村田基の逆転日記

進化倫理学の威力を試すブログ

2021年12月

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「小人閑居して不善をなす」という諺がありますが、現代では「金持ち閑居して宇宙へ行く」という諺も必要です。

ZOZOTOWN創業者の前澤友作氏は12月8日、日本の民間人として初めて宇宙に行き、国際宇宙ステーションに12日間滞在しました。
費用は約100億円だったそうですが、個人資産2000億円以上とされる前澤氏にとってはなんでもないのでしょう。

金持ちが宇宙を目指すのは世界的なブームのようです。
世界一の富豪とされるイーロン・マスク氏は、電気自動車大手テスラのCEOであるだけでなく、宇宙開発企業スペースXも創業し、民間企業による有人宇宙飛行を成功させました。
世界で二番目の富豪とされるジェフ・ベゾス氏は(このへんの富豪の順位は一年ごとに変わりそうです)、アマゾン創業者で会長であるだけでなく、宇宙開発企業ブルー・オリジンを所有し、民間人による宇宙旅行の実現を目指しています。
わが国では堀江貴文氏も、宇宙旅行ビジネスを目指して何度もロケット打ち上げをしています。

こういう人たちを見て、「夢があっていい」という人もいますが、私は「宇宙しか夢がないのか」と思います。
本業で功成り名遂げて、バカみたいに資産ができて、ほかになにかすることがないかと考えたとき、宇宙ビジネスしか思いつかないのでしょう。
小さいころから宇宙へ行くのが夢だったという人ならいいですが、「夢といえば宇宙」というステレオタイプな発想なら、心が貧しいといえます。
それに、宇宙旅行といっても地球の周りをぐるぐる回っているだけで、未知の世界に挑戦するというロマンはありません。


昔の実業家は、松下幸之助にしても本田宗一郎にしても中内功にしても、本業一筋が当たり前で、ほかのビジネスに手を出すことはまずありませんでした。
今は価値観が変わったということもありますが、若くして巨額の資産を手にするようになったことが大きいと思います。
昔の日本は累進課税の税率がすごくて、松下幸之助などは収入の9割以上を税金に取られて、「私は国に税金を納めた手数料をいただいている」と言っていました。
松下幸之助は晩年に松下政経塾をつくりましたが、その程度のことしかできなかったわけです。

今の実業家は若くして巨額の資産を手にし、使いみちがないので、宇宙ビジネスに金をつぎ込みます。
前澤氏などは2019年には100人に100万円ずつのお年玉プレゼント、2020年には1000人に100万円ずつのお年玉プレゼントをしました。

こうしたバラマキや宇宙旅行に対して、「金持ちの道楽」という批判がありますが、それに対して「自分の能力で稼いだ金を好きに使ってなにが悪い」という反論もあります。

ここで問題になるのは、果たして前澤氏は自分の「能力」で稼いだのかということです。
前澤氏は確かに人より能力は高いでしょうが、いくら高いといっても、人の2倍も3倍もないでしょう。
ところが、すでに前澤氏は平均的な人の1000倍ぐらい稼いでいるのです。
前澤氏が能力によって稼いだ部分はほんの少しです。あとは資本主義のからくりによって稼いだのです。


農耕社会では、体力のある人間がいくらがんばって畑を耕しても、人の2倍か3倍が限度でした。
しかし、土地所有制が始まると、広い土地を持つ地主は働かずとも小作料によって人の何倍もの収入を得ることができます。
貧しい小作人は不作のときなどすぐ金がなくなるので、地主は小作人に金を貸し付けて、さらにその金利を得ることもできました。
もちろんこの収入の差は能力とはほとんど関係ありません。

働かずに豊かな生活をする地主と、いくら働いても貧しい生活をする小作人や農奴の関係は見えやすく、不当であることがよくわかるので、今では多くの国で地主と小作人の関係は規制されています。

ところが、農業以外の産業での資本家と労働者、雇う側と雇われる側の関係はあまり規制されず、冷戦後は資本家や雇う側がさらに有利になって、日本では契約社員や派遣社員の形で安く人を雇うことができます。
さらに所得税がどんどん減税されて、今では累進課税は最高45%ですし、株式譲渡所得については税率20%です。
前澤氏は2019年にZOZOTOWNをヤフーに譲渡し、報道によるとそのときに約2400億円を手にしたそうですが、その税率も20%です。
松下幸之助の時代と違って、金持ちは税制面で大幅に優遇されているのです(自民党は財政赤字がふくらむ中でも金持ち減税を進めてきました)。

