最近、「障がい者」という表現が目につくので、気になる人が多いのではないでしょうか。
本来、「障碍者」と書くべきところ、「碍」が常用漢字にないため、長年「障害者」と表記してきましたが、最近、「害」の字はイメージが悪いからと「がい」とひらがな書きにするようになってきたわけです。しかし、「障がい者」のような書き方を「まぜ書き」といいますが、これもまたイメージが悪い。ですから、最近はこうしたまぜ書きをなくす方向に進んできたわけです。たとえば「ら致」「破たん」みたいな表現は常用漢字表を改正することでなくなりました。しかし、「障がい者」だけはまぜ書きへと逆行しているわけです。
障害者の多くがそれを望んでいるというのならそれでいいと思いますが、実際のところはどうなのでしょう。「障がい者」という書き方のほうに差別を感じる人も多いのではないでしょうか。
 
ここで思い出すのが、大阪の「あいりん地区」という地名です。ここはもともと「釜ヶ崎」という地名だったのですが、日雇労働者の多い街で、暴動などがよく起こったためイメージが悪いというので、1966年に「あいりん地区」に変えられてしまったのです。
私はそのときのことを覚えていますが、「あいりん」というひらがなの地名にびっくりしました。今でこそ「さいたま市」みたいにひらがなの地名は珍しくありませんが、当時はほかになかったのではないでしょうか。
それから、「地区」という言葉がついていることにもびっくりしました。地名に「地区」がつくというのは、たとえば人名でいえば、「山田太郎人間」というのと同じです。
なぜこんなおかしな地名になってしまったのでしょうか。それは、この地名に変えたのは当然役所の人間ですが、彼らは釜ヶ崎やそこにいる日雇労働者に差別意識を持っていたからです。しかも、彼らは自分が差別意識を持っているとは気づいていません。「あいりん」はもちろん「愛隣」という意味で、すばらしい名前をつけたぐらいに思っているのです。
 
役所の人間やマスコミの人間は高学歴者です。高学歴者というのは、すなわち差別主義者といっても過言ではありません。知性、教養、学歴を追求して獲得してきた人間は、それらに欠ける人間をどうしても下に見てしまいます。「差別はいけない」ということを学んでも、それは脳の表層に留まっているだけです。
 
また最近、「特別支援学校」「特別支援学級」という言葉がつくられました。「特別支援学校」というのは、これまでの養護学校、聾学校、盲学校などの総称ですが、「特別支援」という言葉にも、差別意識がうかがえます。障害者を自分と同じ人間と見る視点からこういう言葉は出てこないと思います。たとえばこの言葉をつくった人は、自分の親を介護するとき、人間として当然のことをしていると思うのではなく、「特別に支援」していると思うのでしょう。
 
昔は、「特殊部落」「特殊学校」「特殊学級」という言葉がありましたが、今は差別語だとして使われません。
もちろん「特殊」という言葉には本来差別的な意味はありません。「陸軍特殊部隊」「特殊撮影効果」などを考えてみればわかります。しかし、差別的な意味で使っていると、それは差別語になります。
今の「特別支援学校」は「特殊」を「特別支援」に言い換えただけです。差別的な意味で使っていると、「特別支援」あるいは「特別」という言葉もそのうち差別語になっていくでしょう。