ある新婚夫婦の話ですが、妻が初めておでんをつくったら、夫はなぜ豆腐が入ってないんだと怒り、妻はおでんに豆腐は入れないものだといい返して、それが初めての夫婦げんかだったそうです。
 
吉野家のCMで、仲村トオル部長が部下に「飯っていうのはそういうものだ」と説教しているのを見て、思い出してしまいました。人間はいろいろな思い込みを持って生きていますが、とりわけ食への思い込みは強固で厄介です。夫婦げんかの原因になるのもわかります。
ちなみに、おでんに豆腐を入れることはありますが、高温で長く煮ると固くなってしまいますし、やわらかい豆腐だと崩れることもあるので、豆腐を入れないことも多いようです。
 
昔、大根がとんでもない高値になったときがありました。ある奥さんは、サンマの塩焼きの献立にするとき、大根があまりに高いので、大根おろしなしで食卓に出したそうです。すると夫がサンマの塩焼きに大根おろしがないとはなにごとだと激怒し、やはり夫婦げんかになったそうです。
 
また、定年退職したある男性は、奥さんから勧められて料理を覚えようとしたのですが、レシピに「塩少々」と書いてあるのを見て、「少々とはどれぐらいだ」といって怒ったそうです。
 
 
今取り上げた男性3人はみんな食のことで怒ったのですが、この怒りは正当なのかどうかについて考えてみます。
つまりここからは食というよりも人間関係がテーマになります(もともとそういうブログなので)
 
「塩少々」に怒るのは、どう見てもおかしいですよね。その表現は料理業界の習慣なのですし、そもそもレシピを書いた人はそこにいないのですから、誰に怒っているんだということになります。
まあ、この男性は几帳面な性格で、技術系の仕事をしていた人なのかもしれません。会社でもささいなことで部下を怒っていたのではないでしょうか。はた迷惑な人です。
 
では、サンマの塩焼きに大根おろしがないと怒った人はどうでしょうか。
この人は大根がとんでもない高値になっていることを知らなかったのかもしれないので、それは割り引くことにすると、けっこう共感する人も多いのではないでしょうか。サンマの塩焼きに大根おろしがなかったら俺も怒るぞという人、多そうですね。
 
ここが問題です。なぜそこで怒るのでしょうか。よく考えてください。
あると期待したものがなかったら、そのとき生じる感情は、とまどいや喪失感や悲しみではないでしょうか。
だから,この夫は「エーン、大根おろしがないよー」と泣いてもよかったのです。
 
ただ、この献立をしたのは妻です。つまり、ここには妻の人為が加わっています。
この夫は妻に対して怒っているのです。
なぜ怒るかというと、妻は自分に対して不当な仕打ちをしたと思っているのです。そう思わなければ怒りは発生しません。
つまりここには妻に対する不信感があります。
妻を十分に信頼していれば、なんか事情があって大根おろしをつけられなかったのだろうと考えます。そのときは、「えっ、なんで大根おろしがないの?」というふうに反応します。少なくともいきなり怒るということはありません。
 
以上をまとめるとこのようになります。
 
「大根おろしがない」
  ↓  ↓  ↓
「喪失感・悲しみ」
 
これが普通の反応です。怒る人の場合はもうひとつのファクターが加わります。
 
「大根おろしがない」
↓  ↓  ↓
(妻が自分に不当な仕打ちをしたという邪推)
↓  ↓  ↓
「怒り・敵意」
 
おでんに豆腐がないと怒った夫も同じです。
「えー、豆腐の入ってないおでんなんておでんじゃないよ」と嘆けばよかったのです。
そこから夫婦でおでん談議をして、さらに絆が深まったかもしれません。
 
いうまでもなく、怒りは愛情の対極にあるものです。
よく怒る人は自分自身をよく振り返ってください。
世界中の食卓から怒りがなくなりますように。