つまり人間の能力は、知能にせよ体力にせよ、いくら高くても平均より30%とか40%程度なのに、資本主義下では収入は平均の千倍、一万倍ということが可能で、しかも税制で優遇されています。
現代の金持ちを見て、彼は自分の能力によって金持ちになったなどと考えるのは愚かなことです。


前澤氏は本人も戸惑うような巨額のお金を手にしたために、おかしなバラマキをしたり、宇宙に行ったりしているというわけです。
普通金持ちは貧しい人や恵まれない人のために慈善事業をするものですが、前澤氏のお金配りはそういうものではなく、前澤氏が恣意的に選んだり、抽選方式だったりします。
「貧しい人に配れ」という声に対しては、前澤氏本人がツイッターで「誰に配ろうが俺の好き。国の社会保障と一緒にしないでもらいたい」と言っています。
昔の成功した実業家なら、半ば建て前であるとしても、「自分が成功できたのは従業員や周りの人のおかげ」と言ったものですが、前澤氏にはそういう言葉もありません。

ZOZOTOWNを運営する(株)ZOZOのホームページを見ると、従業員数は「1359名/グループ全体」となっています。おそらく正社員はもっと少ないはずですが、単純化して1000人ということにしてみます。前澤氏が手にした2000億円をみんなで分配すると、1人2億円ということになります。前澤氏が200億円取っても、それほど変わりません。
将来の成長を見越して実態以上に株価が高くなっている面はありますが、資本主義社会がいかにいびつかがよくわかります。

前澤氏は、格差が拡大した今の日本を象徴するような存在です。



ところで、前澤氏のような金持ちの存在を能力によって説明するのは、誰が見てもむりがあります。
そこで、最近は格差の理由を「能力」ではなく「努力」で説明することがよく行われています。
「彼が成功したのは努力したからだ。努力しない人間がねたむのはよくない」といった具合です。

「努力」というのはやっかいな問題ですが、これについては、新しく始めた別ブログの「道徳観のコペルニクス的転回」の「第1章の1」で説明しているので、参考にしてください。


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新しいブログを開設したのでお知らせします。

このブログはもっぱら時事問題について書いていますが、新しいブログは私の思想について書いたものです。
次の行をクリックすると飛びます。

「道徳観のコペルニクス的転回」


私の思想がどういうものかは、新しいブログを読んでもらえばわかるわけですが、ここで簡単に説明しておきます。


私は若いころに「どうして世の中から悪をなくすことができないのだろう」ということを考えました。もし悪をなくす方法がわかれば、人類の幸福に大いに貢献することができます。
こんな大問題に思想家たちがまったく取り組んでいないように見えるのは実に不思議でした。

私は、悪をなくすことができないのは、道徳に欠陥があるからではないかと思いました。
理不尽なブラック校則のある学校では校則違反が多発するように、“ブラック道徳”があるので悪が多発するのではないかと思ったのです。
「嘘をついてはいけない」という道徳がありますが、嘘をつかない人間はいないので、行き過ぎた道徳です。「人に迷惑をかけてはいけない」という道徳もおかしなもので、人間は互いに迷惑をかけあっている存在です。
つまり道徳が人間性に合っていないのです。
道徳を人間性に合わせれば、悪の発生は、ゼロとはいかなくてもかなり減少させられるはずです。

倫理学の考え方はそれとは逆です。道徳は人間性を高めるものとされます。悪が存在するのは、道徳に背く人間の意志のせいです。したがって、みんなが自分の意志を正しくすれば悪はなくなるはずです。アリストテレスやカントは、人間は最高善を目指すべきだと説きました。

私は、人間性は変えられないので道徳を変えるしかないという考えです。
とはいえ、漠然と考えているだけでした。

そうして私は、道徳とはなにか、善とはなにか、悪とはなにかということを愚直に考え続けました。すると、あるとき答えがひらめいたのです。その瞬間、思わず「エウレカ!」と叫んで走り出しそうになったのを覚えています。
ひらめいた答えは、コペルニクスによる地動説の発見に似ているので「道徳観のコペルニクス的転回」と名づけました。
これは人類史上画期的な発見と思えました。

