ブログで政治的なことを書くというのはどうなんでしょうか。右翼的なことを書くと左翼から反発されるし、左翼的なことを書くと右翼から反発されるという問題があります。しかし、政治的なことはとりあえず多くの人の注目を集めそうですから、これからもある程度は書いていくつもりです。
政治的なことを書く以上、自分の政治的立場を明らかにしておいたほうがいいと思うので、ここで書いておきます。
 
私の政治的立場は、右でもなく左でもなく中道でもなく「上」です。
 
なんかギャグみたいですね。ギャグとして使えることは事実です。
「お前ら、右翼と左翼に分かれて喧嘩してるなんてバカじゃないの。俺なんか『上』だよ」みたいに。
「右でも左でもなく上」なんてすごく単純な発想ですが、今までギャグとしても考えた人はいないのではないでしょうか。政治的人間はいかに頭が硬直しているかということです。
 
「上」という立場から見たら、右翼であれ左翼であれ政治的人間というのは要するに変態です。国家フェチ、権力フェチ、反国家フェチ、反権力フェチなのです。
そして、困ったことにこの変態は自分が変態だという自覚を欠いています。ですから、ひじょうにはた迷惑でもあります。
たとえば、世の中には政治に無関心という人もかなりいます。街頭インタビューで今の首相の名前を聞かれて、「えー、知らなーい」「吉田栄作?」とかいってるギャルがいい例です。政治的人間はこういう人間をバカにするのですね。なんで変態が変態でない人間をバカにするのか。まったく間違っています。
 
さらにいえるのは、政治的人間は非政治的人間よりも不幸だということです。
なぜなら政治的人間はつねに社会のあり方を怒ったり、国のあり方を憂えたりしているからです。怒り、憂いという感情はそれ自体が不幸の構成要素です。
そして、不幸な人間が他人を幸福にすることなどできるわけがないのです。
 
このように右翼や左翼の政治的人間を見下ろすのが「上」という立場なのですが、これは世の中から超然としているということであり、ブログを書いていく上では大いに問題です。誰からも認識されないことになりかねないからです。
かといって、書くたびに政治的立場が違うというのでは、読む人はとまどってしまうでしょう。
そこで、私は政治的なことを書く場合はとりあえず左翼の立場から書いていくことにします。もともと私は左翼的な人間で、左翼のほうにシンパシーがありますし、今は右翼優勢の時代ですから左翼のほうが目立つだろうという計算もあります。
 
もっとも、つねに左翼の立場でいるとは限りません。株式投資の世界では買いポジションから売りポジション、売りポジションから買いポジションに一気に立場を逆転させることを“ドテン”というのですが、私はいつでも左から右、右から左にドテンすることができるからです。
右翼だ左翼だ、ウヨだサヨだとやり合っている人たちには、こういう立場があるのだということを知ってほしいと思います。