私は10年ほど前、賞金王にもなったことのある人気プロゴルファーに会ったことがあります。私はプロゴルファーに会うのはその人が初めてでした。会ったあとで思ったのは、まったくスポーツ選手らしいところがなかったなあということです。が、そのとき私は、「スポーツ選手らしさ」ってなんだろうと思い直しました。
私の思う「スポーツ選手らしさ」というのは、中学高校大学の運動部などの、いわゆる体育会系のイメージで、それも野球、サッカーなどの団体競技を念頭に置いています。しかし、ゴルフはもちろん個人競技ですし、そのプロゴルファーは小さいときから英才教育を受けてきました。私の考える「スポーツ選手らしさ」がないのは当然です。
いわゆる体育会系では、個人競技であっても、柔軟体操やランニングなどのトレーニングは集団でやりますし、先輩後輩の厳格な関係を教え込まれます。それによって独特の集団主義的な雰囲気をみんな身につけます。私はそれを勝手に「スポーツ選手らしさ」と思い込んでいたのです。
 
私はまた、ホームラン王になったことのある野球選手に会ったことがあります。その選手は日本人選手には数少ない、長打力のある典型的なホームランバッターです。そのときも、この人はホームランバッターらしくないなあと思い、やはりまた、自分の偏見に思い至りました。
その人はちょうど引退するときで、これから野球解説者になる予定だったこともあり、野球理論についてなかなか内容のあることを語りました。それが私にはホームランバッターらしくないと思えたのです。
私はホームランバッターというのは、大ざっぱな性格で、あんまり頭もよくないだろうと思っていました。いや、たいへん失礼な偏見で、申し訳ありません。
 
しかし、こうした偏見は私だけではないのではないでしょうか。野球のスイングについて、少なくとも日本の野球界では、「コンパクト」「シャープ」ということが推奨され、「大振り」というのはいけないこととされます。また、バントやヒットエンドランなどが巧みな、いわゆる小技の利く選手が高く評価され、大柄で大振りタイプの選手は低く見られがちです。そうした価値観からホームランバッターは頭が悪そうに見られるのではないかと思います。
逆に、イチローのようなタイプは、頭がよく見られがちです。しかし、彼の発言をよく聞いてみると、とくに頭がよさそうでもありません(これも失礼な表現でごめんなさい)
いしいひさいちのマンガ「がんばれ!!タブチくん!!」はそうした偏見にまるまる乗っかって書かれた作品です。実際の田淵幸一さんは監督や数々のコーチを務められているので、頭が悪いはずはありません。
 
私は実際に人に会うことによって、自分の偏見を訂正してきました。偏見を訂正すると、世界が正しく見えます。しかし、世の中には自分の偏見を訂正しない人がいます。そういう人は、たとえばこんなふうにいいます。
「あのプロゴルファーはちょっと成績がいいと思って天狗になってるな。そのうちダメになるぜ」
「あの野球選手はむりして理屈っぽいことをいってるな。あれじゃ続かないぞ 」
 
つまり偏見に固執する人というのは、相手を低く見て、その分自分が偉くなるのです。その人の言葉だけ聞いて判断すると、世界があべこべに見えてしまいます。
 
で、世界には偏見に固執する人がいっぱいいるのです。