「愛は勝つ」(KAN作詞・作曲)という歌があります。これはひじょうに困った歌です。よい子には聞かせられません。おとなでもこの歌を聞いていると、人生を誤ってしまうおそれがあるので注意してください。
 
「信じることさ 必ず最後に愛は勝つ」と曲の最後に繰り返されます。これが曲のキモでしょう。
しかし、誰でもわかるはずですが、必ず愛は勝つなんていうことはありません。たとえば、2人の女性が1人の男を愛したとき、少なくとも1人の女性の愛は負けることになります。
「いや、それは一時的な負けであって、最後は勝つのだ」という反論があるかもしれません。
しかし、未婚の人や、孤独死する人が多くなっていることを見ても、最後に愛が負ける場合があることは明白でしょう。
もっとも、それに対しても、「いや、そういう人はちゃんとした愛のなかった人なのだ。愛を信じて貫けば最後は勝つのだ」という反論があるかもしれません。
孤独死する人がもともと愛のなかった人だというのはひどい話ですが、可能性としては考えられます。
しかし、愛を信じて貫いた人も、最後にその愛は負けることがあります。いや、つねに最後に愛は負けるのです。
 
なぜ最後に愛は負けるのか。これは簡単なことです。
若いときは愛が心にあふれていても、年を取ると愛はだんだんとひからびてきます。これは自然の摂理です。年を取ると体力や感性が衰えるのと同じです。
そして、人は死にます。人とともに愛も死にます。つまり愛は最後は負けるのです。
 
さらに問題があります。
ずっと愛し合っている夫婦がいるとします。年を取ると、どちらかが先に死にます。生き残ったほうは、愛する対象を失ってしまいます。愛が深ければ深いほど、この悲しみも深くなります。
これもまた、愛が負けたということではないでしょうか。
 
ですから、「愛は勝つ」の歌は根本的に間違っています。
KANさんには「必ず最後に愛は負ける」と歌っていただきたいと思います。
 
私はなにも死を持ち出すことでイヤミをいっているわけではありません。むしろ逆です。死を意識すると愛が深くなるからこそいっているのです。
若いときの恋愛は若いときだからこそです。そのことを意識すれば、ますますその恋愛が貴重なものと思えるでしょう。そして、愛する人がいつか死ぬことを意識すれば、その人のことがますます愛しくなるはずです。
 
「最後に愛は勝つ」というのは気休めです。気休めはむしろ愛を堕落させます。
「最後に愛は負ける」という真実が愛を鍛えるのです。