島田紳助さんが芸能界引退を表明した理由は、暴力団との交際だということです。一般常識として、暴力団と交際するのはよくないことですし、芸能人の場合はとくによくないこととされています。しかし、よく考えるとおかしいですよね。暴力団と交際して犯罪を共謀するというのならいけませんが、ただ交際するだけのことがなぜいけないのでしょう。
 
見ただけで暴力団員とわかる人ばかりではありません。近所に住んでいて、知らずにつきあってしまう場合もあるでしょう。暴力団員とわかった瞬間につきあいをやめるというのは相手に失礼ですし、それに近所づきあいとして最低限のことはしないわけにいきません。
また、暴力団員とわかっていても、人間同士ですから、それなりの対応をしなければなりません。たとえば、暴漢に襲われたとき、暴力団員が助けてくれたとします(紳助さんの場合もこれに近いものがあります)。その場合も、恩人としての対応をしてはいけないのでしょうか。
つまり、暴力団員も同じ社会に人間として生きているのですから、どうしてもつきあわざるをえない場合もあるのです。
ですから、暴力団と絶対つきあうなというルールのほうがおかしいのです。
 
では、どうしてこんなおかしなルールができたのでしょうか。それは、警察に責任があります。
 
もともとヤクザは少なくとも江戸時代から存在し、社会で一定の位置を占めていましたが、戦後、警察はこれを暴力団と呼んで排除するということを始めました。最初は頂上作戦といって幹部を逮捕する作戦を、第一次、第二次、第三次とやり、それから資金源を断つという作戦をやり、さらに、いわゆる暴対法をつくり、最近は地方自治体で暴力団排除条例の制定を進めています。その結果どうなったかというと、暴力団構成員の数が少しへったぐらいの成果しか上がっていません。つまり、警察は暴力団を排除することに完全に失敗したのです。
東京電力は原発事故処理の工程表を発表し、冷温停止の時期を示していますが、警察は暴力団排除の“工程表”を発表したことはなく、いつ排除に成功するかの時期も示していません。おそらく国民のほとんどは、警察は暴力団の排除に永久に成功しないだろうと考えています。
しかし、警察は失敗を認めようとせず、もちろん謝罪もしていませんし、誰も責任を取っていません。
むしろ警察は、みずからの非を国民に押しつけようとしています。そのためにつくったのが、暴力団とつきあってはいけないというルールです。
さっきも言ったように、そこに人間がいるのにつきあうなというのはむりなのです。そこに人間(暴力団員)がいるのは、警察が失敗したせいです。しかし、警察は逆に、暴力団とつきあう国民が悪いというイメージをつくりあげて、自分の失敗をごまかそうとしています。
 
警察は、暴力団排除の“工程表”を発表して、暴力団排除に成功する時期を示さなければいけませんし、それができないなら、暴力団排除の作戦を中止しないといけません。
今は勝ち目のない戦いに戦力を投入し続ける“ガダルカナル状態”で、その損失をこうむるのは国民です。
警察・司法・法務の官僚はみずからの間違いを認めて、作戦を中止するべきです。
 
 
作戦を中止したとき、暴力団対策はどうすればいいかは、次のエントリーを参考にしてください。
「暴力団追放運動の不思議」