ただ、この答えは世の中の常識と正反対です。不用意に表現したのでは、天動説が信じられている世の中で「太陽が動いているのではない。地球が動いているのだ」と叫ぶみたいなもので、今の時代は宗教裁判こそありませんが、狂人扱いされるか無視されてしまいそうです。

そこで、とりあえずこのブログを始めました。「道徳観のコペルニクス的転回」をベースにして時事問題を論じるというものです。
ときどき「道徳観のコペルニクス的転回」にも直接言及して、反応を見ましたが、常識とまったく違うことですから、やはり理解されないようです。
つまり小出しにしては常識に負けてしまいます。常識と正面から戦って、打ち勝たないといけないのです。

というわけで、「道徳観のコペルニクス的転回」をまとまった形で表現したのが新しいブログというわけです。
ほぼ一冊分の本の内容が最初から入っています。


なお、最初に「私の思想」と言いましたが、ほんとうは「思想」ではなく「科学上の理論」といいたいところです。

思想は無力なものです。ミシェル・フーコーは『監獄の誕生』において、監獄と学校をどちらも一望監視システムによって管理されていると論じましたが、この説が教育界に影響を与えた節はみじんもありません。
「道徳観のコペルニクス的転回」も思想として提出したのでは無視されるので、科学上の理論として認定されるように工夫しました。
これが科学として認定されれば、水戸黄門が悪人たちに葵の御紋の印籠を掲げるように、ヴァン・ヘルシング博士がドラキュラに十字架を突きつけるように、私は反対する人たちに対して、「これは科学だ」と主張するだけで黙らせることができます。
もちろん私一人が「これは科学だ」と主張しても意味がないので、進化生物学者を中心とする科学者の参加を待ちたいところです。

わかりやすく書いたので、ぜひ「道徳観のコペルニクス的転回」をお読みください。

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アメリカが主催した「民主主義サミット」が12月9日、10日に、111の国と地域が参加してオンライン形式で行われました。

「民主主義サミット」と名乗るぐらいですから、その運営も民主的なものかというと、そうではありません。
参加国はアメリカが一方的に決めて、議長国もアメリカです。来年第2回が対面式で行われる予定ですが、それもやはりアメリカ主催です。
G7のサミットの場合は、議長国は持ち回りで、参加国は対等で、会議もたいてい円卓方式で行われますから、それと比べると、民主主義サミットはアメリカによる専制的運営ということができます。

民主主義は国内政治だけでなく国際政治にも適用されるものです。
アメリカが民主主義を世界に広めていきたいなら、民主主義サミットの運営も民主的にして、手本を示すべきでした。

国連の運営も同じです。常任理事国の五大国に拒否権があるというのはまったく民主的でないので、アメリカはまずここを改革するべきです。

もちろんアメリカにそんな気持ちはありません。民主主義サミットを開催したのは、一党独裁の中国に対して優位に立つためには民主主義を持ち出すのがいいと判断したからで、すべては米中覇権争いのためです。

そもそもアメリカの民主主義はそれほどのものではありません。
アメリカで黒人の選挙権が認められたのは1965年ですから、アメリカは先進民主主義国の中でもっとも普通選挙の実施が遅かった国です。最近も保守的な州で、黒人の投票を制限するために身分証明の方法を厳格化する法律が制定されたりしています。さらに、トランプ前大統領は大統領選の結果を認めないと主張しています。日本人がアメリカを民主主義国の手本のように思っているのは愚かなことです。


バイデン大統領は民主主義サミットの開会あいさつにおいて、「みずからの民主主義を強化するとともに、専制主義を押し返す」と述べて、世界を民主主義国と専制主義国に二分する考えを示しました。
これは一神教由来の善悪二元論の考え方でしょう。
民主主義というのは、それぞれ意見は違っても、根底はみな同じ人間だという考えです。善悪二元論とは相容れません。

アメリカは、専制主義国を次々と民主化していくことで民主主義国陣営が勝利するというシナリオを目指しているのでしょうが、これではその国に外国が民主主義を押しつけることになります。
どんな国民でも外国の押しつけは嫌うので、これはうまくいきません。

