なんのための批判かという原点を喪失したフジテレビ批判騒動は、結局2ちゃんねるというコップの中の嵐に終わってしまいそうです。しかし、これによっていちばん痛手をこうむったのは保守勢力でしょう。とくに産経新聞は、2ちゃんねるの若者は圧倒的に自分の味方だと思って、それをよりどころにしていたので、ショックが大きかったはずです。
フジテレビをターゲットにするというのは、保守的な人、右翼的な人には思いつけません。イデオロギーとは無縁のひろゆき氏ならではの発想でしょう。やはり2ちゃんねるはひろゆき氏の脳内ワールドなのです。
 
とはいえ、多くの人がフジテレビ批判に参加したのは事実です。なぜ参加したのかというと、それが“祭り”であったからです。祭りには高揚感と連帯感があり、参加すること自体に喜びがあります。どんな神輿を担いでいるかはたいした問題ではありません。
 
2ちゃんねるに積極的に書き込みをしている人は、リアルでは非活動的な人です。私はそれを「引きこもり系の不良」と名づけています。群れをなして盛り場をうろついたり喧嘩したりするのは「行動化する不良」です(なぜ不良かというと、家庭、学校、社会になじめない人たちだからです)
引きこもり系の人でも、というか、引きこもり系の人だからこそ、祭りへの参加欲求は強いものがあります。リアルで祭りに参加するということができないタイプの人だけに、2ちゃんねるでときどき祭りが行われるのはひじょうにありがたいことに違いありません。
 
それから、フジテレビ批判に参加することによって、自分の力を確認したいという気持ちもあるでしょう。つまり、「自分は非力な1人のネットユーザーだが、みんなと力を合わせることによって世の中に影響を与えることができた」という実感がほしいのです。
これも当然の欲求だといえます。とくに日本人の若者は自己評価が低いとされるので、よけい欲求は強いでしょう。
もっとも、世の中に影響を与えるにはいろいろな形があります。今回は、というか2ちゃんねるではつねのことですが、大勢の力によってフジテレビを屈服させようとしました。これは学校におけるイジメと似た構造です。おそらく多くの人は学校でイジメられるかイジメられる恐れを感じてきて、今度はイジメる側に回りたかったのでしょう。しかし、こうしたやり方では世の中によい影響を与えることはできません。
 
ともかく今回の騒動は、2ちゃんねる側はなんの成果も得られないまま敗北しつつあります。
この敗北は最初から予見されていました。今回の祭りを演出した者の戦略的な失敗です。
祭りの参加者はむなしい思いのまま解散していきます。
これは2ちゃんねるにとってもひとつの転機になるかもしれません。