現代でもっとも重要な思想は人権思想です。人権思想を理解せずして社会的な発言はできません(してる人はいっぱいいますが)
ということで、今日は人権思想のお勉強をしてみましょう。
 
ロック、モンテスキュー、ルソーらの思想がもとになって人権思想が形成されるわけですが、人権思想が具体的な形となって登場したのは、アメリカの独立宣言においてです。
 
「我らは以下の諸事実を自明なものと見なす.すべての人間は平等につくられている.創造主によって,生存,自由そして幸福の追求を含むある侵すべからざる権利を与えられている.これらの権利を確実なものとするために,人は政府という機関をもつ」
 
ここにおいて基本的人権が明確に主張されて、人権思想が政治を動かすようになったわけです。ですから、人権思想がわからないと政治のこともわからないはずです。
この人権は天賦人権とも言われます。宣言に「創造主によって」とあるからです。
また、この人権は普遍的人権とも言われます。宣言に「すべての人間」とあるからです。
しかし、ここに大きな問題がありました。この問題を正しく把握しないと、すべてが混乱してしまうことになります(アメリカの独立宣言は1776年で、フランスの人権宣言は1789年ですが、フランスの人権宣言も同じようなものです)
 
まず、アメリカ独立宣言では先住民は人間と見なされていませんでした。当時すでにいた黒人奴隷も同じです。さらに女性、子どもにも人権は認められていませんでした。
ということは、どういうことかわかるでしょうか。
アメリカ独立宣言とはすなわち、「白人成人男性の支配宣言」であったのです。
あるいは、「先住民、黒人、女子どもに対する差別宣言」ということもできます。
「俺たち白人成人男性は創造主から権利を与えられた特別な存在なのだ」と宣言することで、先住民をどんどん虐殺し、追い払い、黒人奴隷もどんどん連れてきて、こき使い、女子どもは従属的な立場に置かれました。
もちろん独立宣言以前から先住民の虐殺は行われていましたが、独立宣言をしてからは、心おきなくというか、良心の呵責なしに虐殺ができるようになったわけです。
 
つまり人権思想とは、看板は「普遍的人権」をうたっていますが、中身はとんでもない差別思想なのです。
ほんとうは独立宣言の「すべての人間」とあるところに、「インディアン、黒人、女子どもを除く」と注釈があるとよかったのですが、わかりきったことはいちいち書きません。
 
この人権思想の看板と中身が違うという問題は、もちろん社会に大きな混乱をもたらしました。しかし、次第に中身を看板に近づけるという形で、女性に参政権が与えられ、黒人、先住民に公民権が与えられ、人権思想は内実を伴うものになってきたわけです。
人権思想がこのように欺瞞的なものであることは、すでにフェミニズムが告発していましたが、ほとんどの男性はそんなことは知りませんから、この欺瞞がまだ見抜けていない人も多いでしょう。
 
では、現在はどうでしょうか。もちろん黒人差別や性差別の問題はありますが、思想としては人権思想は内実を伴った完成されたものとなったでしょうか。
実はそうではありません。
まだ「子ども」が置き去りになったままです。子どもの人権は認められていません。
「子どもの権利条約」というのがあって、日本も批准していますが、これはまったく不十分なものです。
「子どもの権利」をいうなら、子どもにも選挙権がなければなりません。
日本では選挙権が20歳以上、被選挙権が衆議院で25歳以上、参議院で30歳以上などとなっていますが、こうした年齢制限はすべて撤廃しなければなりません。
こういうと、反対する人がいるでしょう。小さい子どもに選挙権があれば、親が自分の言う通りに投票させるので、親が2票、3票持つことになってしまうと。
確かにその可能性はありますが、だったら、知恵遅れの人や老人性認知症の人からも選挙権を奪わなければならない理屈です。
子どもにはまともな判断力がないので選挙権を与えるわけにいかないと主張する人もいるでしょうが、かつては同じ理由で黒人や女性に選挙権を与えるわけにいかないと主張する人がいました。
 
選挙権の年齢制限を撤廃し、子どもとおとなを同じ人間と見なすこと。これによって人権思想は完成されます。
現在、教育改革を論じるとき、論じるのはおとなばかりで、子どもが意見を言うことはできません。子どもを対象にした「学校に何を望むか」というアンケートすら行われません。おとな本位の教育改革が失敗の連続になるのは当然です。
 
子どもの人権を認めることで社会の混乱の多くは解決されるはずです。
また現在、人権思想に欺瞞的なものが感じられるとすれば、それは子どもの人権を認めていないからです。
 
 
「『子ども差別』の発見」というエントリーでは同じことを別の角度から書いています。