村田基の逆転日記

親子関係から国際関係までを把握する統一理論がここに

2022年05月

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戦場の兵士は「英雄」と称えられます。
ゼレンスキー大統領はアゾフスターリ製鉄所に立てこもった兵士たちを「英雄」と呼びましたし、演説の最後を「ウクライナに栄光あれ。英雄たちに栄光あれ」と締めくくったりします。
プーチン大統領も病院に負傷兵を見舞ったとき、「彼らは英雄だ」と言いました。

戦争には「英雄」が必要ですが、人間は「英雄」としては生まれてこないので、人間を「英雄」あるいは「一人前の兵士」に仕立てなければなりません。
そのために利用されるのが「道徳」です。

「国家のために尽くすべし」ということを教えるほかに、勇敢さや自己犠牲が重要な徳目とされ、乱暴、喧嘩っ早さ、命知らずなども「男らしさ」という徳目としてプラス評価されました。
しかし、戦争がどんどん苛酷になってくると、それでは追いつきません。

第一次世界大戦は4年間に800万人以上が戦死するという大規模かつ長期なもので、兵士たちは塹壕の中で激しい砲撃にさらされ、戦友が近くで命を失うのを目撃するという状況に長時間置かれました。そうするうちに、多くの兵士が女性のヒステリー症状そっくりの行為をするようになります。金切り声を上げたり、すすり泣いたり、金縛りのように動けなくなって、無言、無反応になり、記憶を失ったり、感じる力を失ったり。ある推定によれば、英国の傷病兵の40%がこのような“精神崩壊”だったということです。
当初、精神崩壊は身体に原因があるものと考えられました。
イギリスの心理学者であるチャールズ・マイヤーズは砲弾の爆発が脳震盪を起こすのが原因だとして「シェル(砲弾)ショック」と名づけました。この名前はたちまち広がって、今でも戦争神経症のことをシェルショックと言うことがあります。
しかし、実際には爆発の衝撃を受けなかった兵士にもこの症状が見られたので、次第に心理的なものと見なされるようになりました。長時間死の恐怖にさらされるストレスは、男性にヒステリーに酷似した神経症の症状を起こさせるのです。

そうして戦争神経症の存在が認められたのですが、それでもまだ医学界は患者のモラルの問題と見る傾向がありました。正常な兵士は恐怖に屈することなどない、戦争神経症を発症する兵士は軍人としての資質の劣った人間であり、臆病者、さらには詐病者であると見なされたのです。当時の医学文献には「道徳的廃兵」と書かれていました。
ですから、戦争が終わると、モラルのない、役に立たない人間のことなど忘れられていきました。

第二次世界大戦が始まると、戦争神経症が再び注目されました。
今度は医学界は戦争神経症の効果的な治療法を求めて科学的な研究を行い、「精神科的傷病兵の発生は戦闘の苛烈さに正比例し、したがって銃創や弾片創と同じく避けることができない」として、道徳と切り離しました。そして、戦友との絆が治療に有効なことがわかり、早期に部隊に復帰させるという対策がとられました。ただし、それはあくまで短期的な対策でした。

例によって戦争が終わると、戦争神経症のことは忘れられていきました。
そして、ベトナム戦争とともにまた戦争神経症のことが思い出されました。
その中心になったのはベトナム帰還兵でした。彼らは「正しい戦争」という国の主張を否定して反戦運動をする一方、戦争の心的外傷体験を話し合う自助グループをつくり、そこに精神科医を招いて、戦場から離れて時間がたっても心的外傷の後遺症があることを認めさせました。
このような運動には反発もあって、「われわれの父も祖父も戦争に行って、義務を果たし、帰ってきてからもなんとかやっていた。どうして君たちは不平ばかり言うのだ」と批判されました。
ともかく、こうして「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」がアメリカ精神医学会の公式な診断基準になりました。


しかし、今も戦争神経症やPTSDのことは忘れられています。
世の中はつねに「弱い兵士」ではなく「勇敢な兵士」や「英雄」が見たいのです。

ついこの前、アメリカはウクライナに長距離りゅう弾砲を提供しましたが、ゼレンスキー大統領はロシアの多連装ロケット砲に対抗するために多連装ロケット砲も必要だと語りました。
どうやら戦況は双方が大砲とロケット砲を撃ち合う形になっているようです。
これが長期化すると、死傷者だけでなく大量の戦争神経症患者も出現することになります。

