村田基の逆転日記

親子関係から国際関係までを把握する統一理論がここに

2021年11月

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護衛艦いずも

このところ「失われた30年」ということがよく言われます。
日本はこの30年間ずっと経済的に停滞して、個人所得では韓国に抜かれ、今や後進国なのではないかという認識が広がっているようです。
しかし、そこから抜け出す方法が示されません。
それを考えるのは政治の役割ですが、マスコミが政治の足を引っ張っている面もあります。

たとえば、このところ東京のワイドショーは木下富美子都議の問題を毎日のように取り上げています。
木下都議は選挙期間中に無免許運転で衝突事故を起こし、また、2018年から2021年にかけて5回も免許停止になっていたというおかしな“運転癖”のある人です。都民ファーストの会から除名され、都議会から2度の辞職勧告決議を受けても居座って、こんな議員にボーナスまで出るのはおかしいという声が高まり、とうとう11月22日に記者会見し、議員辞職を表明しました。
しかし、これはあくまで個人の問題です。なんの思想的背景もありません。
それに、これは東京都の問題です。ワイドショーを見ている神奈川県民とか埼玉県民はしらけているのではないでしょうか。いや、ワイドショーは関東以外にも放送されているはずです。
東京のマスコミの傲慢さを感じます。

ともかく、マスコミは小さな問題で大騒ぎしています。

小さな問題といえば、国会の文通費の支給を日割りにするという問題も同じです。
日割りにしたからといって、日本の政治がよくなるわけではありません。国会議員の取り分が少しへるだけです。

マスコミがこうしたどうでもいい問題で騒ぐのは、それをやっている限り無難だからです。
文通費の日割りよりももっと大きな金額の問題を追及すると、既得権益者から反撃される可能性があります。


岸田文雄首相は11月13日、拉致問題の国民大集会に出席し、「拉致問題は岸田内閣の最重要課題です。わたしの手で、必ず拉致問題を解決しなければならないと強く考えている」と語りました。
まったく空疎な言葉です。こんな言葉が通用するなら、政治家も楽なものです。

拉致問題は一種の“聖域”になっていて、マスコミはなにがあっても批判しません。

批判されないのをいいことに、政府はこんなことをしていたのでした。
めぐみさん拉致現場で若年層の啓発強化 松野長官
横田めぐみさん(57)=拉致当時(13)=が昭和52年11月15日、新潟市で北朝鮮に拉致されて44年となるのを前にした14日、問題解決を誓う集会が同市で行われ、拉致問題担当相の松野博一官房長官が出席した。拉致現場を訪れた松野氏は「強い憤りを感じた」と述べ、若年層への啓発活動を強化する考えを強調した。
(中略)
政府の拉致対策本部はここ数年、各地での集会や家族らの講演、中高生を対象にした作文コンクールなどを通し啓発を進めている。平成30年には拉致問題担当相と文部科学相の連名で、啓発アニメ「めぐみ」を学校教育で活用するよう教育委員会などに要請。教職員向けの研修や、教職課程を履修する大学生を対象にした拉致現場の視察なども行っている。

ただ、「めぐみ」をめぐっては、令和元年の産経新聞の調査で、都道府県や政令市の約半数が各地域内の公立小中高校での上映状況を把握していないなど十分に浸透していない実態が浮かんだ。問題解決に取り組む自民ベテランは「被害者の帰国など、象徴的な出来事を目の当たりにしていない世代が増えた。国家主権の重大事としてしっかりと継承すべきだ」と訴える。
(後略)
https://www.sankei.com/article/20211115-6JB6GG6SKJO4PBT7RIXFPLEVWM/

政府は拉致問題の「解決」ではなく「利用」に力を入れているのでした。
若者に拉致問題を啓発して、なんの意味があるのでしょうか。
要するに反共プロパガンダに利用しているのです。
拉致被害者家族がこうした政府のやり方をどう思っているのか知りたいところですが、マスコミが報じることはありません。

反共プロパガンダというと、私は北方領土返還運動を思い出します。
昔、左翼が沖縄返還運動をやっていたので、対抗するために政府は北方領土返還運動を始めたのですが、最後まで官製運動のままで、盛り上がりませんでした。しかも、二島返還は当たり前なので、ソ連が飲みそうもない四島返還要求をしたために、結果的に二島返還もほとんど不可能になりました。領土問題を政治利用した報いです。

