東大を退職した上野千鶴子さんの特別講義が79日、東大で行われ、最後はこの言葉で締めくくられたそうです。
「私はフェミニズムの評判がどんなに悪くなっても、この看板は下ろさない。語る言葉を持たなかった女たちが、言葉をつくるために悪戦苦闘してきた。その先輩たちのおかげで私はいる」(「朝日新聞726日夕刊)
(講義のネット配信はhttp://wan.or.jp/)
 
私がこれを読んで思ったのは、やっぱりフェミニズムの評判は悪くなっているのだなということです。それは感じてはいたのですが、当事者が言うとまた重みが違います。
どうしてフェミニズムは評判が悪くなったのでしょうか。私はフェミニズム理論を参考にして「フェミニズムの帝国」という近未来SF小説を書き、これが私の唯一ともいえる評判作なので、人ごとではありません。私なりの考えを書いてみます。
 
日本では、女子差別撤廃条約批准に伴い男女雇用機会均等法が制定されたことでフェミニズムは一気に勢いを増し、マルクス主義なきあとは思想界で一人勝ち状態になりましたが、最近は確かに逆風にさらされています。その理由は、フェミニズムが科学の分野に足を突っ込んだことにあると私は考えています。
フェミニズムでは、生物学的性差をセックス、社会的・文化的性差をジェンダーといい、セックスは肯定しますが、ジェンダーは差別的だとして否定します。つまりフェミニズムはセックスという人間の生物学的要素を視野に入れた点で画期的な思想であるといえます。
しかし、そこに問題がありました。セックスとジェンダーが無関係であるはずはありません。セックスを土台にしてジェンダーが生まれたと考えるのが普通でしょう。そうすると、非差別的なものから差別的なものが生まれた、よいものから悪いものが生まれたという理屈になります。
つまりセックスとジェンダーの関係が不明確なのです。これがフェミニズムの理論的欠陥です。
 
もっとも、どんな思想にも欠陥はあります。むしろ思想とは欠陥の塊だといってもいいくらいです。しかし、フェミニズムの場合は生物学的要素という科学の分野に踏み込んでいるところに違いがあります。
 
おそらく初期のフェミニズムでは、マーガレット・ミードの著作などの影響から、性差においてはセックスの要素はきわめて小さく、ほとんどがジェンダーだと考えられていたのでしょう。ですから、セックスとジェンダーの関係はたいして問題にならなかったのです。
そもそも社会科学、人文科学においては、人間の生物学的要素などというものはまったく無視されていました。フェミニズムは無視しないだけまだましなほうです。
 
ところが近年、進化生物学や脳科学の進歩により、セックスの要素が意外に大きいことがわかってきました。セックスについての科学的知見が次々と付け加えられていくとともに、これまでフェミニズムに抑えられてきた男どもが反撃するようになり、フェミニズムは退却戦を余儀なくされているというわけです。
 
したがって、この事態を打開するには、セックスとジェンダーの関係を理論構築しなければなりません。
これは動物と人間、自然と文明の関係を理論構築するのと同じことですから、たいへんスケールの大きい問題になってきます。
それについては、私のホームページで重要なヒントになることを書いていますので、参考にしていただけたらと思います。
 
「思想から科学へ」村田基(作家)のホームページ
(現在このホームページは休止中です)
 
 
フェミニズム再生のための具体的なプランも書いてみます。
それは「子ども差別」という概念を導入することです。
おとなと子ども、親と子どもの関係は、強者と弱者の関係です。そこに支配、差別、抑圧が生じるのは、フェミニストなら普通に理解できることでしょう。
おとなが子どもを差別し、差別された子どもは自分がおとなになるとまた子どもを差別する。これが無限に世代連鎖していくのが子ども差別です。
人種差別や性差別では、たとえば黒人や女性は永遠に差別される立場なので、不公平であることは明らかです。しかし、子ども差別においては、差別された者が次は差別する側に回るので、不公平とはいえません。たとえば、先輩が後輩を一発殴る。殴られた後輩は自分の後輩を殴る。こうしてどんどん後輩を殴っていけば、1人の人間は一発殴られて一発殴っているので、不公平ではないというわけです。
そのため子ども差別はこれまであまり認識されてきませんでした。
しかし、殴り殴られる関係がよいはずはありません。これを差別と認識して、正しい人間関係に戻すべきなのは当然でしょう。
 
年齢差別(ageism)という言葉がありますが、これは主に高齢者差別という意味で使われているので、私は「子ども差別」という言葉を使っています。
 
ひとつの家庭には、男が女を差別する性差別があり、同時に親が子どもを差別する子ども差別があり、ふたつの差別がクロスしています。このように認識してこそ、すべての人間関係が正しく把握されることになります。
 
マルクス主義は、持てる者と持たざる者の関係を問題にしました。フェミニズムは男と女の関係を問題にしました。そして今、おとなと子どもの関係を問題にすることで、すべての人間関係を視野に入れた思想が誕生することになります。
そこにフェミニズムの完成もあるのではないでしょうか。