いように串外しなさい」とあるように、これはサラリーマンの歌です。
ただ、Adoの個性に合わせて提供された楽曲だということはあるでしょう。


歌詞の最初のほうに「ちっちゃな頃から優等生」とあるので、これはチェッカーズの「ギザギザハートの子守唄」の「ちっちゃな頃から悪ガキで」を踏まえたものだと指摘されています。

ふたつの歌詞を比べてみました。
「ギザギザハートの子守唄」
ちっちゃな頃から悪ガキで
15で不良と呼ばれたよ
ナイフみたいにとがっては
触わるものみな傷つけた
「うっせぇわ」
ちっちゃな頃から優等生
気づいたら大人になっていた
ナイフの様な思考回路
持ち合わせる訳もなく

「ナイフ」という言葉も共通しているので、「うっせぇわ」が「ギザギザハートの子守唄」を意識していることは明らかです。
しかし、「不良」と「優等生」ですから、そこは真逆です。


ちっちゃな頃から優等生で、今はちゃんと就職して、経済の動向を通勤時にチェックするような生活をしていれば、十分に満足のいく人生ではないかと思われます。
ところが、この男(たぶん男)にはものすごい不満がたまっていて、周りに罵詈雑言をまき散らします。

「クソだりぃな」
「くせぇ口塞げや限界です」
「一切合切凡庸なあなたじゃ分からないかもね」
「もう見飽きたわ二番煎じの言い換えのパロディ」
「丸々と肉付いたその顔面にバツ」
「嗚呼つまらねぇ何回聞かせるんだそのメモリー」

そして、「うっせぇうっせぇうっせぇわ」が激しく繰り返されます。


なぜこんなに不満がたまっているのかというと、優等生の人生を歩んできたからでしょう。

先ほど冒頭部分の4行を引用しましたが、そのあとの3行も続けてみます。
ちっちゃな頃から優等生
気づいたら大人になっていた
ナイフの様な思考回路
持ち合わせる訳もなく

でも遊び足りない 何か足りない
困っちまうこれは誰かのせい
あてもなくただ混乱するエイデイ
「エイデイ」というのはエブリデイ、つまり日常という意味のようです。

ちっちゃな頃から優等生なら遊び足りないのは当然です。
遊びだけではありません。

「ギザギザハートの子守唄」にはこんな歌詞があります。
恋したあの娘と2人して
街を出ようと決めたのさ
駅のホームでつかまって
力まかせになぐられた
   *
仲間がバイクで死んだのさ
とってもいい奴だったのに
ガードレールに花そえて
青春アバヨと泣いたのさ
この不良は恋をして、喧嘩もして、バイクで暴走して、いい仲間もいました。
まさに「青春」をしていたわけです。

親や教師の望むように生きてきた優等生に「青春」はありません。
優等生は「うっせえ」と言いたいときもがまんするので、不満がどんどんたまっていきます(つまり子どもが「うっせえ」と言うのをやめさせようという親は子どもの心に不満をためています)。
その代わり高学歴を身につけて、高収入と高い社会的地位を得られれば引き合うかもしれませんが、そういう人は少数です。
そして、就職してしまえば「青春」を取り戻すことはできません。

「うっせぇわ」という歌は、優等生の“遅すぎた反抗”の歌です。


「ギザギザハートの子守唄」は1983年の歌です。
当時の若者は不良の歌に共感しましたが、今の若者は優等生の歌に共感するのでしょうか。

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3月25日に聖火リレーを始めると、橋本聖子東京五輪組織委会長が表明しました。

聖火リレーは47都道府県を回り、約1万人のランナーが参加する大規模なものです。当然、費用もかかります。聖火リレーの中止検討を表明した島根県の丸山達也知事は警備費などで7200万円の予算を計上しているということです。

組織委は感染対策を次のように行うとしています。
聖火リレーでの主なコロナ対策
<観覧客向け>
インターネットライブ中継での視聴を推奨
沿道観覧は居住地付近でするよう求める
沿道ではマスクを着用し、大声を出さず拍手による応援や配布グッズなど活用の応援を要請
過度な密集が生じた場合はリレー中断も
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2021-02-25/QP22LDDWX2PS01

ここまでして聖火リレーをする意味がわかりません。
人が集まりすぎると中断するということで、有名人のランナーが相次いで辞退しているのも当然です。

橋本会長は「コンセプトである『希望の道をつなごう』に沿って日本全国に希望をつなげる聖火リレーにしたい」と語りました。

組織委の決めた聖火リレーのコンセプトというのがあって、「Hope Lights Our Way(英語) / 希望の道を、つなごう。(日本語)」というもので、IOCの承認も得ているということです。

英語を直訳すると「希望はわれらの道を照らす」となって、なかなかよい言葉と思えますが、「希望の道を、つなごう」という日本語はほとんど意味不明です。


そもそも論をいえば、「聖火」というものは存在しません。
オリンピア遺跡で採火した火も、百円ライターでつけた火も、同じ火です。
ですから、聖火リレーも無意味なことです。
聖火台の火には見世物としての価値があるので、一人のランナーが国立競技場の聖火台に火をつけるパフォーマンスをすれば十分です。
「聖火」をありがたがるのは科学的精神に反しますし、子どもの教育にもよくありません。

