野田佳彦さんが民主党新代表に決まりました。もし海江田さんが勝っていたら、ことあるごとにマスコミから、小沢支配だ、二重権力だという批判を受けて足を引っ張られていたでしょうし、前原さんは直情径行なところがあって危なっかしいので、まあ妥当な結果でしょうか。
民主党政権にはいろいろ批判があると思いますが、自民党政権に戻っていいことがあるとは思えないので、私は当分、民主党政権を支持していくつもりです。
 
少なくとも政権交代があってよかったと思えることがひとつあります。それは、原発事故処理をやったのが自民党政権でなく民主党政権だったということです。自民党は経産省、電力会社とともに原発安全神話をつくってきた張本人ですから、東電や保安院に引きずられて、機敏に対応できなかった可能性が大きいと思います。菅政権は、避難区域を10キロからすぐに20キロに拡大し、海水注入、ベントの指示をするなど、初動は適切でした。
菅首相は福島第一を視察に行ったことで、それがベントの遅れにつながったのではないかとずいぶん批判されましたが、これはあくまでベントの遅れにつながった「可能性がある」と批判されたのです(もちろん政府、東電は否定)。つまり菅政権を批判したい者は、「可能性」しか批判の対象を見つけられなかったということでしょう。
まあ、情報の開示が適切でなかったということはありますが、このへんはほとんど東電や経産省、保安院が仕切っているので、自民党政権の負の遺産の要素もあります。
 
とはいえ、菅首相はきわめて不人気でした。これは、菅首相はもともと市民派で、反権力の人ですから、権力の椅子が似合わないというか、権力者然としたふるまいができなかったことが大きいと思います。やはり石原慎太郎都知事のように、いかにも権力者らしいふるまいをする人のほうが人気があります。
とはいえ、私は菅首相のようなタイプの権力者は嫌いではありません。こういう人でも首相が務まる世の中になってほしいものだと思います。
 
それにしても、相変わらずリーダーシップのある政治家を望む声が強いようです。一般国民が言うのならわかりますが、政治学者や政治評論家のような人までが言うのはどうでしょうか。
リーダーシップのある政治家は、よいことをしてくれるとは限りません。リーダーシップは悪い方向にも発揮されます。というか、確立されたリーダーシップは暴走しがちです。近代でいちばんリーダーシップのあった政治家は、間違いなくヒットラーでしょう。スターリン、毛沢東もリーダーシップがありました。チャーチルもそうですが、チャーチルのイメージがいいのは、敵役にヒットラーがいたからです。
 
政治家にリーダーシップを求める心理は、親に対する子どもの心理と同じです。立派な政治学者が「リーダーシップのある政治家が必要だ」などと言っているのは異様な光景です。正しい政治学者なら国民に向かって、「リーダーシップを求めるのは人間が未熟だからです。そういう未熟な国民がよい政治家に恵まれることはありません。早く成熟した国民になってください」と言うでしょう。