マスコミが批判しないのは拉致問題だけではありません。最近は外交安保問題全般について批判しないので、外交安保も大きな聖域になっています。


小泉政権は「聖域なき構造改革」を掲げました。
高齢化社会に伴い社会保障費が増大するので、それ以外の歳出の削減は必至でした。
そのひとつとして公共事業費の見直しが行われ、公共事業費は1998年をピークに下がり続け、現在は約半分になっています。

防衛費も小泉政権時代から民主党政権にかけて減少を続けましたが、第二次安倍政権になってから増加に転じました。

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https://www.nippon.com/ja/features/h00196/

このグラフは下が切れているので、見た目ほど防衛費が増えているわけではありません。GDP1%以内に収まっています。

その結果、現在の国の歳出はこうなっています。

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国税庁ホームページより

公共事業費と文教科学振興費と防衛費がだいたい同じくらいです。

公共事業でインフラを整備すれば、それによって生活が便利になったり経済活動が活発化したりしますし、文教科学振興費が国の発展につながるのはいうまでもありません。
しかし、防衛費で戦車や戦闘機をつくっても、国民生活にはなんのプラスもなく、戦車や戦闘機は最終的にスクラップになるだけです。つまり公共事業で車の通らない道路や利用者のいないハコモノをつくるのと同じです。

日本が「失われた30年」から脱して経済成長しようとすれば、防衛費をたとえば半減させて、それを文教科学振興費に回すことです。
文教科学振興費が5割増しになれば目に見える効果が出てくるはずです。
これがすぐにできて確実に効果のある方法です(防衛費の半減には何年かかかりますが)。


防衛費を半減させて日本の防衛は大丈夫かということになりますが、安保条約があって、日本に米軍が駐留していれば大丈夫です。どこかの国が日本を攻撃することは、アメリカと戦争するのと同じだからです。

もともと日本は、安保条約があるので軽武装でよかったから高度経済成長ができたと言われてきました(軽武装といわず、沿岸警備隊程度の武力でいいはずです)。
その日本がどんどん防衛費を増やして、今では軍事費の額で世界第9位となったのは、アメリカに要求されたからです。
アメリカが自衛隊を増強するよう要求したのは、日本防衛のためではなく、なにかのときに自衛隊を米軍に協力させるためであり、日本に兵器を買わせるためです。

日本がアメリカの要求を拒否すると、「だったらもう日本を守ってやらない」と言われるので、拒否するわけにいきません。
憲法九条や世論などを盾にしてアメリカの要求を値切ってきたというのがこれまでの歴史です。


日本が防衛費を半減させると、当然イージスアショアやその他の兵器も買わないことになり、アメリカが認めるはずがありません。
日本は安保条約を廃棄する覚悟がないと防衛費を削減できません。

安保条約を廃棄して日本の防衛は大丈夫かというと、ぜんぜん大丈夫です。

「戦争のない時代がきている」にも書きましたが、今では国家間の戦争はほとんどなくなりました。あるのは内戦とテロですが、その死者数も減少の一途をたどっています。
とくにアメリカがやったアフガン戦争とイラク戦争を見ると、戦争は損失ばかりでなんの利益も生まないということが誰の目にも明らかになりました。

明治時代には日本が植民地化されるのは現実の脅威でしたから、必死で富国強兵をしなければなりませんでしたが、戦後は植民地化されるおそれはなく、島国の日本を防衛するのは容易です。


ところが、自民党は先の衆院選において、防衛費の半減どころではなく、「GDP比2%以上も念頭に増額を目指す」という公約を掲げました。
現在の2倍以上ですから、冗談としか思えない数字です。
しかし、マスコミはまったく批判しません。防衛費は聖域だからです。

さらに、自民党の高市早苗政調会長は「敵基地を一刻も早く無力化した方が勝ちだ。使えるツールは電磁波や衛星ということになる」と言って、存在しない電磁波兵器に言及し、さらに、敵のミサイルに対して「サイバー攻撃を仕掛けて無力化する」とも言いました。
高市氏は軍事に無知ではないかとバカにされましたが、実はこれには裏がありました。

