ナショナリズムとは利己主義の拡大したものであり、愛国心とは利己心の拡大したものです。あまりにも単純で、身も蓋もない話ですが、現実とはそんなものです。
 
たとえば、隣の家同士で敷地の境界線のことでもめていることがあります。両家は互いに相手がいかに自分勝手で理不尽であるかを主張しますが、第三者にすればどうでもいいことですし、両者の言い分を聞いても、どっちもどっちとしかいいようがありません。
「そんな争いにエネルギーを使っているより、適当なところで妥協したほうがいいんじゃないか」というのが第三者の判断です。
 
日本も隣国と尖閣諸島だの竹島だの北方領土だのでもめていますが、第三国からすればどうでもいいことですし、日本の主張と隣国の主張を聞き比べても、どっちもどっちとしかいいようがありません。
いや、こんなことをいうと日本の主張のほうが正当だという人が山ほど出てくるでしょうね。でも、それはここが日本だからです。中国や韓国やロシアでも同じことをいっているわけです。
たとえばギリシャとトルコはキプロス問題でもめていますが、私たち第三国から見たら、こっちが悪で、こっちが正義だなどということはなくて、どっちもどっちなのです。それと同じです。
 
ナショナリズムや愛国心は、たとえば中学生が政治に興味を持ちだしたときに一度は通過するものですが、いつまでもそこに固着しているのは正常ではありません。
おとなというか、普通の人間なら、利己主義やナショナリズムでは問題が解決できないことに気づき、もっと広い視野を持つようになるものです。
 
なんだかすごく当たり前のことを書いてしまった。恥ずかしい。