マスコミはときどき両軍の死傷者の数を推定値として報道しますが、そこに戦争神経症患者やPTSD患者の数も加算する必要があります。


つけ加えておくと、「人を殺してはいけない」という道徳があるにもかかわらず、道徳は戦争遂行の強力な道具になっていて、そればかりか、科学の妨げにすらなっています。
道徳を正しくとらえることは、平和実現の第一歩です。

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アメリカ国旗である星条旗は、建国のときは星の数が13個しかありませんでした。
州の数がふえるたびに星の数も増え、現在はハワイ州が加わったときの50個となっています。
これまでに26回デザインが変更されたそうです。

デザインの変更が前提とされている国旗はほかにないでしょう。
まるで撃墜王が敵機を撃墜するたびに機体にマークを書き込んでいくみたいです。

こうしたアメリカの膨張主義は、北米大陸に関してはフロンティア・スピリット、開拓者魂などと言われていました。
北米大陸から外に出るようになるとアメリカ帝国主義と言われました。

帝国主義というと、レーニンの『帝国主義論』に書かれているように、国家独占資本主義が経済的利益を求めて植民地獲得をしていくというイメージです。
イギリス帝国主義は確かにそのようなものでした。ですから、イギリスは第二次大戦後、植民地獲得が不可能になると帝国主義国でなくなりました。
ところが、アメリカは戦後も朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争など数々の戦争をしてきたので、帝国主義国と呼ばれ続けています。ただ、その目的は植民地獲得のためとは思えません。
そこで、軍産複合体の利益のためだなどといわれました。

さらには、宗教的な説明も行われました。アメリカは選ばれた「神の国」なので、世界を導こうとしているのだというわけです。

私はそれに加えて道徳的な説明もできると思ってきました。
つまりアメリカは「正義の国」なので、「悪の国」をやっつける“使命”を持っているというわけです。
ハリウッド映画の主流は、正義のヒーローが悪人をやっつける物語です。
アメリカ人はあれほど正義のヒーローが好きなのですから、アメリカという国が正義のヒーローとしてふるまうのは当然です。

ただ、アメリカだけが特別に正義のヒーローが好きな国になった理由が説明できませんでした。
そうしたところ、図書館でC・チェスタトン著『アメリカ史の真実』という本を見かけました(C・チェスタトンは「ブラウン神父」シリーズで有名な作家のG・K・チェスタトンの弟)。



表紙に「なぜ『情容赦のない国』が生まれたのか」という惹句があり、渡部昇一の「監修者まえがき」に「アメリカには中世がないため騎士道精神がない」という意味のことが書かれていて、興味をひかれて読んでみました。


西欧には古代ギリシャ・ローマの社会を理想とし、中世キリスト教文化を抑圧的なものと見なす考え方があって、「ギリシャ・ローマの昔に返れ」という文化運動が繰り返し行われてきました。14世紀にイタリアに始まったルネサンスはその代表的なものです。

「コロンブスの航海のような冒険は(中略)、ルネサンス精神に充ち溢れていたのである。そしてこのルネサンスこそ、アメリカ文明の起源なのだ」とチェスタトンは書いています。
「そこで再び姿を現したのが、野蛮人には人間の魂が宿らないとする、あの露骨なまでの異教的反感だった」
「ルネサンスによってヨーロッパ人に開放されたこれらの新領地では、ただちにあの制度が再び出現したのだ。(中略)つまり『奴隷制』である」

チェスタトンは書いていませんが、アメリカ人が先住民を殺戮したのも「野蛮人には人間の魂が宿らない」とする考え方のゆえでしょう。

アメリカの公共建築物の様式も古代ギリシャ・ローマ風のものになり、国章が鷲の図柄であるのもローマ帝国と同じです。
つまりアメリカは復活した古代ローマ帝国みたいなものです。

古代ギリシャ・ローマを理想とする考え方はヨーロッパの国々にもありました。しかし、ヨーロッパの国には長い「中世」の歴史があり、そこからなかなか自由になれません。
しかし、アメリカには「中世」がありません。そこがアメリカとヨーロッパの最大の違いです。

