私はライターとして仕事をしている関係から、人とはちょっと違う角度から人間観察ができます。たとえば、ロス疑惑で有名な故・三浦和義さんの特異な性格も、そのインタビューを原稿にまとめるときに見えてきました。
 
そのとき三浦和義さんは刑期を終えていて、映画のプロデュースをしたことでメディアに登場しました。インタビューのときは、立て板に水のしゃべりで、おもしろく聞いていたのですが、いざ原稿をまとめるときに、はたと困ってしまいました。微妙に事実と違ったり、矛盾したり、あいまいであったりするところがひじょうに多いのです。
今はインターネットの検索で有名人について基本的なことは簡単に調べられます。三浦さんは石原裕次郎と親しかったこと、今は大企業となった会社と自分の会社が競っていたことなどを話しました。それは必ずしも嘘とはいえないのですが、微妙に誇張されているのです。その誇張するやり方は、関係ないことを続けてしゃべって関係があるように思わせたり、おとなになってからのことを子ども時代のことと思わせたりといったやり方で、嘘というよりは相手に誤解させるしゃべり方といったほうがいいかもしれませんが、結果的に相手をだますということでは嘘になります。
つまり、三浦和義という人は、つねに軽い嘘をついているという虚言症の人なのです。その軽い嘘というのは、人を陥れる嘘ではなくて、自分を少し大きく見せかけるという嘘です。それは大なり小なり、ほとんどの人がやっていることですが、三浦さんはつねにやっているという点で少し特異です。
そうしたことが、話し言葉を文章化するとき、おのずと見えてきたのです。
 
そういう虚言症の人が、妻が撃たれた悲劇の夫として渦中の人となりました。三浦さんは、その悲劇性を強調するようにしゃべりました。どうせロスでのことですから、なにをいってもわからないだろうと思ったでしょう。
ですが、それがロス疑惑として追及されるようになると、そのしゃべったことがひとつひとつ蒸し返され、嘘だということになります。三浦さんは嘘だといわれると、すかさず嘘ではないという理由を述べます。それは、そのときは説得力があります。しかし、それもまた嘘なのです。それが追及されると、また三浦さんはそれが嘘ではないという理由を述べるか、こんな理由でやむをえず嘘をついたのだと述べますが、それもまた嘘なのです。
 
こうした追及が可能になったのは、すべての発言がビデオで記録されるようになったからです。三浦さんはつねに軽い嘘をつきながら世の中を渡ってきましたが、言葉はその場限りのものですし、人の記憶は不確かなものですから、その嘘が追及されることはまずありませんでした。ビデオ時代にマスコミの渦中の人になったことで、三浦さんの虚言癖が誰の目にも見えることになり、人々を驚かせたのです。
 
テレビで三浦さんの言い分が放映されます。それは説得力があり、いかにも真実に思われます。しかし、テレビ局が取材した事実と照らし合わせたり、過去の発言と比較したりすると、疑問が出てきます。この過程は、そんじょそこらの推理小説よりもおもしろいものでした。
 
私たちは、人が嘘をつくのはなにか隠したい真実があるからだろうと考えます。ですから、三浦さんが嘘をつくのは真犯人だからだろうと多くの人が考えました。そうしてロス疑惑は限りなく広がっていったのです。
しかし、実際のところは、三浦さんはいつもするように、自分を大きく、カッコよく見せようとしゃべっていただけなのです。
いや、この書き方では、三浦さんが無実のようですね。実際のところ、それはわかりません。
ただ、ロス疑惑があれほど大きな騒ぎになったのは、三浦和義さんが虚言症の人だったことにあるのは間違いないと思います。
 
もし三浦和義さんがロス事件をマスコミから追及されなかったら、今ごろは成功した実業家になっていたかもしれません。
自分を大きく見せる術を心得ていることは、実業家として成功するひとつの条件ですから。