前駐日米大使のウィリアム・ハガティ上院議員は朝日新聞の取材に対して、「米国はGDP比で3・5%以上を国防費にあて、日本や欧州に米軍を駐留させている。同盟国が防衛予算のGDP比2%増額さえ困難だとすれば、子どもたちの世代に説明がつかない」と言って、日本の防衛予算のGDP比2%への引き上げを早期に実現するように求めました。
また、次期駐日大使に指名されたラーム・エマニュエル氏は上院外交委員会の公聴会において、自民党が衆院選公約で「防衛費はGDP比2%以上も念頭に増額を目指す」と書いたことについて、「それが日本の安全保障や我々の同盟に不可欠だ」と述べました。
つまり前駐日大使も次期駐日大使も、防衛費GDP比2%以上を要求しているのです。

自民党の選挙公約はそれを受けたものだったのです。
しかし、GDP比2%以上はとうてい不可能な数字なので、高市政調会長は電磁兵器の研究開発やサイバー攻撃の研究にお金を使おうと考えたのでしょう。

アメリカの財政赤字は対GDP比1.27倍ですが、日本の財政赤字は対GDP比2.56倍と、ほぼ2倍です。
財政赤字が深刻な日本に対して、そう深刻でないアメリカが防衛費増額を要求するとは、パートナーシップに欠けた態度です。
そして、その要求に従う自民党は、売国政党というしかありません。

「失われた30年」のほんとうの原因は、自民党という売国政党にあるのかもしれません。


ともあれ、防衛費を大幅に削減し、文教科学振興費を大幅に増額するというのは、日本復活のための確実な方法です。

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日本維新の会ホームページより

総選挙で躍進した日本維新の会は「身を切る改革」をキャッチフレーズにしていますが、こんな言葉を信じる人がいるのでしょうか。

人間は誰も「身を切る」ことなどしたくありません。するのは、心を病んでリストカットする人か、ハラキリする侍ぐらいです。
「身を切る改革」なんていうのは、詐欺師が「出資者には毎月10%の利息を支払います」と言うのと同じくらいあやしい言葉です。
大阪の人はこんな言葉を信じているのでしょうか。
政治家が「身を切る改革」をやるのは、世論に追い詰められたときぐらいだと思って間違いありません。


国会議員には歳費のほかに毎月100万円の「文書通信交通滞在費」が払われるのですが、先の総選挙で当選した議員は投開票日の10月31日から議員になったと見なされ、10月分の100万円が支払われました。
1日議員であっただけで1か月分もらうのはおかしいと新人議員がツイートしたのをきっかけに「文通費」のことが話題になっています。

とくにそのツイートをしたのが維新の議員だったので、維新の会がここぞと「身を切る改革」のアピールに利用しました。
維新の代表である松井一郎大阪市長や副代表である吉村洋文大阪府知事は「1日議員であっただけで100万円もらうのはおかしい。一般常識とかけ離れている。国庫に返納できないなら、どこかに寄付するべきだ」と主張して、「身を切る改革」に不熱心な他党を攻撃しました。

ところが、吉村知事が衆院議員を辞めて大阪府知事選に立候補した2015年、10月1日に議員辞職して10月分の100万円を丸ごともらっていた事実が発覚し、“ブーメラン”と批判されたのはお笑いです。
生活保護受給で批判された大阪の芸人が「もらえるものはもらっとけ」と言ったそうですが、吉村知事も同じなのでしょう。
ただ、「もらえるものはもらっとけ」というのは普通の感覚です。
「身を切る改革」が詐欺師の言葉なのです。

結局、1日在職しただけで1か月分もらえるのはおかしいということで、どうやら文通費を日割り計算で支払うことにするという法案が提出されるようです。


しかし、これは所詮小さな問題です。
こんなことで「改革」をやった気になられては困ります。

今回の総選挙で当選した新人議員と元議員の合計は120人です。この全員が文通費を返納したところで1億2000万円です。
前職の当選者は345人で、10月14日まで在職していたことになるそうで、日割り計算して100万円の半分とすると、1億7250万円です。
合計しても3億円になりません。


