「ボタンのかけ違い」という言葉がありますが、暴力団対策はまさにボタンのかけ違いで、最初が間違っているので、どこまでいっても成功するということがありません。
 
暴力団というのは戦後できた呼称で、その源流をたどれば博徒、的屋、火消し、ヤクザ、侠客、渡世人などになりますが、ここでは単純化して博徒ということにしておきます。
江戸時代、博徒は日蔭者ではありましたが、社会に一定の居場所を持っていました。清水次郎長、新門辰五郎などは社会的に尊敬される存在でもありました。明治になって、刑法で博打が禁止されましたが、そのとき失業する博徒に対してなんらかの補償が行われたかというと、そんなことはありません。むしろ逆に迫害されたのです。
その典型が1884年に制定された「賭博犯処分規則」という法律です。これは刑法の賭博罪に代わるもので、裁判によらずに(行政処分で)懲役刑を科すことができるというものです。この法律によって博徒は大弾圧を受けたのです。
ところで、博徒には自由民権運動に参加する者が多く、この法律は自由民権運動を弾圧する目的もあったとされています。
この法律は帝国憲法と整合性がないということで1889年に廃止されますが、司法当局は博徒の取り締まりは違憲であっても許されると考えていたのでしょう。つまり、取り締まるほうが不当なやり方をしていたのです。
 
1991年制定の暴力団対策法も、結社の自由を制限して違憲であると、故・遠藤誠弁護士らが訴訟を起こしました。確かに、ある特定の集団だけを準犯罪者扱いにするという妙な法律です。
 
「罪を憎んで人を憎まず」といいますが、博徒、ヤクザ、暴力団に関しては、警察司法当局は「罪よりも人・組織を憎む」という方針で取り締まっています。
取り締まり方が不当だから、暴力団対策はうまくいかないのです。
 
博徒は親分子分、兄弟分という強い絆で結ばれ、独自の掟を持ち、暴力的でもある集団で、近代社会においてこういう集団が存在するのは確かに不都合です。しかし、ある集団をなくそうとすれば、それなりのやり方があります。たとえば、日本の繊維産業が途上国に追い上げられて危機に瀕したとき、構造不況業種に指定するというやり方で中小企業に対する転業支援が行われました。博徒に対しても転職支援をすればよかったのです。
しかし、警察司法当局にそういう発想はありませんでした。なぜなら彼らは学歴エリートで、もっとも差別意識の強い人間ですから、博徒にも差別意識で対してしまったのです。
 
学歴エリートがもっとも差別意識の強い人間だというのは私の考えで、もしかして社会常識と違うかもしれませんが、誰でも素直な気持ちになれば理解できるはずです。
 
マスコミの人間も学歴エリートという点で警察司法当局の人間と共通しています。また、学者や評論家などもたいていは同じです。そのため、警察のやり方が不当なのだということを認識できません。
 
警察の不当な取り締まりによって、博徒も変質しました。虐待された子どもの性格がひねくれるのと同じです。昔は講談にうたわれた森石松のように、博徒は愛される存在でもありましたが、今はそういう人間も少ないでしょう。暴力団と呼んでいるうちに実質も暴力団になってきているかもしれません。
しかし、ボタンのかけ違いをしたのは警察司法当局なのですし、暴力団対策を成功させようとすれば、そこまでさかのぼって考え直すしかありません。