オスロの爆発及び銃乱射事件で逮捕された容疑者は、右翼思想を持つキリスト教原理主義者だということです。移民排斥という主張を持っていたようですが、それが目的だとすると、爆発及び銃乱射という手段との整合性がありません。いや、どんな目的があったとしても、現時点で90人以上とされる死者を出すような事件を起こすことと整合性のあるはずがありません。この事件の動機は、日本でよく使われる「心の闇」という言葉で説明したほうがいいでしょう。
 
イスラエル兵に肉親を殺されたパレスチナ人がテロリストになるというのは、動機の面ではある程度納得がいきます。しかし、たとえば911テロの犯人の多くは、比較的恵まれた家庭で育ったインテリです。彼らの動機もまた「心の闇」で説明したほうがいいでしょう。
 
そもそも、政治的な主張のもとにある動機のほとんどは「心の闇」と言っても過言ではありません。たとえば「菅降ろし」でもいいのですが、「菅降ろし」を主張する人はひじょうに強力に、感情的に主張しますが、首相を変えたところで日本の政治がそれほど変わるわけがないことを考えると、これも整合性がありません。したがって、「心の闇」と言ってもいいものです。
また、右翼と左翼もひじょうに感情的に対立します。ネットではウヨだのサヨだの、ネトウヨだのブサヨだのとやり合っています。なぜそれほど感情的になるのでしょうか。それだけのエネルギーがあれば、自分の人生のために使ったほうがいいはずですが、本人としてはそれができません。自分の人生よりも政治的主張のほうがたいせつという心理に陥っているのです。これもまた「心の闇」です。
 
こうした政治的人間の心理と行動は、一般の人から見たらまったく不可解なものです。なぜそんなに熱くなれるのかと思っています。しかし、それを本人に言ってもろくな結果にならないことがわかっているので黙っています。そのため政治的人間はなかなか自分のおかしさに気づくことができません。
 
政治的人間はなぜこのような不合理な感情にとらわれるのでしょうか。私は、それは親子関係に問題があるからだと考えています。
国家権力と1人の国民の関係は、親と子の関係に似ています。子から見たら親は強大な権力だからです。
 
文明社会では、親は子どのしつけと教育をします。しつけには強制がともない、たいてい罰もともないます。当然、子どもは苦痛と不快を感じます。通常、自分に苦痛と不快を与えてくる人間は敵ということになりますが、それが親であるために敵と認識することができません。そのため、苦痛と不快を晴らすことができず、心の中に蓄積されていきます。しかし、本人はそのことに気づきませんし、それを解消することもできません。
文明人はみな心の中に苦痛と不快を蓄積させていることになります。それが人によっては、たとえばドメスティック・バイオレンスという形で現れますし、また人によってはサディズム、マゾヒズムという形で現れますし、またレイプ衝動や殺人衝動という形で現れます。
 
政治的人間というのは、その蓄積された苦痛と不快を政治的主張や政治的行動で表しているわけです。これが過激になるとテロ行為まで行くことになります。
 
こうした動機はすべて自分の幼児期に由来しているので、現在の政治状況が自分の望むものに変わっても、一時的にうれしいだけで、またすぐ政治状況に不満を感じ、政治的主張や政治的行動に力を注ぐことになります。これは、レイプ犯がレイプをして一時的な快楽を感じても、またすぐレイプ衝動に駆られるのと同じです。
 
政治的人間であれ、レイプ犯であれ、猟奇殺人犯であれ、「心の闇」を解明するには、それぞれの幼児期にさかのぼって心理的問題を解決しなければなりません。