『アメリカ史の真実』にはもっといろいろなことが書かれていますが、ここではアメリカ帝国主義の起源を知るのが目的なので、省略します。

渡部昇一は、ヨーロッパには騎士道、日本には武士道があるが、アメリカにはないということに着目し、日露戦争で旅順陥落のあと、乃木大将はステッセル将軍に武士道精神で敬意を持って接したが、マッカーサーは本間雅晴大将や山下奉文大将を処刑したと書いています。これが「情容赦のない国」という表現のもとになったのでしょう。渡部昇一はほんとうは東京裁判の不当性を主張したかったに違いありません。

ヨーロッパの騎士や日本の武士は、限られた土地の中で勝ったり負けたりを繰り返していたので、「勝敗は兵家の常」とか「勝負は時の運」という考え方になります。自分もいつ敗者になるかわからないので、敗者にひどい仕打ちはしません。ハーグ陸戦条約とかジュネーブ条約もその精神から生まれたものでしょう。
しかし、ローマ帝国は野蛮人と戦い、戦うたびに領土を拡大していきました。ですから、敗者への配慮などはありません。
東京裁判とニュルンベルク裁判で敗者を裁いたのも、アメリカ帝国主義の発想です。
アメリカは日本やヨーロッパと原理が違うのですから、「日本は東京裁判で不当に裁かれた」などと泣き言をいってもアメリカにはまったく通用しません。

アメリカとしては敗者などどう扱ってもいいのですが、表向きは道徳的な理由づけをして、ナチズムや日本軍国主義は悪で、アメリカは正義ということで裁きました。
アメリカはその後も、共産主義、イスラム原理主義、テロリスト、テロ支援国家、独裁国家などを悪と見なしてきました。
もはや騎士道も武士道もなく、正義と悪の戦いがあるだけです。


現在、アメリカの軍事費は中国の2.7倍、ロシアの12倍あって、世界中に米軍基地を設けています。
スウェーデンとフィンランドがNATOへの加盟申請をして、今のところトルコが反対していますが、いずれ加盟するでしょう。
スウェーデンとフィンランドが加盟したがるのはわかりますが、NATOが加盟を認めるのはなんのためでしょうか。

東方においては、アメリカは日米豪印のクワッドなる枠組みをつくって、中国を封じ込めようとしています。
クワッドには「抑止力を高める」などという理由づけがされていますが、抑止力が必要なのはアメリカの脅威にさらされている中国や北朝鮮のほうです。


アメリカ帝国主義は、レーニンのいう帝国主義ではなくて、古代ローマ帝国と同じ帝国主義です。
しかし、古代ローマでは地球が丸いという知識はなく、どこまでも領土を拡大していけると考えていたはずです。
アメリカ帝国主義はどこまで勢力を拡大するつもりでしょうか。

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「マクドナルドがある国同士は戦争をしない」という言葉があります。
アメリカのコラムニストが1996年に書いた言葉だそうです。
マクドナルド・チェーンが進出するのは、ある程度資本主義経済が成功して、政治も安定している国なので、そういう国は戦争という愚かな行為はしないはずだということです。
しかし、ロシアにもウクライナにもマクドナルドはあったので、この論理は破綻しました(実際は2008年のロシア・ジョージア戦争のときに破綻していました)。


経済と戦争の関係はどうなっているのでしょうか。
交易の始まりは物々交換です。
山の民は獣の肉は食べ飽きて、海の民は魚を食べ飽きているので、互いに獣の肉と魚を交換すれば双方に利益があります。
交換せずに略奪すればもっと利益がありますが、それは戦争になるので、うまくいくとは限りません。
ただ、「交易か略奪か」ということはつねに天秤にかけて判断していたでしょう。
やがて略奪だけでなく、負かした相手を奴隷にして働かせて利益を得るということも行われるようになり、また、植民地を獲得して利益を得ることも行われるようになりました。
ローマ帝国やモンゴル帝国のような戦争に強い集団は、限りなく戦争をして略奪し、領土を広げ、奴隷を獲得しました。
つまり戦争はつねに利益を求めて行われました。

