小松左京さんが亡くなられました。前からあまり体調はよくない様子で、こういう日がくることはある程度覚悟していましたが、やはりショックです。
日本SF界は星新一、小松左京、筒井康隆という偉大な才能に恵まれ、私の読書人生においても中学高校という時期にこの三人と出会えたのは大きな幸運です。
小松左京さんのすばらしさは、世界、宇宙、文明というスケールの大きな発想にあります。もっともSF作家らしいSF作家といえるかもしれません。
こうした特長が長編において発揮されるのはもちろんですが、短編にもスケールの大きな発想でおもしろいものがあります。「新都市建設」は短編というよりショートショートといっていい短さですが、私のひじょうに好きな作品なので、ネタバレながら紹介したいと思います。
 
老人の家の近くで大規模な建設工事が行われ、老人は毎日その騒音と振動に悩まされています。ある日、孫娘が訪ねてきて、工事現場を見に行こうと誘います。老人は気が進まないものの孫娘に連れられ、工事現場を見ます。そこには完成間近の、ケバケバしい色の醜悪な形の建造物がありました。老人はこう嘆きます。
「なんということだ! この国の為政者達は、外国の新奇さに眼がくらみ、この国の魂を忘れてしまったのか」(手元に本がないので、あるサイトからの引用です)
老人の眼の前に広がっているのは、平城京の建設現場なのでした。
 
私はこれを読んだとき、大きな衝激を受けました。
この作品が書かれ、そして私が読んだとき、世は高度成長のさなかで、いたるところで建設工事が行われ、世の中の変化についていけない老人たちは「昔はよかった」を合言葉のようにしていました。ですから、この作品を読んでいると、“今”のこととしか思えないのです。
また、奈良の枕詞が「あをによし」であるように、平城京の建物は青と朱に塗られていましたし、もちろん中国を真似てつくられた都市ですから、その点ではなんの偽りもありません。
時代とともに価値観が変わることをみごとに表した作品です。
 
日本の保守や右翼の方々は、明治の日本を伝統的な日本として尊びますが、どう考えても、明治の日本はそれまでの伝統を捨てて、西洋近代を必死に真似した国家ですから、「この国の魂を忘れてしまったのか」と言われてもしかたがない代物です。小松左京さんから学んでほしいものです。
 
私は小松左京さんからこうしたスケールの大きな発想を学び、そのおかげできわめて重要なことを思いつくことができました。改めて感謝したいと思います。