私はSFから世界全体をとらえる発想を学び、ホラーから人の心の奥底を見ることを学びました。このどちらが欠けても、私は「科学的倫理学」に想到できなかったでしょう。
 
人の心の奥深いところはなかなかわからないものです。フロイトは「無意識」があるといい、最近は「心の闇」という言葉がよく使われます。しかし、自分で自分の心の中を掘り下げていくことはできます。私はその作業をねばり強く続けているうちに、あるとき「ここが底だな」というところに到達しました。もうそれ以上掘り下げることのできない硬い岩盤のようなところがあるのです。
心の隅々までわかったわけではありませんが、底に到達したことで、私はそこを立脚点にしてものを考えることができるようになりました。これはものを考える上で圧倒的に有利です。世の中には私などより頭がよくて知識の豊富な人が山ほどいますが、確かな立脚点を持っている人はいないのではないでしょうか。
 
たとえば、私は「虐待の連鎖」について考えました。幼児虐待をする親は自分も子ども時代に虐待されていたことが多く、これを「虐待の連鎖」あるいは「虐待の世代連鎖」といいます。この「虐待の連鎖」をどんどんさかのぼっていけば、「人類最初の虐待親」にたどり着くはずです。もちろん「虐待の連鎖」は実際にはそんな正確に続くものではなく、あくまで思考実験として考えたのです。
「人類最初の虐待親」はいかにして誕生したのか。これはパズル感覚で考えても楽しいでしょう。こういう発想はSFから学んだものです。幼児虐待について研究している人はなかなかこういう発想は持てないかもしれません。
 
これを考えるためには、人間以外の動物に幼児虐待に当たるものがあるのかどうかを調べないといけません。哺乳類においては、ライオンの子殺しのようなことがありますし、育児放棄もありますし、生まれたばかりの自分の子どもを食べてしまうこともありますが、人間の幼児虐待はそれらとは異質なものだと私は考えました。
 
そして、幼児虐待をする親は、「しつけのためにやった」とよく言います。行儀が悪い、わるさをした、言いつけを聞かないなど、子どもが「悪」だと考えています。しかし、実際は虐待する親のほうが「悪」なのです。
自分が「悪」だから、相手が「悪」に見える――ここにすべての秘密を解く鍵があります。
これを徹底的に考えていくと、善と悪についての認識のコペルニクス的転回が起き、「科学的倫理学」に到達することができます。
 
私はいち早く「科学的倫理学」に到達しました。後続の人たちを待っている状態です。
「人類最初の虐待親」はいかにして誕生したかというパズルを解いてください。