愛のような基本的なことほどよくわからないのが人間の愚かなところであり、また学問の未熟なところです。しかし、「科学的倫理学」は愛をちゃんと解明しているので、その一端をお教えしましょう。
 
私は「2番目に大切なもの」というエントリーで、優先順位としては愛よりもお金が先だと書きました。
しかし、お金は目に見えますが、愛は目に見えないので、愛を得るのはお金を得るよりもむずかしいかもしれません。
 
まず、愛には2種類あります。親子愛と異性愛です。
人間は生まれてすぐ親から愛され、親を愛するという体験をします。
成長すると、異性を愛し、異性から愛されるという体験をします(誰もができるわけではありませんが)
そして、子どもができると、子どもを愛し、子どもから愛されるという体験をします(男と女では差がありますが)
つまり、子どもからの親子愛、異性愛、親からの親子愛を繰り返しながら、世代が交代していくのです(哺乳類はみな同じです)
愛することも喜びですし、愛されることも喜びです。この喜びがきわめて大きく、誰もが強く求めるからこそ、その遺伝子は存続してきたのです。
友情というのは、親子愛と異性愛という基本の愛から派生したもので、重要度がぜんぜん違います。神への愛や芸術への愛やフィギュアへの愛もやはり派生したものですが、これらはむしろ変態というべきでしょう。
 
親子愛と異性愛があるというのは多くの人が納得するでしょうが、親子愛と異性愛の性質の違いを明確に指摘できる人はほとんどいないのではないでしょうか。
親子愛と異性愛の違いは、選択と受容で説明できます。
 
異性愛は、選択から始まります。さまざまな異性の中から、よい異性、自分に合った異性を選択します。しかし、異性のほうからも選択されないと、その選択は成就しません。ですから、選択するよりいかに選択されるかが重要な問題になります。
 
親子愛は受容から始まります。選択はありません。親はどんな子どもでも愛しますし、子どもはどんな親でも愛します。
どんな子でも愛する親の姿を親バカといいますが、最近は事情が変わってきました。子を愛せない親がふえてきたのです。そのため、子は親を愛しているのに、親は子を愛していないという悲劇が発生します。これは文明の病で、きわめて深刻な問題ですが、ここではこれ以上触れません。
 
犬や猫などのペットを愛する人は、まるで自分の子どものように愛します。ところが、ペットを飼う場合、最初に選択をしなければなりません。血統や値段や毛並みや健康状態などを見て、ペットショップで選ぶのです。親子愛に選択が入るわけで、多くの人はここに抵抗を感じます。そこで、「最初に目が合った」などの理由をつけて、選択らしくない選択をしたりします。
 
異性愛は選択から始まりますが、長く続けていこうとすれば受容に変わっていかなければなりません。相手に魅力がなくなっても受容し、相手の性格が自分の望むものでなくても受容するのです。
多くの人がここでつまずきます。相手の性格を受容するべきだということを理解しないのです。そして、「性格の不一致」といって離婚します。
 
愛には選択と受容があるということを理解すれば、離婚や冷え切った夫婦関係を回避することができるはずです。