うまくいかないだけでなく、マイナスになる可能性もあります。
専制主義国で民主化運動をしている人たちが「アメリカの手先」という汚名を着せられてしまうからです。

第一次世界大戦ごろまで、各国の社会主義政党は社会主義インターナショナルという国際組織をつくっていましたが、ソ連が成立してからいわゆるコミンテルンが組織され、ソ連が社会主義運動を指導するようになると、やはり社会主義者は「ソ連の手先」とされて、かえって反共主義が勢いを増す結果となりました。
民主主義サミットはコミンテルンもどきです。



では、専制主義国をどうして民主化すればいいかというと、それはその国民に任せるしかありません。
その国の民主化運動を外から支援する場合は、民間団体か国際機関によるべきです。国家がやると内政干渉になります。

「草の根」という言葉がありますが、民主化は草の根運動によってなされるものです。大地から出た小さな芽がだんだんと育っていくようなもので、かなりの時間がかかります。

イギリスで選挙制度が始まったのは15世紀ですが、そのときは地主階級だけが参加するものでした。やがて産業資本家、労働者階級へと広げられて、普通選挙が実現したのは1918年でした。
日本で大日本帝国憲法のもとで初めて選挙が行われたのは1890年で、参加できたのは全国民の1%の高額納税者だけでした。その後、少しずつ選挙権が拡大され、男子普通選挙が実現したのは1925年です。
2011年にイスラム圏で「アラブの春」と呼ばれる広範な民主化運動が起きましたが、民主化が成功したのはチュニジアだけだとされます。ほかの国では内戦が起きて混乱したり、強権的な政権が復活したりしています。

アメリカはアフガニスタンに“民主的”な政府を押しつけましたが、20年たって失敗に終わりました。


そもそも民主主義を理想の政治体制と見なすのはヨーロッパの考え方です。ヨーロッパでは古代ギリシャ・ローマ文明のものをなんでも理想としますが、古代ギリシャ・ローマでは民主制が行われていたということからです。
日本人は割とすんなりとヨーロッパ由来の考え方を受け入れましたが、中国人は中国文明に自信を持っているので、民主主義を理想とは思っていないでしょう(おそらく孔子の「仁」の政治を理想としているのではないかと思います)。
イスラム圏の人も民主主義を理想とは思わないので、なかなか民主化が進みません。

もちろん民主主義には価値があります。
「権力は腐敗する」というのは絶対的な法則です。腐敗を防いだり、腐敗に対処したりするには、民主主義がいちばんいい方法です。
それから、専制政治で失政があると、国民は為政者を恨むだけですが、民主政治で失政があると、国民は少しは反省して向上します。
ただし、国民が向上するにはかなりの時間がかかります。おそらく一世代、二世代というスパンです。
民主主義だからよい政治が行われるなどと期待してはいけません。うまくいって民衆と同じレベルの政治です。


アメリカは、中国が経済的に発展すればいずれ民主化するだろうと見て、中国の経済発展を許容していたとされます。しかし、いっこうに民主化しないので、今では中国にきびしく対処するようになったということです。
しかし、これはアメリカをよく見せる表現です。実際のところは、中国の経済成長はアメリカの利益になったので許容していたが、中国がアメリカと肩を並べそうになってきたので許せなくなったということです。

もし中国の民主化を期待するなら気長に待つしかありません。

世界の頂点であり続けたいというアメリカの覇権主義は、幼稚な考えですが、それ自体に害はありません。しかし、覇権のために民主主義や人権を持ち出すので害が生じます。

人権についても民主主義と同じことが言えます。
アメリカが中国に人権問題で圧力をかけると、中国国内の人権活動家が「アメリカの手先」とされてしまいます。
人権問題は国際機関が前面に出て対処するべきです。


アメリカにおいては善悪二元論の発想はとうそう根深いようです。
二大政党制もそうですし、東西冷戦もそうです。
東西冷戦が終わると、イスラム圏対西側世界という分断政策になり、イラクとアフガンで失敗すると、今度は民主主義対専制主義という分断政策になりました。
国内でも保守とリベラルによる分断がますます深刻化しています。

