運動会の季節になりました。最近の運動会は、子どもが傷つかないようにかけっこの順位づけをしないという話があります。ゴール前で手をつないで一斉にゴールするという話もあります。こうしたことには圧倒的に反対の意見が多いようです。実社会には競争があって、負ければ傷つくのだから、学校でもそうするべきだというわけです。
しかし、私の考えは違います。実社会の競争と運動会の競走はまったく別ですから、運動会の競走にはなんの意味もないばかりか、むしろマイナスになるという考えです。
 
確かに世の中にはきびしい競争がいっぱいあります。たとえば司法試験に受かろうと思えば、めちゃめちゃ勉強しないといけません。私は小説雑誌の新人賞をきっかけに作家としてデビューしましたが、小説雑誌の新人賞はどこも千倍ぐらいの競争率です。タレントオーディションもきびしくて、国民的美少女コンテストには十万人の応募があるそうです。
しかし、このような実社会の競争は、敗者がさらしものになることはありません。小説雑誌の新人賞は一次選考通過者、二次選考通過者と名前が誌上に発表されますが、落選者の名前は発表されませんから、黙って応募していれば恥をかくことはありません。美少女コンテストも履歴書と写真で多くは落とされますが、そのことは誰にもわかりません。司法試験も、不合格者の名前と点数が発表されるということはありません。
つまりきびしい競争というのは、競争そのものがきびしいのであって、敗者がさらしものになるというきびしさは普通はありません。
運動会のかけっこは、順位づけしないといっても、遅い子の姿は誰の目にもさらされます。つまり、競争そのもののきびしさというより、敗者がさらしものになるきびしさがあるのです。
 
それに、実社会の競争には自分の意志でエントリーするわけですから、当然自分の得意な分野を選びます。勉強嫌いで、記憶力の悪い人が司法試験を目指すことはありません。競争に負ければ傷つきますが、自分が選んだことだからと、自分を納得させることができます。
運動会のかけっこは、走るのが得意な子にはいいですが、得意でない子にとっては、いやいや走らされて、恥をかかされるわけですから、大いに傷つきます。
ですから、運動会のかけっこやその他の競争は、むしろ競争嫌いの子をつくってしまう可能性があるわけです。
 
対策としては、順位づけしないことではなく、自分の得意な競技にだけ参加できるようにして、どれも得意でないという子はどれも参加しなくていいようにすることでしょう。