国会が召集され、国会議員が集まって、最大の話題が3億円のことです。日割り計算もせこい話です。
日本の政治の劣化を象徴しています。

しかも、この3億円がむだかというと、そうとは限りません。
車の通らない道路をつくったり、配布されないアベノマスクをつくったりするのはむだですが、国会議員に配られて、ちゃんと政治活動のために使われるならむだではありません。

名目は「文書通信交通滞在費」ですが、領収書は必要とされないので、使途は自由です。
サラリーマンの給料には基本給のほかに住宅手当や家族手当などがありますが、住宅手当だからといって住宅費にしか使えないとか領収書が必要だとかいうことはありません。
国会議員は歳費という基本給に「文書通信交通滞在費」という手当てがついていると考えればいいわけです(ほかに1人当たり月65万円の「立法事務費」もついてきます)。

いったんもらった文通費は国庫に返すことができないそうで、維新は所属議員から回収して、まとめてどこかに寄付すると言っています。
どこに寄付するのか早く明らかにしてほしいものです。
たとえばどこかの被災地の復興のために寄付するのであれば、自分たちの政治活動にお金を使うより被災地の復興に使ったほうがいいということで、自分たちの政治活動の価値を低く見ていることになります。

いや、自分たちの政治活動にはそんなにお金が必要ではないということかもしれません。
だったら、文通費を国庫に返納できるように法律を改正して、維新の国会議員は全員、文通費を国庫に返納すればいいのです。
日本維新の会の国会議員は衆参合わせて56人なので、年間6億7200万円を国庫に返納できることになり、これはバカになりません。
これこそが「身を切る改革」ですから、維新の議員は率先して行うべきです。

政党助成金は年間総額317億円です。
共産党は政党助成金を受け取っていません。これこそ「身を切る改革」です。
維新は受け取っています。これのどこが「身を切る改革」でしょうか。

要するに維新の「身を切る改革」は、文通費を日割り計算するだけですから、単なる見せかけ、パフォーマンスです。


いや、これから文通費を廃止し、歳費を減額し、さらに政党助成金の減額も主張していくのかもしれません。
しかし、それはそれで困ったことになります。
というのは、もともと政治資金には「与野党格差」があるからです。

企業団体献金は圧倒的に自民党に多く入ります。
さらに政治資金パーティも、与党議員のパーティと野党議員のパーティでは、パーティ券の売れ行きが全然違います。

自民党は資金が豊富なので、たとえば2019年の参院選で広島選挙区に立候補した河井案里氏に自民党本部から1億5000万円が贈られたりします。
また、自民党は選挙区の情勢を詳細に調査して、解散時期を決めたり選挙戦術を決めたりしますが、資金のない野党にはそういうことはできません。
政権交代を考えるなら、こうした与野党格差の解消をはかることも重要です。

ともかく、与野党格差があるときに、たとえば一律に文通費100万円を返上したら、与党はたいして痛くありませんが、野党はかなり痛いことになり、格差は拡大します。

維新の会のことを「自民党維新派」と言っている人がいました。つまり自民党の別動隊みたいなものだということです。
与野党が同じように「身を切る改革」をしたら、野党が先につぶれます。
もしかするとそれが維新の狙いでしょうか。

維新の「身を切る改革」にだまされてはいけません。

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日本では、子どもを持つ母親は肩身の狭い思いをしなければなりません。
たとえば赤ちゃん連れで新幹線に乗ることもたいへんなようです。

5か月の子どもを育てている母親が夫の実家に産後初の帰省をするのに新幹線に乗るに際して、その悩みをネットで相談したということが『「赤ちゃん連れの新幹線、ギャン泣きしたらどうしようと不安です」母親の相談に注目集まる』という記事で紹介されました。
母親は車で帰るか新幹線で帰るか考えて、赤ちゃんの負担の少ない新幹線を選んだのですが、赤ちゃんは泣きだすと疲れるまで泣きやまないことも多く、「周りに迷惑をかけてしまうな、とか、うるさいって怒鳴られたらどうしようと不安で」と、経験者にアドバイスを求めました。

