テレンス・マリック監督の「ツリー・オブ・ライフ」を観てきました。この映画の映画評をいくつか読んでいましたが、煮え切らないものばかりです。自分がちゃんとした映画評を書いてやろうという意気込みで観たのですが、うーん、やっぱりむずかしいです。
 
父と息子の関係を軸にした映画です。映像は素晴らしいです。啓示的で、神秘的です。昔のアメリカの田舎町の、子ども目線からの生活もきっちりと描かれています。私は観ていて一瞬たりとも退屈しませんでした。ですから、かなりいい映画だと思います。
とはいえ、観ていて退屈した人も多かったかもしれません。ヤフー映画の投稿レビューも概して低評価です。
 
ブラッド・ピット扮する父親と息子の関係がストーリーの軸になるのですが、この父親は細かいことに口うるさく、笑顔ひとつ見せませんし、子どもにとって怖くもあります。しかし、子どもにいろんなことを教えますし、それほど悪い父親とも見えません。少なくとも、飲んだくれの、バイオレンス親父ではありません。つまり、この父親と息子の関係が今ひとつよくわからないのです。
ありがちなストーリーとしては、きびしいだけの父親だと思っていたら、なにかの拍子で実は息子を愛していたことがわかり、息子は父親の愛に涙する、みたいなのがありますが、この映画はそういうものではありません。
かといって、息子が冷酷な父親と決別し、自分の人生を歩んでいくというものでもありません。
では、いったいなにかというと、父と息子の関係を把握できないまま“哲学に逃げた”映画といえるでしょう。テレンス・マリックはフランスの大学で哲学を教えたりもしている人です。
テレンス・マリックほどの知性ある人でも、親と子の関係は正しくとらえられないのです。
 
この映画の脚本はテレンス・マリックが書いていますので、ここに描かれた父子関係はマリック自身のものと重なっているのではないかと思われます。
私が思うに、マリックの父親は愛のない人だったのでしょう。しかし、どんな子どもも親に愛がないとは認識したくありません。マリックも例外ではなく、そのため“哲学に逃げた”のだと思います。
 
「親に愛されない子どもの悲劇」をきっちりと受け止められる人はほとんどいません。これは知性とはまた別の問題です。
 
私の知る範囲では、「親に愛されない子どもの悲劇」をきっちりと描いた映画は、アレハンドロ・ホドロフスキー監督の「サンタ・サングレ」ぐらいしかありません。しかし、この作品は同じ監督の「エル・トポ」や「ホーリー・マウンテン」ほど評価されていないようです。
ちなみに、ホドロフスキー監督に資金援助をした中心人物がジョン・レノンです。ジョン・レノンもまた「親に愛されない子どもの悲劇」をきっちりと認識した人です。だからこそ愛の歌がつくれたのです。
日本では、園子温監督が「紀子の食卓」などで鋭く「親に愛されない子どもの悲劇」に迫っていると思います。
 
結局のところ、「ツリー・オブ・ライフ」は、「親に愛されない子どもの悲劇」を描こうとして描ききれなかった映画ということになるでしょうか。