インターネットは世界につながっているといっても、各国のネット事情はさまざまで、とくに日本語という壁に守られた日本のネット事情は特殊なようです。そして、その特殊さのかなりの部分は、2ちゃんねるの存在によっているのではないでしょうか。
今でこそ2ちゃんねるは相対的にその存在感を低下させていますが、一時期は2ちゃんねるがインターネットを代表するような存在……と、ここまで書いて、なんだか気分が変わってしまいました。
今はもう想像以上に2ちゃんねるは存在感を低下させているのではないでしょうか。わざわざ論じてもしょうがないような気分です。2ちゃんねるの嫌韓派がフジテレビ・花王を攻撃した戦いも、嫌韓派の一方的な敗北に終わったようですし。
私もネットでいろいろ論争した経験からいうと、論争というのは始まった時点で勝敗が決まっています。もちろん正しいほうが勝つのです。途中で間違ったことを言って、それにこだわると負けますが、間違ったことはすぐ訂正するか放っておいて、議論を本筋に戻せば、必ず勝てます。
嫌韓派の攻撃は、最初から不当な言いがかりでしたから、フジテレビ・花王はなにもしなければ、自然に勝利が転がり込んでくる理屈です。
 
とはいえ、2ちゃんねるがきわめて特殊な掲示板であることは確かで、この特殊さはどうして形成されたかは、論じる価値があるでしょう。
私が考えるに、2ちゃんねるの特殊さは、2ちゃんねるの実質的創始者で前管理人の、ひろゆきこと西村博之氏の特殊な性格によって形成されました。ですから、2ちゃんねるとは「ひろゆきの脳内ワールド」なのです。
 
2ちゃんねるの初期、名誉棄損やプライバシーの暴露や犯罪予告などの書き込みが社会的な問題となり、掲示板の管理責任が問われました。しかし、これは刑事法の対象外だったようです。それでも、社会的道義的責任は問われますから、普通は社会の圧力に負けるか社会の要請に応えるものです。2ちゃんねる以外の掲示板は、問題のある書き込みをできるだけ削除するようになりました。しかし、2ちゃんねるでは、削除は行われていますが、ひろゆき氏なりの独特の基準によるもので、ほとんど社会の要請に応えるものではありません。たとえば、現時点のウィキペディアの「2ちゃんねる」の項によると、法務省は未成年犯罪者の実名掲載などの削除要請を行っていますが、ひろゆき氏はそれに反論して、要請に応えていないということです。
ですから、2ちゃんねるは一種の無法地帯となったのですが、ひろゆき氏なりの削除は行われているので、まったくの無法というわけではなく、正確には「ひろゆき法」地帯というべきものになっているわけです。
 
では、「ひろゆき法」とはなにかというと、これがよくわかりません。ひろゆき氏は民事でいっぱい訴えられていますが、ことごとく裁判は欠席し、判決は無視しています。ひろゆき氏の財産は差し押さえられない状態になっているので、これでなんの実害もないようです。
普通に社会人として生きている人間は、裁判所の決定を無視するということはなかなかできません。とくにひろゆき氏はそれなりの有名人で、実業家です。
こういうことができる人間は、私の知る限り1種類しかいません。それはヤクザです。ヤクザは法の裏をかいてシノギをしています。
ひろゆき氏は「ネットヤクザ」とでもいうべき存在かもしれません。
なぜ司法当局はこれまでなにも手を打たなかったのか、また政治家はなぜ立法処置を講じなかったのか不思議です(いろいろ推測できますが)
 
ともかく、2ちゃんねるというのはひろゆき氏の独特な基準によって運営されてきたため、その基準に合った人間が集まることになりました。そうして独特な2ちゃんねるの世界が形成されたのです。
 
今、2ちゃんねるをやっている人は、2ちゃんねるを通して世界を知ろうと思っているかもしれません。しかし、それは不可能です。そこはあくまで「ひろゆきの脳内ワールド」ですから。