すると、「精神的なことを考えたら時間はかかっても車のほうが楽」とか「ピリピリしてる雰囲気があるから、私なら怖くて赤ちゃんを連れて電車移動できない」とか「本当にどうしようもなくなって、途中下車して30分待ったこともある。自由席切符だから出来ることだね」というように、赤ちゃん連れ新幹線乗車に否定的な声が多くありました。
新幹線に乗ることを応援する声もありますが、そういう声にもたいてい「子どもが泣いたり騒いでるのに放置とかあやそうともしない人はどうかと思うけどね」というただし書きがついています。

「泣いたらデッキに連れ出すべきだ」という声もありますが、「デッキは騒音が大きいので、かえって泣く」という反論もあります。

「泣いてる赤ちゃんを放置している母親はけしからん。ちゃんとあやすべきだ」という声が多いのですが、母親があやしたからといって必ずしも泣きやむわけではなく、そこに母親の悩みがあります。


新幹線と赤ちゃんで思い出すのは、6年前の松本人志氏のツイートです。

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これが話題になり、1万件のリツイート、1.9万件の「いいね」がつきました。

松本氏は、子どもに罪はないとする一方で、親に罪を押しつけています。少なくとも「おろおろしろ」と親に重荷を負わせています。
赤ん坊を泣きやます魔法はないので、親は誰もがおろおろしなければならないことになります。

松本氏のような考え方に多く「いいね」がつく世の中では、子ども連れの親は肩身の狭い思いをしなければなりません。
これも少子化が進む理由でしょう。


なお、「公共の場でみんなに迷惑をかけてはいけない」という理由から、泣く可能性のある赤ん坊を電車に乗せるなという意見もあります。
この意見は「公共」の意味がまったくわかっていません。
私的なパーティとかコンサート会場のような特殊な場所なら「赤ん坊を連れてくるな」ということも言えますが、公共の場はみんなに開かれているので、赤ん坊を排除することはできません。
赤ん坊が泣いたときには、眉をひそめたりしないのが公共の場におけるマナーです。
これは、のろのろ歩く老人や車椅子の人に眉をひそめたりしないのと同じです。
松本氏のような人は、公共の場におけるマナーができていません。


昔から「泣く子と地頭には勝てぬ」と言って、人々は泣く子はどうにもならないものとして受け入れてきました。
ところが、現代人は泣く子に勝とうとして、母親に圧力をかけているわけです。

「泣く子」だけではありません。
「騒ぐ子ども」や「遊ぶ子ども」も公共の場から排除され、親は子どもに「おとなしくしなさい」と圧力をかけ、学校では生徒はブラック校則に従わされています。
その結果、日本では年々若者に元気がなくなっています。
これは日本経済停滞の原因にもなっているはずです。

「泣く子」と共存することは日本を元気にする第一歩です。

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第49回総選挙の結果は、自民党の絶対安定多数確保、日本維新の会の躍進、立憲民主党と共産党の敗北という結果となりました。
これは直接には「コロナの風」のせいです。

衆院解散には「バカヤロー解散」とか「郵政解散」といった名前がつけられますが、今回の解散にはとくに名前がついていないようです。
あえて名前をつければ「コロナ解散」でしょう。
コロナに負ける形で菅義偉首相が政権を投げ出して、岸田政権が成立し、解散となったからです。


コロナの全国の新規感染者数がピークをつけたのは8月26日の約2万6000人でした。
菅首相が辞意(総裁選不出馬)を表明した9月3日には新規感染者は約1万6000人で、減少傾向が見え始めていました。
ですから、もう少し菅首相が低支持率に耐えて首相の座に留まっていれば、感染者がへるとともに支持率も上向きになり、総裁選で再選されて、今も首相の座にいられたかもしれません。

株式投資の初心者は、自分の保有株の株価が下がると、そのうち上がるだろうと思って、がまんして保有を続けます。しかし、それでも下がり続けると、ある時点でがまんの限界に達して株を売ってしまいます。すると、そのときから株価が上昇トレンドに反転するということがよくあります。
菅首相も感染者の増大と内閣支持率の下落が続くのに耐えられなくなり、政権を放り出したら、実はそこが“底値”だったというわけです。
ワクチンの効果を信じていたはずなのに、信念が足りませんでした。


