昔、なにかの人生相談で、お母さんが子どもは嘘さえつかなければよいと思って子育てをしていたら、その子が嘘ばかりつくようになって困っているという相談がありました。これはまさに絵に描いたようなパラドックスです。当時、自分の思想を鍛えることに力を入れていた私は、当然食いつきました。このパラドックスを解決すれば、人間についての認識が大いに深まるはずです。
ちなみに、この相談に対する回答は、子育てのむずかしさを強調して、母親の悩みに寄りそうことで悩みを軽減しようとするようなもので、パラドックスを解決しようとするものではありませんでした。
 
私が考えたことを順を追って書いていきましょう。
まず、このお母さんですが、子どもは嘘さえつかなければよいという考えは少しへんです。そういう考えで子育てしている親はあまりいないでしょう。しかし、親はそれぞれ、思いやりのある子になってくれればいいとか、わんぱくでもいいたくましく育ってほしいとか(昔そういうCMがあったのです)、勝手な考えで子育てしているので、この親もその点では同じです。それに、子どもにあれやこれやといっぱい要求する親がいることを思えば、ひとつのことしか要求しないことで好感すら持たれるでしょう。
 
次に、嘘をついてはいけないという道徳はほんとうに正しいのかということを考えました。
たとえば、医者は患者に嘘をつかずに、「あなたは末期ガンで、余命は3カ月です」というべきかというと、そんなことはありません。ここは嘘をつくかごまかしてもいいことになっています。
また、知人から「先日差し上げた手作りのお菓子、いかがでしたか?」と聞かれたとき、「一口食べて、まずいので捨ててしまいました」などと正直に答えてはいけません。ここは嘘をついてもいいでしょう。
つまり、相手を傷つけないための嘘は許されるのです。
また、フランスのレジスタンスの闘士がゲシュタポに捕まり、「仲間の居場所を知っているだろう。どこか教えろ」と聞かれたときも、「知らない」と嘘をついてもいいですし、間違った場所を教えてもいいでしょう。つまり、不当に迫害されたとき、身を守る嘘も許されることになります。
ちなみに、民主的な法治国家では黙秘権というものがあるので、嘘はつかずに沈黙して身を守ることになります。ゲシュタポは黙秘権を認めてくれないので、嘘をつくことになるわけです。
 
このように考えると、嘘をついてはいけないという道徳は絶対的なものではなく、例外がいくつもあることがわかります。
 
では、このお母さんの子どもはどうして嘘をつくようになったのでしょうか。
まず考えられるのは、お母さんの不当な迫害から身を守るために嘘をついているのではないかということです。つまり、お母さんはゲシュタポで、子どもはレジスタンスになっているのではないかということです。
このお母さんは、子どもと会話するとき、まず「あなたには日本国憲法で保障された黙秘権があるので、自分に不利なことは答えなくていいのよ」といってから、会話を始めてはどうでしょうか。
いや、半分冗談ですが、半分本気です。このお母さんに限らず誰でも、子どもを人間として尊重することがたいせつです。
 
ここで角度を変えて考えてみます。
このお母さんは子どもを嘘つきにしないようにしようと思って育てているわけですが、逆に子どもを嘘つきにしようとすれば、どんな育て方をすればいいでしょうか。
まず考えられるのは、ほんとうのことをいったら叱り、嘘をついたらほめるというやり方です。
このお母さんは、自分でも知らないうちにそうしたやり方をしてしまっているのではないでしょうか。
 
たとえば、しまっておいたお菓子がなくなっているのに気づく。しかし、自分で食べたのを忘れているのかもしれない。そこで子どもに聞いてみます。
「ここにあったお菓子、知らない?」
「僕が食べちゃったよ」
「勝手に食べちゃだめでしょ! 悪い子ね。謝りなさい」
 
子どもは学習して、次に同じようなことがあったときはいい方を変えてきます。
「ここにあったお菓子、知らない?」
「知らないよ」
「あなたが食べたんじゃない?」
「食べてないよ」
お母さんは自分が食べたのかもしれないと思って、叱りません。
 
「宿題やったの?」と聞いたときも同じです。
「やってないよ」と正直にいうと、叱ります。
「やったよ」と嘘をつくと叱りません。
 
こうすれば子どもはどんどん嘘つきになっていきます。
このお母さんは「子どもが嘘ばかりつく」と思って悩んでいますが、実際のところは、子どもの嘘に気づいていないケースも多いでしょう。その場合は子どもは叱られることを回避しているわけで、そうしたケースがある限り、今後も子どもは嘘をつき続けるでしょう。
 
ここで、「子どもは嘘さえつかなければよい」というお母さんのちょっとかわった子育て方針の理由が見えてきました。このお母さんは子どもの生活の全領域を監視したいのでしょう。しかし、それは現実に不可能です。そこで思いついたのが、子どもが嘘をつかなければ質問するだけで子どもの生活の全領域が監視できるというすばらしいアイデアです。なぜそんなに監視したいのかというと、子どもが悪いことをするかもしれないと思っているからですし、悪いことをしたら叱ろうと思っているからです。
やはりゲシュタポ的なお母さんだったのです。
 
では、子どもを嘘つきにしない子育て法とはどんなものでしょうか。
子どもが嘘をついたら叱り、ほんとうのことをいったらほめるというやり方が考えられますが、これは実質的に不可能です。嘘とほんとうの見極めはきわめて困難だからです。
では、どうすればいいのでしょう。
嘘をつこうがほんとうのことをいおうが、いっさい叱らなければいいのです。そうすれば嘘をつく必要はなくなります(人を傷つけないための嘘はつく場合がありますが)
たとえば、ジョージ・ワシントンの父親は、たいせつにしていたサクラの木をジョージ・ワシントンが切ったと正直にいったとき、叱りませんでした。これによってジョージ・ワシントンは正直のたいせつさを学んだわけで、この父親のやり方をまねればいいわけです(これは実話ではないそうですが)
 
一応、嘘つきな子にしないようにと思って育てた子どもが嘘つきになってしまったというパラドックスはこれで解決できたのではないでしょうか。
そして、道徳が正しく把握できれば、ゲーム理論の適用領域が一気に拡大することもわかっていただけたでしょう。