3月2日のTBS系「ひるおび!」で、元JOC職員でスポーツコンサルタントの春日良一氏は「古代ギリシャでは4年に1度休戦するのがオリンピックだった。武器を置いてオリンピアに集まれということを各ポリスに伝えるメッセンジャーの役割をデフォルメしたのが聖火リレーだ」と言って、平和のメッセージの意義を強調していました。
しかし、聖火リレーをやったからといって世界が平和になるものではありません。
聖火は古代オリンピックで開催期間中にともされていて、1928年のアムステルダム大会で復活しましたが、聖火リレーは1936年のベルリン大会でナチスドイツが始めたものです。
聖火リレーにはナチスのオカルト趣味が入っているともいえます。

ただ、いきなり大会を始めるのではなく、聖火リレーをやりながらだんだんとオリンピック気分を盛り上げていくというのはうまいやり方です。
しかし、コロナ禍では盛り上がって人が集まってはいけないわけです。
「盛り上げるためにやるのに、盛り上がって人が集まるといけない」というジレンマに陥ります。
不要不急の聖火リレーは中止が当然です。

では、なぜ聖火リレーをやろうとするのでしょうか。
私が思うに、もし聖火リレーを中止すれば、ただでさえ大会開催に否定的な世論がさらに否定に傾いて、大会中止に追い込まれるのではないかという懸念があるからでしょう。
それぐらいしかやる理由が見当たりません。



では、コロナ禍でオリンピック大会をやる理由はなんでしょうか。

菅義偉首相は繰り返し「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証として開催する」と言っています。
この表現は安倍前首相が言い出したものですが、言い出した当時は、今年7月ごろにはコロナに打ち勝っている可能性が少しはありました。
しかし、現時点では、7月に打ち勝っているということはまったく考えられません。
なにも考えずに昔の言葉を繰り返している菅首相にも困ったものです。

ということは現在、オリンピックを開催するまともな理由が示されていないのです。
「安全・安心を確保して開催する」などと言いますが、これは言葉の遊びで、開催すれば必然的に感染リスクは増大します。
世論調査で中止・延期が8割近くになるのも当然です。

では、中止すればいいかというと、そう単純ではありません。
開催したほうがいい理由もあります。
それは「お金」です。
開催中止になれば大きな損失が発生します。

ただ、その金額がどれぐらいになるのかがよくわかりません。
「東京オリンピック中止の経済損失」で検索すると、3兆4000億円、4兆5000億円、8兆円、29兆円などといろんな数字が出てきます。
これは要するに「経済波及効果」の数字で、もともと大きめに算出してあるのです。

単純に考えて、開催中止になればテレビ放映権料と入場料が入ってきませんし、スポンサー企業からの金も大幅に減額されるでしょう。
一方で開催にともなう出費はなくなるので、それを引いた額が純然たる経済損失です。
それを全部日本が負担するはずはなくて、IOCとの分担になります。

それがいくらになるかを組織委がちゃんと計算して、その数字をもとに菅首相が「中止すればこんなに損をする。だから開催するべきだ」と国民に訴えれば、説得力があります。
というか、これ以外に国民を説得することはできません。


ただ、ここで困ったことがあります。
人間は誰でも利己的で、利己的にふるまいますが、あからさまに利己的にふるまうと、周りの反発を買って、目的とする利益が得られません。
ですから、人間は「利他的に見せかけながら利己的にふるまう」という複雑なことをします。
たとえば、企業は営利が目的ですが、「顧客のため」とか「社会に貢献」とか「地球環境にやさしい」といった言葉で利他的なイメージをふりまきます。
商人は「赤字覚悟の出血サービス」と言いながら利益を得て、政治家は「国家国民のために身命を賭す」と言いながら利権を追求します。
つまり本音と建て前の使い分けをしているのですが、やっているうちに自分でも本音と建て前の区別ができなくなって、誰もが自分を利他的な人間だと勘違いしているのが実情です。

こうした考え方が進化倫理学の基本です。


ともかく、今の世の中、誰もが利己的に見られないように注意し、そして、あからさまに利己的にふるまう人間を見ると非難します。
ですから、菅首相が「中止すればこんなに損をする。だから開催するべきだ」と国民に訴えれば、国民は「お金のことしか考えないのか」「オリンピックに対する冒涜だ」などと言って、菅首相を非難するでしょう。
つまりお金のことはたいせつですが、あからさまに言ってはいけないのです。
大義名分が必要です。

「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証」というのも大義名分ですが、できが悪すぎます。

では、どんな大義名分がいいかというと、「世のため人のため」という利他的な意味のものが最善です。
具体的には「世界中のオリンピックファンとアスリートのために開催しよう」というのがいいでしょう。
実際、世界にはオリンピックを見たいと思っている人がたくさんいますし、アスリートはもちろん出場して活躍したいわけですから、単なる大義名分ではなく実質も伴っています。

中止になるとどれだけ経済損失があるかということを国民に周知しておき、「世界中のオリンピックファンとアスリートのために」ということを大義名分にして国民を鼓舞するのが、オリンピック開催を実現する最善の方法です。

それで国民が鼓舞されなければ、開催は諦めるしかありません。


それにしても、中止の場合の損失も明示されないし、まともな大義名分も掲げられないのでは、開催を目指す人たちが愚かすぎるというしかありません。
利権のことしか考えていないのでしょうか。

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