結婚して2人暮らしが始まった最初の日、夕食ができあがり、料理がすべて食卓に並んでいざ食べようとしたとき、妻がまな板を洗いレンジまわりをふき始めました。2人いっしょに食べ始めたいので、しかたなく私は待ちました。
次の日も同じでした。いざ食べようとすると、妻は台所の後片付けをするのです。これではせっかくの料理が冷めてしまいます。私は「そんなのあとでいいじゃないか」といいましたが、妻はやめません。油汚れなどは早めに拭いたほうがいいという理屈があるようです。
空腹は人を怒りっぽくさせます。何日か同じことが続いたとき、私は怒りを爆発させかけましたが、かろうじて踏みとどまりました。
このときがひとつの分水嶺だったのだと思います。それからは怒ることもなく、妻にもなにもいわなくなりました。
 
そして、妻の実家に行ったときです。妻と義母が2人で料理をし、天ぷらができあがりました。天ぷらはもちろん揚げたてがおいしいです。しかし、妻と義母はほかの料理をつくっているので、待たなければなりません。料理がそろい、家族全員で食事を始めたときは天ぷらはかなり冷めていました(段取りも悪いです)
つまり、妻の実家ではずっとそういうやり方をしていたのです。ちなみに妻も義母も猫舌です。
私は熱いものは熱いときに食べたいほうです。ラーメン屋でぬるいラーメンが出てきたときはがっかりします。
思い返せば、私の実家では父親が晩酌をしました。父親は家族そろっての食事より先に晩酌を始め、料理をできたものから持ってこいと母親に口うるさくいっていました。父親はきわめてせっかちな性格です。
要するに妻にせよ私にせよ、育った家の流儀をそのまま受け継いでいたということです。
 
早く熱い料理を食べるか、時間を置いて少し冷めた料理を食べるか、これはどちらがいいとも決められる問題ではありません。
あのとき怒りを爆発させなかったのは正解でした。
あのとき怒っていれば、私はこんなふうにいっていたでしょう。
「いい加減にしろ! 何回同じことをいわせるんだ!」
そして、それでも改まらなければ、こんなふうにいっていたでしょう。
「お前はわざとやってるんだろう! 俺をバカにするのか!」
要するに、自分の怒りを正当化する理屈を考えだすわけです。「わざとやる」ということは、相手に悪意があるということで、相手に悪意があるなら、こちらの怒りは正義の怒りということになります。
これが道徳の基本的な構造です。
「相手が悪い。自分は正義だ」
家庭に道徳を持ち込まないこと。これが夫婦円満の秘訣です。
 
ところで、私の家庭では料理は妻だけがつくっているわけではありません。ご飯を炊くことと味噌汁をつくることは毎日私がやっていますし、魚をさばくことも私の役割です。妻が残業などで遅くなるとわかっているときは、私が全部つくります。
適切な役割分担ももちろん夫婦円満の秘訣です。