日本としては、アメリカに加担するのも中国に加担するのも愚かです。
米中覇権争いを高みの見物するしかありません。

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立憲民主党ホームページより

立憲民主党代表に泉健太氏が選ばれました。
このまま自公政権が続けば日本は没落していくだけなので、野党第一党の立憲民主党にはがんばってもらわねばなりません。

前代表の枝野幸男氏は、10月の総選挙の公約にも「まっとうな政治」という言葉を挙げていました。
「まっとうな政治」というのは、立憲民主党が結成された2017年に枝野氏自身が言い出したものです。当時は安倍政権が安保法制や共謀罪法案をごり押ししていたので、それに対抗する意味がありました。
しかし、今は岸田政権に変わっていますし、「まっとうな政治」という言葉がアピールするのは、今の政治がまっとうでないと思っている人に対してだけです。
政治に興味がない若い人にとっては、「まっとうな政治って、なに当たり前のこと言ってるんだ」というだけのことでしょう。
枝野氏には“新規顧客”を獲得しようという意欲が感じられませんでした。


野党に対しては「反対ばかり」「批判ばかり」という批判があり、それに対して「賛成や政策提案もしている」とか「野党は政府を批判するのが仕事だ」という反論がありますが、どちらも的を外しています。
今までの野党は、表面的な批判ばかりで、核心をついた批判がありませんでした。そのため「批判ばかり」という印象になるのです。

たとえばコロナ対策において、PCR検査数がふえないとか、コロナ患者用の病床数がふえないという問題がありました。
これを批判するのが表面的な批判です。そんな批判なら誰でもできます。

PCR検査数やコロナ用病床数がふえないのは「目詰まり」などと説明されていましたが、おそらくは医師会や製薬会社や感染症専門家集団の利権があるのでしょう。そして、与党も利権でつながっているので、「目詰まり」を解消することができなかったのです。

こうした実態を解明するのは、本来はマスコミの役割ですが、今のマスコミは政府の痛いところをつく報道をしません。例外は週刊文春ぐらいです。
断片的なことは報道されます。たとえば去年の夏ごろですが、日本でPCR検査を大量に早く処理できる機械が開発されたが、なぜか日本では採用されず、外国に輸出しているというテレビの報道がありました。
日本で採用されないことについては、たぶんなにかの利権があるのでしょうが、そこは報道されません。

マスコミが追及しないのなら野党がするしかありません。
「調査報道」という言葉がありますが、野党がよく調査して「調査質問」をするわけです。
野党には調査権も捜査権もありませんが、そこはやる気と実力が試されるところです。

ちなみに共産党は調査力がすごくて、政権を揺るがすような事実をいくつも突きつけてきました。
立憲民主党も共産党に負けないぐらいに調査力を発揮しないといけません。

なお、政策提案型の野党になれという意見がありますが、政策提案で問題が解決するならもうとっくに解決しています。愚かな意見というしかありません(泉健太代表は「政策提案型を目指す野党は与党のシンクタンクでしかない」と言っていますが、的確です)。


それから、立憲民主党はもっと“思想闘争”をしないといけません。

野党はモリカケ桜問題の追及に力を入れてきました。国有地不当値引きとか虚偽答弁とか公文書改ざんとかは、決して小さな問題とは言えませんが、国の進路に関わるようなことではありません。そのため「批判ばかり」と感じる人もいたでしょう。
そして、検察が動かなかったので、すべての追及は無意味になってしまい、「嘘をつき通せばいいのだ」という風潮まで生まれました。
検察の判断も問題ですが、野党が「不正」の追及に焦点を当てたのも問題です。

森友問題は、教育勅語を暗唱させるような軍国主義教育を行う小学校設立に安倍首相が特別な援助を行ったのが発端です。
森友学園傘下の塚本幼稚園では、園児に軍歌を歌わせて整列行進させ、教育勅語や五箇条の御誓文を暗唱させ、水を飲む回数やトイレの回数を制限するなど(日本海軍で水を飲む回数を制限していたからだということです)、園児の発達を無視した教育を行っていました。また、運動会の選手宣誓で「安倍首相がんばれ」と言わせるなど、園児を政治利用していました。
野党は、こうした教育方針を支持した安倍首相を批判して、教育論議をするべきでした。
教育論議なら建設的なものになる可能性があるので、「批判ばかり」とは言われないでしょう。

軍国教育は徹底した管理教育です。リベラルは自由教育の立場ですから、そこで議論が起こって当然です。
教育問題には誰でも興味がありますから、立憲民主党は管理教育か自由教育かの議論を通して支持を拡大することができたはずです。

