菅総理は左翼的な人間ですから、放射能への恐怖や原発への不信感が人一倍強いと思われますが、一方で原発安全神話を世に広め、自身もそれを信じてきた人たちがいます。
 
私が原子力安全・保安院の記者会見の生中継を初めて見たのは3月13日の未明でした。12日に福島第一の1号機で水素爆発が起こっていたので(そのときはまだ「爆発音がして白煙が上がった」という表現)、事態はどうなっているのかと真剣に見ていると、最初になにやら数字を発表しました。しかし、記者にその数字の単位の意味を聞かれると、答えられないのです。それからも記者がいろいろ質問しますが、居合わせた人間は誰も答えられず、互いに顔を見合わせたりするだけです。
次に東京電力の記者会見の生中継がありました。ここでも最初に、配布した資料の正誤がぼそぼそと読み上げられました。それをさえぎるように記者が質問しましたが、なにひとつまともな答えが返ってきません。さすがに記者もきつい口調になってきましたが、答えがないのは同じです。
私はこのふたつの会見ほどひどい会見を見たことがありません。そもそも記者会見に出てきた人間が原発について専門的知識を持っていないようですし、それに加えて事態をまったく把握していないようなのです。
私はこんな組織が事故対策をやっているなら、これは絶対最悪の事態になるに違いないと思い、真っ暗な気持ちになりました。
 
ただ、そのあと行われた枝野官房長官の記者会見を見て、少し安心しました。枝野長官は明らかに危機意識を持っていたからです。
しかし、その会見で最初に質問した記者は、「原子炉に海水を注入すると炉が使えなくなる可能性があり、その損失の責任をどう思うのか」という意味の質問をしました。記者にも危機感のない人間がいたのです。
ともかく、官邸は海水注入とベントを指示し、それによって最悪の事態は避けられました。東電は海水注入とベントの決断が遅れたことはないと主張していますが、いろいろな報道を見ても、官邸が強く指示したことは間違いないようです。そして、そこに菅総理の意志があったのも明らかでしょう。
 
その後も保安院と東電の記者会見はグズグスでした。今、保安院の会見は西山審議官が一手に引き受けていますが、要するにほかにまともにしゃべれる人がいないのでしょう。東電の会見も見るにたえないもので、最初にNHKが生中継をやめ、続いて民放も生中継をやめてしまいました。ただダラダラと続くだけの会見ですから、当然でしょう。
 
しかし、マスコミは東電と保安院をほとんど批判しません。これはひどいものです。雪印乳業が食中毒事件を起こしたときは記者会見場で社長に罵声が飛び、結局雪印乳業はつぶれてしまいました。しかし、東電は官営企業のようなものですから、官僚依存と広告費依存のマスコミは批判できないのです。
 
東電と保安院を批判できないと、この事態を招いたのは誰のせいだということになり、そこで菅総理や官邸のせいだという論調が出てきます。
たとえば、菅総理が福島原発を視察したせいで事故対策が遅れたのだという主張があります。
しかし、もし東電が総理を歓待することに多くの人手をさいて、事故対策を後回しにしていたとしたら(その可能性はあります)、批判されるべきは東電のそのやり方です。首相視察には「今は取り込んでいますから」といって数人の案内役だけつけておけばいいのです。こんな単純な判断もできない野党や一部マスコミも困ったものです。
 
東電や保安院は自民党政権に育てられた組織です。今も自民党は東電や保安院をほとんど批判しません。もし今も自民党政権が続いていたら、誰が首相であっても、東電や保安院のいうことをそのまま信じて、最悪の事態を招いていた可能性が大いにあると思います。
 
その点、菅総理は原発事故に対処するに最良の総理であったといえるでしょう。
東電が福島原発から人を引き上げたいといったとき、東電に怒鳴り込んでいったのも正解です。東電はむしろ大量に人員を投入しなければいけなかった場面です。
 
菅総理は左翼的な人間であったがゆえに、原発事故にうまく対処し、救国の英雄になりました(事故はまだ継続中なのでこの判断はちょっと早いですが)
 
もっとも、英雄というのは普通勇気ある行動によって英雄になるものですが、菅総理は恐怖心による行動によって英雄になったという、歴史上まれな存在です。
しかし、これからは国民を鼓舞する勇気ある総理が求められることになります。菅総理はどうなのでしょうか。