昨日の「フェミニズム再生のために」というエントリーで、フェミニズムは「子ども差別」という概念を導入するべきだということを書きましたが、昔、「現代思想」という雑誌に同じことを書いたのを思い出し、雑誌を引っ張り出してみました。「現代思想」19899月号の「セックスの政治学」という特集に「『子ども差別』の発見」というタイトルで書いています。昔なのにわれながらちゃんとした文章を書いていると思いましたが、フェミニズム陣営からの反応はまったくありませんでした。当時はフェミニズム陣営も性差別の問題で手いっぱいで、そこに「子ども差別」を持ち出しても、問題の拡散かすり替えになると思われたのかもしれません。
 
しかし、私の思想も当時よりは深まり、「子ども差別」を進化生物学と結びつけるところまでいきました。だから、フェミニズムが現在苦境に陥っているのは、(生物学的要素である)セックスとジェンダーの関係が不明確なためだという指摘もできたのです。
これからも人間の行動と心理についての科学的研究はどんどん進んでいきますから、セックスとジェンダーの関係の理論構築なしにフェミニズムの未来はないといっても過言ではないと思います。
 
ところで、私は「子ども差別」という概念によって、おとなと子ども、親と子どもの関係に支配、差別、抑圧があるということを理解していましたから、男と女の関係に支配、差別、抑圧があるというフェミニズムの主張は当たり前のこととしてすぐに理解できました。
しかし、たいていの男はいまだに性差別の問題を正しく理解していません。これは奴隷農場の主人が奴隷解放に反対するのと同じで、たいていの男は女性解放は自分の不利益だと思っているからです。
もちろん、男女の平等な関係は男にとっても幸せなことであるという考え方もあり、それが人間として本来の姿だと思いますが、本来の姿でない男も多いのです。
つまり多くの男にとって性差別というのは人ごとなのです。
 
しかし、「子ども差別」は男にとって人ごとではありません。自分自身の問題です。子ども時代の自分と現在の自分を統合することは、自分の幸せにとっても必要なことです。
したがって、男の場合、まず「子ども差別」に取り組むのがいいのではないでしょうか。「子ども差別」を理解すれば、性差別はたいして苦労せずに理解できます。
ですから、フェミニズム陣営が「子ども差別」の概念を取り込むことは、男にフェミニズムを理解させる上でもプラスです。
 
もちろん幼児虐待、非行、不登校、引きこもりなどに対処するためにも「子ども差別」の理解は欠かせません。