しかし、産業が高度化すると、奴隷制も植民地支配もあまり利益を生まなくなりました。
第二次世界大戦後は、人権や民族自決権という考え方が広がり、戦争に勝っても領土も植民地も賠償金も得られません。
戦争をするより互いに貿易や投資をしたほうが利益が得られる時代になりました。
そういうことから
「マクドナルドがある国同士は戦争をしない」という言葉も出てきたわけです。
これからも世界経済が成長し、各国の経済的つながりが緊密化するとともに戦争の危機は減少していくものと思われました。

ですから、プーチン大統領の今回の戦争の判断にはほとんどの人が驚きました。
プーチン大統領はどうしてウクライナに攻め込んだのかというと、経済的利益のためではなく、自国の安全保障のためでしょう。
NATOの拡大に脅威を感じていたというのは嘘ではないと思います。

「自国の安全のために他国を侵略する」というのは論理的におかしい気もしますが、「自国の安全」を絶対と思えば、成立しないわけではありません。
たとえば、アメリカがアフガニスタンを侵略したのはアフガン政府が9.11テロを実行したアルカイダをかくまったというのが理由ですし、イラク侵略のときはイラクが大量破壊兵器を持っているというのが理由でした(その情報は捏造でしたが)。

北朝鮮も、貧乏な国なのに核兵器とミサイルの開発に金をかけて攻撃能力をつけているのも、「自国の安全」のためでしょう。
自民党が「敵基地攻撃能力」をつけようとしているのも、
「自国の安全」のためという理屈です。


しかし、「自国の安全のために他国を攻撃・侵略する」というのは、やはり間違っています。
どこが間違っているかというと、「自国の安全」ばかり考えて、「他国の安全」を考えていないところです。
自分の利益しか考えない我利我利亡者は、周りの人間から嫌われて結局利益を失います。
それと同じで、「自国の安全」しか考えない国は、結局「自国の安全」をも失うものです。

もっとも、アメリカのようなスーパーパワーは例外です。やりたい放題が可能です。
アメリカがロシアを追い詰めたという面は否定できません。

トランプ政権はNATO加盟国に対して軍事費をGDP比2%以上にするように要求しました。これはバイデン政権も受け継いでいます。
もともとアメリカの軍事力は突出しているのに、NATO加盟国の軍事力も強化されたら、ロシアは自国の存続が風前の灯と感じても不思議ではありません。

ちなみに世界主要国の軍事費はこうなっています。
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「諸外国の軍事費・対GDP動向をさぐる(2021年公開版)」より

プーチン大統領は核兵器使用の可能性に何度も言及して、世界の顰蹙を買いましたが、NATOとロシアでは圧倒的な軍事力の差があるので、核兵器の威嚇に頼るしかなかったとも言えます。

ともかく、NATOとロシアはもともと著しく軍事力のバランスを欠いている上に、NATOは加盟国をふやし、さらに各国の軍事力も強化しようとしていたのです。
まさに「自国の安全」だけ考えて「ロシアの安全」を考えないという自己中心的な態度でした。
NATOが少しでもロシアの言い分を聞いていれば、また違った結果があったでしょう。


アメリカは日本にも防衛費を
GDP比2%以上にするように要求しています。
日本では中国の軍拡がいかにも脅威であるかのように喧伝されています。
しかし、アメリカの軍事費は中国の軍事費の約3倍です。
米中の適正な軍事力バランスを考えるのが先決です。

ともかく、ここまでのロシア・ウクライナ戦争を見ていると、戦争がなんの利益も生まないことは誰の目にも明らかです(アメリカだけは兵器を売って利益を得ているかもしれません)。
世界経済が成長するとともに戦争の危機は減少するという流れはやはり変わらないと思われます。


ところが、新たに「経済安保」という考え方が出てきました。
一般のマスコミは書きませんが、これもアメリカに要請されたものです。

「選択」4月号の『醜聞続き「経済安全保障」の暗部』という記事の冒頭部分を引用しておきます。

国会では現在、経済安全保障推進法案について議論が進んでいる。岸田文雄首相の肝煎りで今国会の重要法案と言われているが、実は安倍晋三政権時代に動き出した経済安保政策に、大した政策のない岸田首相が乗っかっただけに過ぎない。
そんな経済安保をめぐってはこれまでさまざまな思惑が渦巻いてきた。そもそも経済安保とは、米国が強く唱えてきたことだ。中国企業排除を念頭に、米国のNIST(米国立標準技術研究所)が定める技術安全標準などを強調して米国製品を日本政府に調達させようというもの。米国系コンサル企業が積極的に働きかけてきた。