それにしても、感染者数の急速な減少には驚きます。11月になってからの全国の新規感染者数は200人前後で、ピーク時から100分の1になっています。
8月から9月、10月にかけてなにがあったかというと、ワクチン接種率が60%から70%に増えたぐらいです。人流などはほとんど変わっていません。
まったく「謎の減少」というしかありません。


自公政権のコロナ対策は一貫してお粗末で、国民の怒りは高まり、安倍首相も菅首相もそれで政権を投げ出しました。
コロナ禍が政権への逆風になっていたわけです。
しかし、総選挙の投票日にはコロナ禍はほぼ収まっていました。

これは「謎の減少」ですから、政権の手柄とはいえません。
岸田首相や自公の候補者も「コロナ対策の成果」を誇るということはなかったと思います(菅前首相は自分の手柄を誇っていましたが)。
それでも、コロナ禍の収束は岸田政権への追い風になりました。

選挙情勢の序盤の世論調査では、自民党はかなり議席をへらすとされていましたが、「コロナの風」が順風となったことで、ある程度盛り返しました。

維新の会ももろに「コロナの風」に助けられました。
大阪府は一時期、感染者数も病床使用率も全国最悪となりました。その状況で選挙があれば、とても勝利はおぼつかなかったでしょう。
コロナ禍が収束したおかげで吉村洋文大阪府知事は「自分でやらないのに文句ばっかり言われる。感染者が増えたら知事のせいだって。誰とは言わないけど枝野さん」と言って立憲民主党の枝野幸男代表を攻撃しました。
「コロナの風」をもっともうまく利用したのが維新の会です。


立憲民主党と共産党は、政権のコロナ対策の失敗に国民の怒りが高まっているので、つまり「コロナの風」が追い風なので、労せずして勝てるだろうという甘い読みがあったと思います。
ところが、選挙期間になると「コロナの風」はぱったりとやみました。
そうすると、国民にアピールすることがなにもありません。

立憲民主党は「分配」重視でしたが、岸田政権も「分配」重視を打ち出したので、違いが見えなくなりました。
立憲民主党は安倍政権の新安保法制への反対や、モリカケ桜などの追及に存在感を出してきました。「まっとうな政治」というのも、安倍政権の政治がまっとうでないということでしょう。
しかし、岸田政権は安倍路線とは違いますし、岸田首相自身はリベラルな人です。
「アンチ安倍」という立憲民主党の存在意義も失われました。
それが立憲民主党敗北の理由です。


「コロナの風」以外の要因もあります。

昔の社会党や共産党は、国会で3分の1の勢力を確保して改憲を阻止することが最大の目標で、政権を取るよりも政権の横暴に抵抗することに存在価値を見いだすという“野党根性”にどっぷりとひたっていました。
それが細川政権の成立や民主党政権の成立によって変わったはずですが、強力な安倍長期政権と対峙するうちに、また昔の“野党根性”に戻ってしまったようです。
とくに昔の社会党の流れをくむ人たちにその傾向があると思います。
立憲民主党が共産党と組むことで、さらにそのイメージは強くなりました。
国民はそれも嫌ったのではないかと思います。

維新の会やれいわ新選組は、そうした“野党根性”とは無縁です(NHKなんとか党もそうです)。
「抵抗」するのではなく「闘争」するというイメージがあります。
政権を取るには「抵抗」ではなく「闘争」が必要です。

「野党は反対ばっかり」という声に対して、「賛成することも多いし、政策の提案もしている」という反論がありますが、そういうことではなく、政権を取りにいくという闘争心の欠如を指摘されていると思うべきでしょう。


立憲民主党は枝野代表が辞任表明し、次期代表選びになっていますが、れいわ新選組の山本太郎代表のように“野党根性”に染まっていない人がいいと思います――と書いて、今思いついたのですが、山本太郎代表をヘッドハンティングして、立憲民主党の代表になってもらうというのはどうでしょうか。
これはまじめに検討する価値があると思います。

今、代表候補として名前が挙がっている人は誰も魅力的ではありません。
立憲民主党の代表選に友好関係の政党からも立候補できる制度にして、そこに山本太郎氏が立候補すれば、大いに盛り上がるはずです。

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