安藤隆春警察庁長官は9月1日、記者会見で島田紳助さんの問題に関連して、「社会全体が一体となり暴力団排除への取り組みを推進している中、テレビなどを通じて社会的に影響力の大きい芸能人が暴力団と交際していたことは大変残念だ」「芸能界においても暴力団排除に向けて本格的な取り組みがなされることを期待したい」と述べました。
この人はどういう神経をしてこんなことを言うのでしょう。芸能界が暴力団排除に本格的に取り組んだところで、暴力団が打撃を受けるということはありません。ちょっとしたいやがらせになる程度です。
安藤長官は年頭記者会見で「今年は暴力団対策が最重要課題だ」と述べています。で、なにをやっているかというと、山口組幹部の逮捕に力を入れ、一方で都道府県での暴力団排除条例の制定を進めるという作戦のようですが、これは今までやってきたことと基本的に同じで、そんなことでうまくいくわけがありません。
で、うまくいかなかったからといって、安藤長官はこれまでの歴代長官と同じく、責任をとるわけでもなく、謝罪するわけでもないでしょう。失敗してもなんのおとがめもないとは、なんとも気楽な商売です。
いや、もしかして責任を追及されるかもしれません。そうした場合、芸能界が暴力団排除に熱心でなかったからなどと言い訳する用意を今からしているのでは……というのはさすがにうがちすぎですね。要はなにも考えていないのでしょう。
 
「一般市民は善人、暴力団は悪人、警察は正義」というのが警察の基本認識でしょう。「善、悪、正義」というのは道徳の鉄のトライアングルというべきもので、ここにはまり込んだらなかなか抜けられません。
 
というわけで、今日も「暴力団イコール悪」という固定観念をゆさぶることにしましょう。
 
「暴力団は最高の倫理団体だ」というと暴論に聞こえるでしょうか。しかし、暴力団つまりヤクザは、「任侠」や「仁義」をうたっています。「仁」というのは儒教で「仁、義、礼、智、信」とある倫理段階の中で最高のものです。さらに彼らは、親分の命令は絶対で、親分にあいつを殺せと言われたら、10年以上の刑期も覚悟して命令に従う者もいます。つまり「忠」と「孝」という倫理もあるのです。警察も軍隊並みに上下関係のきびしい組織ですが、ここまで上司に忠誠を尽くす部下はいません。
 
一般市民には「仁」という最高段階の倫理など想像もつきません。理解できるのはせいぜい「礼」までです。学校でも家庭でも、道徳教育といえば「礼」を教えることです。
では、「礼」については一般市民のほうが暴力団より上かといったら、そんなことはありません。暴力団ほど「礼」にきびしい組織はありません。
股旅ものの映画でよくあるように、渡世人は旅先でヤクザ一家に世話になるとき、「お控えなすって」から「手前生国と発しますは」で始まる長いあいさつを滔々と述べなければなりません。このあいさつができなければ一人前とは認められないのです。そして、世話になれば一宿一飯の「恩」が生じるので、場合によっては出入りの助っ人もしなければなりません。
現在の暴力団でも、親分や兄貴分へ「礼」を欠くことは許されません。これは一般社会の比ではないでしょう。また、冠婚葬祭は盛大に行われ、このときは暴力団同士も互いに「礼」を尽くします。おそらく今の日本でいちばん冠婚葬祭に力を入れているのは暴力団ではないでしょうか。
 
このように暴力団とはきわめて倫理的な集団なのです。
 
それに比べて、一般市民のあり方はひどいものです。
そもそも暴力団員は一般市民から排除されたり差別されたりした者なのです。
自分たちが排除したり差別したりしたためにやむをえず暴力団になった者を、今また警察と一体となって抹殺しようとしている。これが一般市民の姿です。これほど邪悪な人間がいるでしょうか。
 
いや、これは誇張した表現ですが、こういう考え方もできるということです。
実際のところ、暴力団員は一般市民よりも悪い人間でしょう。しかし、親鸞は「善人なおもて往生す。いわんや悪人をや」と言っています。暴力団員のほうが一般市民よりも往生するに違いありません。