経済安保推進法案は5月11日に成立しました。

この法律の目的は、中国などを敵性国と見なして、ハイテク分野などで経済の規制を強めようというものです。
その結果、日本経済はアメリカ依存を強めることになります。

アメリカはアフガン戦争とイラク戦争の経験から、戦争をやっても利益が得られないことを知り、軍事力の優位を利用して利益を得る戦略に転換したのかもしれません。

このように考えると、アメリカは世界でいちばんうまく立ち回っている国です。
しかし、膨大な軍事費を支出しているので、世界でいちばん損をしている国という見方もできます。

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5月3日の憲法記念日には、例によって憲法九条についての改憲論議が行われましたが、改憲は当面不可能でしょう。
なぜなら岸田文雄首相にはまったく改憲する気がないからです。
ときどき改憲に意欲があるようなことを言いますが、それは保守派の支持者のためのリップサービスです。

岸田首相のやる気のなさは、施政方針演説や所信表明演説を見ればわかります。
改憲について触れるのは、いちばん最後か、最後の前と決まっていて、それもわずかの行数です。
官邸ホームページから引用しておきます。

第二百五回国会における岸田内閣総理大臣所信表明演説
六 おわりに

 憲法改正についてです。
 憲法改正の手続を定めた国民投票法が改正されました。今後、憲法審査会において、各政党が考え方を示した上で、与野党の枠を超え、建設的な議論を行い、国民的な議論を積極的に深めていただくことを期待します。


第二百七回国会における岸田内閣総理大臣所信表明演説
十 憲法改正

 憲法改正についてです。我々国会議員には、憲法の在り方に、真剣に向き合っていく責務があります。
 まず重要なことは、国会での議論です。与野党の枠を超え、国会において、積極的な議論が行われることを心から期待します。
 並行して、国民理解の更なる深化が大事です。
 大きく時代が変化する中にあって、現行憲法が今の時代にふさわしいものであり続けているかどうか、我々国会議員が、広く国民の議論を喚起していこうではありませんか。


第二百八回国会における岸田内閣総理大臣施政方針演説
九 憲法改正

 先の臨時国会において、憲法審査会が開かれ、国会の場で、憲法改正に向けた議論が行われたことを、歓迎します。
 憲法の在り方は、国民の皆さんがお決めになるものですが、憲法改正に関する国民的議論を喚起していくには、我々国会議員が、国会の内外で、議論を積み重ね、発信していくことが必要です。
 本国会においても、積極的な議論が行われることを心から期待します。

「議論を歓迎する」と言っているだけで、改憲に意欲を示すということはありません。

改憲にきわめて熱心だった安倍晋三元首相が第二次政権の8年間でできなかったのですから、やる気のない岸田首相にできるわけがありません。

それに、安倍政権は2015年に新安保法制を成立させるときに、内閣法制局長官の首をすげ替えてまで「解釈改憲」を行いました。これで改憲する理由がほとんどなくなりました。
安倍氏がほんとうに改憲したいなら、「切れ目のない安全保障体制を築くにはどうしても憲法九条改正が必要だ」という論理で押し通すべきでした。
なぜそうしなかったのかというと、おそらくアメリカから新安保法制の成立をせかされたのでしょう。それに、かりに改憲の発議ができたとしても、国民投票で否決される可能性があるので、アメリカは認めなかったのかもしれません。

「仏つくって魂入れず」と言いますが、改憲の魂は新安保法制のほうに入ってしまったので、今の九条改正論議には魂がありせん。


ともかく、九条改正はとうてい不可能ですが、憲法が「戦力不保持」をうたっているのに戦力である自衛隊が存在しているのはおかしなことです。
なぜこういうことになったかというと、もとはといえばアメリカのせいです。

