「超訳ニーチェの言葉」が100万部を越えたそうで、ニーチェブームがいわれています。ニーチェといえば、「神は死んだ」という言葉が有名ですが、私は初めてこの言葉を聞いたとき、ニーチェはなんといやなやつだろうと思いました。
 
「神は死んだ」ということは、死ぬまでは生きていたということになります。だったら、「死体はどこにあるんだ」とツッコミたくなります。
おそらくニーチェの真意としては、昔の人間は神を信じていたが、現代のわれわれは、あるいは自分のようなすばらしい人間(超人?)は、神など必要としないのだということがいいたかったのでしょう。しかし、それを「神は死んだ」と表現するのは正確ではありません。
なぜニーチェは「神は死んだ」と表現したのか。それは、「自分は神に死亡宣告をするほどすごい人間だ」ということをアピールしたかったからではないでしょうか。少なくとも私はそういう尊大な自意識を感じて、いやなやつだと思ったのです。
 
もっとも、ニーチェはキリスト教道徳を奴隷道徳と見なすなど、当時の一般的な人々の神経を逆なでするような思想を発表しており、これぐらい尊大な自意識がなければ思想家としてはやっていけないのかもしれません。
 
キリスト教道徳に限らず、道徳には奴隷道徳という一面があります。しかし、それは見方を変えれば、支配道徳でもあります。
たとえば、欧米の映画を見ていると、一家で食卓を囲んだとき、父親が聖書の祈りの言葉を唱え、家族は頭を垂れてそれを聞き、それから食事を始めるというシーンがよくあります。ここでは聖書の教えが家父長の権威づけに利用されていることがわかります。
また、グーテンベルク以前は、教会が聖書の言葉を独占していましたから、教会の支配力は圧倒的でした。キリスト教道徳は、教会にとっては支配の道具であり、民衆にとっては抑圧の装置です。
 
ニーチェは、奴隷道徳と、貴族的精神を持った人間のための君主道徳を対置させました。つまり、ふたつの道徳があるという考え方です。しかし、私の考え方では、ひとつの道徳が見方によって支配道徳にも奴隷道徳にもなるということです(こうした考え方を「科学的倫理学」と呼んでいます)
ニーチェは道徳のマイナス面を指摘した点で偉大な思想家といえますが、「科学的倫理学」が登場した今では、過去の思想家になりました。
 
というわけで、私は「ニーチェは死んだ」と宣言します。