ところが、ブラック校則の問題にしても、これを追及しているのはもっぱら共産党で、立憲民主党の存在感はありません。


教育は国の根幹に関わる大問題ですから、政治家も大いに議論しなければなりません。
立憲民主党の泉健太代表は幹事長に西村智奈美氏を起用し、さらに執行役員の半数を女性にする方針を示して、「ジェンダー平等を具現化したい」と語りました。
これによって自民党との争点をつくるというのは正しい方針だと思いますが、もうひとつ、教育でも争点をつくるべきです。

ベストセラーとなっているブレイディみかこ著『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』を読むと、イギリスの中学校にはライフ・スキル教育ないしシティズンシップ・エデュケーションというものがあって、「子どもの権利を三つ書け」というような試験問題が出されるなど、子どもの権利について繰り返し教えられ、子どもの権利条約が制定された歴史的経緯なども教えられているということです。

日本も子どもの権利条約は批准しているのですが、学校で子どもが子どもの権利について学ぶということはほぼ皆無です。
日本の教育がだめなところは多々ありますが、そのいちばんの根幹は、子どもの権利が尊重されていないことです。
言い換えれば、子どもが尊重されていないのです。そのため子どもはもちろん若者の自己肯定感が低くなって、日本全体に元気がなくなっています。

子どもに自分の権利を教えることが教育改革の第一歩です。
幸い小中学校には「道徳科」が存在しているので、そこで教えることができます。
自民党は「子どもに権利など教えるとわがままになる」などと言って反対しそうですが、論争すれば権利尊重の側が勝つに決まっています。

ジェンダーとともに教育についても立憲民主党は論争を挑むべきです。
これはかりに票に結びつかなくても、日本をよくすることにつながります。


立憲民主党は外交力がまったくありません。これも支持が得られない大きな理由です。

鳩山政権のとき、普天間基地の辺野古移設を巡って迷走し、それが政権の大きなダメージになりましたが、その後、このことについて明確な反省が示されたことはありません。

10月の総選挙の公約にはこう書かれています。
○在日米軍基地問題については、抑止力を維持しつつ地元の基地負担軽減や日米地位協定の改定を進めます。
○沖縄の民意を尊重するとともに、軟弱地盤等の課題が明らかになった辺野古移設工事は中止します。その上で、沖縄の基地のあり方について見直し、米国に再交渉を求めます。
https://cdp-japan.jp/news/20211014_2344
辺野古移設工事の中止を言っていますが、鳩山政権のときとどう違うのでしょうか。
日米地位協定の改定も、これまでの政権にできなかったのに、立憲民主党政権になればどうしてできるようになるのでしょうか。
この公約を見ると、立憲民主党には政権を獲るつもりがないのだなと思えます。

これらはアメリカと交渉することですが、はっきり言って日本の交渉力はゼロです。
なぜかというと日米同盟を絶対化しているからです。
日本は同盟離脱カードを持たないと、対等な交渉ができません。
こんなことは交渉のイロハです。
ところがこれまでの日本外交は、「日米同盟は日本外交の基軸」と称し、安保条約を「不磨の大典」としてあがめてきたので、アメリカから離脱カードをちらつかされると、なんでも言うことを聞かざるをえませんでした。

冷戦時代は、日本は西側にいたいし、アメリカも日本に東側に行かれては困るので、双方は一致していました。
冷戦が終わると、「日米安保の再定義」ということが言われましたが、なにも議論がないまま日本は「北朝鮮の脅威」や「中国の軍拡」を理由に惰性で同盟関係を続けてきました。
そのためアメリカだけが離脱カードを手にして、日本は高い兵器を買わされたり、思いやり予算の増額を飲まされたりしてきたわけです。

私は『防衛費という「聖域」』において、防衛費を大幅に削減して、その分を文教科学振興費に回すことが日本経済回復の手っ取り早い処方箋だと述べましたが、アメリカは日本の防衛費削減を許さないでしょう。
日本経済のためにも対米自立は必要です。

しかし、今では日本人は心理的にもアメリカに依存するようになっているので、「日米基軸外交の見直し」などと口にしただけで日本人から猛批判を受けそうです。
ですから、当面野党として「対等の日米関係を構築する」といった立場から、政府の外交を批判するという作戦になるでしょう。

「子どもの人権」もそうですが、国民の意識を変えていくのも政党の重要な役割です。


以上のことをまとめると、立憲民主党の再生のためには、

1.表面的な批判でなく核心をついた批判
2.教育、人権、ジェンダーなどで争点づくり
3.対等な日米関係の模索

といったことが重要です。

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