ホラー小説やホラー映画には、恐怖の対象としていろいろなものが出てきます。超自然のものとして吸血鬼、ゾンビ、悪霊、人間として連続殺人鬼、多重人格、ストーカー、DV男。それから、自分自身への恐怖というのもあります。正確にいうと、自分自身の本当の姿を知る恐怖です。実は私がいちばん好きなホラーは、この、自分自身の本当の姿を知る恐怖を描いた作品です。
 
吸血鬼や殺人鬼は、やっつけることもできますし、それから逃げることもできます。しかし、自分自身が怖いとなれば、やっつけることも逃げることもできません。まさに究極の恐怖ではないでしょうか。
 
自分自身の本当の姿を知る恐怖を描いたものとして最高の小説はリチャード・マシスンの「地球最後の男」ではないでしょうか。これは最初、「吸血鬼」というタイトルで翻訳され、最近は「アイ・アム・レジェンド」というタイトルで出版されています。3回映画化され、もっとも最近の映画化はウィル・スミス主演の「アイ・アム・レジェンド」です。
これは一般にはSFに分類される作品かもしれませんが、吸血鬼が出てきますし、マシスンは恐怖を描くことに本領を発揮する作家ですから、ホラーといってもさしつかえないでしょう。
この作品の衝撃は結末に訪れます。きわめて意外で、かつ発想のスケールが大きく、そして自分自身の姿をひっくり返してしまうところに強い衝撃があります。
したがって、それを説明すると、いわゆるネタバレになってしまいますので、ここではやめておきます。なお、ウィル・スミス主演の「アイ・アム・レジェンド」の劇場公開版の結末はまったく別のものになっていて、なんの衝激もありません。
 
そこで、ネタバレのそしりを受けそうもないものを紹介することにします。
私が若いころに見たアメリカのテレビドラマで、ミステリー・ゾーンでもなく、アウター・リミッツでもなく、しかしそのたぐいのドラマシリーズの一本ではないかと想像されますが、単発で放映されたので、野球中継中止の穴埋めだったのかもしれません。タイトルも忘れてしまいました。
 
主人公の青年は、おじさんの形見でもらったのか、あやしい骨董屋でもらったのか忘れましたが、ひとつのメガネを手に入れます。それは実は魔法のメガネで、そのメガネをかけて人を見ると、その人が心の中で思っていることが聞こえてくるのです。つまり人の心の中が見えるメガネなのです。
青年は人と会話しているとき、そのメガネをかけてみます。そうすると、それまで調子のいいことを言っていた相手は、実は心の中では青年に敵意を持っていることがわかります。ほかの人もそのメガネで見てみますが、やはりきれいなことを言っていても、心の中はみにくいのです。青年が信頼している相手もメガネをかけて見てみると、青年を裏切るようなことを考えています。青年がひそかに思いを寄せている女性は、愛想よくしている裏で、青年のことをさげすんでいます。
青年は、周りの人間がみんなみにくい心の持ち主であることに憤り、絶望しますが、これはすべてメガネのせいであると思い、メガネを壊してしまおうとします。そのとき、青年の前に大きな鏡がありました。青年はふと思いつき、メガネをかけて、鏡に映った自分を見ます。
青年の叫び声とともにドラマは終わります。
 
周りの人間がみんなみにくい心の持ち主だとしたら、自分も例外ではありえないはずです。
しかし、世の中には政治が悪い、社会が悪い、時代が悪い、若者が悪いなどと非難ばかりしている人がいっぱいいます。こういう人はこのドラマを見て、自分も同じように悪いのではないかと反省してもらいたいものです。
 
 
もうひとつ、やはり私が若いころにテレビで見たものですが、これはドラマではなく映画だったと思います。やはりタイトルは忘れてしまいましたが、なかなかおもしろい映画なので、もしかしたら一部でカルト的な人気のある映画かもしれません。
 
主人公は若くて魅力的な女性ですが、精神病院に入れられることになります。その精神病院にはおかしな患者がいっぱいいます(当たり前ですが)。彼らは主人公の女性に性的な関心を持ち、襲ってきたりして、女性はあやうく難を逃れます。また、裏でなにやらあやしい陰謀をたくらんでいます。その陰謀には医師も加わっていて、医師もいやらしい目で女性を見てきます。ということは、女性は性的な被害妄想をいだく患者ではないかと想像されます。一方で、女性に好意を寄せるハンサムな若い医師もいます。しかし、どれが妄想で、どれが現実かわからないままストーリーは進展し、女性がいよいよ追い詰められて危機に瀕したとき、場面は転換します。
女性は医師から完全に治ったと告げられます。その女性の姿は、みすぼらしい中年女性です。つまり女性は、自分は若くて魅力的な女性だという妄想をいだいていたのです。精神病院を出た女性はとぼとぼと道路を歩いていきます。その姿を見ると、妄想をいだいていたときのほうが幸せだったのではないかという思いにとらわれます。
 
こうした物語が、自分自身の本当の姿を知る恐怖を描いたものです。
ミステリーやSFやホラーでは意外性が尊ばれますが、自己像の変換というのは中でも最高のものではないでしょうか。認識のコペルニクス的転回を味わうことができるからです。
こうした発想に慣れていれば、発想の幅が広がるのはもちろん、自分勝手な人間になることも防げるのではないかと思います。