幼児虐待をする親には、刑務所に入れるのではなく、過去にさかのぼっての心理的カウンセリングと、現在の生活上の問題を解決するための援助をするべきだと、昨日の「幼児虐待にいかに対処するか」というエントリーで書きました。これはもう当たり前のことだと私は思うのですが、多くの人は犯罪者を見ると反射的に罰したいという衝動に駆られるので、こうした当たり前の発想ができなくなっているのではないかと思います。
 
幼児虐待をする親は、自分も子ども時代に虐待されていたことが多いので、カウンセリングによってその心理的な問題を解決しなければなりません。また、その家庭で夫が妻に暴力をふるうなどの問題が幼児虐待の原因になっていることもあるので、そうした問題も解決しなければなりません。
もっとも、ここでひとつの問題が生じます。そのような援助をすると、今度は自分もそのような援助を受けたいので、あえて自分の子どもを虐待する親が出てくるのではないかという問題です。たとえば、わざと子どもを殴ってアザをつけ、病院に行って虐待の通報をしてもらうというようなことです。そうすると、虐待をなくすための努力が逆に虐待をふやしてしまうという妙なことになります。
もちろん普通の親なら、お金を上げるから自分の子どもを殴りなさいといわれても、殴りません。ただ、虐待予備軍のような親なら、そういうこともしかねないでしょう。
ですから、虐待予備軍のような親がいることを考慮して、実際に虐待しなくても、救助を求めるメッセージを発信すれば援助が受けられる体制にして、そのことを周知させておく必要があります。
もっとも、そのような体制は、相当高度な福祉国家でなければできないことですから、今の日本では当分むりかもしれません。しかし、犯罪というのは、ただ罰すればいいというものではなく、逆に援助によって解決できることもあるということは理解していただきたいと思います。
 
経済合理的な犯罪というのがあります。たとえばインサイダー取引とか贈収賄などです。こういう犯罪は、厳罰化によってある程度抑止できる理屈です。
一方、不合理な犯罪というか、トラウマやストレスによる心理的原因の犯罪というものもあります。幼児虐待や通り魔事件などがその代表例です。こうした犯罪は厳罰化しても抑止効果はほとんどない理屈です。
ところが、今の世の中は、こうした不合理な犯罪に厳罰を与えよという声が圧倒的に優勢です。
私たちはあべこべの価値観の世界に住んでいるようです。