自衛隊の前身である警察予備隊が結成されたいきさつは、ウィキペディアにこう書かれています。

警察予備隊(けいさつよびたい、英語表記:Japan Police Reserve Corps(J.P.R)又は、National Police Reserve)は、日本において1950年(昭和25年)8月10日にGHQのポツダム政令の一つである「警察予備隊令」(昭和25年政令第260号)により設置された準軍事組織。1952年(昭和27年)10月15日に保安隊(現在の陸上自衛隊)に改組された。

要するに占領下にGHQの命令でつくられたのです。
よく「戦後憲法は押しつけられた」と言いますが、実は「自衛隊も押しつけられた」のです。

アメリカは最初、日本を無力化する計画で平和憲法をつくりましたが、朝鮮戦争が起こったことで計画を変更し、日本を再軍備化することにしました。
アメリカの矛盾した方針が、戦後日本における平和憲法と自衛隊という矛盾を生んだわけです。


自衛隊は災害救助活動をすることで少しずつ国民から認知されてきたとはいえ、ずっと日陰者でした。改憲論者は九条改正をすれば自衛隊は日陰者でなくなると思っているかもしれませんが、出自に問題があるので、そうはいかないでしょう。

ロシア・ウクライナ戦争を見て、日本の防衛は大丈夫かという声が上がっていますが、それに対して「日本には自衛隊があるので大丈夫だ」という声は聞いたことがありません。
改憲派やタカ派も自衛隊を信頼していないようです。

アメリカは自衛隊をつくっただけでなく、安保条約、日米地位協定、新安保法制もつくり、日本の防衛政策の根幹を決めています。
憲法九条だけ変えても意味はありません。


防衛予算のあり方もアメリカが決めています。

このところ日本の防衛費はGDPの1%程度です。
ところが、昨年10月12日に自民党が発表した衆院選の選挙公約では、2022年度から防衛力を大幅に強化するとして、「GDP比2%以上も念頭に増額を目指す」と記されました。
2021年度当初予算の防衛費は5.1235兆円でしたが、それを倍増させるなど、ありえないことです。
タカ派の高市早苗政調会長が公約の中に自分の趣味を押し通したのかと思えました。

そうしたところ、10月20日の米上院外交委員会の公聴会において次期駐日大使に指名されたラーム・エマニュエル氏は、「GDP比2%以上も念頭に増額を目指す」という自民党選挙公約に触れて、「1%から2%にしようとしているのは考え方が変わったからだ」との認識を示し、日本の防衛費の増額は「日本の安全保障や我々の同盟に不可欠だ」と述べました。
また、11月22日の朝日新聞の記事によると、前駐日米大使であるウィリアム・ハガティ上院議員は朝日新聞のインタビューに答えて、「米国はGDP比で3・5%以上を国防費にあて、日本や欧州に米軍を駐留させている。同盟国が防衛予算のGDP比2%増額さえ困難だとすれば、子どもたちの世代に説明がつかない」などと語りました。
つまり前駐日大使も現駐日大使も、防衛費のGDP比2%以上を要求しているのです。
ということは、これはアメリカの要求で、自民党の選挙公約はそれに応えたものだったのです。

もともとGDP比2%以上という数字は、トランプ政権が2020年にNATO加盟国に対して要求したものです。
それがここにきて日本にも向けられてきたということでしょう。


それにしても、防衛費の倍増はいくらなんでもむりです。
自衛隊は人員募集に苦労していて、現在2万人近く定員割れしているのが実情です。自衛隊の規模を拡大するわけにもいきません。
とすると、高価な装備を買うか開発することになります。
最近、自民党が「敵基地攻撃能力」を「反撃能力」と言い換えることにしたのも、金の使い道はここぐらいしかないと見きわめたのでしょう。

日本の防衛政策の根幹はアメリカが決めているのです。

憲法九条を改正するか否かなどはどうでもいいことです。

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自民党はこれまで「敵基地攻撃能力」と言っていたのを「反撃能力」と言い換えるそうです。
「反撃」とは広い意味の言葉ですから、なにを言っているのかわかりません。
これは「越境攻撃能力」と言えば意味が明快です。
つまり中距離ミサイルや渡洋爆撃で中国や北朝鮮をたたく能力ということです。
ただ、そんな攻撃力にお金をかけていたら、肝心の防御力が手薄になってしまいます。


