学校における子どもの成績のつけ方に、相対評価と絶対評価というふたつのやり方があります。相対評価というのは、クラスで成績のいい者から順に正規分布の理論で5段階の評価をつけるというものです。絶対評価というは、たとえば九九を全部覚えたら「5」、半分覚えたら「3」、ほとんど覚えなかったら「1」というように、その到達度で評価をつけるものです。絶対評価だと全員に「5」がつくということもありますし、教師の主観も入りやすくなります。
戦後の教育は、公平だということでもっぱら相対評価が行われていましたが、だんだん絶対評価の要素が取り入れられ、今では全面的に絶対評価になっています。やり方がまったく変わるというところに、教育の世界のいい加減さが現れています。
 
では、相対評価と絶対評価のどちらがいいのでしょうか。これは子どもの立場から考えてみればよくわかります。
 
子どもにとっては相対評価というのはどうでもいいことです。
たとえば、あなたが英会話教室に行ったとします。そこで、自分の成績がクラスで何番目だという評価をされたらどうでしょうか。そんなことどうでもいいと思うでしょう。英会話能力を身につけるために行っているのですから、今のレベルなら海外旅行で不自由のない会話ができるとか、もう少しやればビジネスの会話もできるとか、そういうことが知りたいはずです。つまり絶対評価のほうがいいのです。
相対評価だと、クラスの順位を上げることを目標に勉強することになってしまいかねません。勉強の目的はそういうことではないはずです。
 
では、今の学校のやり方がいいのかというと、そうとも言えません。
ほんとうにだいじなことは、自分で自分の評価ができるということなのです。
たとえばなにか楽器をやりたいと思って、ギターを始めるとします。人に習わなくても、教則本を買って1人で学ぶことができます。最初は遅々として進歩しないので、いらつくかもしれません。しかし、昨日よりも今日、今日よりも明日というように進歩が実感できるようになれば、やりがいが出てきます。
また、今やっている仕事のスキルを向上させて、その分野で一流の人間になりたいとします。その場合も、自分で自分を評価しながら、一歩ずつ自分を向上させていくしかありません。
自分で自分を評価することができれば、目標に到達する過程にやりがいを感じることができます。努力家とはそういう人のことでしょう。
 
自分で自分を評価するとき、人が自分をどう評価しているかということは参考になります。しかし、今の学校のあり方は、教師の評価の力が強すぎて、逆に自分で自分を評価することを妨げている可能性が大です。
 
たとえば、音楽の授業でリコーダーが使われますが、リコーダーの習得を通じて、日々進歩していく喜びを感じた人はどれだけいるでしょう。ほとんど皆無ではないでしょうか。そのため、授業で使わなくなると、どの家でもリコーダーは打ち捨てられてしまいます。リコーダーに教育の姿を見ることができます。