呉智英さんのことはもうどうでもいいのですが、極論というのは思考のきっかけを与えてくれます。呉智英さんは極論を言うので、その点はありがたい存在です。
たとえば呉智英さんは、民主主義に否定的です。民主主義もイデオロギーだというわけです。確かにそうでしょう。しかし、「民主主義がだめなら、ほかにどんな政治体制がいいと思うんですか」と聞いてみたいですね。
呉智英さんのことですから、君子の政治とか、王道の政治とか言うのかもしれませんが、そんなものはどうやったら実現できるのでしょうか。だいたい誰が君子で、誰が小人かという判定基準もわかりません。プラトンの哲人政治というのも同じでしょう。
 
とはいえ、民主主義がイデオロギーだというのは私も同感です。多くの人は、民主主義は優れた体制なので、どの国も民主主義国になるべきだと考えているようですが、私はそうは思いません。民主主義国よりも独裁国のほうがうまくいって、国民も幸せであるということはいくらでもあるからです。
 
たとえば、日本は民主主義国ですが、一年ごとに首相が替わり、政治の停滞ははなはだしいものがあります。一方、お隣の中国は共産党独裁ながら、ちゃんと指導者を育てて、次につないでいっています。次期国家主席と目される習近平には、アメリカもしかるべき対応をしています。おそらく多くの中国人は、日本の政治よりも中国の政治のほうがよいと思っているに違いありません(官僚の腐敗や言論の自由の制限を差し引いてもです)
多くの日本人は「中国は民主化するべきだ」と考えています。それは中国のためを思ってではなく、中国の政治を日本並みに引きずりおろしたいためかもしれません。
 
中東では次々と独裁政権が倒れていますが、次に民主体制になったとして、それが前の独裁政権よりうまくいくとは限りません。
ですから、独裁政権でもある程度うまくいっていれば、わざわざ民主化する必要はないわけです。
 
 
とはいえ、これから世界はどんどん民主化が進んでいくでしょう。
それは民主制がよいからではなく、民主制は安定していて、独裁制は不安定だからです。
 
君子の政治や哲人政治はありえますが、長続きしません。君子や哲人も年を取れば衰えますし、2代目、3代目に継承されることはまずないでしょう。暴君による独裁制も、民衆の不満により不安定で、長続きしません。
日本の天皇家のように、神話の時代から継承された王権は昔はたくさんありましたが、これらは一度途絶えると復活することはないので、減少する一方です。
民主制は、一度途絶えてもいつでも復活できます。
民主制から独裁制に移行することもあります。たとえばヒットラーのドイツがそうですし、プーチン体制もそうかもしれません。しかし、これもやはり長続きはしません。結局、民主制へ戻ります。
 
結局、すべての政治体制は民主制へと流れていくのです。
これは民主制がよいということとは別です。自然法則のようなものです。
すぐれた政治体制、悪い政治体制、ユニークな政治体制は消滅していき、俗で、平均的な政治体制に収斂していく。これが歴史の必然です。マルクス主義の唯物史観は否定されても、歴史の必然は否定されません。
 
ちなみに、このエントリーのタイトル「民主主義は増大する」は熱力学の第二法則「エントロピーは増大する」をもじったものです。