ロシア・ウクライナ戦争によって、日本人の戦争観のおかしさが浮き彫りになりました。

橋下徹氏は戦争の初期、「ウクライナは早く降伏したほうがいい」とか「国外退避も選択肢のひとつ」などと主張していました。ほかにもウクライナ降伏論を主張した著名人は何人もいます。

当時、ロシア軍はウクライナ軍よりも圧倒的な戦力があると言われていました。もし確実にウクライナ軍が負けるなら、早期に降伏したほうがいいということもいえますが、確実に負けると決めつけることはできません。
一般的に侵略する側の兵士よりも防衛する側の兵士のほうが士気は高いものですし、防衛する側は民衆と一体となれるという利点もあります。

橋下氏らがウクライナ軍は確実に負けると予測したのは、要するに第二次世界大戦末期の日本と重ね合わせたからでしょう。
あのときの日本と今のウクライナはまったく違いますが、日本人は橋下氏に限らず敗戦の体験がトラウマになっているので、そういう冷静な判断ができません。


「ゴジラ」のような怪獣映画は、怪獣は戦争の象徴として描かれます。
ゴジラが日本に上陸してくると、人々は荷物を背負い、子どもの手を引き、家財を載せたリヤカーを引いたりして逃げまどいますが、これは空襲で街が焼かれて逃げまどったことの再現です。
そして、自衛隊はゴジラに銃弾や砲弾やミサイルを雨あられと浴びせかけますが、ゴジラにはまったく効果がありません。最終的にゴジラを倒したのは「オキシジェン・デストロイヤー」という科学的な新兵器です。

日本の怪獣には通常兵器はまったく効果がありません。最終的に怪獣を倒すのはなにかの新兵器か別の怪獣かウルトラマンのような存在です。
アメリカなどの怪獣映画では、割と簡単に通常兵器で退治されることが多くて、日本人が観ていると拍子抜けします。
ここに日本人とアメリカ人の戦争観の違いが出ていると思います。

ともかく、日本人は敗戦のトラウマがあるので、戦争というと「戦っても勝てない」という負け犬根性がしみついています。
実際はアメリカに勝てなかっただけなのですが、トラウマはそう論理的なものではないので、一人の男にレイプされた女性が男性全般を拒否するようになるのと同じで、日本人は戦争全般を拒否するようになっています。
橋下氏のような降伏論はそこから出てきます。


それから、日本人は侵略戦争と防衛戦争の区別がつけられない傾向があります。

近代日本のやってきた日清、日露、日中、日米の戦争はすべて侵略戦争です(日露は双方が侵略戦争です)。
侵略戦争が悪だというと、日本の戦争はすべて悪ということになります。

そういうことは認めたくない人もいます。
真珠湾攻撃の直後に天皇の名で出された「開戦の詔書」には、「自存自衛ノ為」という言葉があるので、戦後右翼はこれを根拠に「太平洋戦争は自衛戦争だった」と主張しています。
そういう人においては侵略戦争と防衛戦争の区別がつかなくなるのは当然です。

2013年、安倍晋三首相は国会答弁で日本の植民地支配や侵略に関して、「侵略という定義は学界的にも国際的にも定まっていない。国と国との関係でどちらから見るかで違う」と述べました。
それを受けて橋下徹氏も「侵略の定義が存在しないのは事実」と述べました(実際は1974年、国連第29回総会において、「侵略の定義に関する決議」が日本も賛成して採択され、定義は定まっています)。

ウクライナ戦争が始まってから安倍氏や橋下氏の発言が迷走を続けているのは、ここに根本原因があります。
「ロシアは侵略戦争、ウクライナは防衛戦争」という明快な認識があれば、橋下氏もそう簡単にウクライナに降伏しろとは言わないはずですし、安倍氏もプーチン大統領を批判する言葉を口にしたはずです。
安倍氏はウクライナ戦争以降、「核共有を議論するべきだ」とか「台湾有事は日本有事」とか「敵基地攻撃能力は基地に限定する必要はない。中枢を攻撃することも含むべきだ」とか、おかしな発言を連発しています。

日本は侵略戦争しかしてこなかったのですが、硫黄島と沖縄の戦いは防衛戦争です。防衛戦争では日本軍は善戦しました。日本の領土以外で戦っているときは、無意味な突撃をして自滅する傾向がありました(もっとも、日米戦争は真珠湾攻撃という侵略から始まったので、すべてが侵略戦争だとも見なせますが)。

