幸福について考えるとき、絶対幸福と相対幸福(あるいは絶対不幸と相対不幸)に分けて考えるとうまくいくように思います。
食べ物が十分にある状態は幸福ですが、食べ物がなくて飢えた状態は不幸です。これは絶対幸福及び絶対不幸です。
ところが、周りの人は食べ物があるのに、自分だけ食べ物がなくて飢えているという状態があります。これは絶対不幸に相対不幸が加わった状態です。早い話が、みんなが飢えているときの飢えは耐えやすいですが、自分だけ飢えているときはみじめで耐えがたいということです。
 
こうした相対幸福(不幸)を感じる性質は群れて暮らす動物には基本的にあるのかもしれませんが、あったところでごく小さいと思います。しかし、人間の場合、相対幸福(不幸)の要素がきわめて大きくなって、絶対幸福を見失うまでになっているような気がします。
 
私の考える基本的な幸福は、好きなことを仕事にしてそこそこの収入を得、愛情のある家庭を築き、よい友人に恵まれることです。これはいわば絶対幸福の追求です。
ところが、多くの人は一流の学校、一流の企業、一流の職業(医者や弁護士など)を目指します。これは相対幸福の追求です。
相対幸福を追求すれば、ある程度絶対幸福もついてきます。たとえば医者になれば、仕事にやりがいがあり、高い収入が得られ、世間からも尊敬され、配偶者を得るにも有利です。しかし、中には医者の仕事が嫌いでたまらないという人もいます。こうなると本末転倒といわざるをえません。
 
なぜそんなことになるのかといえば、自分の人生を自分で決めていないからです。親や教師に決められているのです。
「うちの息子は好きな仕事をして、幸せに暮らしています」といっても、幸せに暮らしているという証拠はないし、自慢になりません。しかし、「うちの息子は医者ですの」といえば、自慢することができます。
そして、本人も人に自慢できる人生が幸福な人生だと誤解してしまったりします。
 
ほんとうに幸福な人生を歩むためにも、幸福には絶対幸福と相対幸福があるということを理解しておく必要があると思います。