大阪府の国歌起立条例について、私はこうしたことは最終的に生徒が判断することだと考えています。ですから、どこかが生徒にアンケート調査をしないかなと思っていたら、アンケート調査ではなかったですが、朝日新聞が生徒に取材した記事を掲載しました(6月29)
一部を抜粋します。
 
「君が代条例が成立する直前、大阪府内の複数の公立高校近くで、下校途中の生徒に『条例化についてどう思うか』を尋ねた。多くが『賛成』だった」
「条例化に『反対』と言い切った生徒はわずかだった」
「『どちらとも言えない』と言う3年の女子は、君が代より他に優先すべき課題があると指摘した」
 
何人中何人が賛成・反対という数字はないのですが、「多く」「わずか」という表現から、圧倒的に賛成が多かったことがわかります。
最高裁から見放された上、生徒からも見放されては、不起立教師によりどころはありません。負けといわざるをえないでしょう。
生徒から同情の声がまったくなかったというのは、みずからの日ごろの行いのゆえです。もっとも、生徒は不起立教師と起立教師の区別をつけているわけではないかもしれませんが(不起立教師の数は圧倒的に少ない)、どちらにせよ生徒に支持されていないことに違いはありません。
 
不起立教師の主張が要するに「内面の自由」しかないというのも弱いところです。今、「内面の自由」そのものがないがしろにされる時代だからです。
東西冷戦体制が崩壊し、911テロがあって以降、「正義」が暴走する時代となりました。たとえばテロの危機が迫っているときに、「内面の自由」を持ち出しても、一顧だにされないのです。
橋下知事は、「内面の自由」を否定するようなことはいいませんが、そんなことは無視しても平気だと思っていますし、実際その通りです。国民の大多数が「内面の自由」がそれほどたいせつなことと感じていないからです。
マルクス主義が失効して以降、世界を動かす思想はなくなり、道徳が最大の原理となりました。私はこれを「道徳原理主義」と呼んでいます。今、世界はキリスト教原理主義とイスラム原理主義が最大の対立軸となっていますが、キリスト教原理主義もイスラム原理主義も「道徳原理主義」の別名と考えればよくわかります。
今の世の中、国旗国歌崇拝が「道徳的」とされていますので、「内面の自由」でそれに対抗することはできないのです。
 
それに、学校の教師というのは、生徒に対し、生活指導はもちろんのこと勉強の強要など、生徒の「内面の自由」を日ごろから平気で踏みにじっているわけです。たとえば、英語の発音ができない生徒に教室で英語の教科書の朗読を命じれば、その生徒の「内面」はズタズタです。教師は「内面の自由」をもっとも口にしてはいけない職業ですし、生徒の支持が得られないのは当然です。
 
このことについては教師全員、教育界全体が反省しなければなりません。この反省は教育の根本に及ぶので、ここでは書ききれませんから、手近なことをひとつだけ指摘しておきます。
 
戦争が終わって、軍国主義の教科書に墨が塗られ、これからは平和主義の教育でいこうということになりました。これはなにも左翼の教師だけではなく、国民のほとんどがそう考えたのです。
だが、それが間違いだったのです。軍国主義から平和主義に転換したなら、やがて時代が変われば、また軍国主義、つまりナショナリズムの教育に転換することがあるのは当然のことです。
戦後の反省は間違っていました。正しい反省とはこのようなものです。
「あのような愚かな戦争をした私たちに、子どもに対してこれが正しい、これは悪いと教える資格はない。これからの社会がどうあるべきかは、子どもたち自身の判断にゆだね、私たちは口を出さないでおこう」
つまり、軍国主義教育であれ平和主義教育であれ、それは思想教育です。思想教育はしてはならないことです。それこそ子どもの「内面の自由」の侵害です。
 
教育界は、今のように問題の多い社会をつくってしまったおとなのあり方を反省し、思想教育や価値観の教育をやめて、知識と技術だけの教育に徹するべきです。
 
 
ところで、私はもちろん大阪府の国歌起立条例に賛成しているわけではありません。この条例は一部教師に対する単なるイジメです。これで学校がよくなることはなく、むしろ悪くなるからです。