今日、民主党代表が決まるわけですが、誰が代表になっても、親小沢か反小沢かということがずっと論争されていくんでしょうね。どうしてこんなおかしなことになってしまったのでしょうか。
 
マスコミは圧倒的に反小沢です。新政権が少しでも親小沢的なことをすると批判するでしょう。しかし、マスコミが主張するように脱小沢を徹底したとしても、それで震災復興が進んだり、経済がよくなったりするわけではありません。今、親小沢か反小沢かを論じている場合ではないでしょう。いや、今に限らず、親小沢か反小沢かというのはどうでもいいことではないでしょうか。
マスコミが反小沢なのは、小沢氏が起訴されて被告人という立場にあることと、その政治手法が古くてダーティで強引だということからでしょう。単純にいえば、「小沢氏は悪で、悪を排除すれば政治はよくなる」という理屈です。
しかし、これは道徳という枠内の理屈にすぎません。
「悪を排除すれば世界はよくなる」というのは、映画やドラマの中であるだけです。
現実の社会では、悪を排除するための戦いにエネルギーを費やすだけで、ほとんどの場合、悪を排除することはできません。暴力団排除や「テロとの戦い」を見てみればわかるでしょう。かりに悪の排除に成功したとしても、今度は別のものが悪として立ち現われてくるだけです。そんなことを続けていると、どんどん住みにくい社会になっていきます。
 
道徳というのは、人を非難して自分が優位に立とうとするときにひじょうに役に立つ道具です。ですから、野党が小沢氏を批判するのはわかります。しかし、マスコミが小沢氏批判に力を入れるのはどうなのでしょうか。そんなに政治の世界を混乱させたいのかと思ってしまいます。
 
私は「家庭に道徳を持ち込むな」と主張していますが、実際は、道徳を持ち込んでいけないのはどんな世界も同じです。
 
では、道徳を持ち込まないとすると、どんな基準で物事を判断すればいいのでしょうか。それは、「誰がどれだけ幸せになるか」ということです。あるいは、単純に損得、利害ということでもかまいません。善悪、正義という概念を頭から排除すると、必然的に物事を合理的に考えられるようになります。
 
私は別に小沢氏を支持しているわけではありません。ただ、検察の判断に追随するだけのマスコミの反小沢の論調を批判しているだけです。
小沢氏についてはさまざまな批判があるでしょう。たとえば、「マニフェストにこだわる小沢氏のやり方では財政がさらに悪化する」とか「小沢氏の防衛観や親中国の姿勢では対米関係がうまくいかない」とか「官僚にきびしい姿勢は間違っている」とか。こうした批判なら論争を通して建設的なものが出てくる可能性があります。
しかし、今の小沢批判は「小沢は悪だ」という批判であって、ここからはなにも出てきません。
これからは「脱道徳」の発想があらゆる分野で必要になってきます。