日本が本土決戦に突き進めば、そこで初めて本格的な防衛戦争をすることになりますが、その前に降伏してしまいました。
ですから、日本人は防衛戦争の経験がほとんどない、世界でも珍しい国民です(アメリカもそうです)。
ロシアなどはナチスドイツに攻め込まれたときからずっと防衛戦争をしていたので、日本人と戦争に対する見方が百八十度違うはずです。


今後、日本が中国やロシアに攻め込まれたら、そのときはまさに「本土決戦」をすることになります。
ところが、日本人は「本土決戦はするべきではない」と思っているので、そこで思考停止してしまいます。
本来なら「中国軍はどのようにして上陸してくるのか。それにどう対処するのか」ということを考えなければなりませんが、誰も考えませんし、誰も議論しません。

では、これまで日本で行われてきた防衛論議はなにかというと、「半島有事や台湾有事にどう対応するか」「シーレーン防衛をどうするか」「イラクに自衛隊を派遣するべきか」など、侵略論ばかりです。
「敵基地攻撃能力」も同じです。

専守防衛に徹するなら、うんと安くつきます。
アフガニスタンのタリバンは、たいした武器もないのに山の多い地形を利用したゲリラ戦をやってアメリカ軍を追い出しました。
日本も国土の75%は山地で、しかも森林が多いので、ゲリラ戦に最適の地形です。
軽トラに携行式ミサイルと迫撃砲などを積んで林道などを移動すれば、空からも発見されません。
主要都市を占領されても、山岳ゲリラをやって敵を消耗させて最終的に勝利するというシナリオもあります。
攻め込んでも最終的な勝利は困難と敵に思わせれば、それが抑止力になります。


日本の防衛費はGDP1%程度で、NATO諸国と比べると少ないといわれますが、島国だから少ないのは当然です。
ところが、自民党は防衛費を倍増させてGDP2%程度にするという目標を立てています。
財政赤字大国の日本にとって冗談としか思えない数字ですが、これはアメリカから要請されたからです。
江戸時代、幕府は各藩に「御手伝普請」といわれる土木工事を命じて、藩の財政力を弱体化させようとしましたが、アメリカも同盟国に「御手伝軍備」を命じて、同盟国の財政力を弱体化させようとしているようです。

普通、予算というのは、必要なものを積み上げて最終的に数字を出しますが、防衛費については、目標の数字が最初にあって、それに合わせて防衛装備などを積み上げます。「越境攻撃能力」もその一環です。


ところで、日本が中国を攻撃する能力を備えたところで、中国の主要な基地を全部たたけるわけがありません。
中途半端な攻撃力があっても意味がないではないかと思えますが、そういうことではありません。
朝日新聞の『自民、首相に「反撃能力」提言 北ミサイル対処→「米軍の一翼」へ』という記事にはこう書かれています。

今回、自民党が出した「反撃能力」は、①仮想敵国は中国②米軍の打撃力の一部を担う③攻撃対象を拡大という3点が特徴だ。
反撃能力を求めた項目では、北朝鮮には触れず、軍事力を増強する中国を名指しして対抗する色合いを強めた。また、米国との役割分担についても言及。「相手領域内への打撃については、これまで米国に依存してきた」と指摘し、「迎撃のみではわが国を防衛しきれない恐れがある」とした。日本も打撃力を保有する必要性につなげている。
提言に関与した政府関係者は、狙いについて「米国の攻撃の一翼を担うこと」と明かす。日米安全保障条約に基づき、敵を攻撃する「矛」の役割は米軍にゆだね、日本は「専守防衛」のもと守りに徹する「盾」の役割を担ってきた。反撃能力はこれを転換し、自衛隊も米軍とともに矛の一部を担うことを意味する。

要するにアメリカの攻撃力の一部を日本が肩代わりするということです。
そうすればアメリカの費用負担がへります。
自民党の言う「反撃能力」とは、日本の税金を使ってアメリカの財政を助けるという話なのでした。

橋下氏、安倍氏、高市早苗自民党政調会長のような右翼のタカ派ほど、敗戦のトラウマが深いので、アメリカにものが言えなくなるようです。

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