なにが善で、なにが悪かを判定するのは容易なことではありません。現在の倫理学はまったくのデタラメですから、なんの役にも立ちません。ですから、みんな適当なやり方で判定しているわけです。そのため世の中に争いや混乱が絶えません。
そこで、私が簡単に善悪を判定する方法をお教えしましょう。
 
たとえば、5、6人の男たちが1人の男を取り囲んでボコボコにしている。そこにあなたが通りかかって、あなたがブルース・リーばりの格闘技の達人であれば、当然そこに割って入り、1人の男を助けるでしょう。放っておくと、大ケガをするか、下手をすると死んでしまうかもしれません。
つまり、強いほうが弱いほうを一方的に攻撃していたら、強いほうが悪、弱いほうが善と判定すればいいわけです。
これが善悪簡易判定法です。
「弱気を助け、強きをくじく」という言葉の通りです。
ちなみにこの言葉は、落語や講談によく出てくる言葉で、江戸っ子やヤクザが自分たちの行動原理をいったものだそうです。
 
とりあえず1人の男を助ければ、そこで問題は終わりです。5、6人の男をボコボコにする必要はありません。「強きをくじく」程度でいいわけです。
 
もっとも、そのあと5、6人の男たちがあなたに対して自分たちの主張をぶつけてくるかもしれません。たとえば、この男は仲間の金を奪ったやつだとか、俺の妹をレイプしたやつだとか主張し、それに対して1人の男は口ごもって、まともな反論ができない。どうやら5、6人の男たちの主張が正しそうだということになったとします。
とすると、善悪の判定を入れ替えないといけないのでしょうか。
いや、そんなことはありません。言葉なんていうものは無視してしまえばいいのです。
つまり言葉に基づいて善悪を判定しようとすると、ほとんどの場合間違うのです。
 
たとえば学校で1人の子どもが数人の子どもにいじめられているとき、いじめっ子に聞けば、いじめる理由をいっぱい並べ立てます。きたない、だらしない、のろい、先生のいいつけを聞かない、約束を守らない、嘘をつく。また、ユダヤ人を差別する人間に、なぜそういうことをするのかと聞けば、ユダヤ人がこれまでいかに邪悪であったかということを滔々と述べるでしょう。また、軍国主義の日本で非国民とされた人は、山ほどの非難の言葉を浴びせられます。
つまり言葉のレベルの善悪は、強い者につごうよくなっているのです。「弱きを助け、強きをくじく」という原理でいくなら、言葉のレベルの善悪は無視しないといけません。
 
この原理でたいていのことは判定できます。
たとえば、会社で上司が部下を叱っているとします。部下が悪いことをしたから上司が叱っているのだろうと考え、部下が悪で上司が善と判定してはいけません。上司が強く、部下が弱いわけですから、上司をなだめ、部下をかばえばよいわけです。実際のところ、上司が部下を叱るのはたいてい理不尽な理由で叱っているのであり、よい上司はめったに部下を叱りません。
 
親が子を叱っているきも同じです。親をなだめて、子をかばえばいいわけです。子どもがなにをしたかというのは問題ではありません。
 
現在、「弱きを助け、強きをくじく」という言葉は死語に近くなっています。
多くの人が強い者に従っているからです。
たとえば、アメリカは世界で唯一のスーパーパワーで、テロリストはそれと比べると圧倒的に弱い存在です。そのため、言葉のレベルではテロリストが悪ということになっています。しかし、「弱きを助け、強きをくじく」という原理からすれば、そんな言葉は無視して、テロリストを助けなければいけません。
しかし、今の日本はアメリカに従っているので、「弱きを助け、強きをくじく」という原理のほうを無視しているわけです。
 
もっとも、「弱きを助け、強きをくじく」というのはあくまで善悪簡易判定法です。
本格的な判定法は、言葉のレベルの善悪を解明したときに明らかになります。